投稿(妄想)小説の部屋

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No.46 (2006/06/09 15:04) 投稿者:

空蝉恋歌〜月下の刃/四〜

「上様、こちらでしたか。何をしておいでです?」
「ああ、山凍」
 ネフロニカは桶を三つ担いでうす暗くなりはじめた庭園を歩いていた。
「桶が傷んでいたから替えるんだよ」
「お持ちしましょう」
 桶を全部ネフロニカから受けとり、その後を歩く。
 ネフロニカは降水量を調べるため城内のあちこちに桶を置き『今日は何寸雨が降ったか』ということをいちいち記録しているのだ。
 老中たちに「また、詮無いことを」と陰口を叩かれたこともあったが、実際これをやっていたおかげで大洪水が関東、甲信越地方を襲った時もそれを予知することができ、対策が充分であったため被害を最小限におさえられた。
 洪水が始まると同時にお救い船を出して、水の中に孤立してしまった人々を助け出し、各地にお救い小屋を建てて窮民に食事を供した。そして水が引くと同時に川普請にとりかかり翌年にはそれを完全に終えたため、その年の作付けには影響がないという根回しの良さだった。
 その後、ネフロニカの行動に陰口を叩く者はいなくなったという。
「上様、このような事はご自分でなさいますな」
「いいから。好きでやってるんだよ」
「は・・・・・っと、上様、柢王が参りましてございます」
「あ、そ? じゃあこれは後にしようか・・・・・あの子はもう帰ってしまった?」
「アシュレイでございますか?」
「そうそう、アシュレイ」
「まだ居りますが・・・帰るときはティア殿が送ると仰っておりました」
「チッ、守りが固いな。少しちょっかい出してやろうと思ってたのに」
「ネフィー様!」
「うそだよ――――フフ、妬くのはおよし山凍。ああいう子供はタイプじゃないもの」
「私は妬いてなど・・」
 桶を担いだまま山凍はだまってネフロニカの後につづく。
 所詮、口で敵う相手ではないのだ。
 城内へ戻ると、柢王が待ちくたびれたように座っていた。
「待たせたね」
「いえ」
「後処理、全部まかせちゃって悪かったね。北町の方には上手く話をつけてきた?」
「はい、今月うちは非番なので此度の件につきましては北町の翔王殿に協力していただくこととなりました」
「そう・・・・借りを作っちゃったねぇ。でも、それじゃあわざわざ何しに来・・・・あ! この機会になんかおねだりでもしたいわけ?」
 ニヤリ、と柢王が笑う。
「ふふん、言ってごらん」
「紅葉山文庫の書物を・・・・貸し出していただきたく」
「なぁんだそんなこと。いいよ」
「上様、そのように簡単に。書物奉行殿を通さなければなりません。柢王、どのような書物を所望なのだ」
「はい、薬草などの本があれば」
「薬草? そなたが何故そのような書物を必要とするのだ」
 山凍が首をかしげると、ネフロニカがその肩に顎をのせて後ろから抱きつく。
「なるほどね〜、桂花か」
「う、上様、お止めください・・・・・・桂花とは?」
 柢王の手前、赤くなりながら山凍はそのしなやかな体をほどく。
「小石川養生所をつくるきっかけになった例の医者のことだよ」
「ああ、あの者でしたか・・・・ところで、柢王。その者は毒草などの知識にも長けているのであろうか?」
「詳らかかと存じます・・・・が、如何せん長屋住まいだった身。更に知識を深めるためにも紅葉山文庫の書物を彼に読ませたいのです」
 柢王の返答に山凍の顔が明るくなった。
「そうか、ならばその桂花とかいう者をこちらで引きとり、更に薬草を学ばせた上で城内お毒味役に―――――」
 膝を進め柢王に寄った山凍をネフロニカの扇子が制する。
「それは無理だね、山凍。毒味なら閻魔殿がいらっしゃるし」
 この場合の毒味というのはもちろんネフロニカが食す前の物を毒味する役、ということになる。
「しかし上様、毒味役の閻魔殿は血筋の者がおりません。代々世襲である毒味役、閻魔家の後継ぎがいないとなると・・・・」
 それまで、黙って聞いていた柢王が二人の間に割り込んだ。
「山凍殿、困ります。桂花に毒味などさせられない」
 殿の前でキッパリと言い放つ柢王の無神経さに山凍が驚いているとネフロニカ自身が山凍の意見に反対を申し出てきた。
「心配いらないよ柢王。毒味役なんて制度、閻魔殿がいなくなったら無くしてしまうからね。自分の代わりに誰かが死ぬなんて気分が悪いじゃない」
「しかし上様―――」
 山凍が慌てて声をあげると今度はネフロニカの人指し指が黙らせる。
「いいから山凍。言っとくけど桂花って医者は柢王のイイ人だよ」
「は?」
「まだ良い仲にはなっておりませんが・・・・まぁ、そういう事ですからこの話、無かった事に」
 照れもせず、悪びれることもなく、あっけらかんと柢王が山凍に頭を下げた。
 将軍の前でこんな風に我を通す男など他に(ティアを除いて)いないのではないか?
 山凍は呆れを通りこして思わず尊敬してしまいそうになってしまった。
「柢王、近々その桂花って子を連れておいで。私が直々見定めてあげよう」
 ネフィーが機嫌よく言うと
「お断りします」
 柢王はニッコリ微笑んで平伏し、そのまま襖の向こうへと消えてしまった。
「・・・・・・・なぁに? あの態度! ティアランディアといい、柢王といい、憎ったらしい子ばっか!」
「ネフィー様、落ちついてください・・・・・あの、先ほどの件ですが、本当にお毒味役は廃止なさるので?」
「うん、いいんじゃない? 閻魔殿はさ〜、私のために死ぬなら本望とか本気で言っちゃってるから、放っといていいでしょ――――――もしも私が毒に当たったら、その時はその時、自分の寿命もそこまでだったと、いさぎよく諦めるね」
「そのような事を・・・・・」
「そんな顔をするのはおやめ・・・・・・その時はお前、悲しんでくれる?」
 ネフロニカの白く細い両手が山凍の太い首に回る。
「上様、このような所で――――」
「お黙り」

 アシュレイは渡された趣味のわるい袋の口を開けてみる。
 中から出てきた一枚の札には自分の姿が描かれていた。
「なんだよこれ・・・」
「兄上がね、特別に画師に描かせたものなんだ・・・・火の粉が舞う中、勇敢に纏を掲げているアシュレイを初めて見たとき私は雷に打たれたような衝撃をうけたんだ。ああ、この人だ!って」
 ティアが遠い目をして話しつづける。
「柢王に君の家を教えてもらったり、君に贈る品を選んだり、め組の人たちと仲良くしてもらったり・・・・本当に楽しくて」
「ああ、俺もだ」
「でも、どんなに楽しい状況であってもアシュレイ、君がいなければ私は淋しい。ずっと・・私と一緒にいて欲しい」
「・・・・・・」
 返事をしないアシュレイにティアの目が不安げに泳ぐ。
「あの・・・アシュレイ・・」
「俺は。俺は火消しを辞めるつもりはねえ。オヤジや姉上やみんなを置いてお前の所に行くなんて、できねえ」
「も、もちろんそれは分かるよ! だから、今までどおり私が毎日君の元へ通うから! ――――それもダメ?」
 グググッとアシュレイの手を握りしめるティアは泣き出しそうだ。
「今までどおりでいいなら・・・いい。俺だってなるべく長くお前と一緒にいたい」
「ありがとう! でも・・・時々は兄上の目を盗んで遊びにおいで。そうでないと・・・・こんなこと、アシュレイの家では一生できそうもないから・・・・・」
 そう言って、艶めかしく笑んだティアはゆっくりとアシュレイの体を押し倒した。
 何が起こるのか分からず大人しく横にされたアシュレイだったが、不埒な手があらぬところへ忍び込んできたとき飛び上がるほど驚いて、ティアの腕にきれいに揃った歯形をくっきりとつけてやったのだった。

「吾が・・・あなたを受け入れたのは・・・あの書物の為ではありません」
「分かってる」
 大きな手が自分の体を包み込んでいる。
 桂花は何も考えなくて良い安全地帯のような胸に身を沈めうっとりと息を吐いた。
 しつこいくらい好きだと言いつづけていた唇は今、桂花の額にはりついている。
 ・・・・・・・・柢王の立場を考えたなら、やはりこうなることを拒み続けるべきだったのだと思う。でも、もうこれ以上自分の気持ちを偽ることはできなかった。
 結局、柢王の行く末より自分の気持ちを優先してしまったのだ。
「こわいこと、教えましょうか・・・・琥珀という石があるでしょう? 吾はね・・・・そう・・・琥珀が虫を捕らえて離さぬように、吾もあなたを捕らえ離したくないとずっと思っていたんですよ」
 ね、こわいでしょう――――と自嘲的に笑った桂花は浅ましい自分をさらけ出すことに傷つきながらも、そんな自分さえも受け入れてくれるのか、無意識のうちに柢王を試していた。
 辛そうな桂花を見て柢王はだまったまま彼の髪に指を絡めていたが、しばらくしてから口を開いた。
「琥珀ってのは樹脂が埋没して石化したやつのことだろう? 傷ついた樹皮から分泌される・・・・・・俺はお前を傷つけたいんじゃない。俺がお前を選んで、お前を俺のものにしたいと思ったんだ。自分を傷つけながら俺を試すような真似はするなよ・・・・一緒にいることにむりやり理由を作る必要なんてないんだ。お前の選択が間違ってなかったってことはこれからの俺がたっぷり証明してやる」
「柢王・・・・・」
「お前が俺を捕らえて離さないと言ってくれるなら喜んで捕まるさ・・・・・でも今は・・・・もう一度あまい樹液で満たしてくれ」

 閉めきった部屋は二人きり、息づくものは他になにも存在しない―――――――蝶さえも。


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