投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
さらさらと水の流れる音が聞こえる昏く冷たい地下の闇。
死者たちが偽りの生を与えられる黒く謎めく湖の水。
冥界は、肌をしとらす霧の中、今日も美貌の主の見えざる手に支配されている。
暗闇に浮かぶその滴るような容貌、黄金の髪。無慈悲を刷いた金黒色の瞳は支配者の愉悦をたたえて崇める者たちを
睥睨している。
幾度殺されようとも蘇る冷たい生を与えられた者たちは、その美貌の主の命を受け、地上に現れ、様々な、
絵物語の一端を彩る。そのタペストリーの全貌は被支配者にはわからない。おのれが織り成すパーツの図柄さえ、
かれらは知らない。全ての絵柄は昏い企みに酔いしれる美貌の主の胸のうち。
その企みを口にしようとしたならば、すぐさまおのれが灰と化して消滅することを被支配者たちは知っている。
『全ての声は、地下にある限りわれに届く』
暗闇に妖しく佇む美貌の主の言葉通り、死者たちの命運は常に主のもの。生ではない生、偽りの命。だが命に
執着する者には、夢だろうが真だろうが生きていることには変わりがない。それゆえに死者たちは主の逆鱗に
触れぬよう、常に恐れ、注意を払っている。
だが、ふいに、なにゆえと思われる時でも死者たちの偽りの肉体が一瞬にして灰と化す時がある。
それは、
『おい、今日の肉はうまかったな、あれはどこの肉だ』
『ああ、鹿のヒレ肉……』
シュボッ。
『なんとそのような非礼なことがっ』
シュボッ。
『この鍋はどこに置いたらよいのか』
『ああ、炉辺に──』
シュボッ。
居合わせた人間たちが驚くのも当然だが、死者たちはもっと驚く。いまのはなにゆえにっ。見えざる支配者の
冷たい怒りの理由が知れぬかれらは恐れおののき、口を慎む。それでもときたま、
『ウサギは耳をつかんで捕獲──』
『カタツムリの触覚は伸縮自在だなぁ』
など日常会話の中で消されていく仲間の姿に戦慄する。そこには一体どのような秘密があるのだろーかっ?
秘密ではない。『耳に関する78項目の禁言』のうち、『ヒレ』と『ロバ』とが冥界の二大禁句であるのは、
知る人なら皆知っている。ただ口に出したら塵になるから他の者に伝えようがないだけだ。『ウサギ』や『ミミズク』も
同様にデンジャラス。『伸縮自在』も時に際どい。
ましてや『頭隠して耳隠さず』とか『王様の耳はロバの耳ぃ〜』など、ナノ単位のチリと化す大罪である。
水の流れる昏い地下。
そこでは今日も、主の地獄耳にまつわる禁句を口走った者たちが、名簿から消されてゆくのであった──
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