孤松
「アアアアシュレイ? ききき君は元気だね・・・」
確かに誘ったのは自分の方だったとティアは考える。
きりがない仕事の息抜きに、人界に下りてみたいと我儘をアシュレイに言ったのはティアだった。予定どおりアシュレイが護衛をかって出てくれて、兵に見つからないよう変化して、あの思い出深い島国に、二人っきりでやってきたのだが。
二人の記念日は一月十五日。思いっきり、これでもかというほど、冬の真っ只中であったのだった。
「さささ寒くないの?」
「あ? そりゃ寒いけどさ、それほどじゃねーよ」
アシュレイは例によって、動きやすい格好だ。いつもなら、その無用に露出の多い服装に、恋人として食指が動いたりもするのだが、今のティアにはとてもそんな余裕はない。
「そそそう。元気なんだね・・・・」
着ている物は絶対にティアのほうが多い。なのにこの差と言ったら。
歯の根が合わぬほど震えているティアを見やったアシュレイは、軟弱だぞ、と怒鳴ろうとしたが、そこで守護主天の体質を思い出し、ふと視線を下に落とした。
足首は裾が締まっているが、そこから足繰りの大きい布の靴までは素肌が見えている。こういう体の末端が冷えてしまうと、余計寒さが感じられるものらしい。対してアシュレイは、短めのブーツの中に裾を押し込んでいる。
「・・・寒そうだな、おまえ」
「うううん、すこぉしね・・・」
肯くティアの顔が青い。
「――小さくなれよ」
「え?」
「俺の服の中に入れてやっから、小さくなれって言ってんだ! 鳥でもなんでもいいから!」
一瞬ティアは驚いたように目を瞠り、ついで心底嬉しそうに笑った。
「うん」
その笑顔に、アシュレイは僅かに後悔する。・・・早まったかも知れない。こいつがこんな顔してるときにはロクなことがないのだ。
ティアはアシュレイの気が変わらないうちにさっさと変化した。てのひらサイズ、二頭身のミニチュアティアの出来上がりである。
「お願い、アシュレイ」
手を伸ばしてにっこり笑う顔も、寒さに引きつっている。それに軽く舌打ちをして、アシュレイは人形のようなそいつを胸元に入れてやった。
「あー、あったかーい・・・」
「くすぐったい! 動くな! 大人しくしてろ!」
「だってアシュレイ、このままじゃ私は滑り落ちてしまうよ。君のベルトに掴まる羽目になる」
あ、それもいいかも・・・などとティアが言うので、アシュレイは仕方なく、服の中の小人が巣づくりを終えるまで待ってやった。
「いいか? 終わったか?」
「そうせかさないで。――いいよ、終わったよ。いつでも出発可能」
「どこに行きたいんだよ?」
「うーん、温かくなったから、北の方にでも行ってみようか」
アシュレイはティアが転げ落ちないように片手で支えながら地面を蹴った。
姿を消し、空を進むアシュレイの服の中で、顔だけ出したティアが眼下の景色を興味深げに見つめている。結界を張っているので、その顔に冬の風が当たることはない。
「この辺りはまだ、花が咲いているんだね」
ティアが言ったとおり、生垣のようになった緑の中に、赤い花が咲いている。
「冬なのに咲くのか」
「あれは冬に咲く花なんだって桂花に教えてもらったことがある。山茶花って言うんだって」
「ふーん」
なおも陸地にそって北上を続けると、目に見えて色彩が少なくなってきた。
固い土、枝だけの太い木、松や杉といった常緑樹の緑も、どこか重い、寒々しい景色だった。
「このあたりにはもう花は咲いていないんだな・・・」
「そうだね。――ああでも、雪が積もっている。緑と白で、きれいだよ。ちょっと近くに寄ってくれる?」
アシュレイはティアのご指名の丘に降りた。ここは人里からは離れているが、今まで通り過ぎたところにもほとんど人影は見えなかった。寒いから家に閉じこもっているのだろうか。
服の中の小人がもぞもぞと動いて、雪を被った松を見つめた。丘の上に一本だけ、ぽつんと立っている木である。
「――寂しくそうだね。動けないのに、手の届くところに誰もいなくて」
アシュレイには、自分の服の中のティアの表情は判らない。小さな金色の頭と、雪を被った松を見比べて言った。
「雪が降るからいいんだ」
「雪?」
「・・・雪」
普段の自分にそぐわないことを言っていると自覚しているのか、アシュレイの声は小さかった。
「そうかも、しれないね」
ティアの声は小さく、優しかったが、アシュレイは却って恥ずかしかった。
「・・・ほらっ! 次行くぞ! さっさと服ン中入りやがれ!」
アシュレイはティアをぎゅうっと押し込んで、地面を蹴った。