「愛が止まらない」完全独立型番外編〜heel〜
忘れたいと願えば、いつのまにか記憶は薄れていくものらしい。
自分が何才だったかも、もうはっきりとは覚えていない。
ただ、まだ小さな子供のころだった。母が父と俺を捨てたのは。
父も実の子ではない俺との生活はつらかったのだろう。
仕事の都合で日本を離れるのを機に、俺はホームに預けられた。
母がいなくても父がいなくても、時が過ぎれば子供は大きくなるものだ。
そこで俺は食わせてもらい、中学を出るまで世話になった。
それほど恩を感じていたわけではない。
ただ「返したい」――その気持ちだけがずっとあった。
このままでは、俺は前には進めない。
欲しいものも守るものも…目指すものもなにもない。
生きているだけのからっぽな俺に、なにかを「返したい」気持ちだけがあった。
しかし、なにを返せばいいのか。誰に返せばいいのか。
昼間働き夜間の高校に通いながら、その思いはずっと俺の頭から消えることはなかった。
誰に……。
やはり親にもかえりみられなかった子供の俺を育ててくれたホームへだろうか。
だが、返すべきそのホームはもうない。
経営難で俺が出てすぐにつぶれたと聞いたのだ。
あそこにいた人たちはどこへ行ったのだろう…。
跡地は遊興場になっていた。
みすぼらしいが、バカみたいにやさしい人たちがいたあのホームの跡に、派手なネオンがきらめく遊興場ができていた。
…そうだ。
俺がいたホームはすでにないが、同じようなとこはどこにだってある。
子供を引き取って育てている施設。
ああいうところは、たいていいつも金に困っている。(失敬な…)
金がいちばんいいだろう。
俺なんかでも、金を稼ぐくらいはできるかもしれない。
稼ぐ方法はいくらだってある。ただ金でありさえすればいいのだから。
金があれば…あのホームがつぶれることもなかったかもしれないのだ…。
そして俺は決心した。金を稼ぐためにそこへ行った。
毎日がつらかった。苦しかった。…だが耐えられた。
ここでがんばれば、返せる。
自分がほどこされたものを返せば、俺はきっと次に進める。
俺は、過去を清算できる。
子供だった自分を捨てられる。
そこを出ると、俺はあるホテルに就職した。
小さなホテルで急に人手が必要になったらしく形だけの面接で採用になった。
慣れないホテルの仕事とトレーニングと、はじめこそ両立は難しかったが、
なんとかがんばった。
そして、はじめての試合の日が来た。
そう、俺はレスラー。(笑うな、そこ…)
誰も知らない俺のもうひとつの顔。
寅の穴(仮名)で修行を積んだ、超一流の悪役だ。
どんな反則技を使っても、勝てばいい。
この世は、決して正義が力ではないんだ。
力こそが正義なんだ。
だから、俺は捨てられた。
大人の勝手な正義でもって。
勝って、金を稼いで、せめて。
惨めな思いだけは、おまえたちがしなくて済むように…。
俺は闘い続けた。
自己満足で金を送っているのに、俺はホームの子供たちに、自分を見ているのだろうか。
そんな二重生活に慣れてくると、俺はホテルの日勤が早く終わったときなどには、回り道をして近所のホームに顔を出すようになっていた。
俺が匿名で金を送金しているホームだ。
エアコンなどあるはずもないので、天気がよほど悪いとき以外は、子供たちはたいていいつも外で遊んでいた。
鬼ごっこや陣地取りといった、道具がなくても遊べる遊びで。
今日も、そんなふうに寒さの中、元気に遊ぶ子供たちの姿が見えた。
砂場でひとり遊んでいた子が俺に気づいて、とことことやってきて、そっと俺の手を撫でた。
「おにぃちゃっ…。おて…いたぃ…?」
3才になっても、まだ口の重い子供。
昨夜の試合のとき打ちつけて色の変わってしまった手の甲を見て心配そうに俺を見上げる子に「大丈夫だ」と抱き上げて「高い高い」をしてやる。
たったこれだけのことで「きゃっきゃ、きゃっきゃっ」と大はしゃぎする。
ここは、高齢の女性がひとりで切り盛りしている私設のホームだから、ひとりひとりを気にはかけていてもなかなか全員に手が回らないのだろう。
ひとりを抱き上げれば、ひとりまたひとりと、俺のそばに子供が集まってくる。
…しかし、全部で6人の子供たちのなかに、ひとりだけ姿が見当たらない。
子供にしては珍しく、悪役のタイガーが好きだと話していたその子の目は、とても悪役好きとは思えないほど澄みきって、傷つきやすそうに見えた。
子供はどちらかと言えば嫌いなんだが(自称)、昨日の今日だし…いなければ気になる。
「芹沢さん。…いつもすみません。ありがとうございます」
ホームを管理をしている女性が白くなった頭を下げる。
「慎吾は…」
「あの子は」
問いかけようとすると女性の目が、ホームの裏手のほうを見て言った。
「昨夜の試合でタイガーが反則をしなかったでしょ。それからちょっと…」
そうか…。
俺は、抱き上げていた子供をそっと下におろし、待っていた子供たちに「またあとでな」と約束して、慎吾のところへ行った。
俺は昨夜からすべての反則行為をやめた。
悪役であることをやめたのだ。
慎吾は、ホームの裏手にある柵にもたれてどこか遠くを見つめていた。
声をかけると、ビクッとしてそれからすぐに、
「…なんだ。おまえか」とガッカリしたように言った。
「なんだはないだろう、せっかく来たのに」
「来てくれなんて、言ってない」
「…かわいくないな、おまえは」(…って、そこが可愛いんだがっ!!)←ぉぃ…。
「昨夜の試合が不服らしいな」
「………」
「いいじゃないか。タイガーは反則なしで勝ったんだろう?」
「………」
「それともおまえは、勝てる試合でも反則をして相手に無駄に血を流させるほうがいいのか?」
「………ちがう! タイガーはっ…!!」
「…うん?」
「タイガーは…」
激昂したかと思うと、途端に体中の力が抜けたように声の調子が弱くなった。
俺は小さくなった慎吾の声を聞き逃さないように、慎吾と同じ目線で話を聞こうとその場にしゃがんだ。
「タイガーは、悪いことしても勝つから…。俺、ときどき、なんで自分だけこんなに幸せじゃないんだろうって思うんだ。親戚のやつらは、俺がなんにもしなくたって気にいらなきゃ殴ったし。お使いだって掃除だってなんだって言われたとおりやったのにいつだって厄介者で…。なんで父さんも母さんも、俺を置いて死んじゃったんだろう…。俺がなんか悪いことしたのかよ…。でも、そういうもんなんだって思えば…、世の中は悪いやつにいいようにできてるんだって思えば、我慢できた。…だからタイガーが悪いことして勝つのは当たり前なんだ…。悪いやつだから勝つんだ…! なのにっ…なんで急にいいヤツになんかなんだよっ!? 負けちゃえっ! いいやつなんかっ!!」
俺は…いままでなにをしていたんだ…!?
俺は自分の苦しみを、子供たちに返していただけだったんだ。
あの頃、すべてが憎かった。悔しくてもどかしくて…ただ意地だけで生きていた。
俺を捨てたあの女にこれっぽっちも自分を可哀相な子供だったと哀れまれたくなくて…意地だけで生きていた。
でも本当はそんな自分こそがいやで…そんな自分を消してしまいたかった。
親に捨てられ生きるために自分が受けたほどこしと哀れみを、金を送ることでこの子達に返せると、そうすれば可哀相な自分が消えると…思っていたんだ。
俺は金で過去を相殺しようとしていたんだ。
与えられたのは、ほどこしばかりではなかったはずなのに…。
組織との契約もあったが、俺はどんなことをしても相手を傷つけても、試合には勝てばいいと思っていた。
勝てばその金がおまえたちをすこしでも温かくしてくれるから。
俺はどんな汚いことでも平気だった。
でも…そんな悪いやつでも、お前たちは慕ってくれたろう?
試合の後、雑言とともに観客に投げつけられた缶で額を切り、縫った箇所を理由も知らず「いたいだろ…?」って代わりに泣いてくれたろう?
だから、もう二度と汚い金でおまえたちに手を差し伸べたくなかった。
組織から、どんなに裏切り者とのそしりを受け、抹殺命令を受けても、俺は汚いことをもうしたくなかった。
もっと早く気づくべきだった…。
「すまん…」
謝る俺に、慎吾は不思議そうに目を向けた。
「なんで貴奨が謝るんだよ」
いつか…俺がタイガーラビット(←リングネーム)だとわかる日が来るかもしれない。
そのとき、おまえは…おまえたちはどう思うだろう。
怒るだろうか、嘆くだろうか、…もう二度と俺を呼んではくれなくなるだろうか。
それでもいい。
そのときまで、どんなことがあっても、俺は勝つ。勝ち続ける。
自分のために。
おまえのために。
こんな俺を慕ってくれる、おまえたちのために――。
(完)
次回、心を取り戻したタイガー(貴奨)に、寅の穴(仮名)からの
タイガー抹殺指令を受けた刺客・プリンスハムスターが襲いかかる…!
(↑もちろんリングで)
しかし、プリンスの正体は、貴奨のホームでの唯一の友人・光輝だった!!
プリンスの魔(…愛だったりしてっ)の手が慎吾に迫る!!
(緊迫する次号を待て!)←絶対ない。
(こういう他の漫画ネタを使うのは大丈夫なんでしょうか? …削除可です!!)