投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「絹一。おまえ、長期の休暇って取れるか?」
鷲尾の部屋で、持ち帰った仕事を片付けていた絹一に声が掛かった。
「長期って、どのくらいですか?」
キーボードを叩いていた手を休め、後方のソファへと振り返る。
視線の先では、ソファに体を伸ばした鷲尾が雑誌を捲っていた。
「そうだな……二週間くらい」
「そんなには流石に無理ですよ。一週間が精々かな」
何故?と瞳で問えば、起き上がった鷲尾が、開いた雑誌のページを差し出した。
「行ってみないか?」
「……ここへ?」
誌面を飾るのは、二色の青に塗り分けられた海と、いくつも浮かんだ小さな島々。
鮮やかなカラー写真の上には、『インド洋の真珠の首飾り』との一文が添えられていた。
海岸を吹き抜ける風に、木陰で眠る絹一の髪が靡いた。
頬を擽るその感触に目を覚まし、ゆっくりと深く息をする。
聞こえてくるのは、波の音、鳥の声、葉擦れの囁き。
都会では聴く事の出来ない極上の音楽に、自然と唇が綻んでくる。
「鷲尾さんと、ギルに感謝だな」
呟くと、絹一は腹の上に伏せられた本を取り上げ、揺れるハンモックから足を下ろした。
二ヶ月前の夜、鷲尾が言い出した楽園への旅。
折角の誘いだし、とギルバートに休暇の相談をすると、彼は諸手を挙げんばかりに賛同を示した。
「こんな時でもないと、絹一は有給を消化しないだろう!」
そう言われ、十日間の休みを押し付けるように許可されてしまった。
間際まで、一週間で良いと言い張っていたけれど、今では十日でも足りないと感じている自分が居る。
我ながら現金だと思いつつも、滞在二日目にしてすっかりこの島に魅了されている絹一だった。
踏み出した足の下で、白い砂がさくりと音を立てる。
素足で直に触れる砂が心地良い。
『No News - No Shoes』それが、この島のフィロソフィー。
木陰を出て波打ち際まで歩くと、沖の方で銀色の光が跳ね上がった。
「あ、イルカだ」
目を凝らさずとも、踊るように跳ぶ二頭のイルカが見える。
仲睦まじいその姿をしばらく眺めた後、絹一はそっと溜息を吐いた。
「一緒に……」
見たかったな、と続く言葉を飲み込んだ瞬間、背中がふわりと温かくなる。
「やっぱりここに居たな、絹一」
「鷲尾さん……?」
驚いて振り仰ぐと、柔らかく微笑んだ瞳と出逢った。
腰に回された両腕に抱き締められれば、密着した体から強い潮の香りが漂う。
「ダイビングは……」
「とっくに終わった。ヴィラに戻ったらおまえの自転車が無かったから、多分ここだと思ったんだ」
当たったな、と口角を上げた鷲尾に絹一は目を細める。
海面に反射した陽光が、鷲尾の髪を金色に輝かせていた。
「ここのハンモックが気持ち良いと、夕べ知り合ったイタリア人ゲストが教えてくれたので」
「……知ってる。さっきのボートダイビングで会ったぜ」
昨夜のディナー時、絹一を女性だと思い込み声を掛けてきた陽気な男が居た。
一緒に来るはずだった彼女に振られたとかで、『一人のディナーは寂しい』と纏わり付いてきたのだ。
横に居る鷲尾を邪魔だと言わんばかりの様相で。
「彼、モルディブにはもう何度も来てるそうですね。ここは初めてだって言ってましたけど」
「恋人連れだからって、奮発したんだろ? ダイビングだけが目的なら、もっと安い島があるからな」
「そうなんですか?」
「本人がそう言ってた。最悪な事に、今日の俺のバディがあいつだったんだ」
言いながら、鷲尾は絹一の首筋に顔を埋めた。湿り気を帯びた硬い髪が、ちくちくと絹一の頬を刺す。
それに指を伸ばして掻き混ぜると、潮の香りが一層濃くなった。
「じゃあ、楽しくなかった?」
囁けば、寄せられたままの頭が「否」と振られる。
「ダイビング自体は、最高だった。ポイントに向かうドーニをイルカの群れが追いかけて来てな。潜り始めても逃げやしない」
「一緒に泳いだんですか?」
「ああ。けどヤツらの会話は、やたらと神経に障るんで参った」
「ヒーリング効果は?」
「あんだけお喋りなイルカには、んなモン期待出来ねえだろ」
くくっと喉の奥で笑い、鷲尾は頭を上げる。
「マンタも八枚見れた。初回のエントリーでこれだけ見れれば、大したもんだろう」
「マンタかあ。……俺も見てみたいな」
「ならおまえも潜ってみろよ。体験ダイブがあっただろう?」
尤も体験はハウスリーフでだから、マンタに会える確率はゼロに近いがな。
そう言って抱擁を解き、鷲尾は大きく体を伸ばした。
「そろそろ戻らないか? ランチの前にシャワーだ」
「ダイビングセンターで浴びなかったんですか?」
海の匂いをさせた鷲尾の腕に促され、木陰に停めた自転車の元へ向かう。
「ざっとは流したがな。ヴィラにはプライベートガーデンのオープンエア・バスルームがあるんだ。
折角バスタブもデカイんだし、おまえと一緒の方が楽しいだろ?」
「海水を流すのに、楽しいも何も無いでしょう」
呆れたように呟いた絹一の唇が、柔らかく塞がれる。一瞬だけ触れたそれに、絹一の頬が赤く染まった。
「鷲尾さん! 誰かに見られたらっ」
「だから早く戻ろうぜ。俺達のhideawaysに、さ」
ニヤリと笑った鷲尾の前髪が、海風に舞い上がる。
同じように攫われる自分の髪を片手で抑えながら、絹一は止まった足を再び動かし始めた。
「リバだって受けだって、卓也とティアが全く同じだと思ってるわけじゃないなら、別に気にしなくていいじゃないか。ちょっと似たとこがあるだけなんだろ?」
「それでも、なんかっ…なんかっ…リバ…!? 受け!? 俺の卓也がっっ…!!」
「落ち着け。俺はここだ。リバだか受けだかの疑惑の人物は本の中の奴だろが。一緒にしてどうする」
「う、うっ…卓也…俺、助けてあげるからね。絶対、リバにも受けにもさせないよぉぉぉ」
「…一樹、こいつになにか飲ませたか?」
「さっき、事務所に顔出したときに、喉渇いた〜!とか言って、俺のグラス勝手に飲んでたかなぁ…」
「……酒か。桔梗、おまえ少し休んでろ」
そう言うと、卓也さんはバーの壁の向こうにある臨時の控え室に小沼を連れて入って行く。
会話は聞こえても、俺には専門用語(?)の知識がなくて内容がいまひとつ理解できなかったんだけど、なんとなく落ち着いてきた…の、かな?
それにしても小沼、妙にご機嫌だったのは、ちょっとお酒入ってたのか?
そんなにお酒臭くなかったし、あんまり酔ってるって感じじゃなかったから、大丈夫だとは思うけど…。
ていうか、心配なのは精神面のほう。
なんでか凄いショック受けてたみたいだし。
「桔梗なら大丈夫だよ。卓也がついてるからね」
そう言って俺達のほうを見た一樹さんの顔には、いたずら好きの子供みたいな笑みが浮かんでいた。
そういえば、元はと言えば一樹さんの発言が原因なような…。
「そっちも大丈夫みたいだね」
後ろから抱き込むように腕を回し俺の肩に顎を乗せてる二葉を見て「でも…」と一樹さんは声を潜めた。
「わが弟ながら、子泣き爺を彷彿とさせるのが悲しいとこだね」
「るせぇっ!!」
二葉が片手で「シッシッ!!」とやってるのが目の端に映る。
「……忍。今は可愛くないけど、小さい頃の二葉はそれはもう可愛くてね。そんな二葉の門外不出のとってもカワイイ写真があるんだけど、見たい?」
「え?」
「そりゃもう可愛くて、いろんなとこが可愛くて、二葉が見たら卒倒しちゃうかもしれないから、忍にだけ見せてあげたいな」
「二葉のいろんなとこがカワイイ写真…」
どんなんだろう…と思った途端、二葉が俺の前に出てきて一樹さんとの間に入る。
「…一樹。その写真、焼却するか、俺に渡せ」
「可愛い弟のカワイイ証拠写真を? やだね」
「一樹……っ!」
艶やかな微笑ですげなく断る一樹さんと比べて、二葉の声には必死さがにじみ出ている。
俺としては、二葉の味方をしなくちゃいけないんだろうけど…。
「わかったわかった、忍には見せないよ」
ううっ……残念。
「ほんとだなっ!?」
「俺がおまえに嘘ついたことあるか?」
「…嘘三昧じゃねぇか」
「心外だな。兄さん、悲しいよ…。じゃあご期待にお応えして…忍、二葉の写真…」
「わわわわかった!! 信じる!!」
「最初からそう言えばいいんだよ。…じゃあ忍、またの機会に」
二葉の後ろに強制的に匿われてるみたいな俺に、そっとささやき声が届く。
「あってたまるか!」
…二葉にも届いていたようだ。
て言うか、わざと聞こえるように言ったんだろうなぁ…。
ても、そういうとこが一樹さんなんだよな。
楽しそうに笑い声をあげながら、一樹さんはカウンターの中に入っていった。
そんな一樹さんを牽制して二葉はひとりグルグル唸ってる。
時計を見ると、開店まで1時間ほどだった。
小沼も大丈夫みたいだし、
「二葉、買い物もあるし、そろそろ…」
俺に全部言わせず、すぐに二葉はさっきまで新聞読んでたテーブル席まで戻ると、新聞を片付けグラスと瓶をカウンターまで運んで、「俺達帰っからー」と控え室にも聞こえるような大声で言った。
俺も慌てて「それじゃまた」と会釈して、『ロー・パー』をあとにした。
「あ、明日のスケジュール…!」
外に出て、少し歩いたところで気がついた。
それを伝えに行ったはずなのに、肝心なこと忘れて帰るなんて、俺って……。
でもそんなに長居してたわけじゃないのに、なんだか妙に疲れた気がする。
大騒ぎだったもんなぁ…。
それにさっきの状態じゃ、小沼に伝えてもどうせ右から左に抜けてただろうし。
卓也さんに一応メモは渡してあるから、あとで電話入れとけばいいよね。
その頃には、小沼も落ち着いてるといいんだけど……。
…そういえば、ノベルズでのティアって、どうなっちゃうのかな。
小沼のさっきの様子思い出したら、なんだかすごく気になってきちゃったよ。
今までのとこだと柢王と桂花のほうが…なんだかつらそうなんだけど……。
邪道って……。
読み始めたときはなんとなく一樹さんがティア系で、二葉は柢王系かなって思ってて。
だから、二葉に好きキャラを訊かれて『柢王』って言ったんだけど、本から離れて思い返してみたら、柢王よりティアと二葉がダブったんだよね。
でも、ただそれだけのことなんだ。
小沼に『卓也と似てるキャラがいるから、探してみて』って言われてたから、意識しただけで。似てるから、だからどうだってことじゃなくて。
ただ、俺が二葉のことを、いつもと違った面から見て考えるきっかけになっただけで…。
それだけなんだよ、二葉。
ほんの少し二葉と重なるところを見つけただけ。
それに、どんなに重なっても、二葉と似てても、誰も二葉の代わりになんてならないし、
(二葉より好きになんかならないよ…)
そっと二葉の背中に心でつぶやいた。
「っと、ぅわっ!!」
いきなり前を歩いてたはずの二葉にぶつかって、俺は急停止を余儀なくされた。
「胡瓜って、まだ冷蔵庫にあったよな?」
「……は!?」
突然立ち止まって振り向いたかと思ったら……きゅう…り?
「トマトと卵はあったよな…うん…あと…モヤシに鶏肉…と……」
「…………モヤシ……とりにく…って」
……邪道のキャラの中で、そんなこと考えながら歩く奴なんていないよね。
ていうか、俺の周りでも二葉しかいないし。
俺の返事を待たず、また前を向いて歩き出した自問自答な二葉に、さっき飲み込んだ笑いが再びこみ上げてきたのを、俺は優しい気持ちで感じていた。
終。
◎余談ですが・・・◎
ちなみに、「邪道」で一番好きなシーンはどこですか?
桔梗 「一番って、それ、ひとつだけってこと? 無理無理無理無理っ! 選べるわけないよーーっ!!」
二葉 「そうだな、俺はアシュレイが…」
忍 「ふぅ〜ん?」
二葉 「…やっ、あの…ああアシュレイが…アシュレイが…」
一樹 「忍は? どこ?」
忍 「俺は…好きなシーンっていうのが、よくわからなくて」
一樹 「わからない?」
忍 「幸せなところも、せつないところも、つらいところも、本を閉じれば全部好きだって思えて…」
一樹 「…忍らしくていいね。…あ、ところでさっきちょっと思ったんだけど、」
忍 「はい?」
一樹 「桔梗の美容と健康にいい闇ジュースって、桂花の作る薬とどっちが凄いと思う?」
忍 「…小沼のジュースと桂花の薬?」
一樹 「まあ、卓也が言ってたんだけどね。読んでてつい桔梗が目に浮かんだって」
忍 「卓也さんが? 桂花で、小沼を……? (桂花で小沼…。小沼と、桂花………? それって…)
一樹さん…」
一樹 「うん?」
忍 「二葉も…」
二葉がアシュレイを好きなのって……。
柢王と出会った頃の桂花って、猫のイメージがあって。
それも、ちっともなつかない猫って感じで……。
俺が二葉を初めて意識したときのことを思い出した。
二葉も、なつかない猫ってイメージだったから。
……って、二葉には絶対言わないけど。
でも、そんなふうに俺が柢王やティアや桂花の中に、俺だけの視点や理由で
二葉を思い出して好きになったように、二葉も……
二葉もそうだったら…………
好きシーン探しにひとり悩み悶える桔梗に、いまだ冷や汗中の二葉。
一樹の言葉に、黙って考え込んでるような忍。(しかもちょっと赤くなってる?)
『……まあいつものことか』と、これまたいつものごとく、見守る卓也なのでした。
「もしかして、柢王って人気ないのか?」
「そんなことないだろ。あいつ、好きなキャラ『柢王』つってたしよ」
突然真剣に、しかもむきになって言い合い始めた俺達に、カウンターの奥で開店準備をしていた卓也さんとテーブル席にいたはずの二葉が、驚いたようにこっちを見ながら互いに近寄りひそひそ話をはじめた。
確かに、小沼から本を受け取ってからこっち、寝食そっちのけで俺が没頭してる本に興味を持った二葉に、読み終わったものから順に渡してって、ふたりで簡単な感想も話しあったりしたけど。
卓也さんも読んだのか?(って言うか、小沼、読ませたのか?)
「だったら、」
突然にっこりと、どこから現れたのか(もちろんドアからだけど)、いつのまにか一樹さんが俺達の横に立っていた。
「ふたりとも、なんで、柢王じゃなくて、ティアなわけ?」
「卓也は」
「二葉は」
「「つまみ食いなんて」」
「しないもんっ!」(by:小沼)
「しないよ!」(by:俺)
「…プッ、ははははは!」
意図せず同時にハモった俺達の答えに、一樹さんは大爆笑だ。そして、
「信頼されてるねぇ、二人とも」
卓也さんと二葉のほうに向き直ったかと思うと、
「…信頼、じゃなく、願望?」
微笑で問いかける。
「信頼に決まってんだろ!」
「…そういうことだ」
二葉の言葉に、厳かに卓也さんが同意する。
…って。
一樹さんもこのシリーズ知ってるんだ?
意外な感じに少し驚きつつも、一樹さんなら、なにを知ってても不思議じゃないって思ってしまう。
あ、もしかして、一樹さんも小沼経由とか…?
「でもさ、」
俺が二葉達や一樹さんに気を取られてる間に小沼は考え込んでたようだ。
「二葉こそ、ティアっていうのは無理がないか?」
確かに、髪の色が少し似てるくらいに思うのが普通なんだろうけど。
「…ティアってさ、ちょっと乙女入ってるだろ?」
「オトメ…って、あのオトメ!?」
いや、あのオトメがどのオトメかはわかんないけど。
「字で書くと乙女座の乙女…なんだけど。…なんかこうティアって、アシュレイとのこといろいろ楽しく想像したり…夢見がちっていうの?」
『それは妄想だよ。忍』
あとで聞いたんだけど、心で一樹さん、突っ込んでたとか。
「ああっ…あるあるっ! そうそう、二葉もそゆとこあるよね〜!!」
『…ありすぎなくらい、あるな』(by:一樹さんツッコミ)
お腹を抱えて大うけしてる小沼に、俺は苦笑とともに頷く。
「でもそういうの、卓也はないからなぁ…」
「小沼…」
乙女な卓也さん…は、俺もないとは思うけど。(ていうか、あったら…ちょっとこわい…かな?)
でも、残念そうな、少し悔しそうな小沼に、俺は卓也さんも二葉とそんなに変わらないよって喉まで出かかったけど我慢した。それは、俺が言うことじゃないと思ったんだ。
あとで聞いたら同じように一樹さんも思ったけど、やっぱり心にとどめておいたんだって。
『卓也も、人一倍嫉妬深くて、たぶん妄想家だよね』(by:一樹さん、心のツッコミ)
そんなふうに束の間会話が途切れ、小沼になんて声をかけようか迷い始めたとき、
「そういえばティアも、アシュレイの前に使い女の皆さんや他多数の女性の方をつまんでたみたいだけど?」
一樹さんが俺と小沼を試すように訊いてきた。
「過去は振り返らないから関係ないね!」
「少しは振り返れ」
小沼の速攻レスに、双子のように卓也さんと二葉がハモり声が小さく響く。
「俺も…過去は気にしても仕方ないし、やっぱり大事なのは今だと思うから…」
伊達に人生の半分付き合ってきたわけじゃない。
気にしすぎて疑いだしたらキリがないし、過去どころか、今だってちょっとしたことで嫉妬することもあるくらいなのに。
二葉は自分のほうが嫉妬深いって思ってるようだけど、そんなの俺だって変わらない。
信じてたって、そういうのは別だよ。でもだから今を、目の前の現実を大切にしたい。それでいいって思うんだ。
「じゃあ、アレは気にならなかったんだ?」
「「アレ?」」
「過去のつまみ食いはいいとしても、『無限抱擁』でつまみ食い…って言っていいかどうかわからないけど、されてたよね彼、アウスレーゼ様に」
「…あんなのっ、ティアじゃない! ネフロニカって仙台市の奴に乗っ取られたからだもん!」
…それを言うなら、先代守天だよ小沼。
すぐに自分の覚えやすい言葉で記憶するんだから。
「ティア自身の意思で関係を継続することになったんだと思うけど?」
「う…うぅっ…忍ぅぅ…」
意地悪な一樹さんの言葉に、小沼が助けを求めて俺を見る。
「あの行為は、アシュレイを守るためのものだから、そういう意味あいのものでとらえたくないって言うか…。あれが、あの方法だけがティアにできる、ティアの闘い方だったんじゃないかなって…」
「うう、そうだよねぇ忍!!」
「それに、俺の場合、自分の思い込みでティアの中にちょっとだけ二葉を見つけただけで…。イコールってわけじゃないし…」
「そそ、そうだよ!! 俺だって、ティアと卓也が全くおんなじだなんて思ってないもんっ」
「了解…。イコールでも全く同じでもないけど、邪道の中では、ティア系かなってだけなんだね。それに、アウスレーゼ様とのアレは、仙台市…じゃない、先代守天のネフロニカに乗っ取られてたせいで、ティアにはあれがアシュレイを守るための闘い方だったんだと」
「あったりまえじゃん! ティアも卓也もバリバリの攻め男なんだから!!」
小沼……。
なんだよ、そのバリバリ攻め男ってのは……。
「忍は?」
「え、あ、そ、そう…俺もそんな感じかな…?」
ていうか、一樹さんのその冷静なまとめぶりがちょっとこわいんだけど…。
「ふーん、そうなんだ、バリバリなんだ。…ところでふたりとも、ノベルズは読んでないんだね?」
一樹さんが意味深に問いかける。
「って、それって絶版だもん、当たり前じゃんっ」
「俺も読んでませんけど…」
てことは、小沼経由じゃないんだ。
いや、別にどうでもいいんだけど…。
…やっぱりなんか、一樹さんって深い。
「…フフフフフ。そうか。あはははは」
「な、なに? なんだよ一樹!」
「いや、ふたりとも、彼氏がティア系だと思ってるんならそれでいいじゃないか。仲良くふたりともティア系で。…ふ、ふはははは」
「…やだよ、なんか。気持ち悪いよぉ」
「かか一樹さん、な、なにかあるんなら教えて下さい」
心底楽しそうな一樹さんに、俺と小沼の不安度を示す値は急上昇だ。
「それじゃネタバレになっちゃうよ、忍。いやだろ? 読む前にネタバレは。…うーん、でもそうかぁ、それじゃあ、俺は、山凍あたりもらっとこうかなぁ。ちょっと無口っぽく見えるとこがうちの犬に似てる気もするし。他にも努力家とか勉強家とか独学家(?)とか共通項があるようだしなぁ。…でも、ティアか、そうかぁ。卓也と二葉がねぇ。…イコールでなく、忍的にオトメと思うなら、リバも問題ないだろうね。生粋のリバ。リバというより受けかも」
…犬?
リバ?
一樹さんの、最後つぶやくような小さな声が、俺の耳に響いた。
犬? 山凍に似てる犬?
無口な犬って…あんまりじゃれたり吠えたりしない大人しい犬ってことかな?
や、それより、俺的にリバは問題ないって、どういうことだろ。
リバ…?
略語?
リバ…リバティとか?
解放…? 自由?…ってことか?
「一樹さん、リバって…」
「駄目だよ、忍。俺はネタバレは絶対しないから、ね? そういえば、実は俺もティアに似てるって言われたことあるよ」
「一樹さんも?」
「そう、俺の知り合いにもそのシリーズ愛読してる子達がいてね」
そう言って柔らかく微笑む一樹さんに、俺も最初はティアって一樹さんみたいだなぁって思いながら読んでたことを思い出す。
「俺も…俺も最初読んでてそう思いました」
シリーズ中のティアの絵柄が一樹さんとちょっと似てるっていうのもあるかもだけど、実際見て知ってるわけでもないのに、ティアの毅然とした態度や優雅な物腰、優しい光りのような雰囲気に、一樹さんを思い描いてた。
『俺とティアが似てるっていう愛読者の彼女達の理由は、忍とは違うと思うけどね』
俺の言葉に、まぶしいような微笑を返してくれた一樹さんの心の声は、当然ながら聞こえなかった。
「…リバって、リバって、受けってーーーーー!?」
そんな俺達の横で、小沼が蒼白な顔でなにごとかぶつぶつつぶやいている。
「うわーんっっ、嘘だろーーーーーっっ!?」
「お、小沼…?」
なにごとかと小沼に伸ばした手を、突然二葉に掴み取られる。
「ちょっといいか」
「え? あ、ちょっと待って二葉、いま小沼が」
「キョウは卓也にでも任せとけよ。それよりおまえ、俺がティアに似てるって言ったよな」
二葉の真剣な様子に、小沼のことが気になりつつもとりあえず二葉の問いに答える。
「…似てるって言うか。どっちかって言ったらティア系かなって…」
「で、おまえの好きキャラは『柢王』なんだよな」
「好きって言うか、…まぁ、あの本の中では好きかなって…」
「俺がティア系だって言っておきながら、おまえの好きキャラは柢王なんだな!?」
確認を求める声に、小沼に気を取られてた俺は、
「だから、そうだって言ってるじゃないか…っ」
そう返して、自分の失態に気づいたときには遅かった。
「ふ、ふたば…?」
「…フッ。そうだよな。最初から俺、おまえのタイプじゃなかったみてぇだしよ。長かったもんなぁ、片思い期間。ああ、俺、ティアの気持ちがよく分かるよ。アシュレイをずっと思って(遠見鏡で)追っかけてさ…。そうか、俺ってティアなんだなぁ…」
うなだれて、ぼそぼそひとりで話してる二葉がこわい…。
「ふふふたば…? ご、ごめん、そんなつもりじゃなくて…えっとなんていうか…俺、柢王は好きなキャラだけど、それはあくまで『お話』の中のことで、現実とは全く別問題だから…」
あああ、うまい言い訳(自分で言い訳と認めてるあたり…)が思いつかない…。
「そ、そうだっ、それにっ、二葉だって邪道の中での好きキャラはアシュレイだって言ってたじゃないか! で、そのあとで『忍はどっちかってぇと桂花系だよな』って!!」
「…そそ、そんなこと、俺言ったっけ…?」
「言った。…俺も桂花は好きだけど、あのときちょっとショックだった…」
「…え、マジ!? 俺、言ったか!?」
よーし、もう一息だ。
「…アシュレイって、ちょっと小沼みたいなとこ、あるよね」
二葉から見て斜め30度にうつむき、伏目がちに小さな声で言ってみる。
「や、そりゃ違うって!! …そう、現実と本は違うって、さっきおまえも言ってたじゃん!! そ、そういうことだよ!! なっ!?」
俺の両肩を掴んでがしがし揺さぶりながら、二葉が懸命に同意を求めてくる。
「…うん、そうだよね」
ちょっと頭がクラクラしたけど、ゆっくり二葉を見上げて微笑んでみせる。
「俺、今夜は二葉の作ったゴマダレの冷やし中華が食べたいな」
「ゴマダレでもタマスダレでも、まかせとけっ!」
感極まった二葉が突然抱きしめてくる。
『石の余韻』でアシュレイに珍しく色仕掛けされてるティアを思い出した。
…こういう単純なとこも、ティアに似てるって思ったんだよなぁ。
俺は思わずこぼれそうになった笑いを飲み込んだ。
ていうか、「冷やし中華で愛の証明!!」と変な具合に燃えてる二葉はそろそろ連れて帰ったほうがいいかも…。
一樹さんの言葉や小沼のことも気にはなるけど。
見れば、いまだプチ恐慌状態の小沼を挟んで卓也さんが一樹さんになにごとか訊いている。
小沼のことを心配した卓也さんが、一樹さんにノベルズのこととかリバとか…そのへんのことを聞き出そうとしてるのかな。
「来てたんだ、忍ーーっっ♪♪」
「キョウ! てめっ…危ねぇだろっっ!! 忍がひっくり返ったらどうすんだっ」
小沼の甘ったれ声に、二葉の怒声が重なる。
一瞬驚きに息を呑んだ俺は、突然身体を拘束されて身動きが取れない。
「ねっねっ、アレ、読んだ〜〜っっ?」
マイペースな小沼のことはこの際ちょっと置いといて、ぎこちなくだけどなんとか二葉のほうに目をやれば、二葉も半分固まったまま心配そうにこっちを見ていた。
(――だ…大丈夫だから)
そう二葉に目顔で告げると、ほっとしたように緊張を解いたのがわかった。
それから改めて小沼に訴える。
「小沼、暑いし危ないから、やめないか? それ」
それ、というのは小沼の挨拶。
最近の俺限定の挨拶で、いきなり背後から飛びついて首に両腕をまきつけてくる。
小沼としては親愛のつもりの行動でも、これが自分でもそのうち真剣に落ちるんじゃないかと思うほど見事な絞め技になるときがあって……。
そろそろ止めさせないと本気で危険かもしれないと思ってたところだった。
「忍がつめたい…」
今も入り口から一番奥にあるカウンターの椅子に座る俺めがけ、迷うことなく突撃ダイブしてきた小沼は、そんな俺の反応に「うえっ…」と泣きまねしてみせて、尚更ギューギューしがみついてきた。
「わ、わかった、いいよもう好きにして」
「えへ。だから好きさっ」
「…ったく、」
しょーがねぇなぁ…って声と共に、再びテーブルの新聞に目を落とす二葉に心で謝る。
でも、なんでか俺、小沼には甘くなっちゃうんだよな…。
相変わらずな自分に呆れつつ、やっぱり暑いしちょっと苦しいので、そろそろと小沼の腕の輪を広げようと試みる俺だった。
偶然お盆時期と重なった休みも今日で終わる。
小沼に明日からのスケジュールの確認も兼ねて、俺は二葉と夕飯の買い物がてら開店前の『イエロー・パープル』へと足を運んだ。
『ロー・パー』は俺達より一足先に休みを終えて、今日から営業なのだそうだ。
特別用事がなければ、小沼はたいてい卓也さんと一緒のはず。
でも、そう踏んで訪れた俺の予想は見事にはずれ、そこに小沼の姿はなかった。
自宅の電話も携帯も留守電。
仕方なく確認事項のメモを卓也さんに言付けて帰るつもりが、「あいつなら今に来るぞ」と断言されて待つことにした。
軽く食うか?と声をかけられたけど辞退して、俺も二葉も普通にミネラルウォーターを頼んだ。
そこへ、「近所の猫と遊んでて遅くなっちゃったよ〜!」と小沼が飛び込んで…いや、飛びついてきたんだ。
「卓也に今日帰ってくるって聞いてたから、上に寄って一樹に生八橋もらってきたんだ」
気が済んだのか、ようやく俺を解放した小沼は、隣に座ると腕にかけたままの店名の入ったビニール袋から菓子箱を取り出した。
生八橋かぁ…。
一樹さん、今年もお墓参りに行ったんだ……。
ていうか、さっきから俺の後頭部付近で軽くパコパコ暴れてたのは、生八橋の箱だったのか。
「忍も食べるよねっ」
菓子箱の包装を綺麗に剥がしながら「俺、ジュース作るからさぁ〜♪」と、ご機嫌な様子の小沼が鼻歌まじりに、やや断定気味に訊いてくる。
「いや、小沼、あの、」
「いいからいいから。みんなで食べたほうが絶対美味しいに決まってんだしっ。遠慮なんて俺達の間で今更だよ〜」
いや、そうじゃなくて…。
生八橋じゃなく……。
俺と二葉、さっき普通にミネラルウォーターを…。
「忍、ペリエでいいか? 二葉も」
「あ、はい」
すぐに俺の目の前と、少し離れたスタンディング式のテーブル席で新聞に目を通してた二葉のところにペリエの瓶とグラスが置かれた。
「悪い、小沼。…卓也さん、いただきます」
なんとなく小沼に謝ってしまう俺。
それでも正直、心で『セーフ…!』と思ってしまってる俺…。
「…うそ。せっかく夏バテ気味な忍のために新しいスペシャルジュース考えてたのに…絶対生八橋に合うジュースなのにぃ…」
グラスを口に運ぶ俺をじっと見てたかと思うと、小沼がうらめしげにつぶやく。
ううっ…ごめんよ小沼…。
でも、生八橋に合うジュースって…。
小沼にはほんと悪いけど、ドリンク系頼んでおいて真剣によかったと思う。
小沼特製のスペシャルジュース。
別名、闇ジュース。
そう、小沼は最近「ジュース」に凝ってる。
小沼的には、美容と健康を考えた究極のスペシャルジュースらしいんだけど、小沼以外には、なんだかわけのわからないものをミキサーに放り込んだ挙句できあがったとんでもないものという認識でしかない。
しかも究極の特製なので、レシピは秘密らしく、俺たちの間では「(原材料が)謎ジュース」→「(なにが入ってるかわからない恐ろしい)闇ジュース」へとネーミングが進化した。…進化するほど、凄い味だったんだ。
いつもの小沼ならもっと味にこだわってくれるはずなのに、今回は効能重視らしく、「良薬口に苦し!」がモットーだとかなんとか。
薬は薬で飲むから、できればいつもの美味しい小沼(って言い方も変だけど)に戻ってほしいよ……。
「…あ、そうだ、読んだよ。アレ」
「えっ!? …でっ? どうだった?」
失意の小沼を浮上させようと、さっき突進してきたときに訊いてきた質問に遅ればせながら答えると、小沼は早速興味を示した。
「うーん…」
「卓也と似てるキャラ、わかった?」
「ううーん…」
正直言って、さっぱりわからなかった。
話は一週間程前にさかのぼる。
モデル仲間の女の子に借りた、あるシリーズもののファンタジー小説&コミックにハマった小沼が、自分で全巻買いなおし、さらに「返さなくていいから!」と俺にも全巻プレゼントしてくれたのだ。
しかも、宿題つきで。
「あのね、あのねっ! ジャーン! ヒント! 顔(?)が似てるわけじゃありません! …なんていうかね〜行動? 思考? よくわかんないけどっ、卓也なんだよね〜っっ」
ヒントって…。
よくわかんないけど、って…。
そんな語尾にハートマーク飛ばしまくりの口調で発表してくれても…。
「ごめん。ストーリーとキャラの心情追うので精一杯で…」
「んー、まあ仕方ないかっ。卓也を愛し、愛されてる俺だからこそ、わかったのかもしれないし〜」
「あ、ははっ、そ、そうだよ、小沼」
「やっばり〜ぃ?」
「…あ、そういえば、俺も二葉にちょっと似てるかもと思ったキャラがいたよ」
「えっえっ、だれだれっっ!?」
「や、お、俺が自分でちょっと思っただけだしっ。そんな言うほどのことじゃ…」
小沼のご機嫌ぶりに、つい口が滑った。
「いいじゃーんっ、教えてよーっ。俺も卓也キャラ教えてあげるからさっっ」
や、別に、教えてくれなくても…いいから…。
とは言えない小沼の勢いに、
「恥ずかしんなら、せーの、で一緒に言おっ? ねっ?」
「わ、わかったよ」
案の定押されてしまう俺だった。
ま、いっか…。
「いい? 忍。せーのっ…」
「「ティア!」」
………………。
「「…ええーーーーーーーっっっ!!」」
たっ卓也さんと、ティアって…に似てるか?
「え、えーと。卓也さんと似てるって、嫉妬深そうなとことか、一筋なとことか?」
「…そういうとこは卓也に当てはまらないんだけど」
『そういうとこは卓也に当てはまらないんだけど』…って。
そういうとこが当てはまるんじゃないのか?
顔は笑ってるけど、あきらかに残念そうな小沼の答に、心でだけ突っ込む。
小沼が見えてないのか、卓也さんが見せてないのか…。
外から見てたらバレバレなのになぁ…。
「だったら卓也さんって、どっちかって言うと柢王とか山凍とか…そっち系なんじゃ…」
「絶っっ対、ないから!! だったら、二葉のほうが柢王ぽいじゃんっっ!」
「それこそ、絶対、ないね!!」
「綺麗だ…」
同性を好きな自分を認めるのが怖い。
それでも、鷲尾という男の存在を消す事ができない。
絹一は、そんな自分自身を持て余している。
「夜の桜もいいけど…」
灰色の空と淡いピンク色の桜の組み合わせ。
中途半端な色の組み合わせ。
今の絹一にはぴったりの色かもしれない。
「やっと咲いたか…」
「ぇ…」
声のするほうに振り返ると、絹一の真後ろに鷲尾が立っている。
気配など何も感じなかった。
それほど、桜に気をとられていた記憶はないのに…。
「曇り空の中の桜もいいもんだな。だが…」
鷲尾は素早く絹一の身体を自身のコートの中に包みこんだ。
「こんなに冷え切って…ったく、呆れて言葉も出ないな」
「…なら、放っておいてくれればいいんだ」
絹一は搾り出すような声を鷲尾にぶつけ、彼のコートの中から逃げ出そうとした。
「何故逃げようとするんだ?」
「何故って…こんなの間違ってる」
「間違い?」
「同性同士の恋愛なんて、こんなの…」
「…確かにな」
鷲尾はすんなりその言葉に同意した。
絹一は、その鷲尾の言葉に動揺を隠せずにいる。
自分から言い出した言葉なのに、鷲尾にその言葉を否定して欲しいと思ってる。
そんなの虫がよすぎる…わかってはいても落胆の色が隠せない。
「否定してほしいんだろう?」
鷲尾は、絹一の本心を見抜いたようかのような言葉を浴びせた。
いや。
実際は、鷲尾自身が絹一から否定の言葉が欲しかったのかもしれない。
今更、絹一を手放すことができるのか?
絹一を…。
自問自答しながら発した言葉に、余裕など全くなかったのだから。
鷲尾は沸きあがる感情を押さえられず、絹一の唇に自分の唇を重ねた。
肩にかけていただけのコートが落ちる。
灰色だった空は所々黒い色に変わっていた。
恋愛の相手が異性でなければいけないことはない。
ただ。
青い空の下よりも、灰色や黒に近い色の空の下が似合ってる…そんな気がしたのは、絹一だけではないのかもしれない。
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