投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
風をきりながら胸元に抱いた幼馴染の様子を伺う。こんな不安定な状態だというのにしがみついても来ない。
泉でアシュレイについた糸を洗い流す間、再びネコにマタタビ状態にならない様に気をつけたおかげで、今のところ怪しげな行動は起こしていない・・・・と思う。
アシュレイが所有している布。これがあると移動時間が短縮できる。
『アシュレイが、アウスレーゼ様からいただいたんだ。大丈夫。あの方はアシュレイのことを気に入ってくださってるから危ないものではないよ、心配いらない』
最上界の人物とはいえ、会ったことも無い者を簡単に信じるわけにはいかない。しかし、何事においても慎重に事を運ぶティアが全面的に信用しているようだし、その男が自分の大切な友人達に危害を加える輩でないのなら・・・・それどころか力となってくれているのなら、ありがたい。
アシュレイや自分以外に、ティアにとっての拠り所があるということは嬉しいことだ。
あの出来た幼馴染は、なんでも自分の内にしまいこんで苦悩するのがクセになっている・・・というより、そうせざるを得ない立場にある。
誰にでも愚痴をこぼせる立場でも無いし、簡単に人を信用してよい立場でも無い。
天守塔の中には各国のスパイが送り込まれている状況だ、油断ならない。
彼が守護主天などという面倒な立場でなければ、自分もこういう類の心配はしていなかっただろう。
アシュレイとティア、二人とも比べようがないほど大切だ。それでもティアの方が、目が離せないのは事実。ティアは・・・・・謎なところがまだまだある。
時折みせる彼の眼差しがひっかかる。
これだけ近くにいても救いきれない何かがある。そう感じる。
そんな複雑な男に惚れられたアシュレイは責任重大だ。
守天の在り方ひとつで人間界が変わってしまう。ティアがいつでも穏やかでいられる条件からアシュレイは切っても切り離せない存在。
「お前が絡むとあいつ、豹変するからなァ・・・・・」
あどけなさの残る頬に軽く唇を押し当てて、感謝の気持ちを贈る。その気持ちに色めいた感情はない。(・・・・と、柢王は思っていたが、やはり残念ながら少し薬の影響は残っているようだった)
彼は友人でありライバルであり、弟のような存在。
意識があるときにこんな事をしたらあっという間に両手から武器を出し、本気で切りかかってくるだろう。淋しがり屋のくせしてスキンシップに慣れていないのだ。
「・・・・・・あ、やべっ。もし遠見鏡で見られてたら二人がかりで殺されんな――――てか、俺がこいつに迫ったの見られてねーだろうな・・・・」
ついつい足取りが重くなりがちの自分に気合を入れなおし、柢王は天守塔を目指した。
会議に必要な書類の支度をしていた二人は、その様子を見て同時に席を立った。
息を切らした柢王の腕にはアシュレイがスヤスヤと寝息をたてている。その様子はなにか怪我をしたとか、具合が悪くなったとかいうようなものではなかった。
恋人の腕の中で安心しきって眠っている・・・・そんな風にしか、見えない。
「柢王・・・・・・・どういうこと。場合によっては・・・」
いつになく物騒な瞳で柢王を見据えたまま、ふらりと歩み寄ったティアに柢王は慌てる。
「お、落ち着けよティア、どこもケガなんかさせてねぇよ。寝てるだけだから安心しろって」
「・・・・・寝てる?そんなの見れば分かるよ、疑問に思うのはなんで柢王の腕の中でこ・・・こ、こんなっ、こんな無防備な寝姿を晒しているのかっていう事だよ!」
簡単に「寝てるだけ」と言われても、こんな風に自分以外の腕の中で眠るなんてアシュレイに限ってありえない。
「とにかくこっちにっ」
柢王からアシュレイを取りあげるようにティアが手を伸ばす。
こんなに騒がしいのに、ゆるやかな呼吸を繰り返し寝ているアシュレイ。
「―――――このにおい・・・・なんですか?」
天敵が、目を覚ます気配がないと分かると、それまで黙っていた桂花がアシュレイの顔を覗き込むようにスンスンと鼻を鳴らした。
言われてティアも顔を寄せると、アシュレイの体からかすかに甘い香りが漂ってくる。
「バカ、嗅ぐなって!」
柢王は二人をアシュレイから離すと、慎重に言葉を選び、なおかつ自分が媚薬にかかった事は伏せながらさっきまでの経緯を話した。
「何てことしてくれたんだ、柢王〜〜〜」
ティアが書類の山に手をついてうなだれる。
いつもいつも問題をしょいこんでくるのはアシュレイ――――と、相場は決まっていたが、今回ばかりは柢王が原因のトラブルだった。
「どうりで苗の数があわないと思った・・・・で?吾の苗を勝手に持ち出したコソ泥の尻拭いのために、こちらを監視しておけと?この方が目覚めるまでならお役に立てますが、気がついたら最後、修羅場になる事に責任はもてませんが。それともあなたは吾が炭になっても構わないと?」
「そう言うなよぉ〜頼む。俺はもっかい戻ってホントに全部燃えきったか見てくるからサ」
いちおう綺麗に糸は取り除いたものの、一向に目を覚まさないアシュレイが気になる。
なにか副作用などがあるかもしれないし、このまま一人で寝かせておくのは不安だった。
「私からも頼むよ桂花。指輪も渡しておくから」
ティアは寝ているアシュレイに、手光をあてて霊力を補ってやりながら桂花を見た。
守天のスケジュールはもちろん把握している。このあと大事な会議が控えていることも。
「――――仕方ありませんね、守天殿の頼みとなっては」
しぶしぶ承諾した桂花に礼を言うと、ティアは自室へアシュレイを運んだ。
「悪ぃな、じゃ、行ってくる」
柢王の事は軽く無視してティアの後を追うと、揃えた書類を手渡し会議へ送り出す。
静かになった部屋の中、ホッと息をついた桂花は不平をもらした。
「・・・・・なんで吾が」
どうせなら執務室で監視していたかった。そうすれば仕事をしながら様子を見ればいいので気もまぎれたのに。
「ん・・・」
寝返りをうったアシュレイに、桂花はギクリと動きを止めて様子をうかがう。
―――――起きる気配はなさそうだ。
「はぁ・・・柢王、守天殿、うらみますよ」
いくら守天の指輪に守られていても嫌なものは嫌だ。
武将である自分が意識を失い、いつの間にかベッドに寝かされていて、起きぬけに大嫌いな魔族と目が合う――――その後どうなるかぐらい想像がつくというのに。
壁の方を向いたアシュレイの頭に冠帽がついていない事に気づき、桂花は眉をしかめたが、幸な事に守天が持ってきてくれたのだろう、サイドテーブルの上に置いてあった。
彼が自分に角を見られたと知ったら守天の、所有物の被害が増えるだけだ。今のうちにつけてしまおうと、冠帽を手にとってアシュレイにかぶせようとした時、中に何かが詰まっている事に気づいた。
「何だ?」
ひっくり返して中を見ると、綿のようなものが詰まっている。
指を入れてたぐり寄せると、細い糸が絡まって、玉のようになっていた。
「これは・・・例の糸か」
桂花はやわらかな糸に火をつけて、燃やしてしまう。周囲に甘い香りが漂った。
「あの人は、時々詰めが甘い」
受け皿として使ったものを軽く懐紙でぬぐい、再びアシュレイの方を見ると、なんと彼は半身起こしてこちらの方をジッと見つめていた。
「!」
桂花は即座に扉へと走ったが、それよりも速くアシュレイが立ちはだかる。
「・・・・・・・」
無言で見つめ合ったまま数秒が過ぎる。
桂花がサッと扉に手を伸ばすと体で阻止される。
「柢王のとこ行くつもりだろ?・・・ダメだ・・・・俺と一緒にいろぉ〜」
「!?」
「・・・・桂花・・・・綺麗・・・お前って、綺麗〜」
桂花の腰に手を回し、抱きついてくるその目はトロ〜ンと果てしない所までイっている。
「・・・冠帽の糸か!」
アシュレイの豹変振りに桂花は、この糸の香りを嗅いだもの全てが媚薬にかかるわけではないのだと悟った。
それを体につけた者に直接効果はない。つけた者が周りの者に好かれる効力、つまりほれ薬の類なのだと。
「は、離せ!」
すがり付いてくるアシュレイを腰にぶら下げたまま、ドアに手を伸ばす。
「行かさないぃ・・・お前がいてくれるんなら、何でも言うこと聞く・・・桂花・・・よくわかんねぇけど・・・お前のこと、たまらなく好・・」
バッとアシュレイの口を袖でふさぐと、桂花はそのままベッドへ彼を引きずった。
「いいですか!それ以上喋るんじゃありません!」
もしも彼が正気に戻った後、今のこの記憶が残っていたら自分(桂花)の身だけではなく柢王の身も危ないだろう。
プライドの高い王子のことだ、自分から魔族に言い寄ったなんて許せるはずがない。
「桂花・・・やっぱり俺のこと嫌いか?俺を・・・置いていくのか?」
桂花の服を引っぱりおどおどと訊いてくるアシュレイに怖気が走る。 あんな少量で加工もされていないのに、なんて恐ろしい効き目だ。アシュレイ自身、正気に戻ったら自害しかねない。
「そ、そこから動かなければ、どこへも行きません」
「分かった、動かない」
こんなに素直なアシュレイは見たことがない。
無邪気な顔でニコッと微笑まれて、一瞬カワイイかもしれないと思いそうになってしまった自分も恐ろしい。
大人しくベッドの上で膝を抱えているアシュレイを横目で見ながら桂花は薬袋を探る。
媚薬がまわっている体のため記憶を完璧に消すとまでは行かないかもしれないが、何も手を打たないよりはマシだ。
「目を閉じてください」
言われるがまま目を閉じたアシュレイの頭から粉を振りかけた。
「桂花?」
目を開けたアシュレイだったが、すぐに焦点が合わなくなり再び眠ってしまう。
「―――頼むから効いてくれ・・・」
小さな寝息をたてているアシュレイに今度こそ冠帽をつけて、崩れるようにソファーへ倒れこむ。
「・・・・・いっそ吾の記憶を消してしまいたい」
守天のことといい、アシュレイのことといい、誰にも言えない秘密がまた増えてしまった事実に、桂花は頭を抱えた。
その後、まる一日、柢王と口をきかなかった桂花だったが、守天からの手紙でアシュレイの記憶が飛んでいる事を知らされて、ようやく恋人を許してやったのだった。
水滴を含み、しっとり濡れた髪が首や頬にまといつく。
「くそっ、うざったい!またティアに切ってもらわね―と」
人界にいた頃、部下にカットを頼んだが、どいつもこいつもバカみたいに緊張して手をふるわせるものだから、結局自分でハサミをいれた事が一度だけある。
その直後、定期報告で天界に戻ったときアシュレイを見たティアが絶句し、理容師を呼びつけ大騒ぎとなったのだ。以来、決して自分で切らないと約束をさせられた。
「あのときのティア・・・おかしかったな」
クク、と声を殺して笑いアシュレイは前に立ちはだかる草をなぎ払った。
払うたび水滴が散り、既にアシュレイの服は上から下まで濡れてピッタリと体に張り付いていた。
「しかし柢王の奴・・・人を呼び出しといて何してやがる」
せっかくの休日なのに頼みごとがあるからと、一方的に待ち合わせ場所を指定してきた。滅多にない親友の頼みに、何だかんだ言ってもアシュレイは張り切っていたのだ。
いつも世話になってばかりの自分が役に立てるのなら何だってしてやりたいし、いくらでも相談に乗るつもりだったのに・・・・・。
既に三十分は待っている。短気なアシュレイにしては大変なことだ。
もう待てない!と思ったところで、すぐ後ろの繁みから悲鳴が聞こえた。
男とも女とも区別がつかないような悲鳴は気味が悪かったが、放っておくわけにも行かずアシュレイは飛んだ。
しかし、上から見ても鬱蒼と生い茂る草ばかりでなにも見えない。
空耳か?と下りたところで二度目の悲鳴。
「チッ、何なんだよ、ったく」
正体不明の悲鳴にどこだ!?と声をかけるが全く応答がない。
「はぁ〜・・・くそっ」
こんなことに朱光剣を使うなんて・・・とアシュレイは嘆息しながら草を次々なぎ払うこととなったのだ。
「燃やしちまった方が早いけど・・・奥に誰かいるのにヤバイよな」
人を焼き殺す趣味はない。
ブツブツ文句をたれながら突き進んでいく間、アシュレイは自分の体がだんだん重くなってきている事に気づいた。
「何だ・・・・?」
手も足も、思うように動かない。
よく見てみると、全身に蜘蛛の糸のようなものがいくつも絡んでいて、それを取ろうと動くたび、体の自由をうばわれていった。
「な、何だよこれっ!?」
声をあげたとたん四方からいっせいに糸が体に巻きついてきた為、アシュレイは体を浮かし発火した。
ボッと炎が全身を包み、糸が熔けて体の自由が戻る。
「どーなってんだ・・・」
訝しむアシュレイの耳に三度目の悲鳴。
しかしそれは誰かに助けを求めている人のものでも、恐怖にかられた人のものでもなかった。
「―――――なんだよ気味悪ぃ・・・この植物・・・・悲鳴あげてやがる・・・・・」
「アイツ怒ってんだろうなァ」
柢王はアシュレイとの待ち合わせ場所へと急いでいた。
ムリヤリ約束をさせたのは自分のほうだったのに、寝過ごしてしまった。
桂花が天守塔に行くとき声をかけてもらったのだが、二度寝をしてしまったらしい。
「せっかく貴重な時間もらったのにな。このチャンス逃したら次はいつになるんだ?それまでアレを放っておくわけにもいかねぇし・・・・やべぇぞコリャ」
柢王はため息をつきながら頭をガシガシかいて、速度をあげた。
やっと約束の場所の上空まで来ると、地上の方でボッと火の手が上がった。
急降下すると、そこにちょうどアシュレイが草むらから転がり出てくる。
「アシュレイ!」
「〜〜〜〜柢・・王・・・貴様ぁ・・・・何なん・・・だ、コレ・・・・霊力が・・」
力が抜けた状態のアシュレイが、ヨロヨロと柢王の胸に倒れこんできた。
「おい、しっかりしろアシュレイ!・・・・・・・」
抱え込んだアシュレイの体から甘い香りが漂う。彼の好物だった、マシュマロのような匂いだ。
「なんだ?お前の体、甘いにおいするぞ・・・それにこんなベタついて・・・・いったい何が・・・・・お前・・・・こんなに可愛かったっけ・・・・アシュレイ、かわいい・・・・・」
「は!?」
柢王の語尾にギョッとして、肩で息をしていたアシュレイが顔をあげると、ふらふらぁ〜と柢王の顔がアシュレイの唇を求めて急接近してくる。
「やめ・・・ろっ!・・・バカ野郎・・・・なに血迷って・・・」
力の入らない手で迫る頬をグイグイと押し戻すが、すっかり目がとろけている柢王はへこたれない。
「アシュレイ・・・なんで今まで気づかなかったんだ・・・・・」
「や・・・・・桂花!あそこに桂花がっ!!」
ピク。と一瞬柢王の動きが止まったが、すぐにヘロヘロ〜と迫ってきた。
「アシュレイ、食べちゃいたい」
「よさ・・・・ないかっ!」
ブワッと炎が柢王の体を包む。
「ぅわっちち―――っっ!あ、あちっ、あちいっ、アシュレイッ!消してくれっ正気に戻った!戻ったから!!」
疑わしい目を向けたままアシュレイがまやかしの火を消してやると、柢王は風上に立ってアシュレイから距離をおく。
「なんて恐ろしい・・・」
「どっちがだ!」
「いや、お前の事じゃねぇよ。その植物」
言いながら柢王はアシュレイの後ろの繁みを指さす。
「これ?お前が言ってたのって、この植物なのか?こいつ、悲鳴あげたぞ。気味悪ぃ」
「だろ?俺も昨日聞いた。多分これ・・・俺のせいなんだよなぁ。実はサ、桂花の持ってた媚薬のもとになる草の苗をこっそりここで栽培してみようとしたら、別の奴と混合しちまったらしくてサ」
「別の?」
「う〜ん、推測だけどな?苗を植えた日、俺、魔風屈に行ってたんだよ。その時なんかの種が服にくっついたんだと思う――――で、それくっつけたまま苗を植えて・・・・その時種が落ちたんじゃねーかと。あっちには声あげて獲物をおびき寄せる植物とかあるからな、そいつが苗に寄生したっつーか共生したっつーか」
「全く、何でそんなもの・・び、媚薬なんて、テメーには必要ねーだろ」
「だってあれ結構いい値で売れるんだぜ?種類によって程度が違うんだ。俺の勘ではこいつが一番効くと見た。何しろ桂花の管理が厳重だったからな」
「ンなもん育てたところであいつの手ぇ借りなきゃ媚薬なんて作れねーだろ」
「そりゃそーだ。だから、大量生産できるように協力したってコト、作っちゃったもんは怒ったってしょーがねーだろ?」
「・・・・・・確信犯か、あきれた野郎だ。だいたいこっそり盗んできといてなにが協力だ。いつもの事ながら適当なこと言いやがって―――――で?俺になに頼むってンだ」
「魔界のもんが混じってるしここで育てるのはヤベェだろ。それに繁殖力が強すぎる。ここまで育つのにたった七日だぜ?最初はこんな広範囲じゃなかった」
「なんだと?じゃあ・・・上に伸びるだけじゃなく、範囲を広げてるってことか」
「そ。も〜いくら切ってもキリがない。あっという間に蘇生するからよ、お前の火で焼き払ってもらおうと思ったわけ。こいつ、昨日より確実にパワーアップしてる。俺が昨日切ったときはこんな症状は出なかったし、甘い匂いもなかった」
「・・・・・くだらねぇ。しかも結局失敗してんじゃねーか」
アシュレイはガックリと肩を落とす。
せっかく柢王の相談にのろうと、力を貸そうと思っていたのに・・・・こんな草を燃やすだけだなんて・・・・。
「じゃ、早速焼いちまってくれっか?」
「・・・・・」
「よろしくっ」
人懐こい笑顔でアシュレイの背中を軽くたたく。
「ったく、あ――っ、バカバカしいっ!てめぇ、さっさと土の下から根こそぎこいつらを掘り起こせ!」
「了解〜♪」
柢王が次々と小さな旋風をおこし根元を切らないよう気をつけながら掘り起こすと、アシュレイがそこに業火を放つ。
キェェ〜〜、ギャ〜〜と断末魔の叫びが響きわたり、その気味悪さに我慢できずアシュレイは柢王の脛を蹴っ飛ばした。
流れ作業の要領で次々とこなしていき、最後の一角に火を放った直後アシュレイが柢王を突き飛ばす。
「―――っだよ!?そこまで腹立てること・・・アシュレイ!」
とっさに受身をとった柢王の目の前でアシュレイの体が宙に舞う。
その光景は、シュラムにアシュレイが振り飛ばされた時を髣髴とさせるものだった。
細い糸がいっせいにその体を包み込み、白繭が宙に浮いている。
「アシュレイッ」
首に下がっていた鎌鼬の剣を構え、葉の切断面から伸びた蔓のような糸を切り離した柢王はアシュレイの体を受け止めて、すぐに空へ逃げた。
息を止めて体を包み込んでいる糸をむしり取っていく。
ほとんどが、千切れて下へと落ちていったが、アシュレイの体にはまだ蜘蛛の糸のような細いものが絡み付いていて、それが甘く香っているようだった。恐らく、この糸が霊力を吸いとっているのだろう。
地上ではアシュレイが最後に放った炎がメラメラと手を広げていき、さっきまで彼の体を拘束していた糸を吐き出した葉も、一つ残らず飲みこまれていった。これで落着だろう。
昨日まではここまでの威力は無かった。異常なほどの急成長・・・このまま放っておいたらどうなっていたか分からない。
柢王は改めて己の迂闊さに舌打ちした。
命の危険を感じるほど霊力の消耗はないが、アシュレイは完全に気を失っている。ティアの所へ連れて行ったほうが良さそうだ。
「・・・・・参ったな、天守塔には桂花も居るってのに・・・・・・にしても、こいつの睫、長ぇな・・・あどけない顔しやがって・・・かわいい」
口をついた台詞にギョッとして、柢王は頭を振る。気をつけたはずなのに、少し媚薬にやられているようだ。
「体中ベタベタだし、早いとこアシュレイのこの匂い落とさねぇと」
飛んでいる間、息つぎをしたり風上に自分の身をおいたりと工夫をしながら柢王はどうしても可愛く見えてしまうアシュレイを抱いて泉を探した。
「とにかく、出店も、入会も、お断りします」
そう言うと、桂花は柢王とアシュレイに目配せして立ち上がろうとした。
「そなたの男は、そなたが首を縦に振るまでここに滞在するようだが」
途端に、こちらとあちらの部屋の間、上から鉄柵が降りてきた。
「柢王っ…!!」
突然のことに桂花の目配せでそちらに行こうとした柢王を鉄柵が掠めた。
肩や腕から血がしたたる。
「もうちょっとだったんだけどなぁ…。桂花、アシュレイ、悪い」
「かすり傷のようだが、消毒くらいはしたほうがよいかもな。たまに身体によくないものが塗ってある柵ゆえ…」
「なっ……!」
教主の言葉に初めて桂花が顔色を変える。
「桂花殿の髪、赤いところは染めておるのか? 手入れはいつもどうしておる? 頭皮マッサージはどのように? 一度毛根をじっくり見せてもらえぬか」
「…そんなバカげたことで」
「ん? なにか言うたか?」
「そんなバカげたことで、吾の柢王を!?」
「こらこらっ、桂花っ、危ない人に危険なこと言うなっ!」
「ふふふ、そなたの男の言うとおり」
「なにが危ないんですか、なにが危険なんですかっ!?」
いや、たぶん、おまえが……。
と、蚊帳の外状態のアシュレイは桂花を見て心でつぶやく。
「こんな髪くらいのことで、柢王を、吾の仕事を…っ」
「け、桂花っ」
「サル、出刃っ!」
「お、おおっ!」
サルと呼ばれたことすら気づかせないほどの桂花の勢いに、アシュレイは素直に出された右手に取り出した愛用の包丁を渡す。
――――――――ザクッ!!
バサバサバサ…。
「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃ………」
「けっ桂花っ!!」
「…………」
絶叫する全ロン会会長と、驚きの声をあげる柢王、アシュレイと李々は声すら出ない。
「髪なんてものは、切れば伸びるし、一度剃れば綺麗な髪がまた生えてきます。あなたも一度丸ごと剃ってみますか」
桂花はアシュレイを見て、バリカンは? と訊く。
アシュレイは首をブンブン振って否定の意を表す。
「仕方ありませんね。…今日のところは柢王は置いていきます。が、」
鉄柵の隙間から毒消しを差し入れると、振り返り教主の目を見て続けた。
「次は、吾はバリカン持参で来ますから。言っておきますが、初めて使うので下手ですよ。一応毒消しと切り傷用の軟膏と化膿止めは用意してさしあげますが」
最後を氷の笑みで締めくくると、失礼しました、と立ち去ろうとする。
「ま、まま、待て!」
聞こえぬそぶりで尚も足を止めない桂花に、
「待ってくれ! 桂花殿。…李々、あれを」
声に、李々と呼ばれた赤毛の女が柢王を閉じ込めた鉄柵の鍵を開ける。
「へぇ…。んなとこに出入り口があったんだ」
開いた鉄柵の出口から、柢王が出てくる。
「帰っていいのか」
「仕方あるまい」
「今回は、諦める」
「今回は?」
「人の心は移ろいやすい。桂花殿の心も変わるやもしれぬ。髪もまた伸びるしの」
「伸びても、また切りますから」
「もったいねぇ…」
「…そんなこと言える立場ですか」
桂花の言葉に隣に立った柢王が、すまねぇ…と小さく謝りながら、短くなった桂花の髪を痛ましげに見つめる。
「それではもう二度とお会いすることもないと思いますが」
辞去の言葉を残し去ろうとする桂花たちに、
「ではまた」
懲りない声が響く。
「『また』なんてあるかっ!!」
憤慨しつつのアシュレイ、珍しく恐縮気味の柢王、そしてたぶん静かに怒れる桂花の三人は、冥界センターをあとにした。
「そういや、ティアはどうしたんだ?」
冥界センターを出て少し歩いたところで発せられた柢王の疑問に、指輪から弱く低い声が響いた。
『ごめん…。ずっと聞こえてはいたんだけど…。桂花の髪のこと、なんて言っていいか…。会ってから、顔を見て謝罪するべきだと思って…』
「守天殿のせいではありませんよ」
『いや。私はまだまだ若輩者だけど、これでも自治会と商店街の会長なんだ。ほんとなら、私が君達を守るべきだった。なのに全部桂花に任せてしまって…。あんなに綺麗な髪だったのに。だいぶん切ってしまったの? 本当に、本当になんて言っていいか…』
「守天殿…」
そこへ、アシュレイがさっきの出刃を持ち出して、やおら自分の赤毛にあてた。
「アシュレイ…!!」
「サルっ…なにをっ!!」
「サルじゃねぇっ!! …男にとって髪なんてなぁ、そんなに大事なもんでもねぇし、切ったからって、気にするもんじゃねーんだ!」
そういって、威勢よくザクザクザク…………。
『…ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ』
声と擬音だけでアシュレイがなにをしているか分かったのか、続けて指輪から『バタン!!』と音が響いた。
たぶん守天が卒倒したのだろう。
「しゅ、守天殿!!」
「心配すんな。あそこには、八紫仙の爺やどもが聞き耳立ててティアの様子をうかがってるからな。倒れたってそのままにはしとかねーさ。それより…」
柢王はアシュレイの手をつかんだ。
「もういい。やめろ、アシュレイ」
「…かっ髪の毛くらいでっ…」
「わかった。わかったから…」
「吾にとっても、髪の毛はそんなに大事じゃありません。守天殿の気持ちは大変ありがたいですが、強いて言えば女を餌に捕獲されたバカが悪いだけで、守天殿にはなんの責任もありません」
ただ、そのバカが、吾の長い髪が好きだと言ったから、少し胸が痛むだけで……。
「髪には、なんの未練もありません。帰ったら守天殿にもそう言いますよ」
「…すまねぇ。頼む」
守天はああいう人だから、なんでも自分のせいにしたがる。
会長補佐兼任の桂花にはそれがよくわかっていたし、なにかといえば自分に対して敵愾心剥き出しで決して相性がいいとは言えない猪突猛進なこの赤毛のサルが、そんな守天をとても大切に思っていることもわかっていた。
「あ。…これ、いただきものですが、よかったらどうぞ」
桂花の申し出を、珍しくアシュレイが受け取る。
「甘っ…」
「おまえ、辛党だもんなーっ」
「うん…でもいいな、なんか。力、出そうな気がする」
「元気が出るからって、ここに来る前にもらったんです」
「…………それって、あのガキか?」
いやそうな顔で柢王が尋ねる。
「ええそうです。だからあなたの分はありませんよ」
「いいぜ。嘗めなくても、どうせあとでおまえで味見すっから」
「…あなたの万年常春な頭、一度さっぱり刈り上げて脳を冷やしてあげるのもいいかもしれませんね」
やっぱりバリカンは必要ですね、と言いながらカイシャンからもらった元気玉を口に入れると桂花はさっさと前を歩き出す。
それを追って幾分柢王とアシュレイがスピードをあげる。
そのうち前を歩く桂花から、冰玉が飛び立った。
「一応、先に冰玉を飛ばしました」
天主塔ベッドを出るときに、守天に「気をつけて」とそっと手をとられたときに渡された指輪のことは、誰にも内緒のことに違いない。
だったら、心配して待っているだろう商店街の皆への伝達の手段は冰玉でなければならない。
たった一言、「全てうまくいきました」としか書かなかったが、それだけで皆にはわかるはず。
「あなたにも、今回は世話になりました」
桂花が、アシュレイに礼を言う。
「べっ別に…」
「なんだおまえ、照れてんのか!?」
「うっ、うるさいっ!」
突然軽く殴りあいだしたふたりは、商店街にたどり着くまでに、無駄に生傷が増えそうな気配だ。
(俺のほうこそ…。流れ者だから信用できないと思ってた。商店街にいるのもただの腰掛程度にしか思ってないんだろうって。うちより条件が良ければ簡単に出てく奴に違いないって…)
口に出しては絶対言わないが、心でアシュレイは桂花に頭を下げていた。
「しっかし、魚くせぇなー」
桂花の短くなった髪のひと房を取って柢王が悲しげにつぶやく。
「おまえが文句言うなっ」
「さすが『街の鍛冶屋・ビノ』の逸品だけあって切れ味抜群でしたよ」
「ったりまえだろっ。俺んとこのこの出刃『朱光』と目打ちの『斬妖』、山凍んとこの肉きり包丁『八星』は、ビノにも二度とは打てない渾身の一本なんだぞ!」
自慢げに語るアシュレイをよそに、柢王は、でも俺の桂花が魚くせぇってのはなぁ、と尚もブツブツ言ってアシュレイの怒りを買う。
桂花はそんなふたりの話を聞いているのかいないのか……。
「あっ、待てよ! 桂花」
「逃げんのかっ柢王!」
「子供の遠足じゃないんですから、外を歩くときくらい静かにして下さい」
口調は怒っているようだが、前を行く桂花のその面には、柔らかい笑みが浮かんでいた。
『なにと引き換えにしても、俺はおまえが欲しい。どこにも行くな。傍にいてくれ』
そう口説かれても初めは絶対うまくいくわけなんかないと思ってた。
自分みたいな余所者が、昔ながらの商店街の人たちに受け入れられるはずがないと。
そして自分もそんな水に染まれるはずがないと。
だが、違った。
『住めば都っていうだろ? それになんてったって俺が一緒だしなっ』
桂花の心の変化を見抜いてか、柢王にもからかうように言われたことを思い出す。
(商店街のことはもちろんだけど、なによりあなたが無事でよかった…)
「あ、そうだ」
突然柢王が声をあげる。
「ティアは全部知ってっから仕方ねぇけど、帰ったら、全ロン会とかのことは言うなよ」
「…なんでだよ」
「いいから、言うな」
なんでなんだよ!! と叫ぶアシュレイに、柢王が「帰ったら理由話すから、つか、おまえ行ってないことにしろ、こっからひとりで先帰れ」などと勝手なことを言いだす。
「だから、なんでかわけを言えってば!!」
喚き続けるアシュレイに、桂花がつぶやいた。
「全ロン会のことを話せば、吾の髪が原因だとわかりますからね…。柢王は、全て自分のせいだということにしたいんですよ…」
「あ…そうか…。おまえのこと…」
桂花をかばうためか、と納得いったアシュレイとは違い、柢王はガシガシと頭をかく。
「でもさー、俺もお前もこんな頭でさ…。どう言い訳すんだ?」
「吾のは、話だけでは埒があかないので実力行使に出たときに髪があちこちにひっかかって、とでも言います」
「じゃあ俺は、魚焼いてたら飛び火で髪まで焼けたってことにしとくか!」
どっちもすげぇ無理あんだろ…と、ドッと疲れを感じた柢王だったが、好きにさせることにした。
「わかったら、さっさと先行け!」
「なんだよ、大通り抜けてからで大丈夫だろっ」
「だから……子供の遠足じゃないんですから……」
皆が待つ商店街まで、もうすぐ。
上着の袖は焼け焦げ腕にはくっきり緊縛のあとが残る柢王に、散切り頭の桂花とアシュレイ――。
見るからに怪しげな三人に、道行く人たちも避けて通る。
それでも商店街の皆は、自分達を心から迎えてくれるだろう。
心は軽く晴れ晴れとした足取りで、三人は夕暮れの帰路を急いだ。
終。
事務所は、センター建設中の敷地内の端、大きいけれどなんの変哲もないように見える、長方形で地味な三階建てのビルだった。
桂花が入り口のインターホンで来訪を告げると、女の声で指示があった。
その指示通りにオートロックが外された扉を開け中に入り、エレベータで3階に上がる。
外見と同じく、中もコンクリートの無機質で殺風景な様子だったが、アシュレイはキョロキョロしっぱなしだ。
エレベーターの扉が開くと、がらりと雰囲気が変わった。
突然十メートルほどの板敷きの廊下が、眼前に現れたのだ。
これにはアシュレイは言うに及ばず、桂花も目を見開いた。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに桂花は履物を脱ぐとエレベーターからひんやりとした板上に一歩を踏み出し、そのまままっすぐ廊下を進んだ。アシュレイも気を引き締め直して、桂花を追った。
その先に、柢王は待っていると告げられていたのだ。
無駄に広い監禁部屋(仮名)にたどり着いた桂花とアシュレイは、まず赤い髪の女にうながされて、柢王と怪しげな長髪の男との中間よりやや長髪の男側に座らされた。
中間と言っても、お互いが五十畳敷きの中央あたりの柢王と長髪の男、結構距離がある。
だが、さきほど桂花とアシュレイを映しだしていた大画面も、今ではただの真っ暗な壁と化し、障子の向こうにその姿を消している。防音設備もしっかりしているのだろう、外の音は一切聞こえてこない。
そのため特別声を張り上げずとも、会話に不都合はなさそうだった。
「今日はお招きいただきまして」
「思わぬ付録もあって、なかなか賑やかでいい」
桂花の言葉に、教主は笑いをこらえた声で言う。
部屋に入った瞬間、緊縛スタイルの柢王に、悪口雑言の限りを尽くしたアシュレイに、教主はバカ受けしたのだった。
「確かこちらの前身は、町の小さな散髪屋さんだったとか」
相手の出方を見るため、とりあえず世間話を桂花が振ると、秘書だと紹介された赤毛の李々という女が答えた。
「最初は理容専門の『バーバー★冥界』からスタートしましたが、現在は美容術全般を扱う『冥界美容室』として全国展開を果たし、老若男女すべてのお客様にご愛顧いただいております。また、冥主様は経営の傍ら今なお『カリスマ美容師』として君臨されております」
「かりすま…?」
「そう、カリスマ、です」
アシュレイのつぶやきに、李々が誇らしげに答える。
「…それってカラスミみてーなもんか?」
「好みの問題もありますが、不特定多数の支持者を得ているという点では、同じでしょう」
自問気味につぶやくアシュレイに、今度は隣の桂花が答えた。
(…同じかっ!?)
「やっばりな!」
(…やっぱりじゃねーよ)
柢王の心の突っ込みも空しく、アシュレイは得意満面だ。
監禁犯はといえば、ぶるぶる震えている。
笑いをこらえてるのではなさそうだ。
「えー…と、カラスミとはちょっと違います」
危険人物の斜め後ろから李々が焦ってフォローを入れる。
「そんなことどうでもよい。…改めて、桂花殿。我がセンターへの出店、悪い話ではないと思うが」
「せっかくですが、今の商店街を出るつもりはありませんので」
桂花の答えに、一瞬アシュレイが目を瞠る。
「しかし、そなたの男は出店を勧めておるぞ」
「…男?」
「ははっ、俺、俺!」
「…そんなところでなにしてるんですか、あなたは」
「いやーなにしてるって言われてもなー。…つか、いつの間に仲良くなったんだ? おまえら」
身動きできない緊縛男が、桂花とアシュレイを交互に顎でしゃくる。
SMっぽく縛られていても口は達者だ。
「……仲良く見えますか」
「写真の中でも寝たまま楽しくやってたみたいだが、まだ寝ぼけてるようだなお前はっ!」
アシュレイにしては珍しくおとなしい(それでも真っ赤な眸は明らかに怒りに燃えていたが)と思って軽口が過ぎた、と柢王が後悔しても遅かった。
あっという間に柢王を拘束していたロープが消し炭と化す。
「…てめっ、熱いだろがっ! 玉の肌に火傷でもしたらどーすんだっ!」
「ちょっとは目が覚めたか、この色ボケが!」
「礼など言いたくありませんが」
騒ぐ柢王を冷ややかに眺めて、桂花がアシュレイに目礼する。
「だいたい、女を餌に拉致られて商店街に迷惑かけるなんてっ…恥ずかしいと思え!」
「柢王にとって『女』は『生き餌』と同義語ですから」
「…最っ低!!」
「……やっぱりおまえら仲良いだろ」
犬猿の仲のはずのふたりのあまりのコンビネーションのよさに、罵倒されつつ感心してしまう柢王だった。
「さて、仲間内の相談はついたか?」
「…相談してるように見えたのか?」
疲れたように柢王が問う。
「冥主様はなんといってもカリスマですので、まず『話し合う』ということがありません。そちらのように額をつき合わせて話し合うということは、すなわち『相談』と取れるのです」
「は……。なるほど」
返事を聞いて、尚更疲れた柢王だった。
「で、決心はついたか、桂花殿」
「何度聞かれようと、答えは変わりません」
「なぜだ。我がセンターには選りすぐりの各種名店が入る。交通の便もよく集客もそこらの商店街とは格段の差だ。利益も今の比ではないぞ?」
「そういう問題ではありません」
「では、なにが問題だと」
「吾も商店街にこだわってるわけではありません。別に流しの薬屋でもいいのです。ただ、」
「ただ?」
「吾は、あそこに腰を落ち着けて、はじめて情けというものを知りました」
「…なさけ? そなたには不似合いな言葉ではないか?」
「そうです。それまではひとりでもよかった。ひとりのほうが気楽だし、毎年全国を回ってればなじみの客もいた」
独り言のように少し遠くを見る目で桂花がつぶやく。
「流しの薬屋で、はじめてあの商店街で商売をしたとき、本当に喜ばれました。商店街に薬局がなかったのもありますが、あそこは昔からの土地で今もお年寄りが多い。こちらのセンターの客層はどちらかといえば新興住宅の若夫婦たちでしょう? 吾は、そんなどこででも買い物に行けるような客層に興味はないんです。流しのときからずっと、吾のお客様は吾が決めてきました。吾の客は、吾の薬を心から必要としてくれる人たちです。吾の薬を待っていてくれる人たちです」
「そうは言っても、流しをやめたらそれまでの客は放置ではないか」
「桂花は今でも流しに行ってるぜ」
「…そういえば、月の半分はいないってティアが」
柢王とアシュレイの言葉に頷き、
「今までのようには行きませんが、常備薬のお届けは毎年行っています。…商店街の皆さんは、吾の勝手な営業にも文句ひとつ言わず、かえって吾の身体を気遣ってくれます」
桂花は改めて教主の目を見て言った。
「冥界センターのようなところで、そんな営業ができますか? 吾は、自分のスタイルを変えるつもりも、自分の意思を曲げるつもりも毛頭ないんです」
桂花の言葉に満足そうな柢王とは裏腹に、アシュレイは密かに動揺を隠す。
「……というか。どうして、吾なんですか? 薬屋なら、他にもいるでしょう?」
吾ほど腕がたつかは別として、と心で思った桂花だったが口には出さない。すると、
シュルルルルルル…………。
いきなり教主の手元から、A5サイズのファイルが畳の上を回転しながら桂花たちのもとに届く。
「出店が決定している店舗の内訳だ」
拝見しても? と目で訊くと、教主はゆったりと頷いて返す。
畳の上のファイルを手にとり、まず一枚、そして一枚、また一枚、と桂花がページを繰る。各店舗の詳細・広さやセンター内での配置図・代表者名とセンター内での責任者の履歴と顔写真等々……。
「これが、なにか…?」
横からアシュレイも覗いて見る。
「どれどれ」
拘束を解かれてもそのままあぐらをかいて桂花達の話を聞いていた柢王も、そばに行ってみようと立ち上がる。
「なーんか、みんなだらしねぇな」
「は?」
「だって、なんかチャラチャラしてねぇか? 服もだけど、ほら、こいつなんか、頭ぐりんぐりんで、そっちの奴なんか塗り絵みたいな頭でさ。おっ、見ろよ、これなんか鳴門巻きみてぇだぜ!」
アシュレイの言葉に、近寄りファイルを見ようという気は綺麗に柢王から失せ、再びその場に腰を下ろす。
(だからまだ空き店舗があったのか…)
徹底したロン毛へのこだわりぶりに、おぞ気とともに脱力感を感じる柢王だった。
「ぐりんぐりん、って、綺麗にセットされてますよ。こちらも、色合いが見事だと思いますし、こちらは染色した髪を縦に巻いたものでは…」
「綺麗ー!? ウザいだけだろ、こんなんじゃ仕事しててもなんにしても! どこの店のヤローもチャラチャラ髪の毛伸ばしやがって」
そんなアシュレイの髪も長いのだが。
難癖をつけながらページを繰るアシュレイの言葉に、しかし偶然なのか、全員髪の毛が長いことに桂花の目が留まる。
「ふふ……」
微笑とともに教主方面から、今度は例の全ロン会の名刺が桂花の目の前の畳につき刺さる。
当然のことながら、名刺を見ても不思議顔の桂花とアシュレイに、教主はさきほど柢王にしたのと同じ説明をする。
加えて、入会特典など会の概要などを説明し、桂花とアシュレイに入会を勧めた。
「なかなか我の目にかなう美髪な薬屋が見つからなんだが、これで一安心。センターとしても全ロン会としても、探し続けた甲斐があったというもの」
すでに教主の中では、桂花の入会とで店は決定事項らしい。
「それにしても、アシュレイ殿がこれほど美しい赤を持っているとはの。怪我の功名とはこのこと」
ほほほ…と笑う教主に、
「怪我の功名って、違うよな? 使い方、間違ってるよな、あいつ」
アシュレイが、小声で桂花に確認する。
普段なら自分から話しかけたりはしないのに、小声で話すには柢王は離れすぎている。だが、さっきから教主方面から発信中の、この粘りつくような視線の気持ち悪い感触に耐えるのは、ひとりではきつかった。
「怪我の功名とは『間違ってしたことや何気なくしたことから、偶然に好結果が生まれること。(by:ネット辞典)』とあります。桂花殿を呼び寄せるため、なにげに柢王殿に来ていただきましたが、その結果、赤ロン毛までゲットのチャンスに恵まれたのですから、冥主様的にはその言葉、間違いではございません」
『赤ロン毛ゲットって…………!!!』
突然、大音声が百畳の部屋に響いた。
「…ティア?」
「守天殿が心配されて、これを」
たぶんこんなことになるだろうと、間一髪耳をふさいでいた桂花が右手を差し出し、指輪を見せる。
「吾は盗聴器の類かとも思ってましたが、やはり話も出来るようですね」
『アシュレイ、アシュレイ、ねぇ、大丈夫なの!? いやだ、どうしよう、そんな髪の毛フェチな変態にアシュレイが狙われているなんて…っ!!』
たぶん、身悶えしながら錯乱しているのだろう。
ときどき、ガタッ! とか、ドカッ! とか物にあたる音が聞こえる。
「守天殿、落ち着いて下さい」
『だって…だって…桂花…っ!!』
「大丈夫ですから」
「バカ!! なに心配してんだっ! 変態に負けるような俺じゃない!!」
ただの変態ならまだしも、その人はたぶんホンモノだぜ…。
守天をこれ以上追い込まないためにも、柢王は心の中でそっとつぶやいた。
『…う。桂花、アシュレイを頼むよ。アシュレイ、気をつけてね』
「天主塔ベッドの若主人か。彼も昔はロン毛だったとか。…惜しいの」
しみじみつぶやく教主に、
「てめぇ、ティアに手ぇ出したら承知しねぇぞ!!」
『ア、アシュレイ…』
感動してるのだろう。
指輪を通して守天の声が聞こえたが、青痣作りながら自分の世界に浸ってそうな守天に、桂花はとりあえずスルーを決めこむ。
「ほほ、こわい、こわい」
楽しそうに笑う教主に、アシュレイは怒りで顔まで真っ赤だ。
発端は薬屋『夢竜』に投げ入れられた一通の封書だった。
中には、オープンを間近に控えた郊外のショッピングセンター、通称『冥界センター』から出店勧誘を綴った文書と、数枚の写真。
―――――― 追伸
―――――― お身内の方、こちらを大変気に入られたご様子。
―――――― 店主殿も一度参られたし。
朝一番で新規の客に薬を届けに出たはずの柢王だったが、昼近くになっても姿が見えない。てっきりまたどこかで道草でも食ってるのだろうと思っていた。
「………はぁぁ」
我知らず、ため息がもれる。
面倒ごとを持ち込むようで気は進まないが、ことは自店だけの問題ではない。黙っているわけにもいかないだろう。
店を閉め扉に『本日閉店しました』の札を下げると、桂花は自治会長を務める守天の店『天主塔ベッド』へと急いだ。
そして、桂花に手渡された封書の中身を改めた守天によって、商店街の店主・またその代理たちが緊急招集されたのだった。
「…あンの、くそバカヤロウがーーーーーーーっっっっっ!!!」
アシュレイの全身から怒声とともにうっすらと白い煙が立ち昇る。
鮮魚店『阿修羅』は今日も店主代理のアシュレイが燃えに燃えている。
「桂花殿の店が引き抜かれるとなると…」
「商店街としてはつらいですな…」
アシュレイほどではないが、そこここでざわめきが起きている。
「……桂花っ」
桂花の服の袖口をツンとひっぱってカイシャンが不安げに呼びかける。
「大丈夫ですから」
安心させるように優しく微笑む桂花に、不謹慎ながらカイシャンの頬は真っ赤になる。
「柢王だって、悪気があってのことじゃないんだし…」
「悪気があるなしの問題じゃねえ! 簡単にとっ捕まるようなバカさ加減に呆れて、はらわた煮えくりかえってるだけだっ!」
守天の幼馴染へのフォローの言葉も、もうひとりの幼馴染には全く効力がない。
「商店街が足並み揃えて頑張っていかなきゃいけねーってときに、あンの色ボケ野郎一人のせいで薬屋が引き抜かれでもしたらっ…近所の腹痛のガキや、腰痛や関節痛のじいちゃんやばあちゃんたちゃ不便で仕方ねーじゃねーかっ!」
「うんうん、君の言うとおりだよね」
相変わらず「商店街・命」、「隠れご近所の星」であるアシュレイの真っ赤な眼(まなこ)を潤ませての気合の入った熱弁は情にあふれている。
守天の熱いまなざしとは別に、アシュレイの心意気に老店主達はありがたがって拝みだす。
「とにかく、」
突然召集された商店街のおもだった面々は、いっせいに桂花のほうに向き直り、生唾飲み込みつつ次の言葉を待った。
「柢王は、吾が引き取りに行ってきます」
薬屋の店主の手の中で、紙切れがぐしゃりと音をたてて握りつぶされる。
「あちらの好き勝手にはさせません。柢王と一緒に、必ずここに戻ってきます」
桂花の一言に、老店主たちが沸き立った。
ひとりアシュレイだけが小さく舌打ちしたが、誰の耳にも届かなかった。
使いの帰りだった。
柢王が道端にうずくまって苦しんでる妙齢の娘を見つけたのは。
「どうした、娘さん」
「…急に差し込みが」
お約束だなぁ、と思いながらも都合よく目の前に建ってる宿に連れ込んだ……まではよかったのだが、そこからの記憶がない。
(どこだ、ここは。つか、なんで俺は縛られてんだ?)
皆目検討がつかない。
五十畳ほどの和室のほぼ真ん中あたり、ご丁寧にも座布団の上にあぐらをかくような格好で両腕を天井からロープで一くくりに縛られて寝こけていた自分。
ロープもどうやら特殊性らしい。ちょっと力を入れてみたが尚更腕に食い込んでくる。
一瞬そういうプレイかとも思ったが、…たぶん違う。いや、きっと。
(部屋に通されて…そうだ、なんだかいい香りがするなぁと思ったら…急に眠気がして……)
桂花に知れたら冷たい目で見られんだろなー、ま、死んでも言わねぇけど、などと思ってると、
「お目覚めか」
突然目の前のふすまがスパッと真ん中から両側に開いて、これまた五十畳ほどの広さの和室が眼前に現れた。
その中央より幾分こちらよりに、脇息にもたれ無駄に長そうに見える黒髪を畳に散らした男が、着流しみたいな着物でゆったりと座している。
「…暑苦しぃ」
「なにか言ったか?」
「や、なんにも」
にこっと人好きのする笑みで答える柢王に、男は楽しそうに微笑み返す。
「もうすぐそなたの主人が来る」
「へ?」
「あれほどの美形に囲われながら、それでもこんなちゃちな手にひっかかるとは…くくくくく」
「………………」
こんなちゃちぃ手にひっかかった、美形の囲われもの。
(――なるほど)
なんとなく、自分の立場が見えてきた。
「主人が来たら、勧めてくれぬか? 冥界センターへの出店を」
「出店…?」
(そういえば――――)
確か今度新しくできるショッピングセンターのオーナーの名前が冥界教主、そしてその名を取ってセンターの通称は冥界センター、だが、オープン間近のセンター内に未だ空き店舗がいくつかあるらしい…などなど、そんな話を前に商店街の寄り合いで小耳に挟んでいた。
ついでにそのオーナー、三メートルはあろうかという長髪だとかで、「いったいトイレのときどうしてんだ!?」と話題が集中してたのを思い出す。
三メートルなんてありえねぇし、人様のトイレ事情なんてどうでもいいだろ、と思ってた柢王だったが、
(マジ、トイレのタイル掃除しながら用足ししてんじゃねぇか?)
と、どうでもいいことを考えた瞬間。
「…ああ返事の前に、これを」
ピッ…と男の手から大判サイズの紙切れが一枚飛んできた。
「…………なんじゃ、こりゃーーーーーー!!!」
「くくくくく、若いということは難儀なことよの。ちゃんと引きのばして送っておいたぞ」
縛られて頭だけ突き出す格好の柢王にも、綺麗に細部まで見てとれるほど鮮明な、素敵に合成されたエロ生写真。
モデルは先ほどの差し込み娘と、囲われもの。
囲われものの主人は、こんなものに騙されるほどバカじゃないし、こんなことで嫉妬を見せてくれるほど単純でもない。だが、しかし……。
「はぁーーー」
柢王は深く溜息をつくと、男に訊いた。
「出店だけか?」
「いまのところはの」
「…はぁぁぁ!?」
「おまえの主人の髪、」
「髪?」
「なかなかよいの」
(…………はっ?)
寒気を覚えながら、勇気を出して突っ込んで訊いてみる。
「それはそのー…どういった意味、で…?」
「意味とは? よいからよいと言ったまで」
難問だ。
しかし、この男、どうやらホンモノ(の危ない人)らしい。
「冥主様、もう少し詳しく教えてさしあげないと、変なレッテル貼られてますわ」
男の斜め後ろに控えていた赤毛の女が口を挟む。
柢王の目は明らかに変質者をうかがうそれだった。
「ほほ。参ったな。…これを」
ピッ…と名刺が飛んでくる。
柢王の目の前の畳に突き刺さったそれには『全国ロン毛協会 名誉会長 冥界教主』とある。
(ロン毛…?)
「…って、そっちの勧誘かーっ!? つか、なんだよそのロン毛協会つーのは!!」
「読んで字の如く、ロン毛のロン毛によるロン毛のための協会、略して『全ロン会』。会員同士シャンプーやトリートメントの話はもちろん、ヘアーエステなどなど、髪にまつわる全ての話で盛り上がる。…フフ、楽しいぞ?」
「…うっ…」
「どうした?」
は、吐き気が…。
とは言えないので、ぐっと我慢。
「桂花殿の髪、編んでみたい。昼間はきつく、夜はゆるめに……」
ふ…ふふ………ほほほほほ……と教主の静かな笑い声が不気味にこだまする。
桂花(の髪)はホンモノ中のホンモノのおめがねにかなったらしい。
(……最悪だ。だが、そうと分かれば長居は無用)
柢王が(一応建物内であることを考慮して)ロープが切れるくらいの微力な雷光を試そうとしたとき。
「この建物には避雷針が、そしてこの階には低圧避雷器が取り付けてある。雷使いとの噂を聞いていたので最新設備でお出迎えしてみた。自由になるくらいの小さな力は使えぬはず。さりとて、建物内で大きな力は尚更使えまい?」
(……このトイレ磨き野郎!!)
全くその通りな教主の言葉に、柢王は心で盛大に悪態をつく。
来るんじゃねーぞ桂花、と念じつつも、来るんだろうなーと厄介ごとの種を自らまいてしまった自分にトホホな気分の柢王だった。
そんな柢王の念も空しく、商店街ではいよいよ桂花が『天主塔ベッド』を出て冥界センターへと向かうところだった。
「桂花、ひとりは危ないよ。…そうだ、山凍殿! 山凍殿に一緒に行ってもらってはどうだろう」
「私でお役に立つなら」
守天の提案に、肉屋『毘沙門天』の主人・山凍が一歩前に進み出る。
「お気遣いありがとうございます。ですが、向こうの指定も吾ひとりですし」
「でも桂花…」
なにかといつも気にかけてくれる自治会長の守天の心配げな様子に、桂花は心が温かくなる。
「もしなにかあれば冰玉を飛ばしますから。守天殿も山凍殿も…」
桂花は、心配気に守天と桂花のやり取りを見守っていた周りに目を向ける。
「皆さんも、そのときは柢王をお願いします」
微笑む桂花にそれ以上は言えず、守天は桂花の手を取り「気をつけて…」と皆とともに送り出した。
「桂花、これっ」
商店街のアーケードを出たところで、やっとで桂花に追いついたカイシャンが息せき切って握りこぶしを差し出してきた。
「元気玉。もしつかれたらこれなめて。おじいさまに頼んで俺がこねさせてもらった奴なんだ。…ちょっと不恰好だけど、絶対元気になるから」
「わかりました」
安心させるように優しい声音でしっかりと飴玉を受け取る。
「戻ったら『モンゴル亭』にお茶しに行きます。お茶受けは任せます。用意して待ってて下さい」
「うん…!」
まだ整わぬ息の子の頭を撫でて、桂花は敵地へと足を進めた。
「…で? どうしてあなたがついてくるんですか」
「・・・・・・・」
「…まあ、想像はつきますが」
守天のためだろう。
もちろん、柢王とは幼馴染で今でも親友らしいが、それよりなにより守天の心配事を自分が解決してやりたいとでも思っているに違いない。
「邪魔ですから、ついてこないで下さい」
「…………」
「聞こえませんでしたか?」
「俺の行く前をおまえが歩いてんだろっ!」
「…はあ?」
「おっ、俺は、別におまえの後をつけてるわけじゃない!」
「偶然ですか」
「そ、そうだ! 偶然たまたまだっ!!」
「…そしてたまたま柢王のとこまで来ちゃった、と」
桂花はため息をつくと、右の拳を握りこんだ。
「そ、そうだ。文句あるかっ」
(文句もなにも……)
すでにふたりは封書で「参られたし」と指定されたショッピングセンター内の事務所前、つまり柢王監禁ポイントに到着していた。
その上階では、教主ご自慢のホームシアターシステムにより壁一面に桂花とアシュレイの様子が映し出されている。
(この画面のデカさって……)
違法じゃねーのかっ!?、と心の中で訴えてみた柢王だったが、自分の置かれている状況自体犯罪のはず。
(この手合いに法律なんざ関係ねーか)
「これはこれは…」
――― ロン毛がひとり、ロン毛がふたり…。
うなずきながら目じりを下げ口角を上げたの笑みの下、桂花とアシュレイを数える教主の声なき声が聞こえた気がして、柢王は身震いした。
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