My Private Seat
「そういえばお前、仮免取れたって?」
「・・・なんでもう知ってるんですか?」
自分の皿にシ−ザ−サラダを取り分けながら聞いて来た鷲尾に、絹一は不満そうに聞き返した。
何でもない事のようにさりげなく言ってびっくりさせようと思っていたのに。
情報の流出源は聞かなくてもわかっている。
「いや、ギルバ−トがな。昼間嬉しそうに電話してきたんだ。・・・俺が聞いたのは留守電だけどな。」
ほらね。
「・・そんなにむくれるなよ。」
鷲尾は笑いをかみ殺すのに必死だ。
「そんな顔で言われるとますますムカつきますね」
ふい、と横を向く。
その途端、鷲尾は我慢出来ずに吹き出してしまった。
「いや、失礼」
「もう・・・!」
絹一は腹立ち紛れにプチトマトにフォ−クを突き刺した。
絹一は今年の春に一念発起した。
車の免許を取得する事にしたのである。
別に、普段の通勤にも日常生活にも無くても支障は無い。
ただ、純粋に欲しくなったのである。
それはもう、唐突に。
執着のあまり無い絹一には、珍しい事だった。
「で? 一回ぐらいは路上に出たのか?」
鷲尾の目尻には笑いすぎた名残の涙がうっすらと溜まっている。
それを無言で絹一はナフキンで拭ってやる
「おい。」
鷲尾の手が絹一の手をナフキンごと掴む。
「・・・ごめん。悪かった。」
口ほどには申し訳ないと思っていなさそうな瞳が、悪戯っぽく微笑む。絹一の目を見つめたまま、鷲尾は彼の指先に唇をそっと押しつけた。
「・・・そんなんじゃ、騙されませんよ。」
言いながら、絹一の頬はうっすらと赤い。
「はいはい」
心得ております、お嬢様・・・とは心の中だけで呟く。
ポ−カ−フェイスは鷲尾の18番であった。
「今日が初めてだったんです。すごい緊張しました。この間の契約のときよりもがちがちだったんじゃないかな。」
ちなみに契約とはつい2週間前の世界遺産上製本のアジア地区進出プロジェクトのことである。
数億円は下らない大口の契約だった。
鷲尾は小さく咳払いした。
「頭ではね、ブレ−キとアクセルの位置はわかってるんだけど、いざ路上に出るともう、パニック状態で・・・」
はあ。絹一の口からはため息がひとつ。
・・・オ−トマチック免許にさせてよかったと鷲尾がこっそり思ったのに絹一はもちろん気付かない。
「まあ、習うより慣れろ、だからな。回数乗ればいやでもコツがつかめてくるさ。」
テ−ブルロ−ルの最後の一切れを口に放り込みながら、鷲尾が言う。
「・・・そんなもんですか?」
「そんなもんだ。」
手が止まってるぞ、と鷲尾が目顔で言ってくる。
「アッサムでいいか? 今日買ってきたばかりなんだ。香りがいいぜ?」
「はい。」
絹一の口から、またため息がもれた。
絹一が皿を全部ふき終わったところで、鷲尾は紅茶の入ったカップを二つ持ってリビングに移動した。
絹一の分をテ−ブルの上に置いて、自分はソファに腰を降ろす。
「そんなに深刻になるなよ」
絨毯にぺたりと座り込み、カップを両手で抱えてじっとそれを見つめている絹一に鷲尾は苦笑した。
「俺、免許取れるんでしょうか。」
「取れる、じゃなくて取るんだ。」
「そうなんですけど」
絹一が紅茶を一口飲む。
「鷲尾さんて、紅茶入れるの上手ですよね。・・・とってもおいしいです」
にっこり絹一が微笑む。
「お前な・・・。」
「なんです?」
「ちょっとこっちに来い。」
「?」
「ここに座れ。」
鷲尾は自分のとなりを指差した。
絹一がおとなしく腰を降ろす。
不思議そうに見つめてくる絹一の頭の後ろにその大きな手を回すと、自分の方に引き寄せて唇をゆっくりと重ねた。
「鷲・・・んっ・・・」
絹一の背をゆっくりソファに押し付けながら、顎を少しずつ傾けていく。
「・・・むやみにそんな顔するな・・・」
息継ぎの合間に掠れた声で鷲尾が囁く。
「余計な・・・お世話・・・っ・・・」
憎まれ口を塞ごうと鷲尾の腕が絹一の頭を抱き込むと、絹一の手が鷲尾のシャツをきつく掴んだ。
でも、それは最初のうちだけ。
そのうち、絹一の腕はゆっくりと鷲尾の広い背中に回されていった。
「だからって、どうして今日なんです?」
「今日乗ろうが明日乗ろうが同じだろ−が」
「それに、左ハンドルなんて無理ですよ、俺には!」
「文句言わずにさっさと座る!ほれ!」
マンションからさほど離れていない公園の駐車場にこっそり忍び込んでだのが12時過ぎ。
鷲尾のコルベットのドライバ−シ−トに無理矢理座らされ、さっさとシ−トベルトをさせられる。
鷲尾もナビシ−トに滑り込んだ。
絹一のシ−トの位置を調節してやると、勝手にエンジンをかける。
「ほら、ハンドル握って、ブレ−キを踏め!」
はっきり言って教習所の教官より鬼である。
その後はもう・・・正直いってめちゃくちゃであった。
「・・・疲れた・・・。」
「それは俺のセリフだ。」
二人して倒したシ−トにぐったり身を預け、疲労の色濃い息を吐く。
「鷲尾さん、よくこんな疲れる事毎日してますね。」
「仕事だからな」
短く言い切った鷲尾のほうに、はっとして顔を向ける。
「・・・すいません。失礼なこと言って・・・。」
「別にいいさ」
さて、と鷲尾が身体を起こす。
「帰るか?」
まだやりたいか? と意地悪そうに目が無言で聞いてくる。
でも、それは今の言葉を絹一が気にしないように・・・とゆう鷲尾の優しさだと気付いてる。
「鷲尾さん・・・」
「ん?」
身体を起こした絹一が、鷲尾の座るナビシ−トの背もたれに手をかける。少しだけ伸び上がって鷲尾の唇をそっと塞いだ。
「・・・明日も・・・よかったら教えてください。」
吐息でされるお願いを、鷲尾が断れる訳はなく・・・。
「・・・オ−ケ−」
お互いの見えないシ−トには、たった一人しか座れない。
はっきりした形はないけれど。
お互いがお互いのポジションニに置いてる。
あなただけの、 Private Seat・・・