蛍の舞
『柢王、お勤めご苦労様です。つつがなくお過ごしでしょうか。
あなたのことだから、万事そつなく、要領よくこなしているとは思いますが、人界は天界とは、気候も食べ物も、何もかもが違います。調子に乗ってつまらない失敗をしないようにしてください。
吾のことはご心配なく。守天殿がとても良くしてくださっています。つけて下さった使い女も気の利く者ばかりです。
使い女と言えば、蓋天城でも天主塔でも、あなたや守天殿にまとわりついてばかりいるものと思っていたのですが、ちゃんと仕事ができる者もいるのですね。多少、天界人を見直しました。
守天殿が、吾に衣を仕立ててくださるとおっしゃっていて、何色が好きかとお尋ねになります。お断りしても聞いてくださいませんので、あなたからお断りしてください。
では、お仕事に励まれますよう。
桂花
追伸 今回は吾が報告書の代筆をするわけにはいきません。自分でちゃんと書いてくださいね』
そっけない文章から柢王は顔を上げた。
東の結界石が割れて、多くの魔族が人界に入り込んだ。その掃討のため天界が大軍を送り込んではや幾日。常に傍らにあった彼の副官は、魔族であるがゆえに人界に行くことができず、今は天主塔の主に預けられている。
天主塔では、守護主天ティアランディアの秘書を務めているはずだ。ティアが衣を仕立てると言うのも、その礼代わりなのだろう。だがそれをひと言も書いていないのは、遠慮しているのか、あるいは誰かに読まれたときの用心か。
ティアからの使い羽で、ティアからの手紙と一緒に送られてきたものだ。誰かに盗み読みされるとは考えにくいが、状況が状況だ。用心に越したことはないと、桂花も思っているのだろう。
「だからってなあ・・・これはないだろう」
柢王は一人ごちる。
いくらなんでもひと言ぐらい、逢いたいとか寂しいとか、心配しているとか、書いてくれてもいいんじゃないんだろうか。
「用心しすぎだ、馬鹿」
――判っている。
桂花が、何一つ書くことができないことぐらい。
唯一、天界で生きることが許された魔族。その立場は、結界石が割れた今、あまりにも微妙なものとなっている。今の桂花はひたすらに身を縮め、己がどこまでも無害な存在であることを知らしめなければならないのだ。
そしてそれは柢王のためだということを、彼は知っている。
そして、桂花にそうさせるのが嫌で、天主塔に預けたことも。
それを思えば、手紙を出すことすら、よくやったなと言うべきことだ。内容に文句をつけられようはずもない。
――そんな状況の中、柢王に手紙を出すこと。
内容よりも何よりも、その事実が柢王に、桂花の心を伝える。
寂しい。
・・・逢いたい。
「――素直じゃないもんな、おまえ」
恐らく、言いたいことは他にもあるはずだ。桂花にとって何よりも大切な女性――李々。
人界に、これだけの天界人が大挙して押し寄せている。もしも、まだ李々が人界にいるのなら。もし、天界人に見つかったら。
不安に苛まれていることだろう。
それでも桂花は、柢王にひと言も言わないのだ――。
柢王は筆を取った。
『遠慮すんな。ティアに作ってもらえ。おまえが好きなのは赤だよな。俺が好きなのは白だ。
柢王』
手紙には、リボンで作った花が添えられていた。
それに桂花は見覚えがある。他ならない、自分が柢王に出した手紙を巻いて止めたリボンだ。
「・・・器用ですね。どこで覚えたんです」
幾重もの輪にして中心を束ね、輪をずらす。簡単な方法だ。柢王のことだ、どうせ女に作ってやったとか、そんなことだろう。
――おまえが好きなのは赤だよな。
そう言われれば桂花は肯くだろう。赤は李々の色だから。自分と同じ、花の名前を持つ彼のひとの。
――俺が好きなのは白だ。
紫微色の手が己の髪に触れた。
桂花の髪。その体内を流れる血。
手紙には続きがあった。
『追伸。俺の書いた字を読めるのはおまえだけだ。下書きはするから、清書頼む』
「馬鹿ですね・・・ほんとに」
桂花は笑顔を零した。