投稿(妄想)小説の部屋

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No.260 (2001/06/16 00:49) 投稿者:あらぶ

涙のスープ

 見えないやさしい腕が、あやすように水中世界を揺らしている。
 ゆりかごの心地の静かな泉。アシュレイの一番新しい隠れ家だ。
(こうして見ると、水の中って綺麗だよな)
 自分のつくる泡の音を聞きながら、アシュレイはのんびり体を反転させる。
 ゆらめく光のまだら模様に見惚れていたら、体の内で満足そうに頷かれた。
≪宿主と好みが合うのは悪くないな≫
 水膜ごしの氷暉の声は、こころなしか普段より角が取れて柔らかい。
 このごろでは、相棒ならずとも気が置けない関係と云えそうだ。
 ふいに、肩の辺りをすうっと細長い影が横切った。
 鳥か何かだろうと、アシュレイは目線だけで見送ろうとしたが、
≪―なんだ今のは―!≫
 いきなり耳の真横でどなられた錯覚と同時、腹の内側から突き上げられて、強引に体をもっていかれる。
(いっ!?)
 影がよぎった方向へ、不自然に腹(そのあたりに氷暉が固まっていたらしい)を前にひっぱられた格好で、しぶきも派手に音高く空中に跳ね上がった。
「んな!!」
 ――が、そのまま勢いを失って、べちっ! と地面でバウンドする。
≪…もう見えないか≫
「〜〜〜! おまえなあ!」
 まともに打った顔面を押えて抗議しかけたところで、水辺に立つ人物と目が合った。


「また泳いでいたの?」
 グラインダーズが布を差し出しながら首をかしげている。
「授業のときも渋々だったのに。ずいぶん好きになったのね」
 指摘されてぎくんとする。水が親しくなったのは、氷暉と共生した影響なのだ。
 いまさらだが、忘れられた奥庭とはいえ、城内で何度も泳いでいたのはまずかったかもしれない。
 そそくさと逃げ出そうとしたアシュレイだが、「待ちなさい!」と後ろ首をつかまれた。
「今夜の晩餐には必ず出席、って云ってあったわね? そろそろ戻って支度なさい」
 アシュレイもこの姉にはめっぽう頭が上がらない。
 母猫に運ばれていく子猫のかたちで、じたばたと連行されていった。


 食卓を囲んでいるのは、炎王、グラインダーズ、アシュレイの3人に加えて、先日任期を終えて北から帰ってきたばかりの叔父夫妻だ。
 グラインダーズの生母の弟夫婦であり、親善大使として数年を北の領地で過ごしていた。
「それにしても、アシュレイは立派な武将になったね。すっかり見違えたよ」
「本当に…。あのわんぱく王子様がねえ」
 果実酒の杯をあげ、叔父夫妻がおっとり目を細める。
 数年ぶりに会ったアシュレイを前に、ため息をつかずにいられない様子だ。
「だいぶ迷惑をおかけ申したからな」
 炎王が苦笑まじりに云うのへ、グラインダーズも昔話を掘り返して追い討ちをかける。
「この子に付き合わされて、野宿なさった事までありましたものね」
「あの迷路事件?」
 アシュレイを抜かした一同が、どっと笑いころげる。
 肴にされ、つままれても、相手が相手なわけで、アシュレイは牙も爪も出すに出せない。


 叔父はその領内に、高い生垣でできた広大な庭園迷路を所有していた。
 純粋な趣味と道楽の代物なので、かえってその分、手強くいやらしい造りになっている。
 それを発見したアシュレイが、燃えたといったらない。
 文殊塾に入塾したての、ほんの殻付きの豆だったのに、どうしても自分一人で行くと云う。
 護衛もいらないと言い張るアシュレイに、絶対口は出さないからと叔父がついていったのだ。
「君が出口を見つけたとき、いっしょに喜んであげたいんだよ。それに…君がズルをしないでちゃんと自分でたどり着いたってこと、みんなに教えてあげられるしね」
 そう口説かれて、「そんならつれていってやる」と勇ましく頷いたものの、結局彼らが迷路を無事に抜け出てこられたのは、それから四日後のことだった。


「こやつときたら威勢ばかりで」
 姉に売られ、父に踏まれたアシュレイは、全理性を総動員して炎を抑えこんでいた。
(んなのとっくに時効じゃんか!)
 煮えたつ言葉を押し殺して唇をひき結ぶと、今度は耳と鼻から火を吹きそうだ。
≪家族というやつは容赦がないな≫
 同情めいた氷暉の感想にも逆なでされて、アシュレイは冷やした果汁をいっきにあおった。
 北の話に興味があると云った氷暉のために、今日は酒はなしなのだ。
「アシュレイはさっきからそればっかりなのねえ。お酒はいいの?」
「ええー…っと…」
「人間の真似をして、願掛けでもしているのかい?」
 そこで『願掛け』の意味を尋ねる叔母に皆の意識が集まって、アシュレイはほうっと息をつく。
 ふと気付くと、姉がこちらをじっと見ていた。
 だーっと背中に汗が流れ落ちるのを感じながら、スープをぎくしゃく口に運ぶ。
 が、一口飲み込んだ途端に、ドカっ! と腹を内側から蹴り上げられた。
「ぐ!?」
 口を押えて、吐き出すのこそなんとかこらえたが。
「どうした?」
「気分が悪いのかい、アシュレイ」
「まあ、それならお薬か聖水を…」
 たちまちいくつもの心配顔を向けられるが、聖水なんぞ冗談ではない。
「な、なんでも…ちょっと失礼っ!」
 しどろもどろに席を蹴って、晩餐の間を飛び出した。


 アシュレイは使っていない部屋に飛びこむと、氷暉をどやしつけた。
「てめえ、こんなときっくらい我慢しろ!!」
≪だが、あの香草ってやつは…≫
「大体おまえ、好き嫌いが多すぎだっ! 文句云わずに黙って食え!!」
 怒り狂って湯気を立てそうな勢いでまくしたてたが、ひととおり吠えて、氷暉が黙り込んだきりとみれば、アシュレイの頭もしだいに冷える。
「…悪ぃ。文句云わずに黙ってろだなんて…」
 かすかなばつの悪さを感じて、アシュレイは声を落とした。
≪…いや。おまえはいろいろ不自由だろう≫
 意外にも氷暉がしおらしく。アシュレイは目をまん丸くした。
 いきなり下手に出られては、なんだか調子が狂ってしまう。
「あー、えっと」
 拍子抜けに、がしがしと頭をかいて言葉をさがす。
「――あとちょっとだけいい子にしてろ。俺一人の体じゃないのは…ちゃんとわかってる」
 ぽんぽんと腹をたたいて仲直り。
 アシュレイが手を当てたところが、ぽうっと温まったような気がした。


「――アシュレイ――」
「うわッ!?」
 闇討ちの、ムチの一声。
 背後からはじかれて飛び上がると、回廊からの逆光を受け、腕組みのグラインダーズが気配も見せずにそこにいた。
「姉上! いつからそこにっ」
 最愛の姉の、どんな武将も薙ぎ倒す、凄みの眼光の的になり、
「…おかしいと…思ってたわ…」
 岩を噛み砕くような声に、いっきに首まで泥に埋まった気分になる。
(共生がバレたか?)
「急に好みが変わったり。…そういうことだったのね」
 が、しらを切らねば吊るされる。
「な、なんのことだよ?」
 アシュレイは真正面から姉の目をはね返した。
 いつまでも、姉に悪戯を見破られてお目玉をくっていた子供ではないのだ。
 居直りの真っ向勝負を挑んだアシュレイとグラインダーズの間に稲妻が走る。
 この際、姉離れの意地を見せたアシュレイだったが、グラインダーズは大地のような威圧感で迫り寄せ、ついに壁際まで追い詰められて崖っぷちだ。
 肩に手を置かれ、氷暉の身がこわばるのがわかった。
「でもねアシュレイ。落ち着いて聞きなさい。いくら愛し合ってても――受け身の側でも、男同士でそんなはずがないのよ。いいこと、それは想像妊娠よ!!」


 ―――――言葉は凶器だ。
 まさに丸太の一撃。自分が端からガラガラ崩れていく気がする。
 オトコドウシで、…け身って……?
「ぁあぁあねうえ、なにを――」
 声がひっくり返る。何かを根こそぎされた気がして、さきほどまでとは別の意味で金縛りだ。
「わかってるわ。禁酒したり、おなかに話しかけたりしていれば…ね。」
 うつろにふっと笑い、諭す姉の口を、いますぐ塞いでしまわねば。
「でも、さっきのも本当のつわりじゃないの。そんな気になっているせいなのよ!!」
 両肩を鷲掴んで揺さぶる姉の目は、思わず武将の誇りを棚上げして、誰かに助けを求めたくなる色がある。
「ちちっ違うっ、そんなんじゃ…っ」
「アシュレイ! 泣いたってどうにもならないのよ!」
 できるなら、今すぐ深い淵に潜って二度と浮かんできたくなかった。

≪なあ、おい、なあって≫
 昨夜あれから、鬼のように晩餐の間にとって返したアシュレイが、濡れ衣を晴らすとばかり大酒を浴びたので、氷暉にはその後の事情がわからない。
 今朝、意識を取り戻した氷暉が、何度話しかけてもアシュレイはだんまりなのだ。
 さじを投げかけた氷暉に、ひざを抱えたアシュレイが、ようやく萎えた声を絞り出す。
「…ティアには、ぜってー云うな…」
≪…守天殿には…まあな≫
「…絶対…約束しろよ……」
≪………≫
「氷暉っ!」
 絶叫は、駄々をこねて泣き出す一歩手前の幼子じみている。
≪わかったわかった。約束する≫
 飴をくれる態で氷暉が応じると、「う〜」と唸ってそれきりまた、アシュレイはどんより貝になってしまった。
 すっかりドツボに嵌まった有様で、氷暉がげんなりとこぼすことなどまるで疎かった。
(姉上…どこまで…、どんな風に思って…うー、き、聞けない…っ)
≪まいった…。この俺が、よりによって天界人と約束だって?≫
 家主と同居人、沈み込む思いこそ違ったが、首を振り振り、二人同時に冴えない息を吐き出した。
 ………はあぁ……………………。


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