桜語り 4
その日、花霞はひとりでした。
昨日の晩若者は、明日は町に下りるから、おまえの所に来れるのは陽が落ちる頃になる、と言って帰って行きました。
おまえも来ないかと言われましたが、花霞がゆるく首を振ると、若者はそれ以上無理強いはしませんでした。
若者と出逢ってから、昼間をひとりで過ごすのは初めてでした。
ひとりでも、あと数時間後にはまた若者に会えることが分かっていたので、暗い夜ほど淋しくはありませんでした。
陽が真上に昇る頃、花霞は桜の木に登り、太い幹に背を預けてぼんやりと空を眺めていました。
変化(へんげ)を解いた、もとの鬼の姿でした。
鬼の姿に戻るのは久しぶりです。やはりこの姿が、いちばん楽なのです。
村人はあまり来ないので、見られる心配はありませんでした。
もし村人が来ても、満開の桜が花霞を隠してくれそうです。
幹に肌を寄せると、何とも言えない温かさが伝わってきます。
桜に棲む鬼は、こうやって月に何度か、桜から精気を分けてもらうのです。
桜の鬼はだから、人に害を及ぼすことはなかったのです。
近頃は若者と毎日過ごしていたので、精気をもらうのはひと月ぶりでした。
だからもとの姿に戻って、ゆっくり休もうと思ったのです。変化のままでは、体に精気は流れてきません。
桜の精気と春の陽気に優しく包まれ、花霞はうとうととし始めました。
桜の花が散る寸前、いちばん上等な精気が流れるのです。
花霞にとっても、極上の時間でした。
そのまま花霞は眠ってしまいました。そろそろ陽が落ちる頃です。
ざあっと風が鳴りました。
名前を呼ばれたような気がして、花霞は目を開けました。
そして下を見ると、舞い散る桜のもっと下、若者が花霞を見上げていました。
若者の両の目は、大きく見開かれていました。
鬼の姿を、見られてしまったのです。
頭の中が真っ白になって、この姿を消すことも、ここから逃げ出すことも、花霞には出来ませんでした。