Disclose a secret to a rose(続・LAST FLIGHT)
ガチャリ、と音をさせて鷲尾は絹一の部屋のドアを開けた。緊張感が抜けていたせいか。深夜の廊下にいささか耳障りな音をさせてしまった事に、少し焦りながら素早く入ると静かにドアを閉める。
こんなふうに絹一の部屋に忍び込むのは2度目だな、と思いながらも1度目の時とは違ってなんだか楽しい気分だ。
それに…あの時のようにばれてしまうことを、今は気にしなくてもいい。なにせ、この部屋の住人は、今は自分のベットの中なのだから。
「さて…」
相変わらず殺風景な絹一の部屋を見まわしながら、迷う事無く浴室に向かう。やっかいなプレゼントの様子を見にきたのだ。…絹一は呆れるかもしれないが。
自分の部屋のものよりはいささか狭い浴槽の中に、問題の花束を発見する。
文字道理、放りこまれた感のあるその様子に、鷲尾の口から苦笑がもれた。
「…しゃーねぇな。桜はやたらと切るなとかなんとか抜かしたくせに…」
それでも、真新しい水が少しだけ張られたその中に浸かっているあたり、薔薇に罪はないと思ったのか。
いずれにせよ、あまり丁寧とは言えないその扱いに、とりあえずはもっと日の目の見えるところに出してやろうとお節介な男が、浴槽のへりに手をついて、クライアントにするように、片手で花束を抱き上げた。
「…結構、重たいもんなんだな」
ざっと見たところ、少なくとも50本はあるだろうか。
一本一本、綺麗に棘の処理を施された薔薇は、ごてごてしたラッピングがなくてもそれだけで十分美しい。
この花束も、15Bはあろうかという幅広のシャンパンゴールドのリボン、というよりは布と言ったほうがいいような物で、解けないように束ねられているだけだ。
色もあまり見たことのない黒に近い、深い赤。きっと特注品なのだろう。それだけで、この薔薇の贈り主が、どれだけ絹一の虜になってしまっているかが嫌でもわかる。
「…罪な男だよな」
自分もこの豪華なプレゼントをした男とさして変わりがないのを仕方なく認めながら、とりあえずバケツの中に水を張ってそのまま薔薇を生ける。
それでも、この見事な花束に色気のない浴室はあまりにも似合わなくて、鷲尾はバケツを持ってリビングに移動した。テーブルの上にそれを置くと、離れた所からスウェットのポケットに手を突っ込んで、レイアウトを見る。
「…バケツだからな」
アンバランスさは否めまい、と思いつつ鷲尾はなんとなくソファに腰を降ろした。ゆったりと背を凭れる。
煙草を取り出して、火をつけようとしたところで、ここには灰皿がないことに気付く。
ま、いっか…と吸い口の方でボックスをトントンと叩きながら、改めて目の前の薔薇を見つめた。窓から差し込む月明かりに、くっきりと映る、情熱の赤。
これを受け取った時の絹一の途方に暮れた表情を想って、鷲尾の口から苦笑がもれた。それと同時に、恋人が待ってる…などと甘いセリフを口にした時の彼の顔も…きっと…絹一は自分の事を思い出していただろう。思い出して、顔を赤くしたに違いない。
それが決して自惚れだけではない事を知っている男の唇からもれる笑いは、見ているほうが恥ずかしくなるほど甘いものだった。
「たぶん…惚れてる…ってことなんだろうな」
絹一に感じる独占欲も、見知らぬ男に対するジェラシーも。漠然とではあるが、或る程度予想していたことなので、さしたる驚きはない。それでも…なんとなく悔しい気分ではある。
これまで、数え切れない程の女を落としてきた日本一我侭なホストとしては。
でも。そろそろいいか…などと思う自分がいるのも確かだ。
だが、あっさりと落ちてしまうつもりはさらさらない。焦らして楽しむのもいいと思っている。…絹一が自分と同じ場所に辿りつくまで。
でも、それも結局は惚れた弱みになるのか、と鷲尾は少々、不満げだった。そんな鷲尾の告白を、目の前の薔薇は静かに聞いていた。無言で華やかに微笑みながら。
気がつけば、この部屋に来てからもう30分以上経っていた。持ち主に放り出された可哀想なプレゼントの様子をこっそり見にきただけだったのに。そろそろ戻らないと、絹一が起きてしまう。
彼には広すぎるベットに、居るはずの自分を、無意識のうちに探しているだろうから…ふいに、気絶するように眠りにつく前の絹一を思い出して、鷲尾の顔がいやらしく笑った。
自分に隠し事をしていた彼に、今夜はお仕置きをしてやるつもりだったのに。
躊躇いなく、まるで貪るように絹一のほうから求められて。これでは、ちっともお仕置きにならない…と内心苦笑しながら、自分に伸ばされてきた腕に、脚に…素直に絡め取られた。
終わりがないように感じてしまうほど、貪欲に欲っしてくる絹一に少々意地悪く、欲張り…などと珍しく睦言を囁いてしまった自分の事を、彼は恥ずかしがりながらも、最後まで見詰めていた。そこまで思い出して、急に腕の中が寂しくなった。
そんな自分に、やれやれ…と呆れながら、鷲尾は立ち上がった。
出番のなかった煙草を、ポケットにしまう。…それから。
鷲尾は少しだけ考えて、浴室からタオルを持ってくると、目の前の薔薇をバケツから抜き出した。水をタオルで十分にふきとってから、腕に抱える。
絹一に怒られるのを承知で、自分の部屋に持ちかえろうというのだ。
寂しいから部屋につくまで自分の腕に抱かれていてくれ、と極上のホストが気障なセリフを吐く。廊下を玄関に向かいながら、鷲尾は絹一の部屋の鍵を取り出した。
これは自分が絹一から渡された合鍵のほうではない。彼が使っているマスターキーだった。あのあとも、彼には返さず持っていたのだ。…休暇が終わるまで返すつもりは毛頭ないが。
実は、自分が不機嫌になった理由はもう一つある。
絹一は全然そんなつもりはないのだろうが、この鍵につけられているキーホルダーに、鷲尾の部屋の鍵を一緒にはしていないのだ。だからなんだと言われればそれまでだが。それは、頻繁に使うことがない…ようするに、まだ自分の部屋に彼の方から訪ねる勇気が足りない、とそういうことなのだ。…たぶん。
まるで、恋人に合鍵をもらえなくて拗ねている女のようだと、鷲尾は本気で自分が嫌になった。
自分もただの男だったか…となかばやけくそ気味に思う。
そんな鷲尾を励ますように、腕の中の薔薇はとても綺麗だった。絹一に振られた贈り主が、応援でもしてくれているのだろうか、などとばかばかしいことを考えてみる。考えながら、訪ねた時と同じように静かにドアを開けて廊下に出た。
夏になる前のほんの一瞬の夜。
絹一は眠っているだろうか、と少し心配になる。彼は体温が低くて、すぐ身体が冷えてしまうから。いつも自分の身体に擦り寄りながら、暖かくて安心する…と呟く絹一の声がその時、聞こえたような気がした。
そんな彼を想って、肌に少しひやりとする外気から守るように鷲尾は花束を抱えなおした。ゆっくりと部屋のドアを閉める。
今夜お前に話した自分の本心は、絹一にはくれぐれも秘密だと。楽しそうに心の中で、美しい共犯者に呟きながら。