投稿(妄想)小説の部屋

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No.426 (2002/03/24 22:25)投稿者:じたん

夜桜 続・素直な唇

 リビングの明かりの下に、咲き誇る桜の花。
 それを一人眺めながら、待ち人の来訪を待つ。
 花見は夜、一人でするもの。
 夜に一人で愛でるもの・・・・・

「・・・今度は、どこから失敬してきたんです?」
 ジャケットを脱ぎながらリビングに足を踏み入れたところで、絹一は呆れたような声でキッチンに立っている鷲尾の背中に問いかけた。
 その、容赦ない言葉に、鷲尾は苦笑しながら振り向いた。
「そうじゃねぇよ。今日、理沙のやつが持ってきたんだ」
 リビング・テーブルの上に置かれた、信楽のつぼに生けられた満開の桜。
 なんでも実家の庭に植えられた桜が咲いたそうで、何事にもまめな鷲尾の義妹はさっそく切り分けて持ってきたのだという。
 早とちりな自分に赤くなりながらも、血は繋がっていないはずなのにこんなところはそっくりなんだな・・・と絹一は思い、少し羨ましいような気分になる。
「ほら、来いよ」
 そう言いながら鷲尾は、ダイニング・テーブルの上にミルクティーの入ったカップを置いた。
 それから、本当に食ってきたのか? と改めて絹一に聞いた。
 食事は打ち合わせを兼ねて同僚と済ませてきたそうで、夕食の約束まではしていなかったのに、絹一は鷲尾にすみません・・・と改めて申し訳なさそうに言った。
「馬鹿。謝るな」
「・・・でも」
「さっきも言ったぞ?」
 気にするな、と。
 同じことを何度も言わせるなと、鷲尾は言わない。
 言わないけれど。
 また疲れさせてしまった・・・と、今度は違う理由で絹一は自己嫌悪に陥ってしまう。
 目の前のダイニング・テーブルの上にある、自分のために淹れられたミルクティーを見つめながら、絹一の顔がなおも俯きそうになった時。
 鷲尾の腕が伸びてきて、問答無用で抱き寄せられた。
 広い胸に顔を押し付けるようにされて、絹一の顔が赤くなる。
 バレンタインの夜からちっとも変わらない、腕の中の細い身体を確かめるように、鷲尾の大きな手が絹一の背中をなぜる。
「・・・ホントにちゃんと食ってるのか?」
 絹一の髪を、鷲尾の唇がそっと食む。
「・・・食べてますってば」
 絹一の両腕が、おずおずと鷲尾の背中に回される。
「ウソつけ」
 それでもやはり最後は遠慮がちになってしまう絹一らしく、背中のシャツを握りこんできたことに内心苦笑しながら、鷲尾は力を抜いてもたれてきた身体を抱えなおした。
「・・・鷲尾さん」
 胸に埋められた絹一の唇が、吐息混じりに囁く。
「ん?」
 応える声が唇と共に、僅かに見え隠れしている耳を目指して漆黒の絹糸を辿り降りる。
「紅茶が冷めちゃいます・・・」
 そう言いながらも、握りこんだシャツを離そうとはしない両手に。
 お前は猫舌だから、少しぐらい冷めた方がいいんだろう? と。
 悪戯っぽく囁いた後、鷲尾は嬉しそうに微笑んだ。

 絹一が風呂からあがってソファに座ったところで、鷲尾はリビングの明かりを落とした。
 足元にある照明だけを灯し、リビング・テーブルの上にある桜をライト・アップする。
 暗い室内に足元から桜を照らし出す明かりは、夜を侵食するように滲む雪明かりにも似ている。
 そう考えたところで、今年は東京は季節外れの雪に見舞われることはないのかと、ふと思う。
 自分と並んでソファでに座りながら、酒を飲むわけでもなくただじっと桜を見つめている鷲尾の横顔を、絹一はそっと見た。
 意外に真剣な顔をしている。
 それは何かを考えている時に見せる、彼の表情。
 そんなふうに少しづつ彼のことを自然とわかるようになっていく自分が、絹一は少しだけ誇らしい。
 でも、なにに気を取られているのか、無償に知りたくて。
 ほんの少しだけ離れて座る鷲尾の膝に、そっと自分の手を乗せた。
 こちらを向いて欲しい・・・と思って、自分からしたクセに。
 いざ見つめてこられると、絹一は目を合わせることが出来ない。
 いちいち考えていることが顔に出てしまうことをすっかり失念している絹一の、豊かな表情の変化を内心楽しみながら、鷲尾はなにか飲むか? と絹一に尋ねた。
 それを鷲尾からの助け舟だとわかっている絹一は、少し顔を赤くしながらも今度は心で思っていたことを言葉にしてみせた。
「そういえば・・・今夜はお酒は飲まないんですか?」
「ああ」
「・・・どうして?」
「酒なんか飲んだら、また眠っちまうだろう?」
「眠いんですか?」
 自分がかなり遅くなってしまったのを、まだ気にしているのだろう。
 その証拠に、鷲尾の膝に置かれた絹一の手が少し緊張して握りこまれた。
 その相変わらずな様子に、鷲尾は今度は顔に出して苦笑してみせると、冗談だ、と言って膝の上のある絹一の手を握り、違う意味でまた彼の顔を赤くさせた。
 花見を始めて、まだ間もないのに。
 お前とじっくり桜を見たいんだ、というたてまえと。
 早々と誘惑してくれるな・・・という本心を。
 自分の手をそっと握り返してきた鈍感な絹一に、本当は言ってやりたいのだが。
 言葉にするよりは行動で示した方が、今は伝わるような気がして。
 今度はお前の番だからな? とバレンタインの夜に告白をした自分を思い出しながら、自分の中に沸いた照れを隠すために鷲尾は、やはり態度で示すことにした。
 それに。
 夜桜は寝転がって、下から見上げるのがいい。・・・だから。
 絹一から離れて座りなおすと、鷲尾は背を倒して彼の膝の上に頭を乗せた。
 テーブルの上に咲き誇るものよりずっと妖艶な・・・自分だけの枝垂桜を見上げる。
 下からじっと見つめられて、絹一は目をそらすことも出来ない。
 でも、黙ったままでいても自分の手は、自然と鷲尾の髪を撫でていた。
 それを気持ちよさそうに受けながら、鷲尾は一度目を閉じると、再び絹一を見つめてきた。
 明かりは足元からの優しいものだけなのに、自分を見上げてくる鷲尾の目はなぜだかとても眩しそうで。
 眩しいんですか? とストレートに尋ねた自分に、鷲尾は苦笑しながら甘い声で・・・一言。
 鈍感・・・・と。
 その音色は、バレンタインの夜に自分に告白をした時と同じものだった。
 だから、顔がますます赤くなってしまう。
 薄紅から深紅・・・まではいかないまでも、絶えず色味を変化させる、目の前の桜を愛でながら、鷲尾は昼間受けた電話のことを思い出していた。
 京都に出かけている、一樹との電話でのやり取りを。
 青山にある日本料理の店のオーナーから聞いて試飲した、美味い日本酒を送りますからという一樹に、日本酒は苦手なんだが、と言う前に・・・ワインを思わせる珍しいものだからぜひ、とすかさず言われて。
 相変わらずだな、とあえてそれ以上のことは聞かなかった鷲尾に、ご心配なく・・・と受話器の向こうからは、短くそれだけが帰ってきた。
 その後は今の京都の様子や、祇園で会ったという芸子のことや・・・今を盛りと咲いている、枝垂桜のことを掻い摘んで話した最後に、絹一さんに宜しく・・・とさり気なく続けて電話を切った、やはり相変わらずな一樹に、鷲尾は苦笑したのだった。
 それと同時に・・・その時、頭の中に思い描いた京都の枝垂桜に自然と重ねていた自分のことも思い出し、鷲尾はまた苦笑してしまう。
 その枝垂桜は黴菌が入らないように、今は幹に石灰を塗られていて、痛々しい姿でいるという。
 それを一樹から聞いたとき、鷲尾はバレンタインの夜を思い出していた。
 自分の告白に、白いうなじをうっすらと桜色に染めていた、絹一のことを。
 舞妓のような初々しさと、芸子のような円熟した色香を持つ・・・彼のことを。
 石灰による手当てを受けた枝垂桜は、まるで首から肩にかけて白粉を塗った花魁の肌。
 美しく化粧を施し、艶やかな着物に身を包み・・・自分が選んだ男を待つ夜の花。
 馬鹿なようだが、そんなふうに桜と絹一を重ね合わせてしまった。
 重ねて・・・また、思い出す。
 選んでもらえる自分になりたい、と以前彼は鷲尾に告げた。
 それは自分も同じなのだ、と鷲尾は今、そう思っていた。
 絹一の心の傷を知ったあの頃、少しずつ癒えて来ているように感じる今。
 そして、完全に消えて無くなるその時まで。
 たとえそれが・・・一生、かかるのだとしても。
 自分だけはお前の傍にいるから。傍で・・・ずっと・・・
 愛しているから・・・と自然と言葉にしようとしていた鷲尾に、絹一の吐息のような声が囁いた。
「・・・鷲尾さん」
「ん?」
「・・・好きです・・・違う。たぶん・・・」
 鷲尾が言おうとしていた言葉を、絹一が小さく囁いた後。
 自分だけの枝垂桜が枝を伸ばしてきたかと思うと、淡い花びらが一片舞い降りてくる・・・・
 いつかは誰をも魅了するだろう、枝垂桜。
 けれど、今はまだ誰にも見つからない、奥地にひっそりと咲き誇る山桜。
 厳しく優しい四季に揉まれて、やがて匂いたつような色香を滲ませる姥桜となる・・・その時まで。
 俺はお前の桜守でいよう。
 自分をしなやかに絡めとる枝に指で触れながら、鷲尾はそう思った。

 夜の中に咲き誇る、桜の花。
 自分だけが見つけた、艶やかな枝垂桜。
 花見は夜、ひとりでするもの。
 夜に一人で愛でるもの・・・・・


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