存在
「柢王…」
そ…と、傍らで眠る、最愛(いと)しい男の顔を覗く。自我の無い、ただ桂花の真似をするだけの身体。それでも、確かに柢王は此処に在(あ)る。
桂花が愛した真っ直ぐな眸も、熱い心も、体温さえも無いけれど、それでも確かに柢王は在る。桂花の傍らで、桂花と共に…。
死人
死んで、新しい躯を手に入れたモノ
あの時、柢王は死んだと言われた。アシュレイが魔風窟まで迎えに来た時に、間に合わなかったと言われた。守天の結界で守られた、柢王の冷たい身体を見た時、自分もそう思った。
そして柢王の身体が引き裂かれ、炎に包まれた時。無くなってしまったと思った。もう柢王は何処にも無くなってしまったのだ。柢王は本当に、桂花の前から消えてしまったのだ。
柢王は死んだ そして無くなった
最愛しい男は、二度と手の届かないところへ去ってしまったのだと思った。桂花を置いて、独り置き去りにして、勝手に、一言も無く、また何処かへ行ってしまったのだと。
いつもと違うのは、再び桂花の元に還ってくることは無いということだけで…。そしてそれこそが何よりも意味があったのだけれど。
「けれど…。あなたは此処に在る」
桂花は眠る男の頬にそ…と触れる。冷たい、体温の無い、死人の躯。奪い取った右腕から再生された、柢王の躯。意思は無い。自我も無い。ただ存在するだけの躯。
それでも好いと思った。やがて生まれ変わるだろう魂も、肉体も、最早桂花の恋しい柢王ではないから、この躯があれば好いと思った。漸(ようや)く掴まえられた。もう置いて行かれる事は無い。
「柢王…」
話し掛けても返事は無く、それどころか自らの意思も無く、桂花を視ることも笑うことも無い、ただ此処に在る、柢王の躯。
死人となった自分と共に、朽ちることも無く存在する躯。
「吾の…ものだ、あなたは…」
桂花の為だけに在る柢王。ただ、そこに在るだけの…
桂花は眠る男を腕に抱き締め、優しく頬を寄せる。嫣然と笑みを浮かべ、手の中に在る、恋しい男を抱き締める。
ずっと願っていた。自分の傍にいて、何処にも行かない柢王を。自分だけを見て、自分だけの為に居る柢王を。永遠に、ここに在る『絶対』
桂花は手に入れた。自分の『絶対』を。桂花を独りにしない『絶対』を。
…それは生きてはいないけれど
「それでも好い。あなたは此処に活(い)きている。ここに在る。生きていなくても、活きて此処に、吾と在る。それだけで好い…」
死んだ身体
それは生命ではない。生きてはいないけれど…でも、活きている。それともそれは逆だろうか。活きてはいなくても、生きているのだろうか。
身体が鼓動を打ち、脈を打ち、熱を発し、息をしていることを生命というのなら、明らかに自分たちは生きていない。周囲と関わりをもって活動することを生命というのなら、きっと自分たちは活きていない。そういう意味では、この冥界に属するモノたちは、活動している分活きているのだろう。
けれどそんなことは桂花にはどうでもよい。桂花にとって、重要なのは柢王が在ること。柢王の傍に、自分が在ること。
柢王が柢王の姿で此処に在る。それが桂花にとっての生命。柢王はいる。此処に存在している。だからそれだけで好い。
「柢王…」
ずっと、一緒にいる。ずっと、此処に在る。声が聞けなくても好い。視てくれなくても好い。傍にいて…。もう何処にもいなくならないで…
ただ存在する、此処に在る、それだけがすべて。
そして、桂花は識ることになる。
生命力に溢れた存在と、ただ在ることの違いを。その狭間で揺れる苦しみと最愛しさを。
生者と死人の違いを…
―――100年の休暇をやろう―――