離れろクソババア
ここは常春の天空界。風が柔らかく髪を撫で、花の香りを運んでいく。
噴水がきらめく天主塔の中庭は、明るい光に満ちていた。
その中にいて、なぜか守天は低気圧のとぐろを巻いている。
傍目にはそう見えなくとも胸の内は大シケそのものだ。
人界に、嵐の一つも起きねばいいが――。
「また曲がった! あーくそっ!」
「いや、そなたは筋がよいぞ。もう一度だ」
仮面性低気圧の元凶が、楽しげな声をあげてアシュレイの背や腰に手を添える。
守天の笑みもひきつろうというもの。座った視線の先にいるのはオーティスだ。
天界には無い『く』の字型の武器を使い、さきほどから投げ技の稽古をしているのだ。
先日、突然執務室に現われた彼に「しばらくおるぞ」と宣言されてしまってから数日がたつ。
実は三界主天様のご息女なんだよと、アシュレイに囁いた自分のうかつさが憎い。
ちょっとした『恋人にだけ耳打ちする内緒話』のつもりが、アシュレイの気をひいてしまうとは。
それだけでなく、オーティスがやたらとアシュレイにかまうのはどうしたことだ。
前はどちらかというと、アシュレイとはウマが合わなさそうだったのに。
考えたくはないが、どうやらアウスレーゼとの…あんなこんながバレている様子。
恨めしげに和気あいあいの二人をながめ、ぐるぐると守天は唸る。
「…絶対、絶対いやがらせだよ…」
剣の稽古やら、最上界の武将の話やらで、昼夜アシュレイを一人占めされ、
今だって、アシュレイは目新しい武器にころっと夢中になっている。
マントをかじる守天の前で、べたべたべたべた…。
肩を抱くなというのに。
( このオトコ女!!! )
思った瞬間、目の前にぶんっ!と音を立てて武器が飛んできた。
「―――――だっ!?」
のけぞって花壇に突っこんだ頭上、武器はあっさり弧を描いてオーティスの手に返る。
からからと明るい声が降ってきた。
「はっは、これは残念! 守天殿には我の腕を疑われたか」
「なーんだよティア。俺がさっき同じことやられたの見てたろ。大丈夫だって!」
「…ふ、あははは…」
花びらまみれで仕方なしのごまかし笑い。だが、それもいよいよヒビが入ってきたようだ。
執務室の前まで戻ってきた守天はぐったりと息を吐いた。
いまほどの男神に呼びとめられたやりとりを思うと、壁に爪を立てたくなる。
「苦労なことだな若君」
そう云いながら、瞳も口調もあからさまに面白がっている調子があった。
こちらの方は、にんまりと柱にもたれた彼が煙管でつくった輪っかまで面白くない。
守天は『誰のせいで』と飲み込んだ口元をひきつらせ、ぶすっと応じた。
「わかっているなら、助けてくださるおつもりは」
「あやつのすることに、我は口を挟まぬことにしているのでな」
「…ホントは何も云えないんじゃありませんか?」
男神はあさっての方を向く。守天が絶対零度を背負っていてもどこ吹く風だ。
「さて、そろそろ行かねば」
「アウスレーゼ様!」
「ひきとめるな。野暮になるぞ」
ひらりと笑って袖を返し、向けた背中に『只今羽伸ばし中』と書いてある。
「あなたがたっ!いつまでいる気なんですか!!」
癇癪を起こしてわめいてみても、泣きつき甲斐のない男神に届いたかどうか。
こめかみを押えながら執務室の扉を開けた途端、目に飛び込んできた光景に固まった。
「この後ろ足に傷のあるヤツ! 前に手当てして放したヤツだ!」
アシュレイが遠見鏡の前で興奮した声をあげている。鏡の中、鹿が木立の陰で草を食んでいた。
その傍らに立つオーティスが、守天に気付いてふっと笑う。目を細めてひと言、
「お借りしている」
守天の耳の奥で、ぶちり、と何かが切れる音がした。
(…5)
「ティア! こいつこいつ! こないだのヤツだぜ絶対ホラ!」
声を弾ませ、腕を振り回して訴える恋人。めちゃくちゃ可愛いではないか。
(…4)
「よかった、ちゃんと元気にやってる…」
こんな顔をするんなら、自分が見せてやりたかったと歯噛みする。
(…3)
思いつかなかった自分にも腹が立つが、それよりなにより。
全身から、額の御印にぎりりと力を集中する。最上界も三界主天も知ったことか。
どこかで警告が鳴っていたが、なんとかの緒が切れたのだ。
(…2)
「いま子供が見えた!」
「どこどこどこだ?」
オーティスがはしゃいだ声をあげ、ぐいぐいぐいっと頬を押し付け覗き込む。
(…1)
(もうもうもう、許さないっ!!)
瞬間ぶちっ! と画像がはじけ、替わって映し出されたのは天主塔の一室。
「あーっ! アウスレーゼ!」
アシュレイが口をあけた先には、男神が使い女とお楽しみ開始の体勢だ。
しかも使い女は2人。声は聞こえないが、男神は両手の花に取り合いされているようだ。
優雅に体を伸ばして、上機嫌の笑みを浮かべている。
男神が使い女の耳の横でなにごとか口を動かすと、そうされた女が甘えて肩にしがみつく。
さらにもう一人の使い女の顎をくすぐったところで、執務室の空気が震えた。
「…アウスレーゼ…っ!! 性懲りもなく!!!」
「うわ!?」
怒号と同時に光が爆発し、眩しさにひっくり返るアシュレイを、すんでのところで守天が受け止めた。
一瞬後にはオーティスの姿がない。光が消えてみると、遠見鏡はただの鏡になっていた。
すぐにどーん! どーん! と鈍い衝撃がたてつづき、天主塔全体が揺れ動く。
後ろから抱きとめた形のままの二人の上に、明燈のかけらがぱらぱら落ちてきた。
「お、おい、大丈夫かあいつら」
アシュレイは心配そうにそれを見上げて呟く。
恋人の頭を抱え、幸せな重みと体温を取り返した守天は浮き浮きと言い捨てた。
「さあ? ヤキモチ妬きの恋人を持つと大変だよね」
「…誰の話だよ…」
脱力した恋人の呆れ声は、髪に頬をうずめて聞こえない振りをした。