南天の実
新雪を踏むと、きゅっきゅっという音がした。まだ誰も足を踏み入れていない庭園に、ティアの小さな足跡だけが点々と続いている。
ここ数日の荒天は、天界には珍しく、雪が降ったりやんだりの繰り返し。今日の薄暮、この時間になってようやく空が見えたのだ。薄い青のベールが大気に下り、白い雪も薄い青に見える。もう少し経てば、ベールは青紫に、そして紺から黒に変わるだろう。
その前にこれだけは、と思って、ティアはこっそり部屋を抜け出してきたのだ。
「・・・よし。これぐらいあれば大丈夫だよね」
部屋の花瓶の中から一番小さいものを選んで持って来ていた。飾ってあった花は別の花瓶に押し込んで、水は見つからないように捨てた。
その中に雪を一杯に詰めて、ティアは部屋に戻った。
昨日、文殊塾で、女の子達と一緒に雪だるまを作ったのだ。アシュレイ達男の子は雪合戦。先生が呆れて止めるころには、既に男の子達は雪まみれですっかり濡れてしまっていた。
女の子達も呆れる中、アシュレイがこっそり
『・・・おまえもやればよかったのに』
とティアに呟いたのだ。
「でも・・・私はできないから」
花瓶を抱えて戻った部屋は火が入っていない。部屋を出る前に、ティアが消しておいたのだ。部屋が暖かくては雪が融けてしまう。
机の中から取り出したのは赤い実。昨日、余ったものをもらってきておいたのだ。
机の上で花瓶を逆さまにすると、ティアは雪を手に取った。
ティアの部屋のバルコニーに着いたアシュレイは、寒風吹きすさぶ中、大きな窓を二回叩いた。
「アシュレイ! 待ってたよ」
「すっげー寒い!」
喚いてアシュレイはカーテンをくぐって飛び込んだが、部屋の中は予想外に冷えていた。
「・・・おまえ、もしかして今まで執務室にいたのか?」
「ううん、今日は夕方からずっとここにいたよ。どうして?」
「ずっと? こんな寒い部屋ん中にか? 使い女はいないのか?」
「ああ、そういうことか。私が火を消したんだよ。でないと融けちゃうと思ったから」
わけが判らない、というように唇を尖らせたアシュレイを見て、ティアは笑いながら、机の上の自信作をアシュレイに手渡した。
「なんだ? これ」
「昨日、塾で教えてもらったんだ。雪うさぎって言うんだって」
いびつな白い楕円形に、二つの赤い実、二つの細長い布。
「この眼は、南天っていう木の実なんだ。ほんとは耳も南天の葉っぱにするらしいけど、これはアシュレイにあげようと思ったから、赤にしたんだよ」
渡された拍子に触れた手は冷たかった。
「・・・しょうがねえな。もらってやるよ」
「うん」
ティアは嬉しそうに肯いた。アシュレイはその顔にこっそり見惚れる。他の誰かなら、こんなもんいらねーよ! と叫んで放り出すのだけど。守護主天たる幼馴染が、こんな冷えた部屋で、自分のために。
「その耳、赤い葉っぱが見つからなかったから、カーテン切っちゃった」
「え?」
ほら、とティアが指差したのは、今しがたアシュレイが入って来た窓の下。カーテンの隅が三角形に欠けている。
「最初は一枚にしたんだけど、雪に差したらぺらって垂れちゃって。だから、貼り付けて二枚にしたんだ。ちゃんと出来てるでしょう?」
にこにこと満足げなティアの言うとおり、アシュレイの手の中で、厚い耳が誇らしげにぴんと立っている。
「怒られないか?」
「ばれなかったら大丈夫だよ」
「・・・それもそうだな」
肯いた直後、アシュレイは大きく体を震わせた。南育ちの彼は、こんな寒さを経験するのは今年が初めてなのだ。
「寒いっ! 火入れろよ!」
「駄目だよ。雪うさぎが融けちゃうじゃないか」
「だって寒いんだぞ! これは外に出しとけば大丈夫だろ! 火つけるぞ、ティア!」
眼にも止まらぬ速さで雪うさぎをバルコニーに置いたアシュレイが、指を鳴らして暖炉に火を入れる。そして二人がかりでソファをひきずって暖炉の前に据え、毛布に一緒にくるまった。
「アシュレイの体、冷たいね」
「ティアも冷たいだろ」
「うん」
アシュレイの手は冷えていた。ティアの手はかじかんでいた。その手をしっかり繋ぎ合わせて、二人は毛布の中で寄り添った。
「少し、あったかくなってきた・・・」
仔猫のようにくっついて、二人はとろとろとまどろみ――やがて本格的に寝入った。
朝になって使い女がカーテンの惨状に悲鳴をあげるまで、二人はぐっすりと眠った。