(番外)天主塔騒動始末(5)
ひとしきり笑った柢王が、親父で思い出したが、と懐からもう一つ書状を取り出した。
「忘れるところだった。天主塔でお前が受け取らなかった炎王様からの書状だ」
げっ と南の太子が空中で飛びすさる。ほれほれと柢王が書状を差し出すのを巧みに避け、逃げ回る南の太子は、呆れる柢王に、さらに呆れるようなことを頼んだのである。
「・・・何て書いてあるのか、読んでくれ」
などと言ったのだ。
「他人様からの手紙を俺に読ませるなよ・・・」
とは言え、懇願する瞳のアシュレイにそれ以上は言えず、柢王はやれやれと書状を開くと、手紙の内容を音読してやった。
「え〜と『此度の所業、まことに許しがたし。即刻帰城の上、霊力剥奪および蟄居申し付ける』・・・だってよ。大変だな。アシュレイ」
気の毒に、といった態で白い書状をひらひらと柢王は振って見せた。たった二行という簡潔きわまる内容だけに、炎王その人の怒りがひしひしと伝わってくるような文面だった。しかし、その怒りを向けられている当の本人は、きょとんとして首を傾げて見せたのである。
「・・・チッキョ? なんだそりゃ。親父の奴、訳のわからんことを書いてやがる。呪文かなんかか?」
空中でぐらりと柢王の体が傾いだ。
「・・・この文章を俺の憶測も交えてお前にわかりやすく訳してやるとだな、『南の城を抜け出していきなりいなくなったと思ったら、天主塔でこんな大騒ぎを起こしてやがって。とっとと城に戻って来い。霊力も斬妖槍も朱光剣もぜーんぶ使えないようにした上で、一室に閉じ込めて教育係をどかどか押し付けてやるから、今から覚悟しとけ、このバカ息子!』・・・ってとこだろ」
「誰がバカ息子だ、誰が!」
南の太子が柢王の胸倉をつかんで怒鳴り、柢王も負けじと言い返す。
「お前、何回もくらってんだろうが! 『蟄居』の意味ぐらい知っとけ! このバカ!」
「あ! てめ、このやろ。またバカって言ったな! 俺だって、『謹慎』って言われりゃわかったんだよ! そーいや、昨日てめえにポカポカ殴られた後頭部の痛みを俺は忘れてねえぞ! ・・・けっ! 行きがけの駄賃だ! 剣抜け! ここで決着をつけてやらあ!」
ばっと飛びすさり、柢王から距離をとると、一気に臨戦態勢となった南の太子は左手に意識を集中させて霊槍を呼び出そうとしている。昨日は全く思いどおりに行動できず、どこか鬱屈していた南の太子の表情が、手加減無しで思う存分暴れられるということか、それとも柢王相手に久々に手合わせできる事が嬉しいのか、楽しげにキラキラしている。
(やーっぱ、 そーこなくっちゃよ。)
にっと笑って、腰の剣を抜きかけた柢王が、ふと 瞳を眇め、それから『やれやれ』といったふうに剣を鞘に戻した。
「・・なんだよっ! 怖気ついたわけじゃねえんだろっ!」
剣を戻してしまった柢王に、地団太を踏むような勢いで南の太子がわめく。
「・・・後ろを見てみな」
神妙な表情の柢王に、? と後ろを向いた南の太子は、次の瞬間、ひぃっと顔をこわばらせた。
姿をあらわしかけていた霊槍が、へなへなと残像のように崩れて左手に吸い込まれてゆく。
「あ、姉上ぇっ?!」
「・・・ア〜シュ〜レ〜イ〜〜」
彼の姉が ものものしい武装集団を引き連れて、空中に仁王立ちに立っていた。
赤い長い髪をなびかせて柳眉をつりあげ、額飾りの光る秀麗な額に癪の筋をびしびし走らせている姉の姿を見て、弟はざーっと青ざめた。
「あなたという子はっ! こんなに人を心配させてっ! ・・・もうもうこの姉の我慢も限界です。父上がお手を下されるまでもなく、この姉自らが、きっつ〜くお灸をすえてあげます! 覚悟なさい! ・・・捕獲用意っ!」
最後の言葉は、弟にではなく後ろの武装集団に向けられたものだ。
「特攻! 一番隊、右翼展開! 二番隊、左翼展開! 三番隊は後方にて布陣を支援せよ!」
グラインダーズの号令一下、おのおの捕獲用具を持った武装集団は南の太子目がけて殺到した。
「あ・あねうえっ・・・ちょっと待っ・・ うわわっ・・っ」
殺気立つ姉に気圧されて、思わず逃げかけた南の太子だったが、背を向けた瞬間、一番隊に前をふさがれ、二番隊には退路を断たれ、上か下かに逃れようにも二手に分かれた三番隊が布陣を展開している。・・・つまり、あっという間に彼は取り囲まれてしまったのだ。
とっくの昔にさっさと一人で安全圏に避難していた柢王が、思わず拍手を送るほどの迅速かつ見事な連携プレイだった。
「拍手してんじゃねーよ!」
柢王の行動に思わず突っ込み、その隙を突いて一斉に距離を縮めてきた捕獲部隊の怒涛のような勢いに、南の太子は目をむいた。
「・・おバカさん・・・・」
グラインダーズが額を押さえてため息をついた。
「・・わわわっ! わ〜〜〜っ!」
雲一つなく晴れ渡る蒼穹に、南の太子の悲鳴が吸い込まれていった・・・
・・・数十秒後、霊力が使えないよう遮霊布でぐるぐるの簀巻きにされた南の太子が、さながらペルシャの絨毯売りの絨毯のように二人がかりで肩に担がれ、柢王に一礼して背を向けたグラインダーズに率いられて帰っていくのを、柢王は捕獲部隊のあまりの手際のよさに半ばあっけに取られながら、同じように礼を返し、見送った。
「・・・ま、あの女傑がいる限り、南領は安泰だろう・・・」
武力のみで突っ走るところがありがちな南の太子は、確かに教育係には手に余る代物だ。
だが、その南の太子にも頭の上がらない存在がいる。その際たるものが、彼の姉だ。
己の立場を良く理解し、その弟を良き統治者にするべく終始心を砕いている彼女に勝る教育係はたぶん南領にはいるまい。
彼女なら遠慮会釈なく、弟にスパルタ教育を施すことだろう。
「・・・がんばれよ、アシュレイ(笑)」
アシュレイが今回おこした(事になっている)騒ぎに関し、それにともなう世間からの非難・その他に関しては、柢王はあまり心配はしていない。なぜならたぶん、騒ぎに直接巻き込まれたものや身内のもの達以外は「乱暴者の南の太子が『また』大騒ぎを起こした」くらいにしか思っていないだろうからだ。
滅多に人死にが出ない天界においては、南の太子が山を一つぶち壊そうが、花街を類焼させようが魔族を追って他国で領空侵犯をしようが、「ああ、『また』か・・・」と思うだけでさほど驚きはしなくなっている。
南の太子が過去において日常茶飯事レベルでおこしていた騒ぎにより、天界人たちは、ある意味
すでに感覚が麻痺してしまっているのだ。
(・・・まあ、それも、ティアの(涙ぐましい)フォローと、聖水という万能の妙薬があってこそのことなんだが・・・)
・・・まったく、あのやんちゃな子供(ガキ)は、もう少し自分をわかるべきだ。
自分が愛されていると言う事を、もっと自覚するべきだ。
「まあ、自覚がないから、ガキなんだろうが・・・」
しかし、それをいちいち教えてやるほど、柢王とてやさしくはない。
幸せというものは、自分で自覚しないと、そうとわからないもののほうが多いからだ。
「・・俺も仕事に戻るか・・・」
ふと天主塔の方向へ振りむきかけて、柢王は思いとどまった。
・・・次に帰る約束もしなかった。
でも、桂花は待っていてくれるだろう。
桂花のいる所が柢王の帰る場所だ。
陽に向かうような笑みを一つ浮かべ、風を巻き起こすと柢王は一直線に蒼穹の門へと飛んでいった。
「・・・・・」
遠見鏡で南の太子が連れ帰られる様子を見ていた守護主天は、意気消沈した顔で画面を消し、執務机に突っ伏した。
あの分だと、彼の姉のガードが厳しく、こっそり抜け出してくるという事は不可能のようだ。
「・・・ああ・・・また、アシュレイに会えない日が続くのか・・・」
机に突っ伏してさめざめと悲しむ守護主天の前に、さながらバリケードのように書類の山を積み重ね置いた桂花がさらに追い討ちをかける。
「守天殿、仕事をしてください」
短時間のうちにあの執務室の惨状をたった一人で片付けてしまった優秀な秘書は、恐るべき処理速度で文官たちが新たに持ち込んできた新しい書類の選別に取り掛かっている。天主塔の主が、決裁書類の山に埋もれるのも、時間の問題のようだ。
天主塔の厨房では、
「・・・うう〜む 守天様は薬のいらないご体質だが、食事の基本は身体の機能維持のためにあるのであって、薬膳と言えど食事には変わりはないし・・・いやいや、いっそ、栄養価の全くない献立を作ることが天主塔の料理長である私の務めであるのか・・・ いや、でも昨日は、何もおっしゃらずにお召し上がりになられておられたし・・・う〜むむむむ・・・」
「料理長ぉぉぉ・・・早く決めてくださいよ〜」
と、左手に白い包帯を巻いた料理長が(←火傷をしたのは彼だった)本日の献立にファッチューチョンスープを組み込むべきかどうかで頭を悩ませ、献立が決まらない事には動けない他の料理人をやきもきさせていた。
また給湯室では、
「・・・それでですね、お二人でこう見つめ合われて、若君が差し出された手を、桂花様がそっとおとりになって、 ・・・そ・そして、桂花様が微笑まれたのですわ〜〜〜っ! ああっ 花の顔(かんばせ)とは まさにあのこと! 白薔薇の花のごとく薫り高く芙蓉の花のごとくやさしく、白百合のごとく典雅で白蓮のごとく高貴(中略)そして沙羅双樹のごとく清冽な、咲きこぼれ微風に揺れる百花の美しさをそのまま写しとったかのよーな あのお美しい微笑み! ・・・ああっ もうもう わたくしいつ死んでもよろしくてよ・・・っ」
などと桂花様ファンクラブの面々が、執務室の問答ネタで大いに盛り上がっている。
修練場では、復帰した兵士の面々が、後片付けをしながら
「一日でもいいから、南の太子様か柢王様が、俺達に稽古つけに来てくれねーかな」
「嘆願書出してみっか?」
などと話をしている。
天主塔の執務室ではようやく立ち直った天主塔の主に、彼の秘書が甘い花の香りのする茶を差し出している。
やさしい花の香りに表情をほころばせた天主塔の主は、目の前に置かれた書類の一つを手にとり、秘書の説明をきいて おもむろに守天の印璽を取り上げ、認可の印を押した。
・・・かくして天主塔は平和であった。