雨の遊戯
サァーという音に、柢王は目を覚ましてから気づいた。
細かい雨が降っている。
音という音が水の檻に閉じこめられ、遠ざけられているかのように、世界は静かだった。
隣の桂花を起こさないよう静かに寝台から降りた柢王は、寛衣をはおって窓辺に立った。
濡れた地面の色合い。木々の枝や葉をとめどなく伝う雫。雨の匂い。
世界はずっとこんな様子で、それはこれからもずっと変わらないのだと、そんな錯覚を起こさせる情景だった。まるで、時の流れから切り離されたように。
寝台で、桂花が寝返りをうった。
紫微色の手が、ぬくもりの残る敷布の上をさまようのを見て、柢王は寝台に戻る。
布団の中に入ると、桂花が彼の胸の上に頭を乗せてきた。その動きで、彼が今起きたわけではないのがわかる。
「起こしちまったか?」
自分を枕にしている白い髪を撫でながら訊いても、返事はない。ただ、頬をすり寄せているだけだ。
そのうち、桂花が柢王の肩に掴まって体をぴったり重ね、彼の首筋に唇を押しつけて来た。
跡が残るかと思うほど吸い上げたり、軽く噛んだり。
「ん? なんだ?」
やはり返事はない。そのかわりとでもいうように、桂花の手が柢王の髪の中にもぐりこんで、わしゃわしゃとかきまぜた。乱れた黒い髪を今度は引っ張りながら、這い上がった唇が柢王の耳を噛んでいる。
「桂花」
呼んでもやはり返事がないことに苦笑する。どうやら桂花は、ゲームを仕掛けて来ているらしい。会話はなし、顔も見せないで、いたずらをするゲーム。
柢王は、それに乗ることにした。白い髪の中に指を差し入れ、紫微色の背を撫でながら肩胛骨を辿り、首筋に指を這わせる。背筋に人差し指だけをすっと滑らせると、桂花がびくりと震えた。
ポイントを稼いだかと柢王が思ったのも束の間、桂花が彼の肩にきつく歯をたてる。
「いて」
あまり強く噛むなと、白い髪を指に巻きつけて引っ張る。ついでに脇腹をくすぐると、桂花が柢王の肩を拳で叩いて抗議した。桂花から仕掛けて来た遊戯のくせに、自分が不利になると、こうしてむずかるのだ。
桂花の頭を撫でてからぎゅっと抱きしめると、彼も機嫌を直したようで、すりすりと懐いてくる。
「……桂花。そろそろ起きねえか? 腹減っちまった」
できればもう少しつきあってやりたかったのだが、昨夜も激しい運動をした身としては、エネルギー補給が必要だった。
再びつむじを曲げた桂花が、今度は足をばたばたと上下させる。まるきり、子供が駄々をこねる仕種に、柢王はつい笑みを誘われた。こんなふうに、桂花が全身で甘えてくることは滅多にないのだ。
「メシ食ったらまたつきあってやるから。な?」
「――もういいです。興が削がれました」
不機嫌な声と共に、両腕をつっぱらせて桂花が上体を起こす。拗ねた顔が可愛らしくて、柢王はせっかく起き上がった細い体を、さらうように引き寄せて抱きしめた。
「悪かったよ。今日はおまえの言うことなんでも聞くからさ、許してくれって」
きつく抱きしめられて、桂花は柢王の胸の中で目を閉じた。
髪を引っ張っても、噛みついても、我が儘を言っても、笑って抱きとめてくれる腕のある幸福。
「な?」
「……すぐ作りますね、ご飯」
そう呟くと、現金なもので柢王の腕はすぐにほどかれる。
寝台から降りて手早く服を身につける桂花の後ろで、柢王がふいに呟いた。
「今日は一日中雨かな」
「ええ、多分」
空の色を見やった桂花が答える。
「そっか。じゃ、今日はずっと家にいようぜ」
いつもは精力的にあちこち出かける柢王も、この雨に調子が狂っているらしい。
それがおかしくて、桂花はそっと笑った。
今日は一日中、ずっと二人きりなのだ。