セクハラ一樹
午後4時。ロー・パーの開店まで、まだしばらくの時間がある。
一樹と卓也は、ふたり揃って4階の事務所にいた。
一樹はソファの上。ゆったりと体を伸ばしている。
卓也は床。膝を立てて広げた足の間には、1冊の情報誌。床の上に置いて、気のない様子でページをめくっている。
雑誌に飽きて何気なく顔を上げると、一樹の瞼がくっつきそうだ。
「おい、こんな所で寝るなよ。風邪ひくぞ」
一樹はだるそうに首を回して、顔だけを卓也の方に向けた。
「じゃあ卓也、あっためて?」
楽しげな、からかうような視線。口もとには微笑。
また始まったか、と心の中でため息をつく。だが表情には何も表わさないまま、卓也は雑誌に視線を戻した。
「……いいよ。俺がそっちに行くから」
相手にされず不機嫌そうな声で呟いて、一樹はソファから体を起こし、5歩の距離にいる卓也に近づいた。
その勢いのまま、卓也が読んでいる雑誌を蹴飛ばした。
「おい」
無視を決め込んでいた卓也も、さすがに顔を上げ、横に立つ一樹を睨もうとする。
一樹はと言えば、隙きありとばかりに卓也の足の間に体を滑り込ませ、首に両腕を回して抱きついた。
「俺の勝ち。ね?」
「この、冬だけセクハラ男が」
顔は不機嫌そうでも怒った様子はなく、仕方ないな、という声音。
一樹は猫だ。しかも血統書付きの。
高貴で、自由で、わがままで。でも冬は嫌い。
甘いな、と思いつつも、卓也は無理に剥がそうとはしない。
ここのところの一樹は、卓也とふたりでいる時、隙きあらば卓也に抱きつこうとしてくる。
あらゆる策を弄して、卓也に抱きつこうとする。
情緒不安定な証拠だ。
そうと分かっていても、ただで抱きつかせる卓也ではない。
だから一樹も、雑誌を蹴飛ばすという少々荒目の作戦も実行する。
ロー・パーの事務所では毎日のように、一樹と卓也の攻防戦が繰り広げられている。
今日は一樹の勝ちである。
「そろそろ離れろ。忍が来るぞ」
「いいよ。もう少し」
そう言って、卓也の胸にすりすりと頬を寄せる。
「忍が見たら、泣くぞ」
そんな言葉も、一樹に対しては何の脅しにもならない。
「忍が来たら、忍にもあっためてもらうから大丈夫」
はぁ、と一樹の上でため息。
「卓也の胸って気持ちいいんだよ」
実際、卓也の胸は気持ちがよかった。
広い胸と、正確に刻まれている鼓動。生きている証。
このまま眠ってしまいたかった。
「それがどうした。気持ち悪いこと言うな」
「気持ち悪いなんて。失礼だな」
言いながら一樹はずり上がり、卓也の耳朶に軽く歯を立てた。
「一樹。怒るぞ」
「怒らないよ」
「決めつけるな。怒る」
「怒らないよ。卓也、俺に甘いもの」
卓也の性格なんて、全部知ってる。
また、ため息がひとつ。
日々エスカレートしていく攻防戦の激しさに比例して、卓也の吐くため息の回数も、日々増えていた。