身代わり --but--
「俺はいつまで身代わりを続ければいいんだ…ん? 高槻」
ベッドのふちに軽く腰をおとした貴奨のため息まじりの声が、静かな部屋の空気を動かした。
その手を愛しい男の髪にあて、そっと滑らせ、その指先で唇をなぞる。
されど、隣で寝ている愛しい男はぴくりとも動かないままだった。
「なぁ、高槻…俺の腕の中は安心だろう? それとも…あの人の腕に抱かれているつもりでいるのか? 夢の中までも、俺は身代わりなのか?」
物言わぬ唇に、貴奨は自分の唇を近づけた。
羽根のように軽い啄ばむ程度のもの…自ら望んでしたその行為に身体の火照りを止められるはずもなく、愛しい男の眠りを妨げまいと貴奨はその場からそっと腰をあげた。
…その瞬間
不意に捕まれた腕にバランスを崩す。
「…高槻? …すまん、起こしてしまったようだな」
何事もなかったかのように取り繕った貴奨のポーカーフェイスも、この男にだけは通用しない。
「いや、起きていたからかまわないさ」
その、さらりとした口調に貴奨の顔が一瞬強張った。
自分の言葉も、行動も全て承知の上で、素知らぬふりをしたまま寝顔を見せていたのか…と。
「どこまでも、冷たい奴だな」
言い放し、貴奨はその冷たい言葉とは反対に自分の腕を掴んでいる男の頬をあやすように撫で、その拘束を解かせた。
「どこへ行くんだ?」
「シャワーだ」
「こんな時間に?」
その言葉とほぼ同時に自由になったはずの腕が再び拘束された。その貴奨の腕に微かな震えが伝わる。
「…高槻?」
最初は、貴奨の呼びかけに視線も言葉も返さなかった高槻だったが、それ以上、貴奨からの声がない張り詰めた空気に耐えかねたように口を開いた。
「…身代わりにしているつもりは…」
何十年も想いを寄せてきた義理の兄の存在。
今も、自分の意志とは関係なく、心の中に入り込んだまま出て行ってはくれない。
気持ちは貴奨に傾いているはずなのに、それを伝えることができずにいた高槻に、貴奨の言葉は辛いものでしかなかった。
1%でも、あの人への想いが残っている限り、頑なな態度を取りつづけるであろう高槻。
彼自身の心の中の葛藤は、これまで高槻を傍で見てきた貴奨にも充分すぎるほど伝わっている。
だから、眠ったふりをしたまま時を流そうとしたのだろう。
でも、それすら辛く感じた…それが高槻という男。
貴奨は、これ以上高槻を追い詰めないよう、できるだけ柔らかな口調で言葉を返す。
「わかっている。気にするな」
ようやく耳に入った貴奨の声に安堵と自嘲の笑みを浮かべる高槻。
『but…』
貴奨は続けて声には出さず、唇だけを動かした。
薄暗い部屋の中、その唇の動きが高槻に読み取られることはないだろう。
それでも…
物分りのいいふりをして声に出した言葉を、否定したい気持ちをどこかに残したいから、心の中で言い続ける。
『but…』と。