風、薫ル
雨が降っている。
昨日も、今日も……おそらく明日も。
流しても流しても止める事のできない涙のように。
空から、透明な水が。
雨に濡れて、紫陽花が花を咲かせていた。
紫陽花が咲く階段を昇ると、高台のそこには小さな小さな美術館があり、階段から後ろを振り向くと見えるのは海。
灰色の海が、広がっていた。
傘が邪魔だとぼやきながら、彼は石段をあがっていく。
降りてくる人とぶつからないように。
石段際に咲いている紫陽花を散らせないように。
雨に濡れないように、ゆっくりと。
「もっと小雨なら傘無しでもよかったかもしれないけど、これだけ降っていれば、さしてないと風邪ひいちゃいますよ、健さん」
俺の言葉に、
「まぁな。そりゃそうなんだがな」
と、けれどやっぱり邪魔だという顔をして、少し傘に目をやる。
その様子がなんだか子供のようで。
俺の口元は自然と弛んでしまっていて。
人がすこし途切れたのを見、俺は彼を追越し、先を歩いた。
一段、一段。
そして振り向けば。
ハイイロの海が、白い波を立てて。
── 晴れていればいいのに。
そうすれば、蒼い空の色と、青い海の色と、
………彼が。
とても綺麗だっただろうに、と。
来るならば、晴れている日を選ぶべきだったと。
後悔したところで、時既に遅く。
彼には、光と風がとても良く似合うのに。
トテモ良ク、似合ウノニ ──。
見下ろす形になった俺と、見上げる形になった彼の視線が一瞬絡まる。
右手で傘を差し、左手は無造作にポケットに入れられ。
手を
繋いで歩きたい ──。
けれどこんな大勢の人前でそんなことはできないなと突然沸き起こった衝動を、胸の奥深く沈めて。
そして、俺は彼に向かって笑った。
雨はまだ降っている。
さらさらと。
絹糸のような、細くこまやかな雨が。
小一時間ほどの静穏な時間を過ごし、館内から出てきてみると。
傘がいらないほどの雨になっており。
雲が晴れ、光が差し込んでいて。
そして。
空が。
蒼い蒼い、綺麗な空が。
頭上には広がっていて。
ここがどこか忘れてしまう程、自分の目は空にだけ向かい。
蒼い色を瞳の中に映した。
「首、痛くねぇのか?」
後ろから聞こえた声は少しだけ笑っていて。
そちらを見れば、彼も同じように空を見上げていて。
前髪にわずかについた水滴が、光を受けてきらきらと輝いて。
……彼の、金色の髪も綺麗に輝いていて。
「海、行ってみるか」
空から目を移し、俺を見て彼は言った。
手を差し出して、微笑って言った。
その手をしっかりと握って、
きっと気持ちいいでしょうね、と
彼に向かって、俺は笑う。
心の底から。
嬉しくて、嬉しくて。
空は蒼に、雲は白く、海は青に。
その景色は彼にとてもよく似合っていた。
とてもよく 似合って いた。