投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
柢王は、女の名前は一度で覚えても、花の名前などまったく覚えない男だ。
そんな男が花街警護の帰りに、うきうきと腕一杯の花束を抱えて戻れば、誰だって浮気を疑う。
桂花は凍るような瞳で、嬉しげにその花束を見せた柢王の顔を仰ぎ見た。
「きれいだろ、春の花だぜ」
笑顔で差し出すそれは、純白の花弁を開かせた種類様々の花々。甘い香りが部屋中に広がる。
桂花はそれに、ええと答えた。たしかに、それは春の花だ。
「ええって、それだけ?」
柢王が、がっかりしたように尋ねる。桂花は冷ややかに、
「あなたが春の花だと言うから、返事をしたんですよ。柢王、どうしたんです?」
桂花は美しいものはきらいではないが、特に花に関心があるわけではなかった。
というより、桂花の植物への関心は、それが食えるかとか薬になるかとか、サバイバルに関する事が中心なのだ。
「どうしたって、記念日だからさ。おまえが気に入ると思ったのに」
柢王が面白くなさそうに唇を歪める。
「記念日?」
首を傾げた桂花に、
「俺たちが出会った記念日」
柢王がきっぱりはっきり言って寄越した。桂花は目を見開いた。柢王はその顔を見て、
「やっぱり、おまえ、覚えてなかったな」
「だって、柢王、そんな・・・・・・」
桂花は慌てて首を振った。
人間界で柢王と出会ったのは天界の時で二年前。小さな島国がいろとりどりの春の花で彩られていた時期の事だ。
魔族退治に来ていた柢王に出会い、天界に連れて来られて、傍らで暮らし、様々なことを経て、いま桂花は柢王の
恋人として、東領元帥の副官として存在する。
そのきっかけになったのは、たしかに、最後に月を見たあの夜。柢王に出会った日のことなのだが。
「魔族には記念日を祝うような習慣はないんですよ、柢王」
魔族には歳月に関心はない。自分がいくつかさえ、桂花は知らない。時間の概念も存在の価値観も天界人とは違うのだ。
だから、と、慌てていいかけた桂花に、柢王は笑って首を振った。
「いいっていいって。おまえがそういうのは気にかけないだろーなとは思ってたからさ。ま、だから、俺が先に祝う
んじゃんか。今度の時は、おまえも祝ってくれるよな」
「今度?」
「そ。来年もその先も、俺たちが一緒にいる永遠、ずっと」
「ずっと・・・」
桂花は呟き、柢王の顔を見つけた。
瞳をきらめかせてこちらを見守っているその笑顔。
魔族は、命に関心がない。ただいまその場に存在する、それを全てにしてきた自分に、望むこと、命を想うことを
教えてくれた人。
かれは、この先もずっと一緒にいようと、この運命が生まれた日を祝ってくれるのだ。
桂花の頬に笑みが浮かんだ。
百の花束よりも、その優しさが嬉しいけれど。
「ええ、柢王。来年は吾もお祝いしますよ。きれいな花ですね」
「桂花っ」
呼ばれて、桂花は振り向いた。
吹く風がきらめく草原をゆらすモンゴルの遅い春。足元に広がる小さな花々。走って来た子供が満面の笑顔でその右手を
差し出す。春の、白い花をつけた小さな野草。
「今年、初めての花だぞ、きれいだろう」
誇らしげにそれを差し出す笑顔に、桂花は、一瞬言葉をなくした。
が、
「きれいですね、カイシャン様」
すぐに微笑み、そう告げた。
そう、今度はすぐにきれいと言える。心から。
春の花は、春の命。
それを愛しむ心は、命を愛しむ心だと、いまはもう知っているから。
東領に雪が降ったのはその朝のこと。
煙突で遊んでいた冰玉がびっくりしたように部屋に戻ってきて、その羽をばたつかせた。その音で、桂花は目を覚まし、窓の外を見て、ああと呟いた。
「ん〜? どしたぁ?」
目を開けた柢王が、窓辺に立ったままの桂花を見て、眠たげに尋ねる。桂花はそれに外を指して、
「柢王、雪ですよ」
「雪?」
柢王も寛衣を羽織って窓辺に来ると、うわと呟いた。ちらちらと白い花の降るように、雪が舞っている。
「寒いと思ったぜ」
はじめてみる雪に興奮気味にぴいぴい羽ばたく冰玉を肩にとまらせ、隣の桂花の肩を抱きこむ。
「親父の趣味で季節があるのはいいが、雪まで降らせることないのにな。おまえ、寒いだろ」
「いまは寒くないですよ」
桂花は笑って、
「でも、積もるんでしょうか」
「さあなあ。雪なんか久しぶりだから、積もるまでやるかもな。自分は上にいるから大して気にしてないもんな」
柢王が肩をすくめてそう答える。確かに雪は延々続くようだ。
「人間界ではよく大雪が降りましたよ。朝は寒くて」
「だよな。俺も大雪に出くわしたことがある。まあ、あれはうちの親父のせいというより、カルミアの親父のせいだけど」
「冰玉には嬉しいでしょうね、雪は初めてだし」
応えるように、青い雛鳥はぴいと鳴いた。柢王が笑って、
「おまえとじゃ雪合戦ってわけにはいかねぇけどな。あ、でも、雪だるまだったら・・・」
「雪だるま?」
「そう、あと、雪ウサギとか」
「いろんなことを知っていますね、柢王」
半ば呆れたように、桂花がいうのに、柢王は笑って、
「そううのは任せとけって。冰玉、雪が積もったら雪だるま作ってやっからな」
それを一体なんだと思ったのか、龍鳥の雛は嬉しそうにぴいぃっと叫んだ。おやつだと思ったのか、おもちゃだと思ったのか。うきうき顔の柢王と嬉しそうな冰玉に、桂花はやれやれと肩をすくめた。
「なんだよ、ティア、これは」
執務室の机の上に置かれている二つの白い塊に、アシュレイが首を傾げる。
ティアはそれに微笑んで、
「ひとつは君のだよ。柢王がさっき届けてくれたんだ。東領に雪が降ったからって」
枝で小さな手をつけた雪だるまと、冰玉の好きな赤い実を目に、緑の草を耳にしたウサギとを指し示す。
「なんであいつがこんなもの、持って来るんだ?」
アシュレイはそのふたつを見比べた。
「だって、ここは常春だし、君のところは南国だろう? 季節のおすそ分けだって。柢王らしいよね。結界に包んでおいたから、君も帰るときにはそうするといいよ。どっちがいい?」
「俺は・・・」
アシュレイは言葉に詰まった。いまさら子供じゃあるまいしと、突っ撥ねたい気もするが、柢王の優しさは嬉しかったし、そのひんやりとした白い塊はたしかに見慣れないものだ。
「俺は・・・う、うさぎが・・・」
いい、と最後は消え入りそうに呟いたのに、ティアはうなずいて、
「うん、ウサギね。こういうのって、ちょっと思いがけなくていいね」
「ああ、まあな」
微笑んだティアに、アシュレイもそっぽを向きながら答える。
机の上の雪の塊は、窓からさす光にきらきら光って、ちょっとした宝石のようにも見えた。
珍しいもの、高価なもの、そんなものは天界にいくらでもあるし、見慣れてもいる。
だが、こんな季節の贈り物は、めったにない大切なプレゼントだ。
補足
冰玉は柢王の作った小さなウサギを痛く気に入って、一週間、その体にとまっては、ぴいぴい嬉しげに羽ばたいていた。
その結果、柢王と桂花は、龍鳥でも、しもやけになるのだと知った。
ある意味、それも季節の贈り物、なのだが・・・・・・。
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