投稿(妄想)小説の部屋

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No.304 (2001/07/13 11:18)投稿者:じたん

More…(続・誘惑)

「……ん…」
 うつ伏せて眠る自分の背になにかが掛けられたような気がして、絹一は目を覚ました。
 ゆるく思考をめぐらせながら、つい数時間前までの記憶を遡る。
決して目覚めのいいほうでないのはよくわかっていたので、いつまでたっても戻ってこない記憶はすぐに諦め、絹一は少し身じろぎした。
 暗い室内。まだ夜明けまでは時間がありそうだ。
 肌に触れる新しいシーツの感触。湯上り直後に、自分はベットに入っただろうか。パジャマの下の素肌からは、自分がいつも使うバスミルクの香りが漂ってくる。
 それならばさっぱりしているはずなのに、頭が少し重い。まるで、二日酔いのような…ぼんやりとそんな事を考えながら、絹一はドアの方に寝返りをうった。
 そこからは微かに明かりが漏れてきていた。
「…?」
 ベットに肘をついてゆっくり起き上がってみたところで、ここが自分の部屋でない事に絹一は初めて気がついた。
 よく見れば、自分が今着ているパジャマも鷲尾のものだった。
 自分にはだいぶ大きいことから、それがわかる。
 だんだん覚醒に向かっていく自分の思考が、なぜここで眠っているのかという考えに至ったとき、絹一は唐突に全てを思い出した。
 つい数時間前まで…自分達は隣の部屋にいたのだ。
 隣の自分のベットで、溶けてしまうと錯覚するほど抱き合った。
 その証拠に、まだじんわりと残る腰の甘い重み。
 鷲尾の腕の中で晒した自分の嬌態を思い出して、絹一はひとり顔を赤くした。
(…もしかして…お風呂に入れてくれた…とか?)
 まだ湿り気のある髪をかきあげながら、自分のより広いベットを見つめる。
 きっと、自分は赤ん坊のように全てを委ねきっていたのだろう。
 全然気付かなかった自分に、また恥かしくなる。
(今、何時だろう…)
 暗い室内に目をこらしながら、ベットサイドの時計に視線をやる。
 まだ、やっと日付け変更線を越えたところだった。
 まだ眠くないのだろう。おそらくリビングにいるのだろう鷲尾を想う。
 あれだけ一つになったのに。隙間もないほど…かき抱いたのに。
 ひとりなのがとても寂しい。傍にいて、触れてほしい…こんなふうに自分が何かを強く求める時がくるなんて。
 つい数年前までの自分からは、考えられないことだった。
 自分を強く求める男や女はそれこそたくさんいたけれど…ふいに突き上げてきた胸の痛みに、パジャマの上から強く握りこむ。
 こんな痛みを自分に教えたのは、リビングにいる男。
 そしてこの衝動を静めることが出来るのも、あの男だけだ…今夜の自分はきっと…おかしいのだ。
 リビングの方を見つめながら、絹一はベットからそっと足を降ろした。

 ダウンライトを付けただけのリビングで、鷲尾はバーボンの入ったロックグラスをゆっくりまわした。
 程よく冷えた部屋に、有線のバラードが小さくゆっくり流れていく。
 ソファに座って組んだ足の先でリズムを刻みながら、殆ど飲み尽くされたボトルを見て鷲尾は苦笑した。
「よくまあこんだけ飲んでくれたもんだ」
 ベットの上でこのボトルを抱えこんでいた絹一の姿を思い出してまた苦い笑いが漏れる。
 思い出しながら、鷲尾は別の苦い気分を味わっていた。
 馴れ合う関係は自分達には無縁のものだ。
 たとえ一緒に暮らしても、そんなつもりで始めたわけではない。
 事実、自分も絹一も仕事やプライベートにはきっちり線をひいているし、踏みこんではならない領域はお互いに自覚しているつもりだ。
 それはおもに仕事のこと。
 必要がなければ、また相手から話を振られなければお互いに問うことは無い。
 そんなことは承知の上だった。
 だが…自分は、絹一を追い詰めているのだろうか。
 彼を狭い鳥かごから解き放ったつもりでいたのに。
 自分という、以前よりは多少広いだけの空間でただ羽を広げさせているだけなのではないか。
 自分の思い込みと自己満足に、今更気付く自分がいる。
 溺れているのは絹一では無い。自分の方ではないか…自分でも気がつかないうちに唇が自嘲に歪んだとき、自分の寝室のドアがそっと開いた。
 裸足のまま、絹一が足音を忍ばせて近付いてくる。
「…どうした? 眠れないか?」
「…なに考えてたんですか…?」
 鷲尾の問いには応えずに、絹一は彼の前に静かに立った。
 自分を見上げる鷲尾の視線を受け止めながら、彼の手からそっとグラスを取りあげる。
 まだ残っているバーボンを無視して、絹一の手がそのままグラスをテーブルに置いた。
 代わりに鷲尾の長い指に自分の指を絡ませる。
「…もしかして…俺のこと…?」
 普段は呆れるぐらい鈍いくせに。
 こんなときぐらい、そのままでいいのに…肯定も否定もしない自分の目を覗きこむ黒い瞳は深い深淵のようだ。
 じっと見つめられていると、危うく足を踏み外してしまいそうになる…一瞬でもひやりとした自分を内心押し隠して、鷲尾は絹一を見つめ返した。
 意識して紳士の瞳を作ると、今度は絹一の目が逸らされた。
 自分の言葉に、恥かしくなったのかもしれない。
 もう酔いは覚めているはずだったから…それでも絹一は、絡めた指をほどいたりはしなかった。
 それどころか…逆に自分を立たせようと無言で引っ張ってくる。
 鷲尾をベットに誘っているのだ。
 セピア色のライトの下でうっすらと染まった絹一の目元が、無言でそれを伝えてくる…そんな様は自分を挑発するとわかってのことなのか。
 どこまでも自覚のない絹一の手を引いて、鷲尾は自分の脚の上に抱きこんだ。
 咄嗟に閉じられた絹一の瞼に、唇を押し付ける。
「…ずいぶん自惚れてるんだな…」
 長い絹糸のような絹一の髪に、そのまま唇を滑らせる。
 埋もれている形のいい耳を探り当て、柔らかい耳たぶを甘噛みした。
 それだけで、鼻にかかったような甘い声が上がる…
「…約束…は?」
「…なんの?」
 首筋から鎖骨へと唇を滑らせながら、意地悪な男は珍しく睦言を囁く。
「憶えてないな…もう一度言ってくれないか?」
「…わかって…るくせ…に…っ」
 ベットに沈む間際、鷲尾にした今夜かぎりのお願い。
絹一には見えないようにこっそり微笑む男は憎みきれない確信犯。
「ほら…言ってみな…」
 逸らされた絹一の顎を鷲尾の指先が言葉を促すようにくすぐった。
 悪戯なその指を、思いきり噛んでやりたいけれど。
 そうすれば甘い声が漏れてしまう。止まらなくなってしまう…思考をかき乱されて次第に溶けていく絹一を見つめながら、鷲尾はおもった。
 戸惑いながらも甘えてくる絹一が、唯一自分にだけそれを許すのなら。
 いつかは広い草原に羽ばたいたとしても、戻ってくるのかもしれない。
 その時、自分が彼にとって居ごこちのいい場所であればいい。
 なにを子供みたいに不安がっていたんだか、と鷲尾は自分に少し呆れた。
 呆れながら、こうも思っていた。
 なんだ、簡単なことじゃないか…と。


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