FULL MOON NIGHT 〜JAZZ Night 3〜
「そいつの正しい飲み方、教えてやろうか?」
二杯目のBlue Moonに伸ばしかけた指を鷲尾の掌が摑まえた。
そのまま引き寄せ、指先に軽く歯を立ててから放してやる。
「グラスの中を覗いてろ。」
象牙色の肌を朱に染めて返事をしない絹一に、鷲尾はそう促した。
言われるままにグラスを見ると、淡いバイオレットが揺らめいている。『蒼い月』なのになぜ紫色なのだろう・・・とぼんやり思ったところで再び鷲尾の声がした。
「表面に月が映るまで、静かに見つめてろ。これは、月を見つけられてから初めて味わうカクテルなんだ。」
「月を・・・?」
「そうだ。いくぞ?」
鷲尾の爪先がグラスの淵を弾く。チンと音を立てたクリスタルの中で、小さな宇宙がさざめいた。
やがて静まり行く宇宙の中に、オレンジ色のまるい月が見え隠れを始める。
「見えたか?」
問い掛けに頷きかけた絹一は、首を横に振り直した。
「もう・・・少し。」
バイオレットの天空に浮かぶオレンジの月、傍には赤く光る星がひとつ。そして・・・。
絹一の顔が思わず綻ぶと、鷲尾は咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。
「ウサギも見えたか?」
ニヤリとした鷲尾に向けて絹一も笑顔を返す。
「日本人ですね、鷲尾さん。でも俺の月には、ウサギじゃないモノが見えましたよ。」
「・・・外人だな、おまえは。」
「ええ。それと、月の他にアンタレスも見えました。」
少し鼻白んだ鷲尾に澄まして答えると、絹一はグラスに手を伸ばす。
(あまり品の良い飲み方じゃないな。)
苦笑を禁じえないまま絹一は、月面に映った何より大切な人を愛しさを込めて一息に飲み干した。
「この曲・・・」
フッと顔を上げた絹一の体が静かに鷲尾の肩へと凭れ掛かる。
外では殆ど見せる事の無い、その甘えた態度に絹一の酔いのを感じながらも鷲尾は更に抱き寄せた。
「なんだ? 哀しい事でも思い出したか?」
耳元を擽る囁きに身動ぎしながら、絹一はクスリと笑う。
「違います。ただこの曲、眠くなるなぁと思って。」
聴こえて来るのは艶を帯びて深みのある・・・譬えるならば、柔らかな手触りの黒いベルベットの様な女の声。
「俺達の時間はこれからじゃないのか?」
冗談とも本気ともつかない鷲尾の言葉に、絹一は欠伸で答える。
「だって歌詞はともかくこのメロディ、『眠れ〜 眠れ〜』って言ってますよ。」
「歌詞はともかくって・・・お前本っっ当に眠いんだな。」
英詞が絹一に判らない筈が無い。おそらく眠気に負けて頭に入っていないのだろう。
「おい! 絹一?! ・・・マジかよ。」
安心しきった顔で鷲尾に全身を預け瞼を閉ざした絹一は、ゆったりと規則正しい呼吸を繰り返していた。
「おや、絹一さんはもうお休みですか?」
鷲尾の後で笑いを堪えた声がする。
つくづく人の背後を取るのが好きなヤツだ。
溜め息を吐きながら首だけ振り向くと、一樹が満面の笑みで立っていた。
「感受性の強い方ですね。素直で可愛らしい。」
「・・・一樹ワザとだろう、この選曲。」
鋭い眼力と唸るような低い声にも全く怯まず、一樹の笑顔が一層華やかなものに変わる。
「何の事です? この曲? 良い歌でしょう、サラ・ヴォーンの『SUMMER TIME』ですよ。」
「・・・子守唄じゃねえか。」
深い溜め息と一緒に視線を落とした鷲尾は、無邪気に夢の国で遊ぶ絹一の頬を思いっ切り左右に引っ張りたくなった。
久し振りに今夜は、月が眠りにつくまで求め合おうと思っていたのに。
「一樹の策に、あっさり引掛かりやがって・・・。」
仕方が無いと諦めて、鷲尾は引っ張る代わりに絹一の頬を撫でた。
自分の世界に入ってしまった鷲尾は、それきり背後の人物の存在を忘れている。もしも振り向いていたならきっと気が付いただろう。自分が来る前から、すでに一樹の策略は開始されていた事に。
なにしろ絹一を妖しく魅了していた筈の一樹は、Blue Moonを傾けながら顔中にデカデカと、
「してやったり!!」
の文字を張り付かせていたのだから(笑)。