投稿(妄想)小説の部屋

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No.374 (2001/09/20 22:54) 投稿者:桐加由貴

天の火

 夜空に開く大輪の花。
 黒に近い濃紺の空、そこに閃いて輝いて、一瞬で消えていく色とりどりの炎。それが花火というものだということは、桂花も知っていた。
 上を向いて立ち尽くし、次々に打ち上げられる花火を飽かず見つめ、片時も目を離さない、そんな桂花を見るのは、ティアには初めてのことだった。
 天界の花火の宴。北の火薬を南の職人が仕上げ、月も星もない空に一夜だけ、満天の星を作り出す。天主塔主催、守護主天臨席の、天界では最も待ち望まれている祭りである。
 屋外での祭りであり、天界中の人が集まると言われる程に混みあうこの時は、警備も四方の国が協力して行われる。運が悪いのか周囲の悪意ゆえか、この日に警備に当たってしまった柢王は、桂花に打ち上げ花火を堪能させてやりたいと、魔族の副官をティアに預けたのだった。
 しつらえられた席にゆったりと腰を下ろした守護主天、その側仕えという体裁で、変化を済ませた桂花は、仕官服に身を包んでティアの傍らに控えている。だがその視線は夜空に固定されたまま動かず、どれだけ彼がこの炎の瞬間の競演に心を奪われているかを雄弁にティアに伝えていた。
(・・・珍しいな)
 桂花の邪魔をしないように、そっとティアは心の中で呟く。
 天界人に囲まれていることすら忘れて、一心に見入る桂花。彼がそれほどに無防備な姿を晒すなど、初めてだ。
 ドォン、と体に響く音と共に上がる花火に、桂花の整った容貌が照らされる。いつも冷静で、時に冷笑を浮かべる美貌が、今は僅かに目を見開き、唇をほころばせて、ただただ魅入られている。その柔らかな表情は息を呑むほどに美しく、あでやかだった。
 改めてティアは、この魔族に惚れこんだ親友の気持ちを思った。普段あれだけ警戒心の強い、冷たく皮肉げな美貌が、こんなに柔らかく微笑んだとしたら。それが向けられたのが自分であったとしたら、それが魔族の気まぐれであったとしても――心を奪われずにはいられまい。
 ――連続して打ち上げられていた花火が、ふいに止まった。管楽器の音が響く。
「小休止だ」
 ティアは桂花に話しかける。桂花は、知らず力が入っていた体を初めて意識し、細く息をついた。
「綺麗だな。今年の花火はまた格別だ」
「・・・ええ。とても・・・綺麗です」
 溜め息のような応えが、桂花の心情を伝える。
「桂花は、打ち上げ花火は初めてか?」
「いえ・・・先日、東領の花街の花火大会に行きました。柢王に連れられて。でも、今日のほうが・・・ずっと綺麗です」
「そうだな」
 ティアは眼下の賑わいに眼を向ける。
「柢王も見てるかな。それとも、警備で忙しいか」
「さあ・・・。でも、――見ていてほしいと思います」
 小さな呟きが、その気持ちが、ティアにはわかった。彼も思っていたのだ。アシュレイはこの花火を見ているだろうか。あとで、綺麗だったね、と二人で話せるだろうか、と。
「うん。――見ていてくれるといいな・・・」
 こくりと桂花が肯いたとき、再び管楽器が吹き鳴らされた。
「再開だ」
 間髪をいれずに、どおん、という音がする。
「ほら・・・あがった」
 桂花の視線はまた釘付けになった。
 赤から橙に、黄色に。青、緑、紫、白、桜色、・・・夜空に花開き、色を変えながら溶けるように消えていく光の粒子。波紋が広がり、滝のように流れて落ちて、風にさらわれて、見えなくなる。
 桂花がきつく手を握っているのに気づいて、ティアはそっとその手に触れた。驚いたように力が抜けた手を軽く握りしめる。
 桂花は何も言わなかった。
 二人、無言で花火を見つめる。手を繋いだままで。
 体に響く打ち上げの音。濃紺の夜空に広がる瞬きの花火。吹き渡る風。――てのひらに伝わる温かさ。
 忘れられない夜になる、と思った。


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