投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
(2004年、容子ママが他界したという掲示板の一樹さんのカキコを読んで2年前に書いておいたものです)
入退院を繰り返していた二葉たちのママが逝ったのは、まだ春浅い3月だった。
二葉はそれからしばらく口がきけなくなった。
春が終わり夏が過ぎ、もう大丈夫だからと二葉に言われても、俺は楽観できずにいた。
凪いだ海に不意に波が立つこともある。
季節の変わりめの、花冷えの頃を思い出させる肌寒い夜は尚更だった。
先にシャワーだけ浴びてリビングに戻ると、ソファを背もたれに足を伸ばした二葉がぼんやり宙を見つめていた。
テレビもついてはいるんだけど、見てるような感じじゃない。
もしや…と思いながら、二葉の隣に二葉のほうを向いてそっと腰を下ろした。
「二葉……?」
声をかけても俺を見ない。
「疲れてる? シャワーする元気もない?」
「……………ん」
「眠い? 俺もここにいて、いい?」
イエスの代わりに、二葉は一度ゆっくり瞬いた。
……あのときの二葉と同じだ。
そう意識した途端、身体がこわばる。
ママが亡くなったあとだったから、身体はもちろん精神的にも疲れてるんだろうとベッドに連れて行ってやすませたら、夜中に酷くうなされて……。
すぐに起こして、一晩中小さな声で話をしながら抱いててあげた。
話すことで、束の間でいい、心が軽くなればいいと思って。
二葉のなかの整理できないつらい気持ちを、わずかでもいい、吐き出させることができたらと思って……。
そんなことを考えながら、黙ったまま20分ほど経っただろうか。
「…ずっと長いこと患っててさ、」
二葉がひとり言のように、ぼそぼそと話し始めた。
「……ずっと、その間いろんなことしてあげて。自分は精一杯できることをやったから、だからもう悔いはない、って……」
「誰が言ったの?」
「……さっき……テレビで」
テレビか……。
思わずつけっばなしのテレビを睨む。
「でも俺は…生きててほしかった」
テレビめっ…!
二葉のそばに転がってるリモコンを取ってテレビのほうに向けると、俺は力任せに電源ボタンを押した。
「生きて、もっと……なんでもいいから…っ」
「うん」
「なにをしてやったって、悔いが残らないなんて、嘘だ…!」
二葉に限らず、一樹さんも小沼も幹さんたちも、もちろん二葉たちのパパも、すごくママを愛してた。
入院中も退院して家に戻ってるときも、たとえほんの少しの時間でも、ママと過ごす時間を大切にしていた。
ママがさびしくないように、そしてそれ以上に自分たちがそうしたいから……。
そんな気持ちが痛いほどわかった。
みんなに愛されてるんだなって、見てる俺まで嬉しくて……せつなかった。
「もっと……もっと…っ」
「二葉…」
そしていまも、せつなくて悔しくて…苦しい。
「後悔してもいいから、自分を責めないで」
これが初めてではない嘆きに、同じ言葉を繰り返す。
どんな慰めも、きっと時間には敵わない。
だからせめて、早く時が過ぎてほしい。
「……俺は、絶対置いていかないよ」
こんなときに、俺がそういうこと言うの嫌だろうなと思うけど……。
勝手に二葉の手を取ると、両手でくるんでギュッと力を込める。
「二葉が好きだよ。……愛してる」
おまえが教えてくれたんだよ。
たいせつなことは、ちゃんと言葉にしないと伝わらないって。
「二葉…」
ほんの少し身を乗り出して、うつむいてしまった二葉の顔を覗き込む。
「二葉…?」
「…もっと言って」
顔を伏せたままだけど、くぐもった声の二葉の答えに、俺は少しだけ安心できて肩の力が抜けた。
「言って欲しかったら、起きてシャワーして歯みがきしてパジャマに着替えて」
「……続きはベッドか?」
「あったりまえじゃん」
小沼の真似してそう言うと、俺は二葉の額に自分の額を押しつけて笑った。
二葉の表情も少しだけやわらいで見えて、俺は不覚にも涙が出そうになる。
「…んじゃ、とっとと済ましてくるか」
両手と額にあった二葉の体温がゆっくりと離れていく。
「待ってるから…!」
立ち上がり、浴室に向かう背中に思わず叫んだ。
待ってるから……。
元気に見えても、まだ駄目なんだ。
まだ時間が足りない。
今だって、きっと俺のために強がってるだけ。
ベッドに入っても、ただ抱きしめあって眠るだけなんだ。
でも、それだけだから。俺にできるのは、そばにいて同じ時間を過ごしていくことだけ。
だからなおさら、今この瞬間、俺だけは笑っていようって決めたんだ。
時が経てば、二葉はまた強くなる。強くなって、俺と一緒に歩いてくれる。
そう信じてるから……。
だから、二葉。
無理はしないでいいんだ。
立ち止まってゆっくり休もう。
いまは俺がおまえを守るから。
ふたりなら、きっと乗り越えられる。
――――― ふたりだから、乗り越えられると思うんだ。
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