お世話係の慨嘆
本日大聖城には、天地を揺るがす叫びが響き渡りました。
「実家に帰らせていただきますっ!」
――いえ。正しくはこうでした。
「本日限りお暇をいただきますっ!」
憤然と身を翻して出て行った背中を見つめて、我らが敬愛申し上げる王、炎王さまは深い深いため息をおつきになりました。そして私を手招かれたのでございます。
私は、この南領の王子アシュレイ様のお世話係の一人でございます。アシュレイ様の乳母の親戚に当たる者であります。もともと王宮に働く者は、大抵が縁続き。かの乳母どのも、私の父方から見れば義理のいとこでございますが、母にとっては腹違いの妹、私にとっては叔母に当たる方。父の家系と母の家系は昔から縁があり、互いの家の者で結婚していることが多いのでございます。
そのような縁があるとはいえ、私ごとき若輩が世継ぎの王子のお世話係に抜擢されるとは、何かの間違いではないかと思ったものでありました。そう疑いながらも、王子のため南領王家のため、身を粉にしてお勤めする決意をした己を、なんと若く、理想と幻想に溢れていたことかと、今となってはしみじみと、懐かしく思い出すのであります。
若かりし私は、剣の腕にも足の速さにもそれなりの自信はあったものの、あくまでもそれなり、何一つ突出していないというのは、自分が一番良くわかっておりました。そのような私がアシュレイ様のお世話係に抜擢されたのは、私の流されやすい性格ゆえの適応力としぶとさのためであったようでございます。
幼いアシュレイ様は、私を子分のように扱われました。他のお世話係はみな教師としてお仕えしていましたし、城には王子と近い年頃の子供はおりません。いたとしても、なにせアシュレイ様はとんでもなく腕白なお子様でいらしたので、年の近い子供では、遊び相手として不服と思われたようでございます。『こいつなら殴っても蹴っても大丈夫!』・・・とお思いであったのかどうか。とにかく私は、幼いアシュレイ様に引っ張り回され、
勉強がお嫌いなアシュレイ様に避難所とされながら、あの方にお仕えして参ったのでございました。
さて、アシュレイ様も元服を済ませられ、元帥の任に着かれました。ずっと仲違いをしておいでだった天主塔の守天様とも、仲直りされたご様子。
これで少しは落ち着いてくださるかと、他のお世話係同様、私も胸を撫で下ろしたところでございました。ですがあのアシュレイ様に限って、そう簡単にいくわけがなかったのです。
アシュレイ様もそろそろお年頃。跡取の王子ともなれば、縁談の二つや三つ、出てきて当たり前のお年でございます。実際、さる筋からの話では天主塔に気になるお相手がいるらしいとのこと。気性は激しいもののお優しい王子様ですので、うまくいってくれることを祈っておりました。
――が、どうやらはかばかしくないご様子。アシュレイ様は天主塔からお帰りになると、人里離れた場所で、山を潰しては鬱屈を晴らされるのであります。
そのたびに地図を作り直すこと十数回。測量士も堪忍袋の緒をきらしては、荷物をまとめて出て行ってしまいます。そして今回、四人目の測量士が出て行ったのに、炎王様もさすがに耐えかねたようでございました。私をお召しになり、アシュレイ様をなんとかするように、とおおせになったのでございます。
(・・・んな無茶な)
あのアシュレイ様を説得申し上げるなど、私ごときではとてもとても。そもそも、炎王様でもグラインダーズ様でもおできにならなかったことが、私にできるはずがありません。
とはいえ、炎王様じきじきのご命令であります。何も手を打たないわけにもいきません。そこで私は、アシュレイ様に直談判を試みたのでありました。
「――というわけで、アシュレイ様。山を潰すのはおやめいただきたい。鬱憤をお晴らしになりたいのなら、兵を相手に組み手でもなされませ。兵達の特訓にもなって丁度良い」
アシュレイ様はそっぽを向いてしまわれましたが、ややして、
「・・・兵士達じゃ、何人いても相手になんねー。誰にも迷惑かけてねーんだからいいだろーが」
と、拗ねた声で小さく呟かれました。
「とんでもない。地図が完成したら、測量士たちには報奨が出るのですよ。それで長いことほったらかしにしていた妻や子に、何か買ってやろう、楽をさせてやろうと、皆それを励みにしているというのに、地図を作ろうにも測量すら終わらないのが現状なのです。他にも、困っている者は大勢いるのですよ」
「他の奴って誰だよ」
「まず、西の保養地の者たちです。アシュレイ様が火山を潰したせいで、温泉が湧かなくなったり、湧いても水量が減ったり温度が下がったりして、商売上がったりの者が続出しているのです」
「・・・そんなんまで面倒見られっか!」
「次に、その保養地を訪れる各国の者です。体を損ない、療養のために訪れたというのに、肝心の温泉が湧いていない。そこに来るまでの時間と費用は無駄に――いや、それよりも、療養ができないでは、おおごとではありませんか」
「・・・そんなのかんけー・・・」
「その保養地は、我が南領の者も訪れるところなのです。小耳に挟んだところでは、炎王様も、時折お忍びで行かれるとか」
「・・・父上が? まさか! 父上はそんなにヒマじゃないし、保養地なんて行くほどのお年じゃない」
「甘い! アシュレイ様、甘すぎます。炎王様はその気になれば、時間なぞいくらでもお作りになるお方。それに何より炎王様は、もう壮年という年は過ぎてらっしゃるのです。なにせ初めのお子様のグラインダーズ様があのお年でいらっしゃる。確かにお年の割には、かなりお若い王ですが、実際のお年はそう若くはあられないのです。その父君が、激務の合間に骨休めなさる場所を取り上げるおつもりか? それはあまりにも、炎王様にお気の毒というものではありませんか」
「――・・・・」
アシュレイ様が唇を噛んで、顔を紅潮させてうつむいてしまわれました。口で負けると、いつもこの顔をなさるのであります。
「山を潰すのはおやめなさいませ。よろしいですかな? アシュレイ様」
「・・・わかったよ!」
王子は床を蹴りつける勢いで立ち上がり、出て行かれました。私はほっと溜め息をつきました。あの気迫の前に居続けるのはとても体力と気力を使います。お優しい方ではありますが、なにせ気性の激しいやんちゃ坊主。頭より先に腕や口が出る性格でいらっしゃいますので・・・。
アシュレイ様の気晴らしを、何か考えねばならないようです。幼馴染の柢王様が、文殊塾で剣術の師範を務めておいでのはず。アシュレイ様をお相手に、文殊塾で模範試合でもしていただきましょうか。それとも北の王の山凍様に、ご指南願うことにしましょうか。
お世話係は何かと気苦労が多いのでございます。