一人暮らし
一樹が風邪をひいた。
珍しいようでその実、気管支が案外弱いせいか、一樹はよく風邪をひく。
子供のころに扁桃腺はとったらしいが、それもあまり意味がなかったのか、いつもおかしくなるのは決まって喉からだった。
それでも今日は店は定休日ではないので、電話の向こうで店に出入りしている女たちが聞いたら今にも押しかけそうなほど弱った声を庇いながら、出ることを告げてきた一樹に、俺はただわかった、とだけ返した。
そうしておいて、今年の春から一人暮らしを始めた奴のマンションまで出向いた。
・・・・・店のオープンの3時間前のことだ。
「・・・なに、卓也。俺、出るって言ったはずだけど」
「ああ。そうだったな」
それは聞いたと返しながら、俺はすっかりクラブ仕様の装いとなった一樹の身体を肩に担いで、寝室に引き返した。
広いベッドのシーツに、先ほどまで一樹が眠っていた痕跡がはっきりと見てとれる。
そこに一樹の身体を降ろしてから、俺は勝手に天井まで続くスライド式のクロゼットの扉を滑らせた。
中から真新しいパジャマを取り出すと、無言でベッドに放り投げる。
「シルクはシルクでも、今お前が着なけりゃならんのは、こっちの方だ」
「なに、それ」
「まだ熱がある。今日はやめとけ」
「潤んだ俺の目が好き、って言ってくれた彼女と今夜・・・」
「またにしておけ」
「・・・そんなふうに畳み掛けるように言わないでよ。頭に響く・・・」
「だからやめとけ、と言ったんだ」
途中で具合が悪くなっても、送ってやれないからな、と現実的なことを口にしたら、一樹は少し苦笑しながら・・・観念したようにベッドに背中から倒れこんだ。
「・・・わかったよ。今夜は大人しくしてる」
「終わったら、見に来てやっから」
「なに、優しいじゃない。・・・そろそろ、桔梗のことが恋しくなった?」
そう言って、わざと色っぽく微笑む。
今は遠いフランスの地へ、とある企画のプロモーション・ビデオの撮影旅行に出かけている俺の・・・恋人。
珍しく俺にやり込められた腹いせか? ・・・ったく。
「いいから寝てろ。・・・それまで」
皆まで言わずに、俺は持って来ていた紙袋からあるものを取り出した。
それをパジャマに着替え始めた一樹へと放り投げる。
「なに?」
「見張り役だ」
アプリコット・カラーの、胸に抱くにはちょうどいい大きさのテディー・ベア。
・・・一応、桔梗のモンだということにしておく。
「・・・ずいぶん、可愛い・・・見張り・・・っ・・・あっ・・・は!」
ベッドの上で可笑しそうに笑い転げる一樹の身体を押さえつけ、俺は無理やり毛布を引き上げた。
それから無言で部屋を出て行こうとした俺の腕を、今度は一樹の手がしっかりと掴んで来た。
そのまま引き寄せられて、ベッドに腰を下ろす羽目になる。
「素直に言うよ。ありがとう。・・・嬉しいよ。・・・でも」
「でも?」
「俺はもっと大きなぬいぐるみがいいな。・・・たとえば、胸枕ができるぐらいの」
そう言いながら膝の上に頭を乗せ、珍しく甘えてくる年上の男に俺は少し呆れたが、少し湿った柔らかな髪をひと撫でしてから。
俺は黙って奴の頭をぽん、と叩いてやった