投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
アシュレイを帰したちょうど一時間後に帰宅した柢王を、桂花は嬉しそうに出迎えた。
「今日はずいぶん早いですね」
「雹が降るかもな。四海先生が珍しく〆切前に原稿を書き上げてたんだ」
「それは珍しいですね。降りますよ、雹」
何気に失礼な発言をしつつ桂花は夫のカバンと書店の袋を受ける。
「今日、アシュレイ殿がいらしたんですよ。一時間ほど前に帰られましたが」
「なんだ、あいつまた来てたのか」
「えぇ。例のごとく、どら猫を追ってました」
「プッ、それでまた保護してくれたんだな?サンキュ」
柢王は外したネクタイを桂花に渡し、靴下を脱いだ。
「でも、あんまアシュレイを甘やかすなよ。迷子になったって大人なんだからほっといても平気だって」
う〜ん、と伸びをしてシャツを脱ぎながら柢王は風呂場へと向かう。
「ほっといたら何があるかわかりませんよ?今日だって・・・」
言いかけて桂花は口をつぐむ。あの妙な夫婦のことを話して、わざわざ柢王に心配をかけることはないだろう。それに、きっかけを作ってしまったのは自分で、アシュレイのせいではない。
「今日だって?」
「今日だって・・・吾が居合わせなければ、今ごろまだ迷ってましたよ。迷子になったって認める人じゃありませんから、意地になってドツボにはまり続けるのがオチです」
「ハハッ言えてる。で、ティアが必死に探しまわって、それでも見つからないと半べそで俺たちに捜索願い出すんだろ」
「そうです。だから見かけたら即、保護です」
「保護だな」
クスクス笑う妻の肩を抱いて、柢王は自分が風呂に入っているあいだに書店で買ってきた本を見ておくよう、告げた。
「なんの本だか」
先日など、『新妻も喜ぶアノ手コノ手』などというタダレた本を買ってきた夫だ、ろくな物ではないだろう。
しかも、「こんなヌルイのぜんっぜんダメだ!」とかなんとか喚いていたくせに懲りてないらしい。
ため息をついて袋から本を取りだした桂花の動きがとまる。
『二人のカワイイ赤ちゃんのために、最強!幸運!の名付け本』
「・・・なんて・・無駄に長いタイトル」
苦笑しながら桂花はどこかホッとしていた。
もしかしたら、多忙な夫は子供のことなど頭にないのかもしれない、と思っていたから。
「吾との間に子供を望んでくれている・・」
苦笑が微笑に変わり、胸がいっぱいになる。
さっそく読み始めると、画数によって吉凶があるとか漢字の意味だとかが細かく説明されていて、なかなか興味深い。
桂花はいつのまにか夢中になってあちこちのページをめくっていた。
「いい名前つけような」
気づけば柢王が風呂から上がって、冷蔵庫のビールをとっている。
「けっこう面白いですね、この本」
桂花は栞をはさむと柢王のいるダイニングへ向かった。
「俺、いくつか候補にあげてるのがあるんだ」
「吾も・・・実は考えていたのがあるんです。調べてみたら総合で見てもなかなかいいみたい」
桂花は柢王から缶をとりあげると、ひとくち含んですぐに返した。
「吾も子供は欲しいけど・・・でも、もうしばらくはあなたと二人きりの生活を楽しみたい」
甘えたようにもたれかかって来た桂花の体を、柢王はそのまま軽々抱きあげた。
「おまえ逆効果。今すぐにでも懐妊させちまいそー」
「ばか・・」
時計の針が日付を変えるにはまだまだ時間がある。
柢王は久しぶりにたっっっぷりと妻を可愛がることに決めた。
「そう。奥さん、見ちゃったんだ・・驚いたでしょ」
夕食のあとかたづけを早々に済ませ、部屋に引きあげたアシュレイは、今日のできごとをティアに話していた。
氷暉とのことは「聞かなかったこと」決定のため、報告の必要はない。
「あれは大変そうだ。今日だって家にいたってことは欠勤したってことだろ?」
「ふふ、でもサボリじゃないよ?有休。大事な記念日なんだって。あの夫婦はね、大変そうに見えるけどうまくいってるんだ。傍目から見たらそうは思えなくてもね」
夫婦って面白いね。とつぶやいてティアはごろんと横になった。
「私は君と一緒になれて本当に幸せだよ」
にっこりと笑うティアにつられて、「俺も」と素直にアシュレイも頷く。
「結婚してすぐに借りた家のころも、二人きりの幸せはあったけど、大家族の良さを知らなかったもの」
「ごめん・・・あの時、俺のせいで・・・」
「あやまらないで。あの時、君がリス(タマ)を拾ってきて大家さんとケンカしなければこの家には来ていなかっただろう?ここに来て、初めて私は本当の家族にしてもらえた気がする」
「あの大家は頭きたよなー。リス飼うなら出てけって頭ごなしに怒鳴りやがって」
「でもそのおかげで今がある。私は満足だよ」
――――嬉しい。
自分の実家に入ってくれただけでもありがたいというのに、嫌がるどころか幸せだと言ってもらえるなんて。
「ティア、俺ぜったいお前を大事にする」
「アシュレイ・・・私も。君と君の家族を・・今では私の家族でもあるこの家のみんなを護ると誓うよ」
座っているアシュレイの手を握りしめ、心の中でティアはため息をつく。
(早く日曜日にならないかな)
しかし、いざ日曜日になると、今度はだんだん気分が重くなっていくのだ。
子供の頃でさえ、日曜日を特別なものだとは思っていなかった。
同級生たちが口を揃えて「日曜日の夕方は憂鬱になる」と言っていたが、自分にはまったくその気持ちがわからなかった。
なのに今ごろ・・・結婚してから、身にしみてそれがわかるのだ。
明日からまた会社だと思うと憂鬱になる。
アシュレイとずっと家にいたい。それが無理ならポケットかカバンにアシュレイを忍ばせて出勤したい。
四六時中アシュレイといたい。
こんな風に、ティアは結婚してからというもの毎週日曜日の夕方から憂鬱な気分になるのだった。
「?」
横になったまま物思いにふけっていたティアは、手のひらをくすぐられているような感覚を覚え我にかえる。
「なにしてるの?」
声をかけるとアシュレイはパッとその手を離した。
「どうかした?」
「今日さ、桂花に借りた雑誌に手相占いが載ってたんだ。生命線って知ってるか?」
「うん」
「そこが途切れてると・・・・短命だったりするんだって・・」
「うん?」
アシュレイがなにを謂わんとしているのか察することができずにティアは首をかしげた。
「お前の線、途切れてるみたいに見える」
不安そうな瞳を向けるアシュレイに慌てて起き上がったティアは、そっと妻を抱きしめた。
「やだな、大丈夫だよ。私は君を置いていなくなったりしないよ」
「うん・・・」
「それで君、私の生命線を延ばしてくれてたの?」
「こうすれば線が長くなって、長生きできそうだろ?」
再びティアの手をとり、アシュレイはそこをなぞった。
「〜〜〜〜アシュレイ・・・」
感動して涙ぐんだティアが視線を落とすと、アシュレイの指先は見当ちがいな線をなぞっている。
「まいったな・・・・ほんとに君は――――かわいすぎるっ!」
「ぅわっ?!」
後ろにひっくり返ったアシュレイは、それでも後頭部をティアの手に包まれていたので痛くはない。
「ねぇ・・・そろそろ欲しくない?」
「なにを」
「私たちの赤ちゃん」
「赤っ・・」
顔をまっかに染めた妻をひときわ強く抱きしめたティアは、これまたまっかになった耳元で優しくささやいた。
「生まれてくる赤ちゃんは、君似のかわいくて元気いっぱいな子がいいな」
ずっといっしょ。ずっと愛してる。
きっと―――――あしたもいい天気。
「待てぇぇぇ―――っ!」
聞き覚えのある声が近づいてくる。
「この泥棒ドラネコ〜ッ」
どんどんその声が近くなり、角の所で赤い髪が見えたと思った瞬間 、ギニャッと短い悲鳴(?)が聞こえ、太ったネコが塀のうえから桂花の足元に落ちてきた。
「バカめ。性懲りもなく俺の魚を盗んだりするからだ、天誅!!」
カカカと高笑いを決めたのは、桂花の義従妹であるアシュレイ。
「まったく・・・・あなたという人は。たかがネコ相手にどこまで走ってきてるんですか」
「あれ、桂花?ン、どこだ?ここ」
「ハァ・・また迷子になってる。だいたいこのネコに物をとられるの何度目ですか?」
「いちいち数えてねーけど、ぜんぶ取り返してるぜっ」
胸をはるアシュレイに、『取り返すよりも盗られないようにする方が先ではないか』と心中でつぶやく。声に出さないところが桂花の聡いところだ。
「人をナメやがってムカツク猫だぜ」
敵にぶつけた買い物かごを拾い、ブリブリ怒っているアシュレイの横で、伸びているネコのカラーを桂花が確かめる。
「名前と住所が彫ってあります・・・エンマ?これの名でしょうか。こう度々の泥棒はこまりますね。いちど飼い主の方に忠告すべきなのでは?」
「う〜ん」
「この住所からすると、ここからそう遠くはないですね、吾もつき合いますよ」
「ホントかっ?」
嬉しそうに笑ったアシュレイは、買い物かごから出したビニール袋にネコをぶち込んで、歩き出した。
「A・NA・GO・・・アナゴ・・って、まさか・・・」
怪訝な顔をしたアシュレイをよそに桂花が呼び鈴をならす。
『・・・だぁれー?せっかくいいトコだったのにィ』
その声は、問うたくせに訪問相手の確認もせず、門を解除した。
自動に開いたそれをぬけ、玄関へと足をすすめる。
ド派手なバイオレットの外観、ポーチへ続くスミレの群落。扉の手前、左右対に置かれたダビデ像。窓から見える必要以上にフリルをあしらった薄紫のレースカーテン。インターホン越しのあの対応。
「・・・・・・・」
引き返したい気持ちが二人の中でじわじわと広がる。
桂花がアシュレイに向かって「やはり帰りましょう」と言おうとした時、玄関の扉があいてしまった。
「なぁに?誰?私に用?」
すけすけのネグリジェから見えるバイオレットの下穿はブーメランのような際どさ。
長い髪には、やはりバイオレットのカーラーがいくつも付いている。
前に、紫色を好む人は欲求不満だと聞いたことがあるが、それが正しければ目の前の人物はかなりの不満なのだろう。不満が服を着て歩いているだけかもしれない。
桂花が冷静に観察するあいだ、アシュレイは口をぽかんとあけたまま。
「あ、突然おじゃましてすみません。吾は波野桂花と申します・・・このネコ、お宅の飼い猫ですよね?」
アシュレイの代わりに桂花が前に出ると、相手はネコの入ったビニール袋を一瞥したが、それを無視して桂花に向きなおる。
「桂花。いい名だね・・・私は穴子ネフロニカ。ネフィー様とお呼び」
高飛車に言い放つと、ネフィーは不躾な視線で桂花の全身をなめまわしてきた。
そのあけすけな態度に、不快な表情をストレートに出す桂花だったが、相手はまったく動じない。
「ねぇ・・・・後ろの小猿は外にほっぽっといて、私と楽しいことしない?」
ネフィーの細い指先が、ゆっくりといやらしく桂花の頬をすべる。
唇にその指がきたら噛み切ってやる。と思ったが、寸前でそれは離れていった。
「やだ〜こわい。怖いけど・・いい目だね・・・・なんと言っても色がいい。涙で濡らしてやりたい」
ギリ、と歯をかみしめた桂花の後ろからいきなり、ビニールを破ったネコが飼い主に向かって飛びついた。
「っ!!」
否応なしにそれを受け止めることとなり、しりもちをついたネフィーが悲鳴をあげた途端、すごい勢いで廊下を走ってきたのは、おそらくこの家の主人だろう。
その男を見て、呆けていたアシュレイが「アッ!」と口をおさえた。
「ネフィー様、どうなされたのです?!」
「山凍〜痛いよぉ」
「お前たち、何者だ」
山凍と呼ばれた大きな男がウソ泣きをしているネフィーを抱き上げながら桂花とアシュレイに目をやると、先ほどのアシュレイ同様、「あ」と口をひらいた。ただし、声は出していない。
アシュレイと山凍がたがいに硬直しているのを見て、なんとなく事情を察した桂花が、説明に入る。
「お宅のネコが、こちらの『フグ田アシュレイ』さんの物をたびたび盗んでいくのです。それで――――」
「なぁんだ、バッカみたい。ネコに盗まれるなんてどんだけトロイのさ」
「ト、トロイだとっ、お前のネコの仕業なんだぞっ開き直るな!」
「だからどーしろっての?うちのエンマに鎖でもつけとけっての?・・・・・くさり・・・いいかも」
桂花に流し目を送り、「ムフフ」と笑ったネフィーに背筋が寒くなったアシュレイは、義従姉の肩を抱いてにげるように玄関をとび出した。
「桂花、見ただろ桂花、お前二度とこの辺うろつくなよ?アレは危険だ、変態だっ」
そしてその『変態』の夫が・・・・あろうことか家にも何度か来たことがある、ティアの同僚の『穴子さん』だったとは。
恐妻家だとは聞いていたが・・・・・ちょっと・・・いや、かなりチガウ意味だと思う。
「穴子山凍・・・・一体どういう趣味してンだ・・」
桂花の家に立ち寄り、数冊の雑誌と母(李々)に渡すよう頼まれたローズマリーを受けとったアシュレイは、公園のベンチで風呂敷を結び直していた。
「 この買い物かご小っさいな、ろくに入りゃしねぇ。今度ティアにもっと大きいのを買ってもらお 」
風呂敷と買い物かごをそろえて、ふと顔をあげたとき、公園の前を行く酒屋の御用聞きを見つけた。
「おいっ!三河屋の氷暉っ、ここんとこご無沙汰じゃねーか」
突然呼びとめられた氷暉はアシュレイに気づいて足を止める。
「代わりに教主の旦那が行ってるだろう」
「なんかあったのか?教主の旦那に訊いてもなんでもないの一点張りで教えてくんないし」
「・・・そんなに俺のことが気になるのか」
「え?なんだって?」
「ただの二日酔いだ」
「二日酔いって・・・おまえ呑めないはずだろ?」
「まぁな」
氷暉はこちらへ歩いてくるとベンチに横になり、アシュレイのヒザに、勝手に頭をのせた。
「よせよっ、誰かに見られたら変な誤解されるだろっ!」
「動くな、頭が痛む」
どこまでも自己中な言い分にムッとしたアシュレイだったが、本当に具合が悪いのだろう、顔色の冴えない氷暉を見たら、立ち上がることができなかった。
「なんで飲めもしない酒なんか飲んだんだ?教主の旦那、よくそんな理由で休むの許してくれるな」
許すもなにも、当の雇い主が言い出したのだ。
『酒屋の従業員が下戸では話にならぬ。たしなみ程度、呑めるようになるまで特訓せよ』と。
この命令は、氷暉にとって渡りに船だったため、逆らわずに特訓を開始したのだ。
「・・・この前、お前が言ったんだろう。俺が酒を飲めるようになったら二人で一杯やろうと」
「ハァ〜?人のせいにすんなよ」
「飲みたかっただけだ・・・お前と」
「へ?」
「ニブイ。わかりやすく言ってやる。おまえ、俺とつき合え。俺とつきあえば御用聞きのたびにお前の好きな酒を持って行ってやる」
「バッ、バカな冗談はよせっ!」
「俺は冗談など言わん」
「そんなのドロボーだろっ」
「・・・・・・そっちか。安心しろ、給料天引きだ・・・じゃなくて、冗談抜きでお前が欲しい。俺とつき合え」
たしかに冗談を言っている顔ではない。でも、それならなおさら冗談じゃない。
「誰がつきあうかっ!!」
慌てて立ち上がったアシュレイに、頭をおさえる氷暉。
「だいたい俺はティアと結婚してんだぞっ、分かってンだろっ!」
「それがどうした。そんなもの、俺にとっては障害にもならん」
「こここの不道徳男っ、お前は明日からうちに出入り禁止だ!わかったな!」
アシュレイが唾を飛ばしながら叫ぶのを薄笑いで見ていた氷暉は、その怒った顔に近づいて言い放つ。
「せいぜい俺に隙を見せないようがんばるんだな、若奥さん」
ツンと頬をつつかれて、口をパクパクするだけで言葉にならないアシュレイを尻目に、彼は公園から去って行った。
「・・・・俺はなにも聞いてねぇ。聞こえてねぇ・・・聞かなかったことにする・・」
青い顔をして耳をおさえ、呪文のように繰り返しながら、アシュレイは早足で帰途についた。
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