ちび慎吾くん、動物園へ行く
6月のある晴れた日曜日。
ちび慎吾君とその御一行様は動物園へと来ていました。
なぜ動物園に来ることになったのかというと、ホワイトタイガーの赤ちゃんが一般公開されるニュースをみて「見たいな」と慎吾君が呟いた一言がきっかけとなったのです。
「早く、早くっ!!」
江端さんの運転する車で動物園までやってきた慎吾君。
一人ででもホワイトタイガーのところまで走って行きたいのですが、園内は走るなという兄・貴奨さんの厳命を守って足踏みをしています。
「ンな焦んなくても、逃げねぇって」
笑いながら健さんが後ろに続きます。
「でも、早く行かないと人が沢山集まっちゃうもん、早くっ!!」
ぐいぐいと健さんの手をひっぱりながら早足で慎吾君は歩き始めました。
さてその様子が面白くないのは貴奨さんです。
「最初はあんなに怯えていたはずなのに、向井君にあれほど懐くとは…」
子供嫌いな健さんですが、慎吾君となれば話は別です。
貴奨さんが忙しくて仕事に謀殺されている隙に、健さんは慎吾君の相手をしていたのです。
猫可愛がりに可愛がって遊べるときは思いっきり遊んであげていたので最近慎吾君はべったりと健さんに懐いてしまっていました。
「慎吾君があんなに楽しそうなんだから、いいじゃないか」
とても楽しそうにはしゃいでいる慎吾君を見て、顔を綻ばせながら高槻さんは貴奨さんを慰めました。
「しかしだな、高槻」
「ほら、早く行かないと二人を見失ってしまうぞ」
急ごう、と高槻さんは貴奨さんと江端さんと正道君をせかして慎吾君と健さんの後を追ったのでした。
「シ〜ン、そんなに引っ張るなっつの」
健さんはとても嬉しそうです。
健さんの手は慎吾君の小さな手にぎゅっと握られています。
「だってーー、早く見たいんだもん、ホワイトタイガーの赤ちゃん」
だから早く、と慎吾君は一層健さんの手をきつく握ってぐいぐいと引っ張って歩いています。
「わかった、わかった。んじゃ、オニイチャンには内緒な?」
健さんは慎吾君の手を握り直すと、それっ、と一緒に走り出しました。
「あぁっ、あれほど走るなと言ったのに!」
貴奨さんは人ごみに隠れそうになる二人の後ろ姿をめざとく見つけてそう言います。
口調は怒っているというより転ばないかと心配しているようでした。
ホワイトタイガーの檻の前にはもうすでに人だかりが出来ており、小さな慎吾君では中が見えません。
「あーっ、もうこんなに人が来てるーっ! だから急ごうって言ったのにっ」
一番前で見られなかった慎吾君は少し御立腹です。
「悪かったって。まさかこんなに人が来るとはなぁ。世の中ヒマなヤツらが多いもんだぜ」
かなり遠くのホワイトタイガーの檻を見ながら、健さんは人の多さにうんざりした様子で言いました。
「慎吾! あまり先へ先へと行くな。迷子になるぞ!」
後ろから追いかけて来た貴奨さんが慎吾君にきつく言います。
「迷子になんかなりゃしませんよ、俺がついてるんですから」
健さんはふふんと笑って隣へとやってきた貴奨さんに言いました。
その健さんの言葉に貴奨さんは鋭い視線を返します。
「君が一緒だとわざとどこかへ雲隠れしてしまいかねんからな」
「…っ!」
あわよくばこのまま二人でわざとはぐれて、『健さんって頼りになるんだね♪』作戦を実行しようと思っていた健さんは図星を指されて少し言葉を失ってしまいました。
健さんは貴奨さんにつっかかっていこうとしています。
すかさず健さんと貴奨さんの間に入ったのは高槻さんでした。
「向井君も、芹沢も、こんな衆人環視のなかで一体何を始めるつもりかな?」
ん? とにっこり微笑まれては、健さんも貴奨さんもバトルを始めるわけにはいきませんでした。
貴奨さんは慎吾君に向き直って、改めて言いました。
「まあいい。それよりも慎吾。俺の言ったことを聞いていなかったのか?」
「えっ?」
貴奨さんにいきなり振られて慎吾君はしどろもどろです。
「園内では走るなと言ったはずだな」
「あ、あの…それは…」
困ったように慎吾君は俯いてしまいました。
その慎吾君に貴奨さんは畳み掛けるように続けました。
「転んで怪我でもしたらどうする」
「俺が一緒にいて、シンに怪我なんてさせやしませんよ」
健さんは貴奨さんの背後からぽつりといいました。
「大体、こんなとこに来て、ガキがおとなし〜〜く歩いてるわけないでしょーに」
……たしかに。
周りを見渡せば子供は好き放題に走り回っています。
「だから、余計にだな…」
再び、バトルが始まりそうな雰囲気です。
このままにしておいては、さっき止めた甲斐がありません。
事の成りゆきを黙ってみていた江端さんですが、放っておいたらもっとひどい暴言を吐きそうな健さんの口を大きな手で塞いでしまいます。
「健、そのくらいにしておけ」
高槻さんもやれやれ、といった風で再び貴奨さんを止めました。
「芹沢もいいかげんにしないか。幸い慎吾君は転んで怪我をするということもなかったんだから」
憮然とした顔をしている貴奨さんを放って、高槻さんは慎吾君の目線にあわせてしゃがみこみました。
「慎吾君も。ホワイトタイガーを早くみたいのはわかるけど、約束を破ってはいけない」
「ごめんなさい…」
高槻さんは俯いてしまった慎吾君に優しい口調で続けます。
「芹沢が『走るな』って言ったのは、転ぶと怪我をしてしまうかもしれないって慎吾君を心配したからなんだよ。いじわるで言ったんじゃない、わかるね?」
と高槻さんに言われて慎吾君は思いっきり頷きました。
「うんっ、これからはちゃんと貴奨の言うこと守るよ」
素直な慎吾君の言葉に高槻さんも笑顔で頷いてくれます。
捕まえていた健さんを離した江端さんも、くしゃくしゃと頭を撫でてくれました。
慎吾君は貴奨さんの前にトコトコと歩いていき、貴奨さんを見上げて言います。
「貴奨、約束やぶってごめんなさい。お願い、健さんを怒らないで。俺が早く早くって引っ張ったから一緒に走ってくれただけなんだ。だから健さんは悪くないんだっ」
慎吾君は一生懸命、貴奨さんに訴えました。
思いもかけずに庇ってくれた慎吾君の言葉を健さんは目を細めて嬉しそうに聞いています。
(シン……。可愛いこといーやがって…)
そこまで言われては貴奨さんも健さんを怒ることはできません。
人の多い場所でひとりで先に行かない、走らないということをもう一度約束させて、貴奨さんは慎吾君を解放してあげました。
途中から慎吾君の意識がむずむずとホワイトタイガーに向かって行くのがわかったからです。
「続きは家に帰ってからだ。思う存分、ホワイトタイガーを見て来い」
「わ〜〜いっ♪」
「正道、正道っ、ホワイトタイガーの赤ちゃん見えた? 見えた?」
「あぁ、いるぜ、可愛いのが2匹。母親も一緒にいるみたいだけど…」
「どこーー? 見えなーいっ、見えなーいっ!」
背の低い慎吾君はぴょんこぴょんこジャンプしていますが、それぐらいで見えるほど人垣は薄くも低くもありませんでした。
半分ベソをかき始めた慎吾君の身体をふわりと抱き上げた人がいます。
「泣くんじゃねぇよ、ほら、これならよく見えっだろ?」
健さんです。健さんが肩車をしてくれています。
「うわ〜〜っ、すっごく高いよっ! あっ、いたっ、ホワイトタイガーの赤ちゃんだーーっ!!」
歓喜の声が健さんの頭上から聞こえて来ます。
「可愛いーーっ! ねぇ、健さん2匹いるよ、2匹っ!!」
「わかったから、暴れんなって」
健さんのそんな声も慎吾君には届いていないようです。
とにかくホワイトタイガーの赤ちゃんが見ることができたので、嬉しくて堪らないようでした。
慎吾君はうわーだの、可愛いーだの大歓声を上げています。
それを止めたのは貴奨さんでした。
「慎吾、そろそろ降りろ。そんなに大声を出していては他の方の迷惑にもなるだろう」
貴奨さんの手で降ろされた慎吾君はごめんなさぁい、と少しうなだれて貴奨さんに謝りました。
「向井君、君も簡単に慎吾を担ぎ上げないでくれ。落ちて怪我でもしたらどうする」
「んなドジは踏みませんよ。……えらく機嫌が悪いですけど…もしかして、肩車、俺が先にやっちゃったからご機嫌がナナメなんですかね?」
にやりと笑います。どうやらさっきの仕返しのつもりのようでした。
「そっ、そんなことはないっ!! ただ、慎吾が怪我をしないかどうかが心配でだな…」
「子供ってのは怪我して大きくなるもんですよ。わざと手を離さない限り落ちゃしませんて。それよりも心底楽しんでる弟に水を指す方がよっぽど野暮ってもんでしょう?」
あ〜あ、せっかく楽しんでたのになぁ、と健さんはわざと言いました。
その健さんの言葉に心が少し痛い貴奨さんでした。
健さんより先に肩車をしてやれなかったことが悔しくてあんなことをつい言ってしまったのです。
にやにやと笑っている健さんを鋭い眼光で見てしまいます。
健さんもその視線を感じたのか、顔からは笑みが消え、貴奨さんの視線を真っ向から受けてたつ状態になっていました。
(慎吾は俺の弟なんだぞ、もう少し遠慮したらどうなんだ、まったく!)
(いい歳してヤキモチ妬くなっての、ゲロ甘アニキが!)
例のごとくまたもや現実をシャットアウトした睨みあいが本格的に始まってしまいました。
この時点で今現在、慎吾君を誰が見ているのかということは二人の頭の中からは綺麗さっぱり抜け落ちています。
どのくらい睨みあいを続けていたでしょうか。
「あの〜、お取り込み中のところ悪いんだけどさ、この状態、恥ずかしくねーの?」
正道君の声が二人の意識を現実へと引き戻しました。
ふと周りを見てみると、二人の周りには人垣が出来ていて、沢山の人が見つめています。
周りからは「恋人同士?」「痴話ゲンカかしら?!」などというけしからん声が聞こえて来ます。
「毎度毎度飽きずによくやるねェ」と正道君は呆れた顔を二人に向けています。
「あれ? シンはどこ行った??」
健さんは辺りを見回し、慎吾君の姿を探します。
貴奨さんはコホンとせき払いをすると正道君に聞きました。
「慎吾は?」
「あぁ、あんたたちのバトルが始まってから光輝が猿山の方へと連れていったぜ。先に行くから好きなだけやってろってさ」
「「なにっ」」
健さんと貴奨さんはハモリ声と同時に正道君の方を見ます。嫌〜な予感が二人の頭を駆け巡っています。
「江端さんが慎吾を肩車してったけど、はたから見りゃ、仲のいい家族だったな、うん。
光輝がお母さんで江端さんがお父さん、って感じ」
慎吾もすごく嬉しそうだったし、と正道君は二人の様子など気にも止めずに言葉を続けました。
「「!!」」
またやられた、と健さんと貴奨さんはがっくりとうなだれてしまいました。
さてその動物園からの帰り。
慎吾君ははしゃぎすぎて眠ってしまい、江端さんに抱かれています。
慎吾君の左手は高槻さんのシャツをしっかりと握っています。
「江端君、重いだろう、替わろうか」
貴奨さんは慎吾君を抱いている江端さんに向かって腕を差し出しました。
「全然重くありませんよ、大丈夫です」
「いや、しかしだな…」
申し訳ないという貴奨さんの申し出を江端さんに替わって高槻さんが断ります。
「せっかく眠ってるんだから変に抱き直したら起きちゃうかもしれないからね、このまま江端君に抱いていってもらったほうがいい」
かくして、運転席に貴奨さん、ナビシートに健さん、後部座席に向かって右から高槻さん、
江端さん、江端さんに抱かれた慎吾君、最後尾に正道君という座席配置が決定してしまったのです。
「ふふっ、ほっぺたぷにぷに」
寝ている慎吾君のほっぺを高槻さんは指でつんつんっと突いています。
その様子をバックミラーで健さんと貴奨さんが羨望のまなざしで見つめつつ、決意を新たにしていました。
((今回は譲ってやるが、次こそはっっっ!!!!))
そんなことは露程もしらず、慎吾君は家につくまですやすやと眠っていたのでした。