ビストロ・キスエフ(4)
(試食タイム)
「はい、まずは二葉君・忍君チームです〜」
「まずはヨウコウさんのご要望の熱いものです」
忍が二葉に指示して持ってこさせたのは、ゴウゴウと燃え盛るドラム缶であった。
「うんせ、うんせ。あ〜熱かった」
ドラム缶の設置を終えた二葉は首にかけたタオルで顔を拭い、オマケとばかりに薪を数本足していく。
「確かに熱いな…」
早くも汗が浮かぶ健とヨウコウ。
そのドラム缶へ、さっきまでガスでガンガンに温めていた土鍋をドンと置き、何やら真っ赤な液体を流し入れる。
じきに、液体はぐつぐつと泡をたてて沸き立ち、なんとも言えない匂いを漂わせ始めた。
「こ、これは…?」
「どうぞこのままお召し上がりください」
はいっと大きなスプーンを手渡されたヨウコウと健は、お互いに譲り合うようにしばし見詰め合う。が、すぐに意思の疎通がなされたようで、ヨウコウが覚悟を決めたようにスプーンを鍋に入れようとした。
が、途端にごうっと炎が襲いかかり、哀れ、前髪がチリチリになる。
「あ、あぶねえ〜〜っっ」
一歩距離を置いて見ている健の元にも火の粉が舞いかかり、
「おわちゃっ」と飛び跳ねながら避難する。
「火が強過ぎたみたいだね」
「薪入れ過ぎたかな」
二葉達は自衛隊のように大きな盾の後に隠れて、試食をワクワクと見守る。
なんとか決死の覚悟でひとさじを掬い取ったヨウコウは、ごくりと唾を飲みこみ、恐る恐る口に入れる。
「ぼ〜〜〜!!」
苦悶の表情を浮かべて口から火を吐くヨウコウに、二葉はさすがにヤバイかと消火器を取りに走ると、ドラム缶からの火とヨウコウの吐き出した炎が交じり合って勢いよく燃えあがり、天井を焦がし始めた。
スプリンクラーが作動し、全員の上に心地よいシャワーを降らせる。
「恵みの雨だ…」
健は、恐怖のドラム缶が凄まじい水蒸気を上げているのを見て、どうやら食べずにすみそうな幸運に感謝する。
傘をさしてスプリンクラーの誤作動(?)を留めに走った忍は、隣で水に打たれてながら、同じくスプリンクラーを止めに走る二葉に涙ながらに謝る。
「ごめんね。俺のせいで今回は負けちゃうかも」
「何言ってんだよ。次に頑張ればいいじゃないか。大体勝負はまだついてないんだぜ。俺のデザートで巻き返しちゃるから心配すんなって」
「うん、うんっ」
感激してすがりつく忍を抱きとめて、二葉は頼もしく胸を叩いた。
(2時間後)
全体的にぐっしょりと濡れている店内で、冷凍庫からうやうやしくデザートを運んでくる二葉。
「さっきはすみませんでした。ヨウコウさん、食前酒にウォッカを飲んでたから引火しちゃったんですね」
「思い返してみれば味はなかなか美味かったよ。赤い色は唐辛子だったんだな。身体がこう、熱く燃えてきて、今から一戦やりたい感じだ」
「ニンニクも30個入ってますからね」
ヨウコウのフォローに顔を輝かせ、ご満悦の忍を横目で見つつも、前髪も焼かれ、口の中もかなりただれた幼馴染の予想外の大物ぶりに、健は今更ながら恐れ入る。
「デザートのチョコレートフォンジュです」
二葉はぐつぐつと煮立った茶色い液体と、フルーツをふんだんに盛りつけた皿を運んできた。チョコレートの香りがプンと部屋中にたちこめる。
「おいっ、熱いもんもチョコレートもヨウコウの注文だろ。
俺の頼んだ冷たいもんはどうしたんだよ」
健が文句を言うと、二葉は心得ているとばかりに頷き、フルーツをフォークでつんつんつつく。
「このフルーツは冷凍してます。冷凍バナナなんか、かなりイケルと思いますよ」
「へ〜、うまそ〜」
今度はまともな食物だった事に、健もヨウコウもホッとしてバナナチョコレートを美味しく食べた。
「あと、とっておきのがあります」
おもむろに酸素マスクを装着し始めた周囲の人間達を不安げに見詰めていると、忍が厳重に密閉された金属性の容器を、冷気をシュウシュウただよわせながら持ってきた。
「果物の王様ドリアンです」
「うえ〜〜!」
スタジオ内にはニンニクの匂いもまだ充満している中、そのドリアンには溶けたブルーチーズもかかっていたらしく、それぞれが複雑に混ざり合った香りが二人を強烈に襲う。そのどれかの匂いか、複合かが生理的に受けつけなかったらしく、健はついに意識を失ってしまった。
「健! しっかりしろ!」
ヨウコウは鼻を抑えながら、意識のない健の頬をべしベシと叩く
「ど、どうしよう、二葉!」
「落ち着け! 命に別状はない!」
急遽、倒れた健は医務室に運ばれることとなり、そんな状況の中でご機嫌に笑っている健吾とヨウコウがなんとか収録を続ける事になった。
「…うん、なかなか美味いな」
逞しくも強烈な匂いに耐えてみせ、ブルーチーズがけドリアンのチョコレートフォンジュを思いきって口に入れるという男気を見せたヨウコウは、その意外なマッチングに目を見張る。
「よかったね〜」
「ホッとしたよな〜」
嬉しそうに握手し合う二葉と忍は、すでにノックダウンした健のことを忘れ去っていた。
(健さん、死なないでね…)
一部始終を静かに見守っていた慎吾は、酸素マスク越しに涙の浮かんだまぶたを拭う。
「はい! それでは、正道君・桔梗君チームです!」
異様に時間のかかった二葉達チームの試食の後、やっと彼らの試食タイムが来た。
どうやら腹を据えたようで、なんでも来いとばかりにどっしりと座っているヨウコウの元へ、桔梗はなんとも言えない形状のハンバーグを持ってきた。
「どうぞ、お好きだというハンバーグです…」
暗い顔で皿を置く桔梗は、出す直前までさっきの騒動で濡れたハンバーグの上の水滴を拭っていた。生暖かいハンバーグも付け合せのサラダも、すごい勢いのスプリンクラーに打たれて、すでにもとの形状を留めておらず、不要な水分を含んでふやけてしまっている。
「いただきます…」
「実はこれ、イワシのハンバーグなんですけど、お魚がダメでも全然大丈夫でしょう?基本の味はXOジャンで、紹興酒と炒めたセロリが甘味を出してるし、結構食べやすく…うっ…」
ヨウコウがなんとも言えない味に黙ったまま箸を置くと、桔梗がわっと泣き伏した。
「ソースだって、付けあわせだって、一生懸命作ったのに、水に濡れてだめになっちゃったし、鉄板で焼きながらアツアツで出そうと思ってたら、今日はもう火はダメだって言われるし、お餅だってちゃんとつけなかいうちにウスが壊れたからオハギになっちゃうし、もう、ヤダ!!」
わ〜んと泣き叫びながら走り去るのを影のように追いかけるダンス教師の芳賀の姿を目で追いながら、正道は溜息をついて椅子に座りこんだ。
「収録、まだ続けるのか?」
「俺の、俺のせいだね…」
ふるふると震えながら、唇を噛む忍を、二葉は黙って抱きしめる。
一気に悲劇的な様相をます現場に、慎吾はなすすべもなく立ちすくんだ。
「俺、俺、どうしたら…」
「慎吾…」
肩に手を置くヨウコウに、慎吾がすがるように見上げていると、隣室で一ヶ月分の『幸せワイン』の収録を撮りだめしていた貴奨がジャージ姿の貴奨子の格好のままふらりと姿を見せた。
「騒がしいな。何があったんだ」
「貴奨!」
気が弛んだ慎吾がたっと走りより、貴奨の胸に抱きとめられる。
「どうしよう! 番組がメチャクチャになっちゃったんだ」
「俺のせいで、桔梗たちの料理をダメにしちゃったんです」
忍が青い顔でそう申告すると、貴奨が「どれ」と、ふやけたハンバーグを味見した。
「…!!」
衝撃を受けた貴奨は、「うまい…」と呟き、がつがつと全てほうばってしまった。
歯に刺さったイワシの小骨を気にしつつも、満足げにスイカの器入りオハギまで平らげる。
「貴奨、歯が悪いから、いつも食事は、歯ごたえのなくなるまで柔らかく煮て、
更に減塩の為に水で洗ってから食べてるもんねぇ…」
すっかり食べ終わり、貴奨は自分で食べてしまった空の皿を見て慌てる。
「は! 俺が食べてしまって…すみません!」
はたと正気に返り、口を覆って青ざめる貴奨に、凛とした声がかかる。
「そんなことない。嬉しいです」
卓也に宥められて帰ってきた桔梗が、強いまなざしで微笑む。
「失敗したものでも、こんなに美味しそうに食べてもらえるなんて、俺、幸せだと思ってます」
そんな桔梗の背後から、弱々しいが、しかし優しい健の声も聞こえた。
「そうだな。せっかく作ってもらったのに、情けなく倒れちまって、俺もわりぃことしたよ」
「健さん! もう大丈夫なんですか?」
「いつまでものんきに寝てられっかよ。…おっと」
ふらつく健を、いつの間にかかけつけていたヨウコウが支える。
「自分のために作ってもらった料理を、それがどんな出来であろうと、途中で箸を置くなんて、俺が悪かったよ」
(でも充分頑張ったと思うけど…)
「いや、ドリアンの匂いなんかで倒れてる俺が情けなかったんだ」
健はおえっと口元を抑えつつも、なんとか頑張る。
「もとはといえば、俺があんな料理を出したのが悪かったんです」
「いや、俺だってドリアンなんて使ったから」
「ドリアンだけじゃないんだけど…」
ドリアンドリアン言われて、ドリアンに申しわけなく思いつつ、それぞれの胸の中に温かいものが込み上げてくる。
それを見て取った貴奨は、パンと大きく手を叩いた。
「今日の勝負は引き分けだな」
「貴奨! そういう結果はありえない事になってるんだよ…」
慎吾は慌てて言いかけたが、やがて思いなおしたようにウンと頷いた。
「そうだね。今日は引き分けだね」
「ついつい当たり前のように思ってしまいがちな、作ってくれた人への感謝の心を忘れない。今日は皆大切なことを学んだ。それでいいじゃないか」
「そうだな、その通りだ」
「ああ」
頷き合う。
「あはははは」
「あはははは」
広いスタジオ内に、なごやかな笑い声が響き渡った。
「今日はご馳走になったよ」
「また来てくださいね」
がっしと握手を交し合い、健は勝利チームに渡すつもりだった健吾の顔のプリントTシャツを全員に配った。
そうして、コントの時間を削って大幅に時間延長したその日のビストロはついに収録を終えたのであった。
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「…なんじゃこりゃ」
一樹は釈然としないものを感じつつ、テレビの電源を消した。
すっかり空になったワインのボトルを置き、大きなあくびをする。
「なんにしてもハードな番組だ。出演交渉はあったが、出るのは絶対にやめておこう…」
1つの決意を胸に、一樹は安らかに眠りにつくのであった。
(終)