投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
過去モノを見つけました、と蔵書室に足を踏み入れるなりティアはナセルにすれ違い様にささやか
れた。ティアは目線を交わさないまま頷き、蔵書を見回る振りをして本棚を回り込むと蔵書室の一角
に設けられた個人用の小さな閲覧室に入り、腰を下ろした。ほどなくしてナセルが小冊子を持って現
れた。
「ありがとう、ナセル。いつもすまない。君のおかげで本当に助かっているよ」
小冊子を受け取ったティアが、その表紙に刻印された守護主天の御印を確認し、ほっとため息をつ
いた。・・・時々、蔵書室には歴代の守護主天が書いた覚え書きや、その私生活に関する事が他人の筆致
で書き連ねられたものが出土するのだ。守護主天の私室にあるべきそれらが何故蔵書室の蔵書の中に
埋もれているのかは謎なのだが、内容が内容なだけに他人の目に触れ、それが白日の下にさらされる
ことを考えると怖い。非常に怖い。
今までは十メートル歩くのに何分かかっているのだ?というヨイヨイの爺さま司書がほとんどで蔵
書の整理がはかどらない分、出土も少なかったのだが、ナセルという若い才気煥発型の天才司書が蔵
書室に配備されて以来、蔵書の整理が日を追うごとに改善されてゆく分、出土件数も増えた。
ティアはナセルにそれらのモノが出てきたら、自分に渡してくれるよう頼んでいたのだ。
「いえ、これも仕事の一環と思っていますから」
過去に自分にかけられた冤罪をはらしてくれたティアに恩義があるナセルは謙虚に応え、何事もな
かったように仕事に戻っていった。
一応コレはティアとナセルの間に交わされた秘密なのだ。だからナセルはそれらの本を見つけても
執務室に連絡をしてきたり持っていったりはしない。ティアが蔵書室に現れるとそれとなく耳打ちし、
人目の少ない閲覧室でティアが待っていると、仕事で回ってきた振りをしたナセルがそっとそれらを
置いて去ってゆく。何事もなかったように。
アシュレイのことに関しては一切譲るつもりはないけれど、ティアは彼の仕事に関する情熱は認め
ているし、信頼している。
「・・・・・」
ティアは気むずかしい顔で小冊子を見おろし、それから意を決したようにパラパラッとめくってみ
た。それは本型のスケッチブックのようで中の白い紙の上にはさまざまな人物が素描で描かれていた。
「・・・・・?」一旦閉じて一番最初のページをめくってみる。
そこに描かれた胡桃色の長い髪と宝石じゃらじゃら&レースびらびらのゴージャスな服をまとって
こちらに色気と情欲ムンムンの淫蕩なまなざしを送ってくる人物を目にした途端、ティアは顔を背け
て音高くスケッチブックを閉じた。
「・・・・・・・・ まさか、『愛人大全』の草稿 とかじゃないよね?」
先代ならやりかねない。
意を決してもう一度ページをめくり、素描の人物のあちこちに走り書きされた文字を慎重に追って
みて、やがてティアは安堵のため息をついた。
何のことはない。『生誕祭』の出席者のスケッチだったのだ。
服装の感じからして、おそらく何十年か前のものだろう。
先代の愛人の一人が描いたのだろうが、なかなかリアルに描けている。シンプルな線の中にその人
物の特徴をうまく捉えているので、この人は南の大貴族の○○公で、その隣にいるこの人は西の芸術
家の○○師の若かりし姿だな、など、実在する人物と簡単にマッチングすることが出来た。
愛人が気に入ったのだろう人物は、よりリアルに丁寧に描かれ、着色もされていた。
その中に壮年期の蒼龍王を見つけ、苦笑する。・・・女性にもてる男は、総じてそういう男にももてる
ものだ。
「・・・こういうのなら、悪くないね。」
少し楽しくなってさらにめくると、まだ文殊塾生であろう年頃の少年たちが描かれていた。赤い瞳
と赤い髪の少年と黒髪と黒い瞳の少年。ティアは浅黒い肌とややきつい印象を受ける赤い瞳の少年を
のぞき込み、首をかしげた。
「・・・もしかして、炎王殿、か?」
成長期前の骨格がまだまだ細い少年なので面影は辿りにくいが、多分間違いない。
「・・・アシュレイが見たらきっと喜ぶよね」
天主塔に誘い出す口実が出来たことにティアは笑った。そして今度は炎王の隣の黒髪の少年に視線
を移す。
炎王の隣に立つ黒髪の少年は、ぬけるような白さの肌とやや大きめだがすっと通った鼻梁や、意志
の強さを感じられる形の良い太めの眉、そして黒曜石を削りだしたかのような瞳をしている。
やや厚めの唇を引き結んださまは ともすれば尊大さすら感じ取られ、それが少年の地位の高さを物
語っていた。 背は炎王より高い。
・・・なかなか押し出しの良い容貌の美少年である。 黒系統の色で品良く統一された長衣がよく似合
っている。
ティアは首をかしげた。 王族の隣に並べられるとしたら、大貴族の子息が普通だが・・
(・・・・こんな風貌の人がいただろうか・・・?)
役職上、大貴族とも顔を合わせる機会が多く、一度会ったすべての人の顔と名を合致させているほ
ど記憶力の良いティアだが、この人物に見覚えがなかった。
そこにたまたま本を抱えてヨロヨロと進んでくる老司書と目があった。大貴族ならば蔵書室に訪れ
る機会も多い。この年代なら文殊塾で出された課題を解くために蔵書室に来ていた可能性もあるから、
もしかしたら勤続年数の長そうなこの老司書が知っているかもしれないとティアが彼を呼び止めて素
描を見せて尋ねてみた。
「おや、お懐かしいですな」
「知っているのか?」
一目見てあっさりと解ったらしい老司書に、どこの大貴族か?と問うと、彼は一瞬きょとんとし、
嘆かわしげに首を振った。
「何を言われますか。 この方は貴方様がよくご存じのお方です」
「え?」
きょとんとしたティアに、老司書は言った。
「貴方様の父君であらせられます、元服前の閻魔大王様ではありませんか」
・・・・・・・
本を掴んだまま椅子ごと後ろに倒れて気絶した守護主天と、それに驚いて腰を抜かした拍子に壁に
頭を打ちつけて脳震盪を起こした老司書に、閲覧室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
ティアランディアはそのまま半日寝込み、夕方に駆けつけた南の太子に脳みそが飛び散るくらい頭
を揺すぶられてようやく目を覚ました。 しかしそれから3日間ほど放心状態が続き、付き添いの南
の太子を青ざめさせることになった。
頭を打った老司書は、事の前後のあらましをすっかり忘れ果てていた。
「・・・・・」
そしてナセル。 私室で気むずかしい顔をして彼が睨み付けているのは、机の上に鎮座している
今日の大騒ぎの原因になった本である。 あの時、騒ぎを利用して、ティアの手から本を抜き取って
おいたのだ。
(・・・天界最高の貴人にして天界最高の頭脳の持ち主である守護主天をショックで気絶させる程の
衝撃的な内容とは 一体・・・・・)
おそらく一般人である自分が読めば一発で呪いが百ダースも降りかかってくるような恐ろしい事柄
が記されていたに違いない。
「・・・・・・書架で寝るか・・」
置いておくのも恐ろしいが動かすのも恐ろしい、ましてや同じ部屋で一緒に寝ることなど出来るわ
けがないその本を目の前にして、ナセルは一日も早く守護主天がこの本を引き取ってくれるよう願っ
たのだった。
〜この話は『プレノタート』のネタバレを含んでおりますのでご注意ください〜
絹糸をイメージさせるような繊細な音がする。
風にそよぐ草の波?―――――――違う。
水・・・・・・・?
目を凝らしているとそれは徐々に姿を現した。
水の檻。
細かな粒子が淡い白群に染まり上から下へ、下から上へと幻想的な世界を作り出していた。
その檻の中に誰かが立っている。
「・・・・氷暉?」
極端にくびれたウエストと広い肩幅、その体に浮き上がる刺青。
間違いない、氷暉だ。アシュレイが、そっと檻に触れようとするとスッと間隔が広がり濡れることなくその中へ受け入れられた。
「あんなことをしなければよかったんだ」
魔族は背を向けたままつぶやく。
「なんのことだ?」
正面にまわって氷暉を見ると、アズライトの瞳が視線を合わせてきた。
彼は長い手を伸ばしてアシュレイをつかむと、ひといきに引き寄せ抱きしめる。
「この体は俺のものだ」
「なっ、違う!俺のだ!」
いつもと様子の違う氷暉に気づいたアシュレイは慌ててもがくが、うまく身動きがとれない。
「この檻の中にいる限り霊力は使えない。お前は俺のものだ、守天にも渡さない・・・・お前についた傷も俺が治してやる。俺だけがお前を分かってやれる・・・お前の全てを知っているからな・・・悩みも辛さも喜びも―――――弱いところも」
冷たい手がアシュレイの体を這いまわる。
「やめろっ、お前怒ってんのか?俺が何したって―・・・っ、氷暉っ!」
訳が分からない。
うまく共生できたと思っていたのに。
そう感じていたのは自分だけだったのか?
思い上がりだったというのか?
無言のまま自分を拘束する氷暉の思考など、悔しいがアシュレイには分からない。
こちらの心は筒抜けなのに・・・・・・。
アシュレイの瞳からこぼれたものを舌ですくいとると、氷暉は穏やかに微笑む。
「なにを泣く。お前を愛でることがそんなに悪いのか」
「嘘つくなっ!水城が―――」
「お前には分からないかもしれんな・・・・・」
お喋りは仕舞いだ、と氷暉の体がのしかかってくる。
アシュレイは抵抗できないまま気が遠のいていくのを感じた。
「―――――あんなことしなければよかった」
アシュレイが肩を落としてつぶやく。
《なんのことだ》
「・・・・・白々しい。氷暉、もう勘弁してくれ。何度も謝ったじゃねぇか」
アシュレイはため息をついて額に手をあてた。
《まだまだ、こんなものでは足りないな》
機嫌がいいとは言えない声がかえってくる。先日、ティアとの営みの時・・・いつもなら酒を飲み氷暉を眠らせるのに、自分と氷暉との間で心話ができるようになったことに気づいたティアが嫉妬して、敢えて酒を禁じたまま行為に及んだ。
意識を失った自分に結局恋人は酒を飲ませてくれたようだが、氷暉への正直な気持ちと―――――その翌朝自らとった行動は、今思い出すだけでも赤面してしまうくらいのものだった為、少しの間でもいい、心を読まれたくなくてアシュレイは酒を携帯し思い出しては口へ運んでいたのだ。
どうせシラフになった時には全てがバレる。ムダな悪あがきなのは分かっていたが。
おかげで氷暉はしばらく調子が悪かった。
その腹いせなのだろう、アシュレイが寝てる間に意識をコントロールし、ここ三日間、趣味の悪い夢を見させている。
始めは氷暉を拒んでいるのに、最後には自ら懇願するという屈辱の展開。
そんな腐りきった内容の夢を、三回も・・・・・・。
いい加減、これは氷暉がみせてる夢だと気づけない自分にも腹がたつ。
おかげで目覚めが悪く一日がすっきりしない。
初日の朝は本当に修羅場だった。
自分の腹を殴り続けるアシュレイをティアが押さえつけるまで、床に転がって暴れた。
それでも気持ちは治まらず、外へ飛び出したアシュレイは体内から氷暉を出して技の連発。
くたくたになって天守塔へ戻ると、当然氷暉絡みだろうとにらんでいたティアに、ケンカの訳をしつこく問われる。
まさか真相を言えるはずもなく黙秘していると、『俺から夢の内容を説明してやろうか』と氷暉が中から脅してきた。
冗談じゃない、そんなことをティアに知られたら「私も同じことを・・・・いや、それ以上のことをするよ!」―――となる。絶対に。
アシュレイはたかが夢の中のことでも、ティア以外の者にあんなことをされるのは許せなかったが、相手が悪すぎる・・・・・泣く泣く耐えることとなったのだ。
《明日はお前から積極的に動いてもらおうか。現実でも役立てるように》
「――――ンなことしたら聖水たらふく飲んでやる。も〜ガマンできねぇ!やるっつったら俺はやるからな!」
脅しではないことくらい氷暉にも分かる。
《それは困るな。仕方ない、また同じパターンで許してやるか》
「ふざけんなっ、夢でも許さねぇっ!ティアにだって言いたきゃ言え!そのかわりアイツ怒らせたらマジで怖ぇからな!知らねぇぞっ」
真っ赤になって怒鳴り散らすアシュレイをよそに氷暉は二重人格のような守天を思い出していた。
普段は魔族の自分にも気づかう素振りを見せる彼だが、本気で怒らせたら危険な気もする。
《そうだな…悪ふざけが過ぎたかも知れない。もう、しない――――が、お前も満更ではなかったようだが?》
「じょっ、冗談じゃねぇっ!バカ言うな!」
《そうか?俺の勘違いだったか》
楽しそうに笑う氷暉にアシュレイは、安堵した。
酒を飲み続けた自分を、もう許してくれていると伝わってきたからだ。
そんなアシュレイを感じて氷暉は氷暉でくすぐったい気分になる。
この武将はプライドが高く、勝気で負けず嫌いのわりに、こちらが恥ずかしくなるくらいストレートに礼を言ったり謝ってきたりすることがある。
そうかと思えば今回のように酒を飲み続けて自分を避けたりする。
気に入っている相手に避けられるのは正直面白くない。
しかし、酔いから覚めた自分を待っていたのは二日酔いの気分の悪さだけではなかった。
恋人との秘密を知られるのが恥ずかしいというウブな面は既に知っていたが――――魔族であり、彼の体を利用しようとしていた自分を厭わしく思うこそあれ感謝などされていたとは・・・・・。
頭痛がしなかった、ティアと楽しく踊れた。共生で失ったものも大きかったけど、得たものも悪くない。今さら氷暉を失うことは逆に辛いものがある・・・・・。
一度信頼したら、それが例え魔族だとしても信じぬく彼が、愛しいと思った。
抱きたいと思った。
現実では無理だけれど。
それに、眠らされずにじっくり堪能した相棒の情事はなかなか刺激的で、守天サイドでことの成り行きを見ていたら、やはり一度くらいまともにこの体を抱いてみたかったと悔やまれる。
痛めつける拷問ではなくアシュレイが理性を飛ばしてしまうほどの甘い時間・・・・・。
そんなこともあり、アシュレイに(願望の)夢を見させたのだった。
《束の間の夢・・・・か、それも悪くない》
決して妹のことを忘れたわけではない。忘れられるはずも無い。
それでも、このまっすぐな武将に心惹かれずにはいられない。
アシュレイに悟られないよう、一人ほくそ笑む氷暉であった。
理事長室に通された柢王は、革張りのソファで行儀悪く足を組んで理事長と向かい合っていた。
出されたコーヒーに手をつけようともしない。
高価な調度品がセンス良く配置された居心地の良いはずの部屋の空気は、柢王の放つ気配よって極限まで張り詰めていた。
「留学生の件、きかせてもらえるんでしょうね、守天サマ」
「そう怒らないで、柢王。彼に関しては、仕方がないんだ」
愁いを含んだ瞳が、そっと伏せられる。
「さっき、あいつの担任つかまえて聞いたら、
ちょっとでも問題起こしたら即退学で政府に突き出すことになってるって抜かしやがったぜ。
おまえが絡んでないわけねーだろ。
最終的に受け入れ許可書に判ついたのはおまえと校長なんだ。
いったい、なに考えてる?」
納得のいく答えを得るまで、柢王は引き下がるつもりはなかった。
しばらく沈黙が続いた後、守天は諦めたように息をつき、顔を上げた。
「あの子、いくつくらいに見える?」
「いくつって……同い年か、違っても1つか2つだろ? 17か、18くらいか」
「28だよ」
「は?」
「28歳。書類上はそうなっているし、本人もそう言った。
大学なんかもう十年以上も前にスキップで卒業しているんだ。
本来なら、この国へは外交の使者として入ってくるはずだった。表向きはね」
「で、裏で何で留学生になってんだ?」
「この処置は裏じゃない。裏向きはもっと非道いよ。彼は、国に売られてきたんだ」
なんともきな臭い、物騒な話になってきた。
「いつまでも対等な外交にならない、交渉も一方的な要求を突きつけられるだけ。
向こうもいい加減、痺れを切らしていたし、こちらとしても、
あれだけ力をつけてきた国にいつまでも無茶を言い続けられはしない。
そんなとき、たまたま向こうに渡っていた我が国の宰相が、
付き人だか見習いだか……とにかく、向こうの国の高級官僚に従えられていた桂花を気に入ってしまってね」
「まさかとは思うけど、国王に顔繋いで欲しかったらその兄ちゃん俺によこせって具合に話が進んじまったのか?」
「恐ろしいことに、そのまさか、なんだ」
あまりのことに、柢王は思わず頭を抱えていた。
仮にも一国の宰相である。
そんな頭の悪い要求を突きつけるとは何事か。
そして、言う方も言う方なら、受ける方も受ける方である。
「あのオッサン……そろそろ首飛ばした方が良いな」
柢王は本気で呟いた。
しかし、それなら桂花はこんなところで十歳以上も年をごまかして不自由な留学生活を送っているはずがない。
この話にはまだ続きがあるのだ。
「宰相の処置については私が口を出せることではないけれど。
どうしようもない要求を厚顔無恥に突きつけてしまったことを考えると、同情の余地はないだろうね。
そういう経緯で、桂花は我が国に差し出される運びとなったのだけど、あれだけ有能な人材だもの。
向こうもただどうぞと、こちらによこしたわけではない」
中途半端なところで意味深に言葉を切った守天は、試すように柢王を見てくる。
「人身御供と見せかけて、スパイに仕立て上げたか」
「その通り。だから、国政の中心にいる宰相に個人的に囲わせるなんて論外だった」
「あいつ、頭良さそうだったしな。ネジの弛んだオッサンなんかイチコロだろ」
「そう。国家機密ごと骨抜きにされて、気付いたら宰相の屋敷からあの子は消えてる」
さぞ頭の痛い話だったに違いない。
報告を受けた時の父親――つまりは国王の気苦労を考えると少し笑える。
こちらからよこせといった者を、証拠もなしに送り返せるはずがないし、
少しでも国力を充実させなければならない今、捕らえて拷問にかけるのもまずい。
前者も後者も、相手の神経を逆なでする事になる。
そもそも、桂花の素性を報告してきたのがこちらが潜りこませているスパイなのだから、堂々と指摘できるようなことでもない。
「で、なんでこんなところでスパイが高校生やってるんだ?」
「翔王様が陛下に進言なさったんだ。
国政に携わる愚か者のそばには置けないし、そもそも城内を使者として歩き回らせること自体が危険だと。
適度に拘束されて、監視が容易な環境で飼い殺しにするのが宜しいでしょう、
問題を起こせばそれを理由に国に返すか、こちらで処分してしまえばいい、と」
大学ではまずい。行動範囲が広がりすぎるし、この国に関する資料も大量に揃ってしまっている。
情報端末の使用も、表向きには制限できない。
そこで候補に挙がってきたのが、いくつかの施設の職員と、留学生として高等部に放り込むという案だったというのだ。
「その時、たまたま私が、卒業生の士官学校への推薦の件で登城していてね。
処理を押しつけられていた事務官に話を聞いて引き受けたというわけ」
国立の教育機関であるこの学校のトップを任されている守天は、当然ながら政府との関わりが深い。
今の話も、まさかすべてその事務官が話したとは柢王も思っていない。
どうせいつものように、巧みな話術と百戦錬磨の笑顔で何人かの高級官僚を籠絡して得た情報に決まっている。
ただ、詮索する必要がないので黙っているだけだ。
「でも、高校なんて3年で終わりだぜ。その後はどうするつもりなんだ」
「だから……上には彼の件について、そんなに長くかけるつもりはないってことだよ」
つまり桂花は、問題を起こすことを待ち望まれているということだ。
たったひとりですべてを抱え込もうとしていた桂花の強い眼を思い出した柢王は、なんともやりきれない気持ちになった。
望んで来たわけでもない異国で、すべての抵抗を封じ込められ、男の慰み物になるのは免れたものの、
こんなところで飼い殺されることになった。
国に与えられた任務も果たせずに失態を待たれるだけなのだ。あの美しく誇り高い青年は。
「あいつは、どこまで知ってる?」
「使者とは名ばかりで、実際は人質として城に軟禁される覚悟で来ていたみたいだけれど……。
留学生として城を出されるとは予想していなかったようだ。
当たり前だけど。相当困惑していたけれど、拒否権がないことは悟っていて、素直に承諾書にサインをしてくれた。
可哀想だけど、私にはここで彼を監視する以外に出来ることはない」
守天は諦めたように首を振った。
「今更、スパイと分かっている者を野放しにできないことは、おまえも分かるだろう」
「ああ」
「この件に関しては、どうしようもないんだ。きみは蒼龍王の三男で、私の大切な親友だ。
将来、深く国政にも関わることになるきみに、こんなところで傷を作ってもらいたくない」
異国の哀れなスパイよりきみの方がずっと大切だと言外に言われ、柢王はため息をついた。
もう、遅い。
「彼には、深入りしないで欲しい」
「……」
「わかった」
「すまない。ありがとう」
返事をせず一拍おいて立ち上がった柢王は、もう覚悟を決めていた。
「わかった。リミットは3年。それまでに、あいつをこっち側に寝返らせれば良いってコトだ」
「柢王っ!」
守天の顔色が変わったが、柢王に譲るつもりはなかった。
「頼む。協力してくれ。おまえの監視が、逆にあいつを守る盾になる。
つけいる隙を与えたら、もう終わりなんだろう。
この学校って檻にいる限り、少なくともあいつの自由を奪う鉄格子が、あいつの命を守る。
それ以上の口添えは今はいらないから、頼む」
「柢王……どうして」
「惚れちまった」
あっけらかんとした告白に、守天は呆然としていた。
「き、きみは。きみという男は! 相手は敵国のスパイだと言っただろう! そもそも彼は男だぞ!?」
「性別に関して、守天サマに突っ込まれるいわれはねーけどなぁ?」
身に覚えがありすぎる守天は、言葉に詰まった。
「俺がそうそう、マヌケなヘマすると思うか? 思わないだろう?
だからうんって言ってくれ。この通りだ」
引き下がるつもりはなかった。今諦めたら、桂花は近いうちに間違いなく処分されてしまう。
守天にも立場がある。庇うことは難しいだろう。
「きみに、国政の裏を覗いてもらいたくないんだ。まだ、早い」
「俺が正式に発言権を持つまで待ってたら、あいつは殺されるんだろ? なぁティア、頼む」
この場で額ずいてでも承諾をもらうつもりだった。
しかし、その必要はなかったようだ。
「……何かあったら、その時は本当に諦めてもらうよ。約束できる?」
「何も起こさせないさ。俺が守る」
「不当に桂花を外に渡したりしない。このことは、蒼龍王陛下には伏せておく……これで良いね」
「サンキュ! ティア。この恩はいつか絶対返す」
諦めたように、守天は笑った。
この学校の最高権力者に最低限の約束を取りつけたところで、柢王の目的は果たされた。
「本当に、無茶だけはしないで」
「わかってる。そのうち、あいつを連れて遊びに来るから、そしたら会ってやってくれ」
返事を待たずに柢王は部屋を出た。
保健室に、桂花を迎えに行かなければならない。
大変なのは、これからだった。
外から伸びてくる魔の手をかわしつつ自分以外はすべて敵だと信じているような青年の心を溶かし、
口説き落とさねばならないのだから。
どんなに大変でも、柢王には諦めるつもりなどこれっぽっちもなかった。
見つけたのだ。自分の隣を走ることが出来るであろう存在を。
大丈夫、なんとかなるという根拠のない確信を胸に、柢王は足取りも軽く保健室に向かって歩き出した。
「・・・あなたときたら、また 人界から 」
人界から帰ってきた柢王を東領の『家』で出迎えた桂花は、彼が結界に包んだマントを小わきに抱
えているのを見て呆れたようにため息をついた。
彼は時折、禁じられているにもかかわらず土産と言って人界の物を自分の結界に包んだ状態で持ち
帰ってくる。他愛のない花や木の実、―――そして、桂花の内側に爪を立てるような、懐かしい愛し
い女の残した品物を一度だけ持ち帰った。
それ以来、桂花は柢王が人界から物を持ち帰るたびに心の奥で一瞬身構える癖が出来てしまった。
「怒ンなよ。何もモノは持って帰ってやしないって」
「では、どうしてマントを結界で包んでいるのですか?」
桂花のきついまなざしに肩をすくめながら扉を閉めた柢王は、マントを包んでいた結界を解くと、
桂花の前で広げて見せた。
「・・・な? 何にもないだろ?」
確かに何もなかった。虚をつかれた桂花に笑ってマントを頭からかぶせると、そのまま抱き寄せた。
「・・あ・・ッ・?」
途端押し寄せてきた香りに桂花は小さく声を立てた。
「今回の土産はコレ。今、人界にはティアみたいな趣味の奴らが多くてな。自分で自分の香りを作っ
てそれを服に焚きしめる遊びが流行ってんだよ。 コレが一番お前に似合いそうだったから、持ち主
の隙をついてこのマントに焚きしめといたんだ。」
そして、香りが飛ばぬよう、結界で包んで持ち帰ってきたとのことだった。
桂花の体温とそれを包む柢王の高い体温で、焚きしめられていた香は眠りから覚めるように香り立
ち始める。
「・・・・・・」
人界の、この時代にはおそろしく高価な材料である香木・香料をふんだんに使って作られたのだろ
うそれは、かすかな甘みを含んだ、深く冴えわたる真冬の夜空を思わせる香だった。
「・・・どうせ、どこぞの高貴な姫君とやらの香でしょうが」
「いや、下ぶくれのモテモテ女たらしのヤローだった」
柢王の言葉に桂花は吹き出した。
「モテモテの女たらしヤローの香だったら、どうしてあなたがこの香をまとわないんですか?」
「俺はいいんだよ。そういうの面倒だし。それに」
小さく笑う桂花の額に自分の額を押し当てる。手を伸ばして自分を見上げる桂花の形のよい頭から
マントを押し下げて、長い白い髪に指を絡める。
「それに、どうせなら、お前から移してもらうほうが楽しいだろ」
柢王は桂花の髪に顔を埋めた。
・・・持ち帰った香りのその奥に いつもの桂花の匂いがした―――。
―――――・・・・・
「・・・・香、飛んじまったな」
花街の調香師の所に持ち込んでこれと同じ香りを作ってもらおうと思っていた柢王は、いささか呆
然と座り込んだ足下でぐしゃぐしゃになったマントを見おろした。
「・・・・・何を今さら・・・・・あなたのせいでしょうが」
狭いマントの上で柢王と背中合わせに座り込んでいる桂花は、何度も柢王の手でかきあげられて乱
れに乱れた髪を手櫛で梳きながらあきれたように返す。
・・・彼らの下で即席シーツとなったマントは、彼らの重みと熱でもみくちゃにされて とっくの昔に
香りが飛んでしまっていた。
「・・・全くいきなり何なんですか あなたは 」
「・・・・・」
もつれた髪と格闘しながら桂花が聞くのに、柢王は黙って頭をかいた。背中合わせに座っているため、原因を思い出して真っ赤になった顔色を覗かれなかったのは幸いだった。
・・・・・言えない。桂花の髪の匂いを嗅いだ瞬間、理性が吹っ飛んだなど。
夕陽が差し込みはじめた部屋の中にほのかに漂う甘い香り。
それがオレの好きな貴方の香り。
その香りが、ふわりとオレの身体を包むと同時に温もりが背に伝わる。
「ごめん、忍。起こしてしまったね」
微かに身動ぎしたオレの耳元に一樹さんの声が滑り込んだ。
ひと時の戯れのあと、気だるい心地よさの中に響く甘い吐息のような貴方の声。
でも、もう時間が…とでもいうように背に伝わる温もりがゆっくりと遠ざかる。
もう少し。
もう少しだけこうしていたい。
身体に回されていた片腕を拘束する。
その腕を掴むオレの指はほんの少しだけ震えていて、慌てた貴方がオレの顔を覗き込んだ。
「ごめん…なさい」
きょうはいつになくナーバスなオレ。
「絶対…」
それだけ言うのが精一杯で、あとの声は嗚咽になる。
でも。
貴方は続けてくれた。
「離さないよ、忍」
一樹さんの温もりがオレの胸元に戻ってくる。
そして。
貴方の唇がオレの唇に落とされる。
愛しくて
愛しくて
その想いが強くなればなるほど、同じように不安も強くなる。
公にできない
同性同士の恋愛。
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