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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.87 (2007/02/18 15:52) title:Colors 2nd. Over the Rainbow 
Name:しおみ (zo239233.ppp.dion.ne.jp)

『未来はその夢の美しさを信じる人のためのものだ──(E・ルーズベルト)』

 冥界航空オーナーの一日は、よくローストしたコーヒーと三分半きっかり茹でた卵から始まる。某スパイ映画の見すぎである。
光まぶしいビュッフェなので、更にあれこれ盛りながら、
(まったく天界航空とは恐ろしい会社だな。あのおとなしかった桂花が、パイロット辞めますうちに戻りません、恋人男です
オーナーにももう会いません、などよくもあれだけグレさせたものだ。これはどうあっても取り戻さねばならん。となれば訴訟
だが、うーむ。桂花が戻ってくれば訴訟も構わんが、李々は怒るだろうなぁ。いやしかし男に『お義父さん』とか呼ばれたくない
ぞ、私は。となれば訴訟──いやしかし、その前にうちがそういう訴訟を起こすと転社多いこの世界、業界から猛反発食らうかも
知れんな。私はそれでも構わんが、李々は怒るだろうなぁ。となれば懐柔策か? 男と別れてうちに戻れば空港買ってやるとか…ジェットとシュミレーターと空港ならさすがに桂花も心が動くだろう。なにせひとりでフライトごっこができるからな。となれば
早速カタログを──)
 独り言いうオーナーは、なにせ髪の毛ふたつ結び、輝く玉虫色のスーツのものすごい美形。後ろの人も咳払いすらできずに
遠巻きだ。が、もとから他人など見てもないオーナーは、テラスで、斜め後ろの席に人が滑り込んだことも気にしない。
 と、オーナーの顔に、ふと影が差す。ん? と見上げたオーナーの顔が玉虫色に変わった。
「りっ、李々ぃーーーっ」
 驚愕するオーナーに、朝日をバックに微笑む冥界航空李々夫人は、これまた某スパイドラマのような挨拶をよこした。
「おはよう、あ・な・た──」
 それは、ここから危機が始まりますよ、の合図だ──

「うわぁ、オーナーがしおれていくよ」
 藤の椅子の隙間から、斜め前の席を伺っていたティアがため息とともに呟いた。風に乗って届く、
「ねぇ、あなた、リゾートに来るといつも気が緩むけれど、まさか業界の他の企業に迷惑かけるような真似していないわよねぇ」
から始まり、「まさかそんなことはないと思うけれど、そんなことがあればうちの企業イメージに関わるでしょう?」。そして、
「万が一そんなことがあれば、あなたがこの前試作品の玉虫色のジェットにかけた費用を、今度の株主総会で開示しなくては
ならなくなるけれど、そんな自分の首を絞めるようなこと、まさかしていないわよねぇ? まさかねぇ?」
 ほほほほほと蜜のような笑い声。真綿を細腕に確実に締め上げていく筆頭株主に、吊るされていく婿養子オーナーはふたつ結び
テーブルに垂れる玉虫色。
 同じく見守っていたアシュレイが複雑な目をして呟いた。
「婿養子って、ほんとにあわれだな……」

 アシュレイが見かけたという冥界航空李々夫人は、突然部屋に押しかけた天界航空一同を快く歓迎してくれた。
 が、オーナーの話を聞くと美しい顔をこわばらせ、
「リゾートに来るといつもネジが外れるから監視に来たのに! あれだけ叱ったのに、桂花の顔を見たら発作が起きたんだわ、
全く学習能力ないんだから。心配しないで。今度は確実にとめるから」
 息の根を。そう聞こえた夫人の声とにぎり拳に、めったに怒らない人の怒りの怖さと大手企業の影のオーナーの底力を見た気がした昨夜。
 心配なら見に来るといいとの夫人言葉を受けて、こうして朝食の席で様子を見届けたというわけだ。
「ほんとよかった。やっぱり餅は餅屋だね。安心したよ」
 心からほっとして言うティアに柢王も頷いて、
「それもこれもみんなアシュレイのおかげだな」
「ほんとだよ、アシュレイ」
「ありがとうございます」
 みんなの感謝のまなざしを受けて、アシュレイは赤くなる。
「俺はただ見たこと思い出しただけだ。でも──よかったな」
「本当にありがとうございました」
 頭を下げた桂花に、みんなが首を振る。
「あたりまえだろ」
「そうだよ。これからも君の問題は私たちの問題、変わらないからね」
「俺だって、おまえのこと認めてやってるからな」
 アシュレイが赤くなって締めくくる。桂花はただ深く息をつく。柢王がその頭を自分の胸に押しつけた。
 生き方を変えるのは容易じゃない。でもその容易でなさをあえて選んだクールなパイロット。チームとしても恋人としても、
その存在はかけがえがなく、大事なものだ。
 ティアがアシュレイの肘を軽くつつく。アシュレイも察してそっと立ち上がる。ウィンクよこす柢王に、親友たちは笑顔を見せ
ると、離れた席で食事を取るため去っていった。

「ちょっと寝たほうがいい。おまえ、昨夜寝てないだろ」
 スィートに戻った柢王は、桂花の背中を押して寝室に入った。
 昨夜、李々の部屋から戻った桂花は、柢王の腕の中にはいたが、眠りはしなかった。ずっとみじろぎもせず目を開けていた。
結果つきあう柢王も起きてはいたが、桂花ほど疲れてはいない。
「しっかし、あのオーナー、マジでありえねぇよ。俺なんか一目見て発狂しそうだったのにおまえも夫人もよく耐えられるよな、
ほんっと尊敬する」
 ベッドに腰を下ろして、肩をすくめた柢王に、桂花は小さく苦笑いして、
「普通のときは普通でしたからね。それに李々はともかく吾は、本当にどうでもよかったですから。飛ばせてくれれば」
「写真撮られまくったり鑑賞させてもか? それっと絶対モノ扱いだろ」
 呆れたように言った柢王は、しかし、苦笑いを深めた桂花の顔を見て唇を歪めた。自分にも他人にも突き放したような関心しか
なかったパイロット。飛ぶこと以外どうでもいい。他人の思惑などどうだっていい──
「ほんっと、筋金入りのクール・ビューティーだよな」
 ため息混じりに優しく囁くと、
「でもあの李々夫人のことは、おまえ好きだよな。あの人もおまえがうちで大事にされてるって喜んでたし」
 昨夜、李々が桂花に見せた笑顔。そして桂花が李々に見せたまなざし。親密な表情が自分の知らない絆のようで少し妬けたし、
ふいに自分を見た李々の瞳にある全て見透かすような微笑が、嬉しいようなくやしいような複雑な気持ちにもなったけれど。
 こいつのことは俺が大事に守るから──。若造なりの精一杯を、瞳に込めて微笑み返した、昨夜の柢王だ。
「李々のことは好きだし、大切に思います。ずっと吾を守ってきてくれた人ですから」
「わかる。あんな人があんなのと結婚してるのが謎だけどな。けどおまえ、何であのオーナー見かけたって言わなかったんだよ?
あの時、驚いたの、あれ見たからなんだろ」
 言った柢王に、桂花は苦笑して、
「確証はなかったんですよ。驚いたのは色彩的なもので──すぐに消えましたからね」
「ほんとかよ?」
 どうも疑わしい。柢王は呟いたが、でも、と笑みを浮かべると桂花の髪に頬を押し当てた。
「ほんとよかった。おまえがパイロット辞めるとか言い張らなくて。おまえ、辞めたら絶対俺とも二度と会ってくれなかったろ?
やっと口説き落としたのに二度と会ってもらえなくなったら、俺はほんとに──」
 どうなっただろう。考えて、柢王は首を振る。考えたくもない。
「心配かけましたね」
 腕の中で囁く桂花に笑みを見せて、
「いいよ、いまはこうしててくれるしな。でも、もう二度とあんなこと言うなよ」
 紫色の瞳を優しく覗き込む。桂花もそれにうなずいて、
「あなたに叱られましたからね。……でも正直、自分よりキャリアの若いパイロットから、はき違えるな、飛びたきゃ飛べと
怒鳴られる日が来るとは想像したこともありませんでしたけど……」
「それはっ……」
 ふと真顔で言われた柢王は青ざめた。が、
「でも、予想外の方が、きっと楽しいでしょうね、人生は」
 桂花はそう言うと、柢王の瞳をまっすぐに見つめた。笑みをたたえて、
「吾のために怒ってくれて、ありがとう、柢王──」
 そのまなざしに、柢王は、うわ…とつぶやいて胸に手を当てた。
「心臓痛くなりそう……」
 初対面の時と同じだ。心臓が貫かれたような気持ちになる。聞き返した桂花に、
「おまえと初めて会った時にもさ、心臓貫かれたみたいに胸が痛くなったんだよな。一目惚れってほんとに胸にくるんだよな、
あん時、初めて知ったけど」
 と、桂花はかすかに笑って、
「恋は涙と同じだそうですよ」
「ん?」
「目から始まって胸に落ちる」
「ああ。わかる。つか、俺は顔だけで好きになったわけじゃないけどな」
 言いながらも、柢王も理解する。
 恋は、胸に落ちて──そこで重くなる。それを初めて知った相手は、同じ空を飛んで、同じ翼を持つパイロット。飛ぶことへの
高揚と同じだけの高揚を、抱かせてくれる大切な相手だ。
「俺は、絶対退屈させねぇから、おまえのこと。だから、ずっと同じ空飛んで──俺のところに戻って来いよ。どこにいても。
俺もおまえんところに戻ってくるから」
 紫色の瞳を見つめてそう告げると、桂花の瞳に驚きと、そして笑みが宿り、
「プロポーズみたいなことを言いますね」
 柢王も笑って、
「みたいじゃねーよ。おまえとはずっと一緒にいたいし、飛んでたいから。だから──なぁ、おまえが慣れるまで時間かかっても
いいからさ、俺と一緒に暮らすこと、真剣に考えてくれよ。とりあえず待機の日からとかでいーからさー、ちょっとでも一緒に
暮らしてみてさー」
 甘えモードに入りつつそう言うと、
「その答えを言う前に、少し休みませんか」
 冷静な顔で言われて、柢王は虚を突かれる。
「いいけど──なんで?」
 尋ねると、美人な機長は打ちのめすような笑みを見せ、
「吾がイエスと答えたら、あなた、眠る気分じゃないでしょう?」
 当然ながら、黒髪機長はまったく眠る気分じゃなくなった──
                             *                           
 スコールの上がった空に、色あざやかな機体が昇っていく。
 展望室のテラスに立ったティアは、隣にいるアシュレイの顔を見て微笑んでいた。
 午後の便で発った柢王は、乗り継ぎをして、うちに戻るのは深夜に近い。睡眠不足でバタバタのリゾートだったが、満足はして
いるだろう。隣に桂花もいるし。
『差し支えなければ、吾も先に戻らせて頂いてよろしいでしょうか』
 電話で桂花にそう聞かれた時には、嬉しくて思わず笑顔になった。二つ返事でうんと言い、一緒にいたアシュレイに知らせて
空港までのタクシーを予約した。万事自己管理の機長たちも航務課もあっさり了承。変化に対して柔軟性高く、過ぎたことには
こだわらない。さすが航空業。
 まあ戻ったら時代に取り残されている重役たちにはちくちく言われるだろうが、そんなものは聞き流せる。
「よかったよね、柢王たちも安定したみたいで」
 笑顔でそう言うと、
「あいつらがいちゃいちゃすんのは目障りだけど、まあ借りも返せたし、清々したよな」
 アシュレイもすがすがしい顔で空を見上げている。その顔に、ティアはまた笑みを深めた。
 雨降って地固まる──いろいろあったリゾートの旅だったけれど、いい結果に終わって本当によかった。柢王たちだけにでなく
自分たちにもいい結果になって本当によかった。
 誰かとともに歩む道は、時に思いがけない困難も訪れるかもしれないけれど。一人じゃないから選べる道もある。一人じゃない
から、前に進む勇気も沸いてきたりもするものだ。
(本当に君たちがいるから、私もがんばれるんだからね──)
 心でそう微笑んだティアの耳に、アシュレイの嬉しそうな声が飛び込んでくる。
「ティア、見ろよ! でっかい虹だぞっ!」
 雲間から光差す空に、赤・橙・黄・緑・青・紺・紫。あざやかな光の帯がくっきりと大きな橋を描いている。
 その息を呑むような美しさに染められたふたりは、声もなく、並んで空を見上げている──

 さまざまな色。さまざまな光。
 それが描く模様はいつも予測不可能なものではあるが──。
 未来は常に、その夢の美しさを信じる人たちのものだ──


No.86 (2007/02/18 15:35) title:Colors 2nd. Sheltering Sky
Name:しおみ (zo239233.ppp.dion.ne.jp)

『生きることは勇気ある挑戦か、あるいは全くの無だ──(H・ケラー)』

「法廷ですって?」
 ティアの声が月明かりさす庭に響く。美しい王宮でにわか剣呑な話になったのは、全て冥界航空『美のオタク』オーナーのせい。
 久しぶりに桂花に会って、ただでさえ違う回路が錯乱したのか、その笑みは蜜が滴るようなデンジャラス。そのキレ者ぶりで
業績を伸ばしてきた人の、何とかに刃物な輝きがつやつやグロスにありありだ。
「そう、法廷で。だって、桂花がいま天界航空で飛んでいるのはうちの教育があったからだろう、ティアランディアくん? うちが
桂花にパイロットとしての教育をしてきたからだ、違うかね?」
 笑顔で確認するオーナーに、ティアは一気に防御モード。先が読めたのは桂花も同じらしい、瞳を細める。マタドールさながら
金のスパンコールに身を包んだオーナーは蜂蜜に砂糖を入れた甘さで核心に入る。
「知っているよね、ティアランディアくん。パイロットに限らず技術能力者に関しては、前社で習得した技術を用いて新しい会社で
就労することを数年間、差し止めることができるという法律があることを。前社の企業努力と利益を守るための当然の権利だよ。
つまり、私が天界航空での桂花の飛行を認めなければ、桂花は君のところでは飛べない。少なくとも二、三年は。つまり、桂花は
天界航空のパイロットではなくなるというわけだ」
「なっ…!」
 アシュレイと柢王が顔色を変える。とっさにこちらを見るのをティアは目で制した。
「パイロット一人育てるのにどれだけの時間と経費がかかるかは君に言うまでもないね、ティアランディアくん。桂花が優れた
パイロットだというなら尚更、うちには桂花に対する権利がある。それに、桂花は飛びたくてうちを出たのだろう? だとしたら
飛べない天界航空にいても仕方ないではないかね」
「法律があるのは知っています」
 ティアは言うと、すぐに続けた。
「ですが、パイロットの資質全てが企業の力とは言えません。それに桂花がうちのスタッフになってからもうじき一年、その間、
オーナーは何もしてこられませんでしたね。加えて、桂花をうちに推薦下さったのはオーナーの共同経営者である奥様です。
オーナーはそれらのことを法廷でどう説明なさるのですか」
 と、オーナーはきっぱり。
「説明など私はしないよ、それは弁護士の仕事だからね」
 それから、ふとため息つくと、ふたつ結び揺らして、
「李々はすばらしいが、時に美に関するこだわりを解さないからねぇ。困ったものだよ」
「あんただよ、困りモンはっ!」
 W機長のつっこみを、しかし美の亡者は軽く無視。
「ともかく、だ、ティアランディアくん。私は桂花をうちに戻して欲しいのだよ。やはり桂花の美しさは生が一番だからねぇ。
うちに戻ってくれば桂花はうちで飛ばせよう──モバイルでムービー送ってくれたらいいから。おとなしく戻してくれればそれで
よし。そうでないなら法廷で争う──歴代傷ひとつない天界航空が、君の代で訴訟なんて実に美しくない話だと思うけれどねぇ」
 にっこりと微笑むオーナーの美貌はほとんど妖艶。その笑みのまま畳み掛けるように、
「さて、どうするね、ティアランディアくん?」
 言われて、ティアは瞳を上げた。言いたいことを抑えてティアの様子を見守っている親友二人の顔と、突き放したような冷静な
顔で見ている桂花の顔を見つめ、そして言った。
「桂花は戻しません。法廷に出ます」
「オーナー!」
 初めて桂花が口を開く。と、オーナーはフラッシュ。キレた柢王が鋭く、
「まじめなのか嘗めてんのかどっちだっ!」
 にぎり拳作るのに、シャッターチャンス逃したオーナーも鋭く、
「ティアランディアくんっ、一体さっきからこの男はどうしてうちの桂花に寄り添っているんだねっ」
「それは──」
 さすがにティアも言葉に詰まる。
 と、
「かれは吾の恋人ですから」
 落ち着いた声に、誰もが桂花の顔を見た。冥界オーナーが目を見張り、
「桂花、いま何と言った? 恋人って……この男、男だぞーっ!」
 叫んだのは、非常識な人でも常識的に驚愕することがあるというこの世の不条理。だが、驚いたのはティアたちも同じだ。
開けっぴろげな柢王と違って、桂花がこんなにはっきりカミングアウトするとは思わなかった。
 冥界オーナーの顔色が、七面鳥のように変わる。ふたつ結び振り乱して錯乱したように、
「桂花っ、おまえ、考え直しなさいっ! あああっ、聞いただろうっ、ティアランディアくんっ、やはり君に桂花は任せられないっ、
何が何でもうちに戻してもらうぞっ! いますぐ弁護士を呼びたまえーっ」
「その必要はありません」
 桂花の声は落ち着いていて、月明かりに瞳だけが燦然としている。断崖に咲く花のようなその美しさに、ティアたちは息を飲んだが、
冥界オーナーはころっと正気に戻り、
「おまえは相変わらず決断が早いねぇっ! ではさっそく飛行機を手配して──」
「いえ、冥界航空にも戻る気はありません」
 桂花はあっさり言うと、冷静な声で続けた。
「パイロットをやめます。オーナーとも二度とお目にかかりません」
「桂花っ!」
 三人の叫びを、満天の星が落ちてきそうなオーナーの絶叫が遮る。
「何を言うのだ、桂花っ。うちに戻れば最新ジェットが待っているよっ! シュミレーターだって買ってあげるし、月に二回は
遠距離飛ばせてあげるからっ! それにおまえが好きな超難度路線だって飛ばせてあげるからっ」
「それは寛大なお話だと思いますが」
 でも、と続けた桂花の面は、胸が冷たくなるほど冷静だ。
「いまはただ飛べればいいとは思っていません。ましてや、鎖のついた保護区を飛ぶ翼ならない方がましです。パイロットとしても
個人としても、オーナーにこれまでしていただいたご親切には心から感謝します」
 一礼すると、きびすを返す。柢王が顔色を変え、
「待て、桂花っ」
 残されたティアとアシュレイ、冥界オーナーはしばらくあぜんとその場に立ち尽くしていたが──
「あいつ、本気だぞ、ティア……」
 アシュレイが鳥肌が立ったような顔でつぶやく。ティアも、
「そんなことさせられない──」
 冥界オーナーを振り向くと、毅然、
「訴えるのでしたら訴えてください! うちは絶対に桂花をうちのパイロットとして飛ばせます、そのためならどんな犠牲でも
払いますからっ!」
 叫ぶと、アシュレイとふたり、桂花たちの後を追って駆け出した。

「桂花、待てっ!」
 迷路のような王宮の廊下の一角で、桂花の腕を掴まえた柢王がその体を引き寄せる。
「待てよ、おまえ、落ち着けよ」
 柢王の言葉に、桂花は顔を上げた。光を放つような瞳は、しかし、内心の揺れなどかけらも映さない冷静さだ。
「吾は落ち着いていますよ。あんなふうに出てきたら陛下に失礼でしたね」
「んなこた山凍部長が何とかする。つか……おまえ、本気で言ったろ、さっきの言葉」
 柢王は桂花の瞳を見据えた。
「言うなよ、あんなこと二度と。おまえがパイロット辞めるのなんか許さないから、二度と言うな」
 言ったが、桂花の答えはゆるぎなく、
「二度も言う気はありません。吾はその通りにするだけです」
「そんなことは絶対にさせない! 大体こんなことで空降りるなんてバカげてるにもほどがあるぞ!」
 柢王は桂花の両腕をつかんだ。艶やかなフォーマルの上からでもその体の冷えがわかる。だが、桂花の面はあくまで冷静、
睨みつけるような柢王のまなざしを静かに見返して答えた。
「バカげていることは承知です。ですが、現実に訴訟になれば勝ち負けに関わらず天界航空の名前には傷がつきます。数千人を
抱える企業の受けるダメージを、蓋を開けてみないとわからないと楽観することは吾にはできません。それにパイロットなら
誰でも自分がどう飛びたいかは承知しているはずです。吾は鎖つきの空は飛びません」
「だからっておまえがパイロット辞めるのが何の解決になるんだ? おまえがやめることで訴訟にならなかったとしても、
ティアはそのことでずっと苦しむ。俺やアシュレイだって同じだ。第一おまえ──自分が、空降りて生きていけるとでも思ってんのかよ!」
 叩きつけるように言った柢王に、桂花は、
「飛ぶだけが、生きる方法ではないでしょう──」
「はき違えてんじゃねえぞ、桂花!」
 柢王は、桂花の体を揺さぶった。
「誰にも傷がつかないなら自分は傷ついてもいい、そんなきれいごとで空降りて他のこと選んだって、そんなのは生きてることに
なんかならねーんだよっ! 空の上はお前の場所なんだろ、だったら諦めんじゃねえよ! 欲しいものは絶対に諦めるな! 
闘う前から諦めたら手に入るもんだって入らなくなるだけだ!」
 冷たい体を──柢王は強く抱きしめた。
「諦めるなよ」
 冷静な顔。泣きも喚きもしないで、自分をずたずたにする決断を選ぶと断言する。その強さが何のためかよくわかっているから。
その胸の、表さない痛みもわかるから。
「諦めるな、絶対。俺がついてるから諦めるな」
「柢王……」
「俺たちがいるから、絶対諦めるなよ──」
「柢王の言う通りだよ、桂花──」
 声に振り向くと、息を切らせたティアとアシュレイとが立っている。優しい目をして、
「勝つか負けるかはわからないけど、諦めたらそれで終わりだよ。君の問題は私たちの問題なんだからね」
 アシュレイもうなずいて、
「大体、おまえのこと飛ばせないとか言うあの変なやつが悪いんだからな! おまえは堂々としてりゃいいんだぞっ」
「──オーナー…アシュレイ機長……」
 呟いた桂花に、いつも敬称付きで呼ばれるアシュレイはちょっと赤くなったが、続けて、
「俺はおまえのことパイロットとして尊敬して…やってるから──まだ教えてもらいたいことあるし、やめてもらったら困るからな」
「──……」
 桂花の瞳の色が深くなる。とぎれるような息を吐いて、睫毛を伏せるのを、柢王が優しく自分の胸に引き寄せる。
 それから、みんなで桂花を守るように、王宮の外まで歩いて、呼んだタクシーでホテルに戻った。

 そして、王宮では山凍部長がいきなり消えたメンバーの行動を、王宮のすばらしさに感動して見にまわったに違いないなど
訳わからんなりに嘘八百、真顔でフォローして陛下を感激させていた。

 柢王のスィートでソファに座った四人は今後の方針を話していた。
「つか、あの男本気で訴訟なんか起こす気か」
 桂花の体を腕に抱いたまま尋ねた柢王に、ティアはうーんと首をかしげ、
「冷静に考えると、うちが負けるとは限らないんだよね。さっきも言ったけど、オーナーは桂花がうちにいると承知で放置して
いたんだからね。ただ、桂花に執着はしてるし、男の恋人がいるとわかったからには──無理でもやるかも知れないなぁ。実際、
前のときはやりかけたわけだし」
「でも、もともとこいつがうちに来たのはあいつのせいじゃないか。こっちこそ訴えてやればいいんだっ」
 アシュレイが憤然と叫ぶ。ティアも頷きはしたが、
「間違っているのはオーナーなんだけどね、ただ、個人的な趣味の話で表に出ると李々夫人にも迷惑がかかるからね」
 冥界航空の李々夫人は桂花の育ての親みたいなものだ。言いたいことがわかったアシュレイは渋々頷いた。が、ティアは、
「いっそのこと李々夫人に電話してみようかなぁ。絶対止めてはくれると思うし、万が一訴訟になっても示談で済みそうだし」
「でもそれではオーナーにご迷惑が──それに李々にも……」
「おまえのこと大事にしてくれた人だろ、迷惑がったりしねぇよ」
 柢王が優しく言い、ティアも、
「それに私も迷惑なんて思ってないよ。パイロットを守るのが私の仕事。そうさせてくれなかったら、君を恨むからね、桂花」
「オーナー……」
 と、ふいにアシュレイがあっと叫んで立ち上がった。
「どうしたの、アシュレイ」
「思い出したっ、あの女っ」
「女?」
 怪訝な表情の一同の顔が、アシュレイの説明を聞くうちに驚きを浮かべる。


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