投稿(妄想)小説の部屋

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No.305 (2001/07/13 16:11) 投稿者:じたん

「…濡れますよ」
 こんな所に立っていると。
 窓枠に両手をついて小雨の落ちてくる空を見上げている抵王の肘を、桂花はそっと引き寄せた。
 案の状、触れた衣はしっとりと湿ってしまっている。
「大丈夫だって。こんぐらいの雨」
「だめです。さ、脱いでください。」
 そういって、桂花は腕を組んだ。
 早くしてください、と紫の瞳が強く促す。
「…わかったよ」
 大袈裟だな、と思いながらも素直に衣を脱いだ抵王の桂花を見つめる瞳はとても穏やかで優しいものだった。
 普段からわりと心配症の桂花だったが、特に5日前からそれは神経質なほどだった。
「これを着てください」
 脱いだものを渡された桂花が、間髪おかずに新しい衣を差し出す。
「はいはい」
「…なんです?」
「いーや、別に」
なんでもないぜ? と桂花を見つめた男の瞳は、隠し事をする時、きまってこんなふうに悪戯っぽく細められるのを桂花は知っていた。
 あと…自分に優しい嘘をつくときにも。
「…いいから早く着てください」
 今はなんとなく追及する気になれなくて、桂花はふい、と抵王から視線を外して寝所を出ていく。
 その後姿を見送りながら、抵王はわき腹の傷にさわらないようにゆっくりと袖を通した。
 かぶりものが多い自分の為に、それは桂花が用意してくれたものだった。
 首から抜くものではわき腹が引きつって痛むから、そうならないですむように…細やかな気使いを示せる、それは桂花の無言の優しさだった。
(まだ怒ってるな)
 いや、やっと口をきいてくれるようになったのだから、少しはましなのかもしればい。
 なにせ、3日前までは大変だったのだ。
 身の回りの世話はすべてやってくれるものの、話しかけてもうんともすんとも無かったのだから。
 無言になった桂花ほど、自分にとってこわいものは無い。
「ま、仕方ないか」
 こちらは心で唱えることができず、抵王は自分の口を乱暴に抑えた。
「…なにか言いました?」
「いんや。なんでもない」
 ひらひらと手を振りながら、抵王は顔を覗かせた桂花に背を向けた。
「…ちゃんと寝台に入ってくださいよ」
 ごまかされながらも、言うことはしっかり言って抵王に釘をさす桂花だった。

 おとなしく寝台に横たわりながら、抵王は自分のわき腹をそっとみやった。
 左の胸の下あたりから斜めに胴回りまでざっくりと切られた傷が、やはり少し痛む。
 桂花の調合した薬のおかげで、だいぶ腫れはひいてはいたが。
「まあ、アシュレイとじゃれたときのモンに比べりゃどってことないけどな。」
 まったく反省していない男が、カラリと呟いた。
 5日前、同じセリフを言って桂花を怒らせたのだ。自分は。
 東の結界石の近くに姿をあらわした魔族を、討伐しにいった時のことだった。
 本来の抵王ならば取るにたりない程度の魔族だったのだが、思わぬアクシデントが見舞ったのだ。
 同行していた桂花が小さなケガをして、ほんの少し気をそらしてしまった時に、地中に潜んでいたほかの魔族にその隙を突かれてしまったのだ。
 気がつくのが少し遅れてしまい、桂花をめがけて伸びてきた触手を弾ききれなかった。
 自分をかばってケガを負った抵王を、桂花は真っ直ぐ見ようとしなかった。
 つい、3日前までは。
 本当は、わかっていた。
 抵王の無鉄砲さに呆れ、怒りながらも、自分のせいでケガを負わせてしまったことを桂花がとても辛く思っていたのを。
 怒っている態度の裏側で、まっすぐ自分の目を見てこない桂花のもろさも…
「抵王。これを飲んでください」
 盆の上に薬草茶の入った茶器を乗せて、桂花が静かに寝台に近寄ってきた。
 背をかがめて起きようとする抵王をそっと助けて、茶器を無言で渡す。
「ありがとさん」
 寝台にそっと座った桂花に礼を言って、抵王は一気に中身をあおった。
 いつもの抵王なら、苦いままの薬などいやがって飲まないのに。
 やっぱり、気付いているのだ。この男は。
 自分の負い目を。
 5日前、自分のせいでケガをさせてしまったことだけでなく、自分が傍らにいることでどんなに彼を孤独な立場に立たせてしまっているか、ということも。
 その証拠に、こんなに酷い怪我なのに抵王は本城に戻らなかった。
 あんなところにいたら治るものも治らない。俺には桂花が一番の薬なのだから、と笑い飛ばして…無邪気なようでその実、とても思慮深い一面のある抵王のそれは優しい嘘だ。
 そこまで考えてうつむいてしまった桂花を、抵王はじっと見つめていたが、茶器を寝台横の台の上に置くと、わざと乱暴に桂花を自分の上に引き上げた。
「…抵…王!」
 咄嗟のことに、それでも抵王の傷には触れないように身をよじって寝台に手をつく。
 それもあっさり無視して、ものすごい力で抵王は桂花を自分に縛りつけた。色素の抜けた髪に唇を押し付け、紫微色の肌をそっと優しく撫でていく。
「…そんなに気にすんな」
 俺は大丈夫だから。
 たとえ多くは語らなくても、こうして肌を重ねているだけで、抵王の優しさが痛いほど伝わってくる。
 どんなに愛されているか…思い知らされる
 こんなとき、もうひとつ思い知らされることがある。
 もう、離れられない。抵王のいない世界など、考えられない…と。
 だから…自分はこう言うのだ。
「…心配なんかしてません。あなたはぞんがいしぶといですからね」
「お、よくわかってんじゃん」
 憎まれ口をききながらも、桂花は抵王から離れようとはしなかった。
 おちゃらけた返事を返してよこした抵王の手も、桂花の髪をそのまま優しく梳いている。
「…守天殿にお願いして早くケガをなおしてもらえれば…」
「いいや」
 抵王の唇が桂花のこめかみに移った。そのままそこをきつく吸う。
「あいつは忙しいからな」
 なんてったって、守天様だぜ?
 おどけてみせる抵王は麗しい幼なじみにもことのほか甘いのだった。
 それを少しだけ辛く感じて、桂花が額を抵王の胸にそっとおしつけた。
「それに」
 そんな桂花の気持ちなどお見通しの男が、桂花の上で優しい言葉を紡ぐ。
「お前をかばってできた傷だ。この傷だって、俺には愛しいものだぜ?」
 だからなるべく早くなおらないほうがいい。
 その言葉に、桂花は泣きそうになってしまった。
 涙を我慢するために、抵王の衣を手の中にきつく握り込む。
 雨足が、また少し強くなった……


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