風邪をひいたら
ティアが風邪をひいた。
しかし、公務を休める状況でもなく、今も天守塔の執務室で書類と格闘している。
「あいつ、熱があんのに…」
側にいてもなんの手助けもできない自分に腹が立って、アシュレイは天守塔を出てしばらくの間、うろうろと空を飛んでいた。ここはもう、東領の柢王と桂花の住む場所の近くだ。
気がついたらここにいたというより、自らここにきたといったほうが正しい。
桂花に頼みたいのだ。ティアの側で手伝ってくれないか、と。
桂花がいた方が守天の仕事がやりやすいというのは、アシュレイも知っていた。何か胸にひっかかる思いもあるのだけど…だけど、そんなことにこだわってるときじゃない。
熱の下がらないティアの負担を少しでも減らしてやりたかったのだ。
それなのにその一言が言えなくて、アシュレイはまだ空を飛んでいるのだった。
「おっ、アシュレイ。こんなところで何やってんだ」
「柢王…」
寄ってけよ、と言われて、アシュレイは柢王と桂花の家に入った。
アシュレイを見た桂花の目は、一瞬大きく開かれたが、すぐに「…どうぞ」という声と、お茶を用意してくれた。
「で、何の用なんだ?」
「よ、用って、別に…」
うそつけ、なんか言いたいことあんだろ? と柢王は目で聞いてきた。
その彼の顔はとてもやさしい。
柢王はいつもこうやって、自分が思い悩んでいることをそっと聞き出してくれる。
こうされることで、自分がどれだけ救われてきたか…。
「…ティアの風邪が治んなくてさ。あいつ、働いてばっかだろ」
「桂花に薬作ってもらうか? あいつもこの前まで風邪ひいててさ。やっと、治ったばかりなんだ。今は俺がひいてんだけど♪」
な、桂花♪ と柢王が言うと、桂花は申し訳なさそうな顔をした。
病み上がりでは、桂花に執務室での仕事を頼むわけにはいかないな…
とアシュレイは思った。
「風邪なんてな、人にうつせばすぐ治るんだって。」
へ? という表情でアシュレイは目を丸くして、柢王の方を見る。
柢王はにやにや笑いながら、桂花の方を見た。
桂花は数日前にひいていた風邪のなごりはあるものの、ほぼ普段通り動けるくらいにはなっているようだ。
「…そうでしょうか」
冷たくそう言って返す桂花の頬がほんのり紅く見えたのは、アシュレイの気のせいなのだろうか。
一応、桂花に風邪の薬をもらって、アシュレイは天守塔に戻った。
夕食の時間には間に合ったようだ。
ティアは相変わらず食欲がないようだったが、桂花の調合した薬を飲んで欲しかったので、スープと果物を食べさせた。
あーん、で食べさせてくれる? とティアに言われて一度は怒ったものの、どうしても食べて欲しかったから…。
寝台に入ったティアの隣にアシュレイがごそごそと入ってきたとき、ティアは心底驚いた。
何せ前日の夜までは、どんなにそばにいて、って言っても椅子に座っているだけで、決して一緒に眠ってはくれなかったのだ。
「熱あんのに、俺がそばにいたら、ますますあちーだろうがっっ!」
アシュレイは体温が高いので、どうやら気を使ってくれてたらしいのだが。
「今日は一緒に眠ってくれるの?」
そう聞くとアシュレイはうなずいて、ぎゅっとティアを抱きしめた。
ティアは嬉しくて、つい、アシュレイの体に手をまわしてしまう。
だけど、嫌がる様子もない。
熱があるのは自分の方なのに、アシュレイの顔の方がよっぽど赤くなっているのを見て、ティアは愛しさがこみあげていた。
「…おまえの風邪、早く治るといいな」
アシュレイは自分の胸の上に触れていたティアの手と自分の手をきゅ…とつないで、目を閉じた。
「お、アシュレイ、風邪かー?」
次の日、柢王と桂花が天守塔にやってきた。
くしゃみの止まらないアシュレイを見て、柢王はからからと笑っている。
「桂花、昨日は薬をありがとう。すっかり元気になったよ」
ティアはすっきりとした笑顔で桂花に礼を言う。
「…それだけじゃないようですが」
ぼそっと桂花がつぶやいたのを、アシュレイは聞き逃さない。
「だっ、黙れ! この、へ、へっくしゅ!」
「まあまあ。大人しくしとけって。
昨日、俺が教えてやった方法があんだろ?あれをティアに…」
「言うなーーーっ!! くしゅっ!」
アシュレイがくしゃみをしている間に、柢王はティアに耳打ちをした。
「あいつ、よっぽどおまえのこと心配だったんだなー」
アシュレイが自分を心配してくれてるのは知っていたけど…。
こんな形で彼の気持ちを確かめられるのなら、たまには風邪もいいかもしれない…と思ってしまうティアだった。