花風
はらり。
はらはら。
はらはらはらと。
薄紅に視界が染まる。
まるであの人の姿を隠すかのように。
はらはら。
はらはらはら。
桜が、舞う。
「いいよな、桜ってのは」
突然、花見に行こうと言い出し、バイクに乗せられ、
半ば無理矢理に知られざる名所とやらに連れてこられた。
「もう、俺、今夜仕事なんですよ、健さん。…聞いてます?」
見事に咲いている桜をみて
素直に綺麗だと嬉しがるのもなんだか悔しかったから、俺は、わざと怒ったようにしてみせた。
けれど。
― お見通しだよ。
そんな笑顔で髪をくしゃりとかき混ぜられた。
その笑顔が、眩しくて。
うっとりするぐらいに眩しくて。
いつもなら過度と思えるほどのスキンシップをしてくるのに、それもなく。
手を繋ぐこともせず、肩を抱くこともせず。
必要以上に触れもせず。
ただ、ゆっくりゆっくりと言葉もなしに歩いていく。
さくり。
さくりさくり。
地面を埋め尽くした、薄紅の花びらを踏み締めて、彼はゆっくりと俺の前を歩いている。
気持ち良さそうに、空を仰いでみたりして。
少し目を細めている彼を、俺は後ろからただただ、見ているだけで。
声をかけることも、せず。
ゆらゆら。
ゆらゆらゆら。
風に枝が震える。
彼の頬も、彼の肩も撫で、髪を踊らせる。
風が、花を攫う。
一瞬の強風に目を瞑って、再び目を開けた時、
彼の姿はそこになく。
どこへ消えたのか、とうろうろと探してみればすこし傾斜になった日当たりのいい場所で寝転び、目を閉じている姿を見つけた。
はらり。
一枚の花びらが、彼の髪に落ちた。
はらりはらり。
彼のからだが薄紅に染められていく。
花びらに埋もれたその姿はとても綺麗で。
言葉にはできないほど、綺麗で。
あぁ。
できることなら。
できることなら もうすこし。
もうすこしだけこの時間が。
この静穏が 続きますように。
はらはら。
はらはらはらと。
桜が、舞う。