投稿(妄想)小説の部屋

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No.382 (2001/09/29 00:04)投稿者:じたん

ネクタイ 続・WATER SYANNPANN

 平日のタイム・スケジュールは、8時半にスタートを切る。
 ベットから出た後、顔を洗い、長い髪を整え、新聞を読む・・・っと、その前に紅茶は入れておく。
 あらかじめいれておいた紅茶に口を付けながら、最後に英字新聞を読み終えたら、スーツに着替えてファイルや必要なものを抱えて部屋を出る。
 この時が、だいたい9時半。
 それからマンションを出て、新橋の会社に向かう。・・・いつもだったら。
 ちなみに、今日は月曜日である。
 月曜日の・・・朝。
「ごちそうさまです、鷲尾さん」
 絹一にしては行儀悪く、まだ食べ物を飲み込み終えないうちに、朝食の席を立った。
 鷲尾は目の前で、のんびりとサラダを口に運んでいる。
 口に手をあてて必死で噛みながら、自分の食器を流しに置き、着替えるために寝室に早足で向かう絹一を、鷲尾は無言で見送った。
 頭の中で、今朝のドレッシングはバルサミコ酢が効きすぎな、と自分に辛い点数を下していたので。
 いまいち自分で納得のいかなかった朝食を終えると、鷲尾は食べ終えた食器を流しに運んだ。
 そこにある洗い物は当然、二人分である。
 鷲尾は小さく笑った。なんだか、やけに楽しかったので。
「さて・・・洗っちまうか」
 エプロン、エプロン・・・と自分が確か置いたはずの場所に目をやるが、なぜかそこにエプロンはない。
 裸の腕を組み、鷲尾は考えた。
「どこにやっちまったっけな・・・」
 確か食事の用意が出来て、寝室に絹一を起こしに入った時はまだしていたな・・・と思い出したところで気がついた。
 寝室に置きっぱなしだったのだ。当然、寝室で外したのである。・・・外す必要があったので。
「後で洗うか」
 鷲尾はリビングに移動した。
 テーブルの上の煙草を掴むと、一本引き抜き、口の端にくわえた。
 ライターで火を点けようとして、唐突にやめた。寝室の方から、絹一が自分を呼ぶ声がしたのだ。
 ライターを持ったまま、鷲尾は寝室に向かった。
 とうに着替え終わっていると思っていたのに。絹一はまだ、ワイシャツとズボンを着けただけだった。
「どうした?」
「すいません、お願いが・・・」
 かなり焦っている様子で、絹一が訴えてきた。ネクタイを忘れてしまったので、貸して欲しいというのだ。
 自分の部屋へ取りに行っている余裕はない、と絹一は悲壮な顔つきだ。
 鷲尾は時計を見た。
 もうすぐ9時半。かなりやばい。
「ちょっと待てよ」
 ライターをスエットのポケットに突っ込むと、鷲尾はスライド式のクロゼットのドアを横に滑らせた。
 そこにずらりと並んでいるネクタイから、今日の絹一のスーツに合いそうなものを選び出す。
 彼のスーツの色は明るいグレー。
「これがいいな」
 選び出したのは、スカイ・ブルーの地にライト・グレーのドット柄のネクタイ。
「すいません」
 手渡されたネクタイを立てておいた襟に回し、絹一はクロゼットの鏡で確認しながら手早く結んでいく。
 いつものように、神経質過ぎるほどきっちりとした結び目を作ると襟を直し、絹一はジャケットを掴んで鷲尾に向き直った。
「すいませんでした。ちゃんとクリーニングに出してから、お返しします」
「ああ」
 鷲尾は煙草に火を点けながら返事をした。
「本当に送らなくて平気か?」
「はい」
「・・・遅刻しても、誤らないからな?」
 神妙な顔で言われて、絹一の顔は真っ赤になった。
「・・・ハイ」
 ジャケットを着る事で上手く顔を隠し、絹一は寝室を出た。ソファの上のファイルを掴むと玄関へ向かう。
 それを、床に落ちていたエプロンを掴んだ鷲尾が、のんびりと後を追う。
 玄関で靴を履き終わると、絹一はもう一度鷲尾を振り返った。
「じゃ、行ってきます」
「ああ」
「朝食、ごちそうさまでした」
「わかったから、早く行け」
「はい」
 じゃ、と小さく頭を下げると、絹一は部屋を出て行った。
「ごちそうさま・・・か」
 俺もだ、と心の中で呟きながら、鷲尾はリビングに戻った。テーブルの上の灰皿に、灰を一度落す。
そしてそこで残り少ない煙草を吸ってしまうと、灰皿に押しつけ、素肌にエプロンをかぶった。
「さて、洗うか」
ゆっくりとキッチンに向かう。
スポンジを手に取り、食器洗剤をつけながら、鷲尾はほくそえんだ。
「ギリギリってところかな」
 絹一が会社につくのは。
 仮に遅刻したとしても、本当に誤らないからな、と鷲尾は思っていた。
 だいたい、絹一が悪いのである。
 朝食が出来あがった後、低血圧の彼を遅刻させないために自分は起こしてやりに行ったのに。
 ベットの端に座って彼を揺り起こしていた自分の首に、しなやかな腕が絡みついてきた。
 ・・・だから、エプロンが邪魔になってしまったのである。
「でも、いいタイミングだったな」
 絹一が遅刻してしまいそうになった事が。・・・彼がネクタイを持って来るのを忘れた事が。
 不謹慎なようだが、自分には好都合だった。
「俺の見立ても、満更じゃない」
 それは絹一に貸してやったネクタイの事。・・・自分が絹一を思い浮かべて買った、彼のためのネクタイ。
 スカイ・ブルーは淡い水の色。ライト・グレーのドットはグラスの底から立ち上る気泡。
 それは昨夜、自分がバーボンを割ったペリエのイメージ。
 先月、横浜で義妹の理沙とデートした時、偶然見つけた上質なシルクのネクタイは、今日の絹一のスーツにぴったりだった。
「あいつ、スーツって言うと紺かグレーばっかりだからな」
 今度はもう少し派手目のものにするかな、と鷲尾は楽しそうに笑った。
 それから、小さな声で歌を口ずさみながら、二人分の食器を洗い始める。
 今夜の食事もきっと二人分。だから洗う食器も当然、二人分。
 なぜなら、彼は今夜ここに戻って来るだろうから。ネクタイを貸りたお礼です、と律儀に昨夜と同じシャンパンを持って。
 けれどせっかくのシャンパンも今夜は飲めない。彼が持ち返って来た頃には泡立ち過ぎていて。
 それに・・・ちゃんと冷やしてやらなければ、シャンパンが可哀想だ。
 だから、次はシャンパンを飲むために彼はこの部屋へやってくる。
 全部、鷲尾の思惑通りだった。
 そんなわけで・・・ネクタイの事は、絹一にはずっと秘密。


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