風の条件〜風駆ける〜
「・・・馬鹿だな、桂花」
柢王にはいっそ不思議だった。なぜ桂花は、こんなに自信が持てないのだろう?
「なんで足枷だなんて思うんだ? おまえがいてくれて、俺にはいいことばっかりなのにな」
「吾は、何もできませんから・・・」
「だから、なんでそう思っちまうんだ? おまえがしてくれること、たくさんあるだろ?」
強情に首を振ってうつむく桂花の顎に手をかけて上向かせる。ちゃんと、瞳を合わせて言いたかった。
「おまえがどれだけ俺を支えてくれてると思ってんだ? いつもおまえがいてくれるから、俺はやりたいことをやりたいように出来るんだぜ?」
沈んだ紫水晶の瞳。
「おまえがいるからだぞ。おまえがいてくれるから出来ることはあっても、逆はないぜ。わかってくれよ、な?」
桂花はこれまで、わかってくれと言われればわかってきた。でも、これだけはそう出来なかった。
「魔族をそばに置いてる王子様が失ったものは多いでしょう?」
「・・・馬鹿」
柢王は桂花の額に自分の額を押し付けた。
「俺は、名ばかりの王子だったんだぜ。おまえに逢う前は、何も持ってなかったんだ」
権力もない、人脈もない、地位も責任も持たぬ、ただいるだけの存在。あのころの柢王はそうだった。失えるようなものなど、何も持っていなかったのだ。
「おまえと逢ってさ、俺は伴侶を得て、元帥にもなって、なんでもできるようになったんだぜ。おまえのおかげなんだぞ」
目に見えるものしか信じない、桂花の悪い癖が出たのだろうか。
柢王はそう思った。
桂花に逢うまでの柢王は、常によどんでいた。彼の風は、桂花に逢ってやっと空を翔け始めたのだ。
夜桜の下に佇んでいた美しい魔族。
きっとあれが、風の生まれた日。
「だって、いつも・・・」
「ん?」
思わず呟いてしまったという風情の桂花が、慌ててうつむいた。
「なんだ? 言えよ」
桂花がうつむいたまま首を振る。
「言ってくれよ、桂花。な?」
柢王の優しい声に惑わされてはいけない。これは決して、言ってはいけないことだった。
「・・・そんなに俺のこと信用できないか?」
桂花ははじかれたように顔を上げた。
「そんなこと!」
「じゃあ言ってくれよ。俺はおまえのことなら、なんでも聞きたいんだぜ?」
言ってはいけないと、桂花は必死で止めているのに、勝手に口が動いてしまった。
「だっていつもいないからっ・・・!」
はっとしたときにはもう遅かった。もう柢王は聞いてしまったのだ。
「俺が?」
「あなたが行くところに吾は行けないから・・・あなたが、したいことをしてるときに、吾は隣にいられないから・・・なんの役にも立たない・・・自分を守ることすらできなくて、誰かに庇われないといられなくて! ここにいるときでも!」
桂花の言うここ、というのが、天主塔のことを指しているのだと、柢王はわかった。桂花が天主塔にいるということは、柢王がそばにいないということだから、自分で自分を守らなければならないのに、と言いたいのだろう。
「わかった。ごめんな、桂花。一人で・・・辛かったんだな。ごめんな」
柢王は桂花を人界に連れて行くことはできない。その間桂花はずっと、気の休まらない日々を過ごしていたのだ。
「一人にして悪かった。ごめん」
柢王は桂花をそっと抱きしめた。
桂花はすっかりうつむいてしまっている。自己嫌悪に陥っているのだろう。言うつもりは絶対になかったことを言ってしまったのだから。
痩せた背中を撫でながら、柢王は尖った耳にささやく。
「ごめんな。でも、もう、おまえが俺の足枷だなんて言うなよ。おまえがいないと、俺は走れないんだからな。おまえが俺の、比翼の鳥なんだから」
腕の中の細い体。肌の色も血の色も異なっていても、暖かさは同じだ。
「桂花。言いたいことは言ってくれ。俺にはなんだって言えよ、な? どんなことでもいいから、おまえのことはなんだって知りたいんだぞ」
柢王がいなければ、桂花の言葉を聞くものはいないのだから。
そう言ってずっと背中を撫でていると、おずおずと桂花が柢王の首に腕を回してきた。
「俺には、なんだって言っていいんだぞ」
ややして桂花が小さく肯いた。
それにほっとして、気を抜いた柢王の視界に、綺麗に整えられた寝台が入る。
「やっと帰ってきたんだからさ、ちゃんとただいまの挨拶しないとな」
絹の布団の上に押し倒された桂花が、柢王を見上げる。
「あのお土産、なんで食べ物まであるんです?」
「うまそうだったから」
答えになっていない。柢王はすでに、会話じゃない挨拶のほうに気を取られている。
きっと絹の寝具はまた、めちゃくちゃになってしまうだろうけど。
まあいい、と桂花は思った。率先してめちゃくちゃにしてるのは王子様なのだから。
「・・・ただいまの挨拶はちょっと早いんじゃありません? ここはうちじゃないのに」
「いーんだよ。おまえがいるんだからさ」
終