投稿(妄想)小説の部屋

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No.465 (2002/07/29 22:16) 投稿者:桐加由貴

夏風邪

 深夜、夏の日の『イエロー・パープル』。日付が変わったころには、バーテンと共にカウンターに入って常連とのおしゃべりを楽しむ一樹が、今日はカウンターの隅を独占して頬杖をつき、けだるげにグラスの中身を口に含んでいた。
「――ここ、いいかな?」
 落ち着いた声と同時に、一樹の隣のスツールに手がかかる。一樹はその手を見やり、視線を上にずらしてスーツの袖口、ブランド物のネクタイが映える襟元、さらに見慣れた顔に視線を当てた。
 常連、というほど頻繁ではない。だが見知った顔であり、馴染んだ声であった。
「・・・どうぞ。高槻さん」
「ありがとう。久しぶりだね、ここに来るのも、君と会うのも」
「そうですね。愛想をつかされたかと、支配人としてはヒヤヒヤしてましたよ。お一人ですか?」
 高槻光輝は自分の分を注文したあと、一樹のグラスの中身に気付いて苦笑した。
「芹沢は忙しくてね。最近会ってないよ」
「俺は芹沢さんのことを言ったつもりはありませんでしたが?」
「君はこんなふうにはぐらかされるのを期待していると思ったんだけど」
「当て馬扱いですか。芹沢さんも気の毒に」
「とんでもない。あいつはいい男だよ。当て馬なんてもったいないくらいに、ね」
「本命じゃないくせに?」
「本命のライバルさ、私にとって、あいつは」
 一樹は苦笑して頬杖をついていた手を降ろし、背筋を伸ばした。
「ずるい人だ。あなたには、本命がたくさんいるんですね」
「そうだよ。本命のライバル、本命の友人、本命の秘蔵っ子。さしずめ君は、本命の――」
「飲み友達?」
「そう。では、本命の飲み友達の回復を祈って、乾杯しようか」
 一樹は思わず、高槻を見つめてしまった。だがそれも数瞬、すぐにいつもの、いたずらっぽい笑顔になる。
「早耳ですね。誰から聞きました?」
「君のファンが話しているのを小耳に挟んだだけだよ。風邪だって? こんな夏のさなかに」
「クーラーの中にいすぎだと、弟達に怒られましたよ」
 一樹は高槻に合わせてグラスを持ち上げた。中身はノンアルコール。ウーロン茶である。卓也に酒をねだったら、これが出てきたのだった。
「クーラー、ね・・・」
 高槻が含み笑いをする。
「来客があったそうだね」
「ええ」
「香港では、寒いぐらいに冷房を効かせるものだとか」
「――俺は最近、香港に行ってはいませんが?」
「香港からのお客様は、特に冷房を強くする傾向がおありでね。他のところからのお客様との兼ね合いが大変なんだよ」
「――それはそれは」
 呟いて、一樹はウーロン茶のグラスを傾けた。
「まして、東京の夏の宵は暑いからね」
高槻は手加減してくれそうにない。今夜はとみに、旗色が悪かった。一樹は負けを認め、相手を称えて、もう一度グラスを触れ合わせた。


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