投稿(妄想)小説の部屋

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No.447 (2002/06/13 08:33) 投稿者:桜草

苛立ち

「ボス、これを…」
 慧嫻の手元に置かれた一枚の報告書には【一樹・フレモント】という名が記されていた。

 ローパーが開店する少し前、今日もカウンターで酒を浴びる一樹の姿があった。
 このところ毎日のように酔った状態のまま店に出る一樹に、卓也も頭を悩まされていたのだが、ふと口をついた一樹の声にただならぬ状況を察したのだった。
「なんだって?」
「だから…疲れた! もう、こんな生活はたくさんだ! って言ったんだよ」
「…一樹」
 それは店を辞めたいということなのか? 卓也は声にしそうになったその言葉をのみこんだ。
「きょうは帰れ」
 そう一言だけ一樹に告げると背をむけ、店内のテーブルを拭き始めた。
 毎日酔って客にしな垂れかかっている一樹、オーナーとしての役割は卓也が全て代行している。
 一樹の中でのカウントダウンがはじまっていた時ですら、こんなことはなかったのに。

「また酔っ払ってるな」
「こんばんわ、卓也さん。一樹さんの様子を見に来たんです」
 家でもこんな状態なのか? 卓也は二人に話し掛けている。
 自分の弟達が来ているというのに、当の一樹はそ知らぬ顔で酒を流し込んでいた。
 店に出る以外は一歩も外に出ず家に篭ってる。そう二葉に聞かされ卓也は短くため息をついた。
「周りで何か変わった様子は?」
 二葉に問いかけながら、卓也は自分でも一樹の様子がおかしくなったあたりのことを、思い出そうとしていた。
 いつもとほぼ変わらぬ顔ぶれの客。
 ここローパーに飛び込みの客は殆どいない。酔いがまわり間違えて入ってきた客がいたとしても、一樹が上手く追い出しているからだ。
『場の雰囲気』城堂から受け継いだこの店を大切にしている一樹が、一番に心掛けてること。
 だが今は、その『場の雰囲気』を壊しているのは他の誰でもない一樹自身だ。

「兄貴!!」
 グラスが落ちて割れる音が、まだ静かな店内に響き渡る。
 郷を煮やした二葉が一樹からグラスを取り上げようとして揉めたらしい。
「二葉、やめてよ…一樹さんもどうしちゃったんですか」
「…ああ、来てたの? 忍…ごめん、少しの間こうさせて」
 一樹がふわりと忍の胸に倒れこんだ。
 その反動で後ろに下がった忍を二葉が支える。でも、一樹から忍を引き剥がそうとはしなかった。
 こと忍に関しては冷静でいられない二葉ですら、一樹の状態が普通でないことを読み取っていたのだろう。
「関係があるとしたら、あいつだな」
 二葉の言葉に卓也がすぐさま反応する。
「心あたりでもあるのか?」
「香港じゃねえーの」
 慧嫻…か。卓也は忍の胸で覇気のない瞳をした一樹に視線を移した。
 もともと自由気ままな生活を楽しんでいる一樹。本意か不本意かはわからないままだが…
 それに対して、恋人である一樹を独占したがっている慧嫻。だが、この離れた距離では何もすることが出来ない。
 お互い仕事を持ったいい大人である。毎日とは言わないが、電話で愛情を確認しあうことさえもないだろう。
 それが、お互いの見えない心の壁になっていることは言うまでもない。
 あり得ないことではないな、卓也は、できれば恋人である桔梗を手元に置いておきたいと思っている自分と慧嫻を重ねていた。

 静寂を破るかのように、カウンターに置かれた一樹の携帯が鳴る。
 ディスプレイに表示された名を見やり、携帯に出るよう卓也に目配せする一樹。
「自分で出ろ」
 一樹がため息をつき、それを耳につける…が、ほどなくして携帯をカウンターに置いた一樹。
そして…
「ずっと監視されてたんだ…」
 小さな声で呟いた。
「俺の行動を監視してたんだ。まったく困った奴だよ…これだから年下っていうのは…」
「一樹さん?」
 一樹の頬に伝わるもの…それは何を意味しているのか。
「来るんだな?」
 卓也は瞬時に察した。
 監視されていたという苛立ちは、直接逢いに来ないという苛立ちでもあったのだろうと…
「で、いつ来るんだ?」
「もう、そこまで来てるらしい」
「愛されてる証拠だな。このまま明日も店を休め、どうせ身体がもたんだろう」
「なっ…」
 一樹の白い肌が薄暗い店内で紅潮したように見えた。
 それが、以前の慧嫻との情事を思い出しての所為なのか、店のライトの所為なのか、知っているのは一樹のみ。


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