投稿(妄想)小説の部屋

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No.111 (2000/09/04 17:27) 投稿者:皐月

桜語り 4

 その日、花霞はひとりでした。
 昨日の晩若者は、明日は町に下りるから、おまえの所に来れるのは陽が落ちる頃になる、と言って帰って行きました。
 おまえも来ないかと言われましたが、花霞がゆるく首を振ると、若者はそれ以上無理強いはしませんでした。
 若者と出逢ってから、昼間をひとりで過ごすのは初めてでした。
 ひとりでも、あと数時間後にはまた若者に会えることが分かっていたので、暗い夜ほど淋しくはありませんでした。
 
 陽が真上に昇る頃、花霞は桜の木に登り、太い幹に背を預けてぼんやりと空を眺めていました。
 変化(へんげ)を解いた、もとの鬼の姿でした。
 鬼の姿に戻るのは久しぶりです。やはりこの姿が、いちばん楽なのです。
 村人はあまり来ないので、見られる心配はありませんでした。
 もし村人が来ても、満開の桜が花霞を隠してくれそうです。
 幹に肌を寄せると、何とも言えない温かさが伝わってきます。
 桜に棲む鬼は、こうやって月に何度か、桜から精気を分けてもらうのです。
 桜の鬼はだから、人に害を及ぼすことはなかったのです。
 近頃は若者と毎日過ごしていたので、精気をもらうのはひと月ぶりでした。
 だからもとの姿に戻って、ゆっくり休もうと思ったのです。変化のままでは、体に精気は流れてきません。
 桜の精気と春の陽気に優しく包まれ、花霞はうとうととし始めました。
 桜の花が散る寸前、いちばん上等な精気が流れるのです。
 花霞にとっても、極上の時間でした。

 そのまま花霞は眠ってしまいました。そろそろ陽が落ちる頃です。
 ざあっと風が鳴りました。
 名前を呼ばれたような気がして、花霞は目を開けました。
 そして下を見ると、舞い散る桜のもっと下、若者が花霞を見上げていました。
 若者の両の目は、大きく見開かれていました。
 鬼の姿を、見られてしまったのです。
 頭の中が真っ白になって、この姿を消すことも、ここから逃げ出すことも、花霞には出来ませんでした。


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