NO,but …YES?
「今月もあと10日か・・・。」
オフィス街の街明かりが少しずつ消えてゆくのを、助手席の窓から見つめながら、絹一はふと思う。
今年の梅雨入りは例年に比べて、少し早かったと聞いている。
雨の降る日は日数的には少ないが、梅雨時期特有のまとわりつくような空気は今日のような晴れた日にも関係ないらしい。
まあ、日中は殆どク−ラ−の効いているビルの中にいるのだから、気にはならないが。
「あと10日だと・・・なんだ?」
独り言のつもりだったのに。
微かに漏らした呟きの語尾をひろわれて、絹一は優雅にハンドルを切る男の横顔をそっと見た。
「何でも・・・ありません。」
「そうか?」
おかしな事を言ったつもりは無いのに、鷲尾の口元にはうっすらと笑みが広がっている。
鷲尾の腕に捕まりながらも簡単に落ちてしまうのが悔しくて、ほんの小さな抵抗を見せる自分をあやす時と・・・同じ微笑み。
たったそれだけで。
絹一は自分の体温が上がったような気がした。
「・・・だいぶ疲れてるようだな。あと20分はかかる。・・・少し眠れ」
俯いていた絹一の頬に、そっと指を滑らせる。
ちら、ともこちらを見ないのに・・・。
絹一は指先だけで翻弄されている自分に、内心ため息をついた。
瞳が揺れるのを見られたくなくて、そっと目を閉じる。
横浜に、小さいが居心地のいいホテルがあるから行かないか? と鷲尾に誘われたのは2週間前の事だった。
久しぶりに一緒に食事をして、お酒を飲んで・・・そのまま溶け合った。
暖かな腕に抱かれながら夢見後こちに目覚めた朝、優しい唇が自分の瞼に囁いたのだった。
(どうせ・・・見抜かれてるだろうけど。)
とても、嬉しかったこと。凄く、楽しみにしていたこと。
そして・・・今、胸が激しく鳴っている事も。
今夜の自分はどうにかなってしまっているようで・・・落ち着かない。
絹一がおとなしくなったのを、眠ったと思ったのか。
ホテルに着くまで、鷲尾は口を開かなかった。
そのホテルは一日7組の客しかもてなさないそうで、スタッフも支配人兼コンシェルジェの上品な男性と微笑みの優しいぺージボーイの青年だけとゆうことだった。
ウェルカムドリンクの紅茶をゆっくりと飲みながら、絹一は支配人と親しげに話している鷲尾を見つめる。
支配人とは知合いらしいが、ここを訪ねるのはどうやら鷲尾も初めてのようだった。
会話のはしはしに、そのようなことか感じられる。
「・・・では、お食事の用意が整いましたらすぐに伺わせていただきます。それまでどうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ。鷲尾様、穐谷様」
優雅に一例して出て行く彼の後ろ姿を見ていた絹一に、鷲尾が静かに話しかける。
「食事はフレンチだそうだ。メインは魚であっさりした味付けだから、お前でも大丈夫だろう?」
「ええ。」
どうやら鷲尾は絹一を完全にエスコ-トするつもりのようだ。
ホテルのドアも、彼は自ら開けて絹一を優雅に先に滑り込ませた。
いつもはそんな事はしないのに。
だからといって、鷲尾が自分を女性扱いしているのではない事は、なんとなくわかっていた。
でも・・・いつもより仕種が優しい。口数が少ない。自分を見詰める視線が・・・熱い。
普段でさえ彼の瞳に見つめられると、負けてしまいそうになるのに。
今日は、目を開けていられない・・・。
「絹一?」
「え?」
はっとして顔を上げると、まともに瞳がぶつかりあう。
鷲尾の切れ長の目がふっ、と優しげに細められた。
「そんなに緊張するな・・・」
あっという間に広い胸に抱き込まれて、息が止まる。
「俺が怖いって顔してるぜ?」
「そんな事・・・」
「思って無い、か?」
「思ってません・・・。」
そんなふうに微笑まないで欲しい。
「じゃあ、なんで震えてる?」
「・・・知りません。」
耳元で、鷲尾がクスッと笑った。
「もう、離してください。見られたら・・・どうするんですか。」
「別に。」
「別にって・・・。」
髪に隠れた耳を唇で探し当て、鷲尾は柔らかく甘噛みする。
絹一の身体が、ビクリと震えた。
「あらかじめ、知らせてあるからな。」
「・・・なんて?」
思わず鷲尾の胸から顔を離して、彼の瞳を覗き込む。
それが、鷲尾の罠だと気つかずに。
至近距離で見つめた彼の瞳は恥ずかしくなってしまう程饒舌だった。
「お前は俺の・・・特別だ・・・ってな。」
「・・・ン・・・ッ」
ほんの少し意地悪な唇が、絹一の僅かな抵抗も封じ込めた・・・。
しつこくない程度の上品な味付けのされた食事と喉越しのやわらかなワイン、そしてスパイスの効いた鷲尾のBaby Talk・・・。
夢のように流れていく時間に、はっと気付いた時は12時を回っていた。
日付けがいつのまにかかわっている。
「どうした?」
「いいえ。すごく楽しいな・・・って。」
絹一はほんの少し戸惑ったが、隣に座っている鷲尾を見つめてやわらかく微笑んだ。
「あなたと・・・出会えてよかったって、そう思ってたんです。」
「俺も、お前と出会えて幸せだ。・・・目眩がするぐらいな」
鷲尾の悪戯っぽい囁きに、絹一の頬が赤く染まる。
「・・・からかわないで。」
ふっと、視線を外して絹一が俯く。それでもそれは甘い仕種でしかない。
「本当だ。」
鷲尾の大きな手が絹一の髪に潜り込む。そのまま、自分のほうに引き寄せた。
こんな時、絹一はいつも思う。
自分は語学の仕事に就いているけれど・・・心のお喋りは鷲尾にかなわない。
拒んでみせても、それは本当はNOではなくて。鷲尾にはあっさり見抜かれてしまう。
そんなところに惹かれていて。
自分の口からYESと言わせる強引なところにも・・・迷わされていて。
そのくせ、自分の本心は煙に巻いて悟らせない。
「・・・してる。」
鷲尾の熱い囁きが絹一の耳にそっと流し込まれる。
でも・・・時々はこんなふうに本気をくれる彼だから。
言葉じゃなくても。瞳で、微笑みで。
自分も応えたい。そう、素直に思う・・・。
「鷲尾さん・・・」
「ん?」
「・・・love you・・・too・・・」