投稿(妄想)小説の部屋

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No.499 (2003/06/02 01:55)投稿者:モリヤマ

プラトニック・序二段

(お相撲の話です。駄目な方、お気をつけ下さい)

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 がっぷりと四つにくんで取り組む勇姿…。
 残った! 残った! の声…。
 それはまさに、ひとつのダンスを見ているようだ――。
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 「大成部屋」の中堅力士・絹一は迷っていた。
 相撲の新弟子検査に受かって10年。いまだ幕内は遠い。
 技術も根性も、誰にも負けない自信はある。
 ただ、体重だけが足りない。他の力士に比べてグッと落ちるのだ。

「…向いてないんだろうか」
 いつものように、神社の境内でひとり物思いにふけっていると。
「持って帰んな」
 突然目の前に黒い出目金の入った小さなビニール袋が差し出された。
「鷲尾さん…」
 ビニールエプロンと黒長靴がよく似合うその男は、客(主に女)あしらいのうまさで業界でも有名な「金魚屋」だった。
「金魚を見てると心が和むぜ、ほら」
「…場所前ですから」
 鷲尾の声に一瞬顔をあげかけた絹一は、すぐにまた視線を落とすとうつむいたままゆるく頭(かぶり)を振った。
「和んでちゃ駄目なんです。目で、気迫で、相手を威嚇できるように、少しずつ自分の気持ちを高めていって…。ほんとなら、いまだってもうそんなふうになってなきゃいけないのに…」
「いいから、持ってけって」
「土俵に上がってからじゃ遅いんです、もっと…もっと…っ! 金魚なんかで和んでる場合じゃっ…あっ!」
「…っと」
 激昂した絹一は差し出されていた金魚袋を知らず軽くはたいてしまった。
「すみませんっ…俺…っ」
「気にするな」
 ……それよりも。
「おまえ、大丈夫か?」
「……っ」
 鷲尾は絹一のことが心配だった。
「どんなことにもメリハリは必要だろう? 場所前からそんなに張り詰めててどうすんだ。そんなんで一瞬の勝負に出れるのか?」
 金魚を扱わせたら三国一。どんな妥協も許さない。しかも、こと稚魚に関しては、過保護過ぎる自覚もある。だが仕方ない。金魚が可愛い。可愛いものは可愛いのだ。そこへ持ってきて、気に入った奴(主に金魚)にはめっぽう弱い。自分にできることならなんでもしてやりたいと思ってしまう。
 だから鷲尾は客を選ぶ。常識があって信用のおける、自分が気に入った客にしか最高の金魚を預けたりはしない。
 そんな鷲尾を業界一の「わがままな金魚屋」と周囲は呼ぶ。
 だが、至極自分に合った通り名ではないかと鷲尾は思っていた。
 その鷲尾をしていまの絹一をほっておくことなどできるはずもなかった。
 この気持ちを言葉で説明することは難しい。
 だが、ほんの少しの余裕も感じられない目の前のこのひとりの相撲取りが、鷲尾には他の誰(主に金魚)よりも可愛いのだ。

 ……最近の相撲界ときたら、やれ巡業だ、やれ本場所だと忙しすぎる。
 もっと手をかけてやらねぇと、つぶれちまうぞ。
 金魚だって相撲取りだって、愛情かけて育てるってのが基本だろーが。

 とりあえず、持っていた金魚袋を半ば強引に絹一の手に預けると、その肩にかかった髪をそっと払って、鷲尾は突然マッサージを始めた。
「…少し楽にしろ。気持ちを落ち着けて、それからゆっくり九月場所と向かい合ったらどうだ。急いても結果はついてこねぇだろ」
 鷲尾の言葉は、その指から確かなぬくもりを持って少しずつ絹一の心をほぐしていった。
「………お、俺っ……」
「なんだ?」
「……相撲取りに、向いてないのかも…っ」

 ……そのことばかり考えていた。自分で選んだ道なのに。考え出したら迷いがつきまとって。稽古してもどうにもならないのかもしれない。
 このままじゃ駄目だ。わかってるのに、抜け出せない。誰にも言えない。
 誰にも訊けない。怖くて口に出せなかった問い。

「なに言ってんだか」
「…え」
「おまえは相撲取りだ。…それ以外の何者でもないだろーが。好きなんだろ、相撲が。忘れたのか? 俺は相撲のことはよくわからんがな、おまえほど綺麗にシコを踏むヤツは他に見たことねぇぞ」
 わからないなりに、全ての取り組みを衛星放送で録画している鷲尾だった。
 絹一を理解するため、密かに努力を重ねていたのだ。
「稽古だって、ただやりぁーいいってもんじゃねぇだろ。おまえの身体とこころに見合った稽古でいい。師匠だってそう言ってくれてんだろ? なんにしろ、なんでもやりすぎはよくねぇしな。…だろ?」
 そう言って笑う鷲尾のいたずらっぽい表情に、なんだかつきものが落ちた気がする絹一だった。

 そんなふたりの様子を、ご神木の陰からじっと見つめる男がいた。
 …クラウディオ・サルヴィーニ。
「あれがギルに『化粧まわし』を用意させたケンイチ―――」
 二年前の大相撲ロンドン公演のとき、横綱の通訳をしていた絹一を見初めた最愛のギルバートのために。彼の愛する絹一を捕らえ、自分たちの傍に置こうと、<いままさに実行しようとしている男―――。

 そうとも知らず、絹一は鷲尾に癒されていた。
「…このこ、『カイ』って名前つけてもいいですか?」
「―――――。…あ、ああ。いいぜ」
 一瞬の絶句の後、鷲尾は引きつった笑顔で応えた。
「いつか、このこの絵柄の化粧回しが作れるような関取になってみせますからね」
「たっ楽しみにしてるぜ」
 …絹一は奥が深い。こいつを理解するには、まだまだ努力が必要だな。
 引きつり笑顔の下で、鷲尾は一層の精進を心に誓った。

 そして。
 そんなダブル・カイ(鷲尾と出目金・カイ)に、心から安心したように微笑み返す絹一に、いま魔の手が迫る――――。


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