春陽小話
「カイシャン様に、処刑の話をしたって?そりゃあ、あんた、まだ早ぇよ。あんなに小っちゃいのに。え? 寝つかせんのが大変だったって? 一緒に寝たのか? そりゃあいいや! ははは!」
馬空が天幕をふるえるほどの大きな声で笑い、周りの男たちも笑った。
ここは、草原の桂花のパオの中だった。
今日は、カイシャンが桂花をたずねてくる日で、その先触れの先触れとして、診察もかねて、馬空たちが尋ねてきていたのだった。(ちなみに先触れの役はバヤンである)
ただでさえ、手狭な桂花のパオは、数人の男たちで、すでに足の踏み場もない。
おまけに、男たちが寄り集まって話をするとなったら、紆余曲折しつつも、行き着く先はたいがい猥談だ。
この連中も、ご多分にもれず、近況報告から話がどんどんずれていって、そのうち、あの宿場の妓女がいいだの、どこそこの宿屋は、実は連れ込みだ、とかという話で盛り上がり始めた。
(…こいつらは……)
露骨な表現が飛びあう中、顔色ひとつ、表情一つ変えず、桂花は座って薬を片付けていた。
薬を片付ける作業からは、何の感情も見えなかったが、実は桂花は静かに怒っていたのである。
桂花は、うるさくされるのが何よりも嫌いだった。
「…お前たち、『アイアン・メイデン』というのを知っているか?」
薬を片付ける手を止めて、桂花が言った。
「あいあんめいでん?なんだそりゃ、言葉の感じからして、向こうの国のもんだろ?」
お堅い薬師が、猥談にのってきたのかと、皆が身を乗り出した。
「この国の言葉でいうなら、『鉄のお嬢さん』とか、『鉄の処女』とか言う意味だ」
「処女! そいつはいいや!」
男たちがどっと笑った。
「ちなみに」
桂花は表情も変えず、さらりと言った。
「拷問器具の一種だ」
拷問器具にもいろいろあって、性的な意味合いを持つものも、決して少なくない。
だが、『鉄の処女』は、名前とは裏腹に、殺傷専用の拷問具であった。
最初は、処女という言葉につられて聞いていた連中も、話が進むに連れ、顔色を変えてパオを出て行く者もでてきた。
「…ほかにも、靴責めという拷問がある。罪人に、大きく隙間のできる鉄製のブーツを足に履かせ、その隙間から、熱で鋳溶かした、鉛を流し込むというものだ。」
薬の処方を説明しているかのように、桂花は表情も変えずに話す。
「…そうなると、足の肉は真っ黒に炭化する。しかも、高熱で、骨まで煮えた状態なのだから、軟骨などはひとたまりもない。足首の関節ごと、炭化した足が、ぼろりと外れて落ちるという。この処罰を食らったものは、残りの一生を足先がないまま、過ごす羽目になるのだそうだ…」
聞いている連中の顔がなにやら緑色になっている。
桂花は更に言葉を継いだ。
「…これに輪をかけて、残酷で陰惨な処罰に、鍋責めというのがある」
…桂花の前には誰もいなかった。パオの入り口の布が風にはためいている。
「口ほどにもない…」
桂花は広くなったパオの内部を見回し、「これでようやく薬を片付けることが出来る」といった。
桂花は、目の前のあるものが、片付かないのも嫌いだったのである。
薬を片付け終わった桂花が、パオの外に出ると、燦燦と降り注ぐ陽光の中、顔色の悪い連中が三々五々。
「あんたなあ! 俺たちが邪魔なんだったら、フツーに、出てけって言えよ!」
馬空がわめいた。
「なんだ、あれしきのことで。お前たち、カイシャン様のことをとやかく言えないな」
桂花があきれたように言う。
「は! じゃあ、カイシャン様のときみたいに、俺を抱っこして寝てくれるか?」
馬空がへらず口をたたく。桂花はそれに応えず、低いが、よくとおる声で言った。
「…鍋責めというのはな…」
げ…っとのけぞった馬空の後ろで、耳を塞ぐもの、悲鳴をあげて逃げ出すものが続出した。
「ネズミを…」
「悪かった! 俺が悪かった! だからそれ以上言うなああ!」
声が完全に裏返っている。
「聞きたいんじゃないのか?」
「冗談じゃねえぇ!」
さわぐ馬空の肩を、後ろから大きな手が、ぽんと叩いた。
「何を騒いでいるのだ」
バヤンだった。
「もうすぐカイシャン様がここに着かれるというのに、なにをしているのだ」
彼は先触れとして、一足先に来たのだ。
彼は、桂花に親しみのこもった丁寧な挨拶をした後、何かあったのか、と問うた。
「いや、さっき、そこで、血相変えて走ってきた部下の一人と出会ったのですが、息を切らして話す言葉が、処女だの、靴だの、鍋だので、要領がさっぱり…」
バヤンのうしろで、馬空たちがなんとも言いがたい表情で焦っている。
「バヤン殿、ちょうどよろしい。あなたの部下の代わりに話の続きを聞いていただきましょう」
相変わらずの表情で桂花が言った。
…数分後、心なしか白くなった顔色で、パオを出てきたバヤンに、部下達は心底同情した。
それでも、バヤンは桂花に念をおすことは、忘れなかった。
「桂花殿…、この話を、カイシャン様には…」
「桂花!」
いつのまにか、パオの近くまできていたカイシャンが、供の者に馬から下ろしてもらうなり、一直線に桂花のところへ駆けてきて、無邪気に言った。
「桂花、この前の月に住む仙人の話はおもしろかった。今日はどんな話をしてくれるんだ?」
桂花を除くその場の人間全員が、硬直したことにカイシャンは気づいてない。
「…そうですね、では続きとして、月の影にちなむ話をいたしましょうか」
「かげ? うさぎじゃないのか?」
さっさとパオの入り口をくぐりながら、カイシャンが問う。
「蟹だ、という国もあるのですよ」
「カニー?」
無邪気な声が天幕の向こう側に行ったのを確認して、桂花はくるりと振り向いた。
男たちがずざっと後ずさる。
あきれたように桂花は言った。
「…お話するわけないでしょう、まだ、あんなにお小さいのに」
そうして、少しだけ唇の端をあげてみせて、桂花は天幕の向こうに消えた。
その場に残された男たちは、『まだ』という言葉に引っかかりを感じつつ、初めて拝んだ薬師の笑顔に、ぼーぜんと立ち尽くしたのであった。
パオの中から、カイシャンの笑い声が聞こえてきた。
うららかな春の昼下がりであった。