カルバドス
絹一が怪我をした。
最近ようやく涼しくなってきて、奴の夏バテも小康状態になり、やれやれ・・・と思っていた矢先の事だった。
まぁ・・・怪我と言っても指先を切っただけなのだが。・・・でも。
とりあえず今急ぎの仕事はパソコンの英訳打ち込みだと言われ、だったら役に立たないな、とはっきり言ったら、絹一は一瞬黙って。・・・泣きそうな顔になった。
「・・・どうせ俺は役に立ちません。満足に仕事のひとつもこなせません。ギルにはいい機会だから休めと会社を追い出されるし。あなたにはこうして迷惑をかけているし」
「・・・おい」
「慰めは結構です。同情もいりません。・・・ヒック」
・・・それで自棄酒あおって、ただの酔っ払いと化した目の前の男は、シャツの首周りに緩く纏わりついていたネクタイを乱暴に引っ張って自分の後ろに放り投げた。・・・相当酔ってるな、これは。
切れ長の瞳は完全に座っている。その目元はうっすらと赤い。白い象牙のような頬も。首筋も。
髪をかきあげる指先に白い包帯が薄く巻かれている。さっき俺が巻きなおしてやったのが取れかかっている。
もう少しきつく巻いてやった方がいいかもしれんな。
「絹一、包帯巻きなおしてやるから手、出せ」
「結構です」
「何、言ってんだ。ほらかせ」
「嫌です」
「・・・あのな」
一体、何倍飲んだんだか・・・と俺はリビングテ‐ブルの上のボトルを横目で見た。カルバドスである。
シードルから作ったりんご味の蒸留酒だから、口当たりが甘くて絹一にも飲みやすかったんだろう。
しかしアルコール度数はブランデーと同じ、40度である。
35年物だからあなたの口にも合うと思いますよ、と一樹が誕生祝にと寄越したのだ。
・・・それがこんな酔っ払いを作る事になろうとは。・・・いいけどな、別に。
「いい加減にしろ。血がまだ止まってないんだろ? 外れて傷に触れたら・・・」
「痛いだけだからいいんです」
「・・・だったら勝手にしろ」
別に本気で頭に来たわけではないが。酔っ払いの絡みに付き合うつもりもない。
だから俺はさっさと立ちあがって、寝室に入ろうとした。絹一は今朝シャワーを浴びたと言うし。
後は寝るだけだった。
小さくため息をつきながら部屋へ入ろうとした俺の背中に、いきなり何かかぶつかってきた。
何かって・・・絹一しかいないのだが。
背中にへばりついて、俺の胴回りに腕を回してきた。腹のところでギュッと両手が組まれる。
「・・・ごめんなさい」
小さく謝ってくる、頼りない絹一の声。
俺はまたため息をついた。今度は自分で言うのもなんだが。・・・穏やかに。
「明日は休みなんだろ?」
「・・・はい」
「だったら一日面倒見てやるから」
「・・・はい」
腹の上に組まれた絹一の手をほどいて、俺は包帯を手早く巻きなおしてやった。
そのまま手首を掴んで引っ張り、自分の胸の中にそっと抱き込む。
「寝るか?」
「・・・はい」
その前にパジャマに着替えないとな、と小さく笑った俺に、絹一もほっとしたように微笑んだ。