SWEET ANNIVERSARRY・2
(続・SWEET ANNIVERSARRY1)
まだ湿ったままの髪をタオルで拭きながらキッチンでバ−ボンをグラスに注ぐと、鷲尾はリビングに移動した。
ソファに座ると、ゆったりグラスを回す。
「また何を考えているやら…」
かすかに聞こえてくるシャワ−の音を確認しながらそっと呟く。
取り越し苦労な一面のある絹一の性格をわかってはいるが、時々無償ににはがゆくなることが鷲尾にはあった。
その生まれや育ちからして、致し方ないという部分が大多数を占めているのはわかっていた。
自分に欠けているものに対して、憧れとおなじだけの臆病さでもって自分を遠ざけてしまう。
自分から望めば、手を伸ばせば、それはここにあるのに。
鷲尾のほうから手を差し伸べてやれば、いいのかもしれない。
でも、それでは本当の意味で絹一が手にしたことにはならないような気がするのだ。
でも、そんな不器用なことすら愛しいように感じるのだ、自分は。
これが恋人に対する愛情なのか、それとも肉親に感じる親愛の情なのか、自分でもいまいち判別がつきにくいことは確かだ。
ただ、自分にとってとても大切な存在だと言うのはわかっていた。
彼には見えない場所に、所有印を残すぐらいの独占欲を感じていることも…。
「恋人…か」
目白のホテルに絹一と泊まった日の翌朝。
1人窓の外の夜明けを見つめていた絹一に、自分でも驚くほど身体が熱くなった。
無償に欲しい、と感じたのだ。
眠っているはずの自分にそっと寄り添って、その甘い切ない声で香…と呼んだ。
素のままの自分をさらしてしまったのがよほどはずかしかったのか。
少し強引に開かせた身体は、鷲尾を感じてしまうことに最後まで恥らった。
その様にいささか、サディスティックな気分も煽られて…さんざん自分に翻弄された後の掠れた声が、そっと胸に凭れながら囁いたのだ。
恋人同志のようだ…と。
甘くて、切なくて、すこしだけ、胸が痛いような。
それでも不思議と幸せとはこんな感じかもしれないと素直にそう感じた。
だからじぶんでも気がつかないうちにそうだな、と返していた。
愛している、とはっきり言葉にはまだできないけれど。
「…俺も飲んでいいですか?」
足音を忍ばせて近ついてきた絹一に、鷲尾は内心少しだけ驚きながらも、表情には出さずに顔を上げた。
自分のとなりに腰を降ろした絹一にそっと聞きながら、キッチンに向かう。
「ジン・ライムでいいか?」
「はい」
絹一の好きなカクテルのひとつ。
色の綺麗なカクテルも好きだが、鷲尾の作ってくれるこのカクテルが、絹一はことのほかお気に入りだった。
手際良くシェイクされていく様子を見つめながら、絹一が微笑む。
「本当に器用ですよね。鷲尾さんの指って」
「なんだ? さっきから誉めてばかりだな。おだてても、なにもでないぞ。」
「そんなつもりありません」
「はいはい。…ほら」
「…ありがとうございます」
すこし鷲尾をねめつけながらも頂きます、と口元では嬉しそうな笑みを浮かべながら絹一がグラスのふちにそっと口をつける。
甘くない、キリリとした液体が喉を潤していく。
「…とてもおいしいです」
きれいに片目をつむって返した鷲尾は、ソファに戻って自分のグラスを取り上げた。
カラン、と氷の音をさせて一息で飲み干す。
そのまま指で弄びながら、静かに絹一に話し掛けた。
「…賭けをしないか?」
「賭け? …なにを賭けるんです?」
「週末のどちらか一日を。」
なんの勝負で? と少し不安そうに聞いてきた絹一に、鷲尾は苦笑して見せた。
「ポ−カ−さ。これほどスマ−トなスタイルはないからな。勝負は1回。カ−ドのチェンジは3回まで。どうだ?」
悪戯をしかける子供のような鷲尾の表情に、絹一の口元に自然と笑みが広がる。
「…いいですよ」
言外に負けませんよという意思をくみとって、鷲尾の口元にも笑みが広がった。それに、絹一はなんだか罠に掛かったような気分になる。
寝室からカ−ドの入ったプラスティックケ−スを持ってくると、鷲尾は絹一に渡した。
どうやら自分に仕切らせるつもりらしい。目顔で配れと言っているのがわかる。
見よう見真似でカ−ドをシェイクし、自分と鷲尾の前に交互に5枚滑らせた。
勝負は1回、カ−ドのチェンジは三回。
絹一は自分の持分を2回チェンジしたが、鷲尾は最初の1回で全てのカ−ドをチェンジすると、あとのぶんは放棄した。
絹一が最初にカ−ドをオ−プンする。
「…フラッシュです。どうですか?」
無言でオ−プンした鷲尾のカ−ドに視線をやると・・・
「…ストレ−トフラッシュ…」
凄い…とため息交じりの絹一に軽くウインクで返すと、鷲尾はプレゼントを開ける子供のような顔で絹一に提案した。
「今週の日曜日でいいか?」
「はい」
「ル−ルは1つ。相手の言うことを聞くときに、訳を尋ねないこと。」
「どんなことでも?」
「どんなことでも」
わかったか?
「…わかりました。」
勝負を提案してからずっと悪戯っぽい瞳をしていた鷲尾は、契約成立の印と言って絹一の手の甲にそっと唇を押しつけた。
7月に入って第一週目の日曜日。
梅雨があけていないのがうそのような雲1つ無い快晴の中。
鷲尾はコルベットのナビシ−トに絹一を乗せて、高速を走っていた。
朝から鷲尾の部屋に呼ばれ、朝食をごちそうになり、今ここに座っている。
約束道理、まだ一度も尋ねていない。
これから何処に行くのか。なにをしに行くのか。
鷲尾のことだから、きっと自分をアっと言わせるようなマジックを用意してくれているだろう。
ほんの少しの不安と、その何倍ものドキドキするような気持ち。
ハンドルを優雅に操りながらきれいな発音で英語の歌を口ずさむ鷲尾を、絹一はそっと盗み見た。
たとえ今日のような演出が無くとも、鷲尾はいつも自分を驚かせてくれる。いくつもの感動を与えてくれる。
日常からの、小さなトリップ。
ただ傍らにいる。それだけで、この男は自分にそれを味あわせてくれるのだ。
「眠くないか?」
「いいえ。…楽しみで、それどころではありません。」
「そうか」
満足そうに鷲尾が笑う。まだなにも起こっていないのに。
そんなふうに笑われると、絹一の瞳も自然と柔らかくなってしまう。
「…今からそんなふうに微笑まれると、この先がますます楽しみだ。」
いつのまにか自分の表情を読まれていたのを知って、絹一の顔が少し赤くなる。
無言で窓の外に視線を向けた絹一に鷲尾はまた笑いながら、再び歌を口ずさみはじめた。
鷲尾が絹一を連れていったのは横浜だった。
中華街の中でも本道りからはだいぶ離れた、小さいが味は抜群にうまいと鷲尾が太鼓判を押した店で昼食を取り、元町まで散歩がてら歩いて。
いつも実家に帰った時は必ず寄るという輸入専門店で紅茶葉と絹一が好きだと言ったチョコレ−トを買って…銀製品の専門店だの、100%1人の職人による手作りの家具屋だの、東京暮らしは7年になる絹一にも目新しいものばかりで、ウインド−ショッピングに夢中になる女性の気持ちが少しわかったような気持ちになった。
洒落たカフェで通りを見下ろしながら、鷲尾のスパイスが効いたおしゃべりに耳をくすぐられるのも心地よい。
ス−ツで優雅にエスコ−トしてもらうのもいいけれど。
普段着のような飾らないしつらえが、とても贅沢に感じる。
その証拠に…楽しかった時間はあっという間に過ぎていくのだ。
「…さて」
腕時計を見ながら出るか?と言った鷲尾の後をおとなしくついていく。なにも聞いてはいけない。それが今日のル−ルなのだから。
通りを駅とは反対のほうに歩いていくと、埋もれるようにこじんまりとした花屋が見えてきた。そこになんの躊躇いもなく鷲尾は入ると、絹一を呼び寄せて今日一つ目のお願いを口にした。
どんな花を使ってもいいから、花束を作ってくれ、と。
用途も理由もなにひとつわからない中で、これ以上難しい注文は無いと思いながらも、涼しげなブル−の配色で何種類かの花をセレクトする。
今日、一日ずっと2人きりだった。だからという訳ではないが、鷲尾が自分の部屋に飾るつもりなら、今日一日は自分と同じ気持ちでいて欲しいから…全ての花を2本ずつ選んでもらう。
種類をたくさん選んでしまったせいで、両手に抱えるほどになってしまった花束に、困惑しながら鷲尾に首をかしげてみせる。
これでいいかと声に出して尋ねるわけにはいかないから。
その様子に極上の微笑みで応えると、鷲尾は花束を受け取って絹一に英語で礼を言った。
その足で、シャンパン、シャンパングラスと次々に買い物をした鷲尾は、絹一を連れてコルベットのとめてある駐車場まで戻った。
買い込んだ荷物を後ろに積んで、シ−トに滑り込む。
絹一もシ−トに収まったのを確認すると、静かに発進させた。
口元に笑みを浮かべたまま、鷲尾はなにも言わない。
少し日の沈んできた窓の外を見ながら、絹一はこの沈黙をとても心地よく感じていた。
いつもなら、気持ちを確認してしまうのが癖になっていて、鷲尾といる空気がとても安らぎではあるけれど、ほんの少し、不安に思うこともあった。
なにを考えているのか、なにを想っているのか。
聞かなくても今はなんとなく…わかるような気がして。
そんな自分が、絹一はほんのすこし得意に思えた。
鷲尾が車をとめたのは、高台にある外人用墓地だった。
白いクロスや石の連なる中を花束を肩に担いで無言で歩いて行く。
その後ろをボトルとグラスを抱えながら、絹一がやはり無言でついて行く。
一番奥まった場所にある石の前まで来た時。
鷲尾が絹一を振りかえった。
「…わかったか?」
「…ええ。」
種明かしをしてみせた鷲尾の表情は、これ以上無いほど優しくて…なにも言葉はいらないのだ…と絹一は思った。
2本ずつ選んでもらった花をベ−スに生けて、シャンパンを開ける。
鷲尾が買ったグラスは3つ。
1つは亡くなった父親に、もう1つは自分に。そして…最後の1つは絹一に。
穏やかな声で、鷲尾は今日2つ目のお願いを絹一にした。
「乾杯してくれるか?」
「はい…」
とても厳粛な気持ちで絹一は2人のグラスに次々と自分のグラスのふちを触れ合わせた。
浅く注いだシャンパンを一息で飲み干す。
「…ありがとう」
なぜ、ここに自分を連れてきたのか、鷲尾は言わない。
かわりに、ほんの短い一言。
でも、それはどんな言葉より雄弁で、どんな花束よりも荘厳で。
だから、自分も多くは返さない。
きっと、彼には通じるはずだから…
「とても嬉しいです…」
見詰め合ったまま、時間が止まる。
絹一の目をみつめたまま、鷲尾の顔がそっと近ずいてきて…
永遠に近いような時間に耐えられなくなったのは、やはり鷲尾のほうだった。