投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「あれは?」
数週間ぶりの休日。底をつきはじめた食料や日常雑貨の買出しに柢王と向う途中の上空。
桂花は眼下のにぎやかな様子に目を留めた。
「婚礼だ。東の地だけでもいろんな式があるんだぜ」
見ていくか?桂花の返事を待たず柢王は地に下りた。
良品質、低価格の買い物の極意として桂花は女性に、柢王はそこそこの色男に変化しているので二人の正体に気付く者はいない。
「よう、誰の婚礼だ?」
柢王は通りかかる娘に声をかける。
「仕立屋の次男と家具屋の桃花よ。うふふ、ブライスメイド選ばれたらどうしましょう」
派手なドレスをひらめかせ、娘は浮かれた足取りで通り過ぎる。
婚礼には綺麗な独身女性がブライスメイドとして花嫁に付き添うのだ。
柢王と桂花は自然と娘の向った方へ歩を進めた。
噴水の前に作られた特設会場は甘い花の香りと笑いに包まれている。
新郎、新婦を囲み、親族、友人、街行く人々すべてが祝福する和んだムードに柢王も自然と溶け込んでいる。
その中、桂花はただ一人覚めた目で傍観していた。
「あなた!!手伝ってちょうだい。プライスメイドが急な腹痛なの」
凍りかけた桂花を甲高い声が我に戻した。
でっぷりとした中年女性が汗をにじませ桂花の腕をつかんでいた。
華やかなボンネットから察するに、式の関係者なのだろう。
ボンネット婦人は桂花の答えなど待たず「あなたならピッタリ」と勝手に決め付けたものの連れの柢王を見ると僅かに顔を曇らせた。
「ダンナさん?」
「式はまだなんだ」
柢王が笑って応え、戸惑う桂花の背を「頑張れよ」と押し出す。
柢王を睨んだのも束の間、桂花は引きずられるように花嫁の元へと連行されていく。
「どっちが主役やら・・・花嫁サンも気の毒に」
桂花の背を見送りながら言葉と裏腹に柢王は誇らしげにつぶやいた。
柢王の手にたくさんの食料や酒がさげられている。
婚礼で得た品だ。
「得したな」
ほくほく顔の柢王。だが桂花は黙りこんでいる。無理やりプライスメイドを勧めたので怒っているのかと思ったもののそうではないらしい。
「なぁ、どうした?」
「なんでもありません」
返す桂花は上の空だ。
「疲れたか?」
柢王は荷を片手に移し空いた手で桂花を引き寄せる。
素直に柢王に寄り掛かりながら桂花は先ほどの式を思い返していた。
花嫁の澄みきった笑顔と綺麗な涙を。
純真無垢な笑顔。
彼女はなぜあんなふうに笑えるのだろうか?
「得したなぁ」
自問する桂花の横で繰り返し柢王の声がつぶやく。
「当分はもちそうですね」
大量の報酬を見て今度は桂花も応える。
「――-違う、違う」
「・・・食料のことでしょう?」
「再確認さ」
桂花の瞳を覗き柢王は続ける。
「今日は人界でおまえを見付けた日なんだぜ。そんな日におまえが一番だって確認すんなんて、やっぱ俺はついてる♪」
「―――――――」
「おまえが一番」
言って柢王は桂花に荷物を押し付けると、桂花ごと横抱きに空へ飛び上がった。
「わぁぁぁぁぁぁぁvvvvvvvvv」
下から一斉に冷やかしの口笛が鳴らされる。
「いいだろ〜〜〜っ!!!」
柢王は笑顔全快で対抗する。
出会った頃から変わらぬ笑顔。
それを見ながら桂花は気付く。笑ってる自分に。
熱い思いがこみあげてくる。
その思いが何なのか桂花には分からない。けれど何にも代えられない。愛しい。
「お幸せにー」
色とりどりの花びらが桂花に降り注ぐ。ブーケが投げられたのだ。
新婦が笑って手を振っている。
ぎこちなく桂花もそれに応える。
柢王は笑いながらそんな桂花を抱きしめる。
小さな街全体が幸せの色に染まる。
春の小さな街角。
そこにはもう、寂しい傍観者の姿はなかった。
この辺りだろう。
見当をつけ空也は高度を落とす。
眼下には緑溢れる平原が広がっている。
以前は蒼龍王視察の離宮があった東端の地。だがその宮は今はない。
国有地なので踏み込むものなく自然そのまま。
しばらくすると森を背にポツンと小さな家が見えてきた。
空也の上官である柢王と側近桂花の住居だ。
―――ストン
家の前に降り立つ。
空也が地に足をつけると扉に吊るされた小枝が乾いた音をたてはじめた。
その小枝には見覚えがある。虫除けに効くと桂花に教えてもらったから。
「空也。何かありましたか?」
背後にかかった声に空也は振り返る。見ると裏手からヒョッコリ桂花が顔を出していた。
「輝王さまから問い合わせが。早く知らせたほうがいいかと思っ・・・て・・・」
返答しながら駆け寄り、角を曲がったところで空也は息を呑んだ。
一面、大量の洗濯物がパタパタとなびいていたから。
「・・・これ桂花殿が?」
「吾以外する人はいません」
当然と桂花は答える。
「凄い量ですね」
「このところ休みが有りませんでしたから。それより空也も非番のはず?」
「花街の詰め所に顔出したんです」
「休日まで花街ですか。さすが柢王の部下ですね」
チクリと皮肉を言って、桂花は内容を促した。
予想した通り大した用件でない。柢王の非番をねらった輝王の嫌がらせだ。
だが放置するわけにはいかず、桂花はため息をついた。
「返書するなら届けますよ♪」
「お願いします。柢王直筆でないと・・・もうそろそろ戻ってくると思いますが」
「待ちますって。 柢王様お散歩ですか?」
「ええ。強制的に」
言って桂花は再び手際よく洗濯物を干し始めた。
白いシャツにパンツという桂花の出で立ち。軍服や宴会で着飾っている時より色濃く見え、空也は首をひねる。
「なんです?」
空也の凝視に桂花は問う。
「桂花殿の普段の姿ってはじめてだと思って」
「日常まで軍服は着ません」
「そりゃそうですケド・・・」
いつもながらの辛辣な口ぶり。だが険が感じられない。
そうか。空也は気付いた。この場所が彼を寛がせていることを。
「わざわざ干さなくても桂花殿だったら風で乾かせるでしょう?」
「たまには外気に当てないと」
「手間がかかるのに?」
「柢王に汚れ物を出させる方が余程手間です。噂をすれば何とや。帰ってきましたよ」
「おっ、空也。何かあったかぁ」
桂花の言葉に快活な声が被さる。上官にてこの家の主、柢王であることはいうまでもない。
報告する空也に桂花はさりげなく補足を入れ、休暇が台無しと渋る柢王に返書の型を示唆する。
「おまえが返してくれりゃいいのに」
「面倒が増えるだけです」
「おまえが返そうが中身は一緒なのになァ」
「ホラ、さっさと顔を洗って」
ボヤく柢王にタオルを投げ桂花は家に駆け戻る。
「ブッ!!いてッ・・・」
ふたりのやり取りに噴出した空也に石つぶてがあたる。もちろん柢王の仕業だ。
「悪りぃな、茶でも飲んでてくれ」
してやたり!!
涙目で頭をさする空也に柢王はニヤリと笑い、急いで顔を洗い桂花の後を追う。数分後、桂花が茶道具を手にやってきた。
「うまい。それにいい匂いですね」
桂花が渡した冷茶を空也は一気に飲み干し息をつく。
「このお茶は目にもいいんですよ」
「へぇー。でも俺もう目は」
「治ったなら尚更大事にしなくては。軍人は身体が資本です」
「そうですね」
「今度は熱いのを淹れましょう」
今度は自分の分もお茶を注ぎ桂花は空也の隣に腰を下ろした。
土手一面に咲く小さな白い花を、お茶を飲み並んで眺める。
紫水晶の瞳はいつになく優しく。
ゆったりと流れる時間。
得したな。空也はボンヤリ思う。
尚も二杯お茶を楽しんだ頃、柢王がやってきた。
「お茶の葉持っていきますか」
桂花の申し出に空也は即答。
「また飲みにきます。桂花殿に淹れてもらった方が絶対美味しいし」
「高いぞ」
「報酬ってことで。速達で届けますからっ」
笑って突っ込む柢王に空也は書簡を翳し、慌てて空に飛びあがる。
見上げる柢王と桂花に空也は叫ぶ。
「また来ますっ。ぜーーーーったい、来ますからーーーっ!!」
あれから数ヶ月。
空也は一人東端の地にいた。
建物に裂傷はないものの廃墟となった今はどこか寂れている。 草木もボウボウと生い茂り荒みに加速をかけている。
「桂花殿が悲しむな」
ポツンと呟き空也は足元の雑草をむしりとる。
この家が桂花にとって唯一の憩いの場と知っている空也は、このままにはしておけなかった。
伸びきった枝を揃え、枯れ果てた草木を抜きさる。
倒れかけた花を植えかえ、乾いた土に水を撒く。
ガーデニングが重労働であることを空也ははじめて知った。
記憶に残る外装再現に一心腐乱打ち込むうち、すっかり薄暗くなっていた。
空也の全身は汗と泥にまみれ、手足は重く疲労を伝える。
だが息吹を取り戻した庭を眺める顔は達成感に満ちていた。
「柢王様っ・・・・桂花殿っ・・・」
いまにもふたりが現れそうで空也は呼びかける。
だが返るものはない。
忘れかけていた現実が空也に重くのしかかる。
憧れ慕っていた柢王元帥の死。そして英知と美を兼ね添えた側近殿の失踪。
柢王元帥の葬儀の日、側近桂花は結界石で行われた罪人の処刑に乱入し、刃を振るったそうだ。乱心やら魔族の本性だのの噂と共に桂花の負った致命傷が伝えられた。「あの傷では生存はないだろう」現場にいた兵士は告げる。
『乱心!?』空也は笑う。
あの聡明な人が理由もなく無謀な行動をとるわけない。
何かある。
せざるを得なかった訳が。
けれど今となっては―――――ただ、ただ願う。
―――――生きていてくれと。
―――――この地に帰ってこなくてもいい。だから、どうか。
空也の願い、それは祈りですらあった。
気持ちを切り替え空也は大きく息を吸い込むと空へ飛び上がる。
そして以前と同じ言葉を吐く。
「また来ますっ。ぜーーーったい、来ますから〜〜〜っ!!」
―――――――――・・・タン カタン カタン カタン
扉にかかる小枝が乾いた音を奏ではじめる。
空也に応えるかのように。
その音は風に乗り東端の地に響きわたる。
優しく。強く。温かく。
響きは麻痺した空也の心の奥にもゆっくり浸透していく。
突然の出来事に慟哭できなかった心を癒すように。
乾いた空也の瞳に涙が湧きあがる。
「うっ・・・うううう」
嗚咽が込み上げる。
悲しみは堰を切った河ように激しく空也に襲いかかる。
空也は泣いた。子供みたいに、全身全霊で。
カタンカタン カタンカタン カタンカタン カタンカタン カタンカタン
奏は空也を優しく包み込む。
暮鐘のようなその音は、空也の涙が枯れるまでいつまでも東端の地に鳴り響いていた。
「桂花先輩、こっち向いて」
「空也・・・何度も同じことを言わせるな。吾は写真を撮られるのは好きじゃない」
「え〜っ?だって桂花先輩特集なんですよ?写真が一枚もないんじゃブーイングの嵐ですって。俺がみんなに殺されちゃいます」
「成仏してくれ」
ヒ〜ッ冷てぇ〜っと叫ぶ空也を後に桂花は校門を出た。
「桂花、なにしてンだ?撮影終わったのか?」
顔をあげると広報部の部長であり、自分の恋人でもある柢王が立っていた。
「何が撮影ですか。あなた、吾をパンダ扱いして楽しいんですか?」
「なんだよ、客寄せだなんて思ってないぜ?キレイなお前を一枚でも多く記録しておきたいだけだって」
「バカバカしい」
「そんなに嫌いか?写真撮られんの」
「嫌いですね」
「理由は?」
「レンズを向けられてもどんな顔をしたらいいのか分からない」
「それだけか?」
「ええ」
「なんだよ〜別にどんな顔でもいーんだって、お前は。なんなら睨みつけてるだけでもオッケーオッケー」
桂花は肩にまわった腕をつねりあげ、柢王を流し見た。
「おぉ〜・・ゾクッとくんな、その目」
「空也を張らせるの、やめてくれません?彼の古典的な彼女が、吾の靴の中へ大量の画びょうを仕込んでくるんですよ」
「ハハッまじで?大量じゃ足入れるまでもね―な」
「まぁ・・・かわいい妬きもちですけどね・・・あれが普通の恋人の反応というものなんでしょう」
かるく目を伏せて桂花は歩きだしたが、柢王がそれ以上追ってくる気配はなかった。
無意識にため息がもれてしまう。
そうだ。
普通なら自分の恋人がチヤホヤされたり言い寄られたりすることは面白くないはずだ。なのに柢王は・・・・。
強引に落とされた感が、拭えなかったはずなのに・・・・いつの間にかこんなにも自分の調子を狂わせる恋になってしまった。
ふいに視界がゆるみ、すばやく目元を拭うと、その手をグイと引かれた。
「なんで泣く?」
「・・・・・」
下唇をかんで桂花は視線を落とす。
「泣かせるつもりじゃなかったんだけどサ・・・・たまんねぇな」
「え?」
柢王は自分の方を見た恋人を抱きよせると、彼の長い髪を払って小さな顎を上向かせた。
「!」
触れた瞬間、こんなところで!と驚いた桂花は、両手で思いきり突きはなす。
柢王は唇をかるくなめてニヤリと笑った。
「撮れたな?空也」
そのセリフに驚いて、柢王の視線を追うと電柱の陰からおそるおそる空也が現れた。
「・・・まさかでしょうっ、正気ですか!?」
「いたって正気。号外だ、いま撮ったのを一面にだす」
「そ、そんなことさせませんよ!」
「するよ。お前、俺が妬かないとでも思ってたのか?どうせ次号でお前との仲をバラすつもりだったんだ。もー誰も近よらせねーからな」
「・・・・・・空也、カメラを」
話しても無駄そうな柢王をさっさと見限って、小さくなっている空也を針のような眼差しで射抜き、桂花がせまる。
「柢王先輩〜」
「渡すなよ、空也」
「こんな事して何になるっていうんですか。面白おかしく騒がれるだけでしょう?!」
「だけどティアが・・・」
―――――――何故ここで柢王の幼なじみの名が出るのだろう? 桂花は気になって言葉の続きを待つ。
「ティアがよぉ〜、教室でアシュレイとの恋人宣言したって言うじゃん。先越されたままじゃ気がすまねぇもん。俺もお前が俺のモンだって全校生徒に宣言するっ!!」
ドカッ!!
「・・・て、柢王先輩、大丈夫ですか・・・?」
足の間を押さえたまま痙攣する柢王を心配そうにのぞきこむ空也。
「俺の・・ことは良いから・・・眼レフ・・取り返せ・・・」
切れ切れに訴える柢王に空也は不敵な笑みを浮かべた。
「フッフッフ、だてに柢王先輩の相棒として働いてるわけじゃありませんよ。さっき渡した眼レフはダミーです」
「・・・グッジョブ・・・最高だぜ・・空也」
バタリ。
かくして号外は無事発行され、多くの生徒や( 男女問わず )一部の教師までもを奈落の底へと突き落としたのであった。
それからのち、いくら恋人に虐げられても柢王は上機嫌で、その反省のない態度に桂花は怒りを募らせている。
空也はというと・・・桂花の報復を恐れ、古典的な恋人の後を金魚のフンの如くついてまわっているらしい。
「アシュレイ殿、なんど言ったら分かるんですか。ご自分のフォークで取らずにトングを使ってください」
「面倒だろ」
「それなら吾がとりますから仰ってください。あと、口にホワイトソースがついてます」
桂花は自身の唇に指をさし、その位置を教てやる。
「私が舐めてあげようか」
「守天殿」
「冗談だよ、冗談」
桂花に軽くたしなめられて、ティアは肩をすくめる仕草をした。
「ばーか、怒られてら」
カカカ、と笑って頬杖をつこうとしたアシュレイの腕を桂花が掴む。
「頬杖はつかない」
「・・・・・・なんか、冰玉が気の毒になってきた」
「冰玉は物覚えのいい、かしこい子です」
「悪かったなっ、物覚えが悪くて」
「ええ。慣れましたけど」
アシュレイはキィ――――ッと、歯を食いしばったが、以前のように暴れたりはしない。
二人の会話も、皮肉が混じりはするけれど一般家庭にいるようでティアは聞いていて楽しい。
三人でお茶をしたり食事をしたりするときには、使い女を下がらせることが多くなった。桂花がその代わりをしてくれるのと、聞かれたくない話をすることもあるからだ。
なにより、三人だけというのがすべてにおいて気を使わずに済んだ。
食事が済むと、ティアと桂花は執務に戻る。アシュレイは、森のようすを見にいったり氷暉と霊力を発散しに出かけたりする。
柢王を待ちながらそんな日々を送っていた。
なんとなく目覚めている・・・・という感じだった。
体が寝台から起きあがることを拒否しているようで、瞼を開けられない。
すごく懐かしくて幸せな夢をみていたせいだろうか、「たまには休まないと」そう守天に言われ、自由な一日を与えられたせいだろうか。まるで張りつめていた糸がぷっつり切れてしまったようだ。
しかしそろそろ起きなくては使い女にいらぬ心配をされ守天を煩わせてしまうだろう。
目を閉じたまま、完全なる覚醒にむけて伸びをすると、すぐ後ろにあったものを蹴とばしてしまった。
「!?」
振り返ると、ストロベリーブロンドが敷布に流れている。
「アシュレイ殿?」
窓側を向いている顔をのぞきこむと、無防備なアシュレイの寝顔が。
なぜ、自分の寝台に?守天の部屋とまちがえたのだろうか。
とりあえず起こそうと細い肩に手をかけたとき、触れた髪のやわらかさに胸が鳴った。
久しぶりにみた李々の夢。自分は子供に戻っていた。充実した二人の生活。
(・・・李々)
大好きだった李々と同じ、燃えるような赤い髪。
極力体重をかけないよう、小さな顔の横に手をついて覆いかぶさる。
――――それは李々の髪の香りとは異なっていた。
( バカだな・・・当り前じゃないか )
微動だにしない体を無理に起こすことがためらわれ、このまま寝かせておくことにした桂花は、浴室へ向かおうとして立ち止まる。
( そういうことか )
寝ている王子の姿を振りかえり小さくほほ笑むと、音をたてないよう気をつけながら浴室へと消えた。
桂花が自分のそばにいる間、必死に寝たふりをしていた寝台の上の体が飛び起きる。
「フゥ〜、あせった」
足をけとばされて起きたものの、なぜ自分がここにいるのか上手く説明できる自信がなくて、つい寝たふりを続けてしまった。
《 何だったんだ、今のは 》
氷暉が訝しげにつぶやく。
「なんか、髪のにおい嗅いでたみたいだった」
昨夜、桂花が執務室に忘れていった上衣をアシュレイが届けに行くと、ドアは閉ざされたまま中からの反応はなかった。
もう寝てしまったのかもしれないと、ルール違反だが壁抜けの術を使って桂花の使用している部屋へ入ったアシュレイ。
見れば読書の途中だったのだろう、灯火がつけられたまま桂花は寝台に横たわっていた。
アシュレイは彼を起こさないように気をつけながら灯りをいちばん暗いものに切り替え、持っていた上衣をかけると、掛け布をそっと引きあげてやる。
「ん・・・」
寝返りをうった桂花にビクッと動きを停止したアシュレイ。
いま気づかれたら一瞬でこちらを氷結させる視線を向けられ、「断りもなく人の部屋に入るなんて礼儀知らずなサル・・・」と、ふりだしに戻ってしまいそうな気がして怖くなる。
せっかく彼との間のわだかまりが無くなりつつあるのにそれはイヤだった。
たとえ桂花が起きなくても上衣をこの部屋に置いていった時点で、侵入したことがばれるわけだが、1日あいだをおけば怒りより呆れの方が勝るだろうと踏んでいた。
とにかくこの場をサッサと立ち去ろう。そう思った瞬間、桂花が目を開ける。
「李々・・・」
屈託のない笑顔で細い腕をつかむと、ぐいっと自分の方へ引いた。
慌てるアシュレイをよそに、桂花は目を閉じて、モゴモゴとなにか言っている。
寝台に腹ばい状態でアシュレイは自分の腕をつかんでいる指を一本ずつ離そうとするが、「だめ・・」と力ない口調で抵抗する桂花に気持ちがゆれた。
さっきみたいな笑顔は柢王の前でなら見せていたのだろうか。
恋人の決断に腹をたて、調子の悪い体で嘆き、惜しげもなく髪をばっさり切って、それでも気丈に執務の補助を続けて。
すごいと思う。自分にはできないと思う。
できることなら柢王に変化して桂花の望む言葉を与えてやりたい。
でも、そんなことをすればそれこそ二度と口を利いてくれないくらい怒るだろうし、悲しませることになるだろう。
( こんなとき、どうしてやればいいのか俺にはわからない・・・)
「ここ・・いて・・」
すがるように体をよせてくる桂花の短くなった髪をなでながら、アシュレイは目を閉じた。
少しだけ。少しだけここでこうしてる。
桂花が完全に眠るまで。
・・・・・桂花が眠るまで・・・のつもりだったのに!
思いっきり寝過ごして夜が明けて、あまつさえ彼の方が早く目覚めてしまうなんて。
「俺がここで寝たことは桂花にばれてる・・・無断で部屋に入ったあげく、だまって帰ったら礼儀しらずの上塗りだよな?」
《さてな、礼儀など俺は気にしないが》
「お前はな。・・・あいつ、柢王にも冰玉にもけっこう口うるさいじゃん?最近は柢王の代わりに俺にまで食べ方とか注意してくるし」
「誰が口うるさいですって?」
「桂花っ」
ずいぶん早く出てきたが、やはり髪が短くなったから時間がかからないのだろうか。
その髪をタオルでまとめ上げバスローブの前をゆるく合わせた桂花は、朝だというのに強烈に色っぽい。アシュレイは何だか目のやり場に困って、うつむいた。
「もう、戻った方がいいですよ。守天殿に知られたら面倒でしょう」
「え?あ、あぁ、そうだなっ」
アシュレイはホッとした顔で、寝台からおりた。何も訊かれないし怒っている様子もない。
「じゃあ・・・今日は仕事しないでゆっくり休めよ」
「ええ。ありがとうございます――――上衣も」
「・・・気づいてたのか」
「吾はあんな風に掛けませんから」
「あ・・」
見ると、上衣は裏返しに掛かっていて、バランス悪く今にも落ちそうな状態だった。薄暗い中だったため、裏だと気づかず掛けてしまっていたようだ。
「でも、わざわざ届けてくださってありがとうございました」
「勝手に部屋に入ったこと怒んないのか?」
「どういう風の吹き回しか知りませんが、ご丁寧に添い寝までしていただいたようなので、今回は目をつぶりますよ。二度目は叱ります」
ふふ、と笑った桂花に安堵して、アシュレイも笑う。
「二度目は俺も届けね―よ。じゃあな!」
・・・良かった。桂花がいつもの桂花に戻ってる。
昨夜はなんだか放っておけないかんじで、いつも大人な桂花が子供みたいに甘えてきて・・・・守ってあげなきゃいけない気分になったと同時に、不安だった。
やっぱり自分たちでは彼をここに留めることができないのか、と。
「あいつ、きっと天界に来てから色んなこと我慢してんだな・・・柢王を支えて働いて、こんな風に置いてかれたって結局は奴を信じて我慢して・・・・・柢王が魔風窟から帰ってきたら、少し言ってやらないと」
《 ずいぶん気にかけてるな。なぜお前がそこまでしてやる必要がある?よそのことなど放っておけ――――だいたい人のことを言える立場か、お前は 》
「うるさいっ」
怒鳴ったところでタイミング良く氷暉のキライな腹の虫を鳴かせたアシュレイは、ザマーミロと笑いながら厨房へと歩いていった。
「アシュレイ機長!」
かけられた声に、会議室の多い6階の廊下を歩いていた新米機長は振り返る。と、そこにはツナギ姿の整備士が手に書類を山を抱えて微笑んでいた。
「ナセル! ひさしぶりだな。会議か」
めったに本社で会うことのない空港整備士にそう尋ねると、
「ええ。機長も今日は会議かなにかですか」
「えっ、なんでわかるんだ?」
アシュレイは目を見張った。確かに研修なのだが、スーツの苦手なアシュレイは会議の席でも常に制服姿。手にかばんは持っていないが、
一目瞭然地上勤務だとわかるわけでもない。
と、なじみの整備士はあたりまえの顔で、
「そりゃわかりますよ。顔つきがフライトの時とは違いますから。ああ、フライトといえば、この前は大災難だったそうで」
さらり言われた言葉に、アシュレイは、うっ、と眉をしかめた。
クリスタル・アイランドから無事に戻って今日で三日目──休み明けの今朝は会う人会う人その話だ。ニア・ミスは大事件だし、誰もが知っていて
当然の話題でもある。いまからの研修は、安全管理についてのもので、クリスタルに行く前からシフトに入っていたのだが、どう考えても
い合わせる人たちはその話題を取り上げるだろう。
が、パイロットたちは、仕事のこととして以外に深くつっこんだりはしない。つっこむのはCAたちだ。朝一、ロビーで取り囲まれて
『なにがどうしてどうなった』と質問攻めにされた時にはびっくりした。隙を突いて逃げ出したが、あの迫力はどう考えても野次馬根性だ。
とは言え、この整備士にそんなつもりはないだろう。肩をすくめ、
「まあな。でも一応終わったことだし、後は俺が直接関わることじゃないから」
答えると、整備士はへぇえと笑った。
「なんだ、その笑いはっ」
言うと、
「いやぁ、機長も大人になったなぁと思って。俺はてっきり相手のパイロットを殴ってきたのかと思いましたよ」
「いっ」
見てたんですか? ビビッたアシュレイに、
「ま、機長が無事でよかったですよ。機体の方も無事なら……」
「えっ、無傷じゃなかったのかっ」
「いいえ、よかったこと尽くしですね、と言うつもりでした」
「まぎらわしい言い方するなっ!!」
アシュレイは怒ったが、整備士は悪びれない顔で笑っている。
「まったく!」
こいつも食えない奴だ。プンプンしながら、
「俺はもう行くからな! おまえも会議遅れるなよっ」
背を向けた。と、その背中に、
「機長」
振り向くと、整備士は、ちょっと厳しいような笑みを見せて、
「機体は確かに大事だけど、所詮は道具です。命に修理は効かない。俺たちも真剣に整備してますから、機長も無事に戻ってきてください」
アシュレイは目を見開いた。そして、
「わかってる…!」
強く答えると、また背を向けて歩き出す。
一番大切なのは乗る人の命。だからそれを護るためにも、
(絶対世界一のパイロットになってやるからな──)
新たに決意を固める機長は、その背後でゆれる赤毛を見送る整備士が、ふと、そのツナギの肩をすくめて、
「機長と呼ばれても赤くならなくなったけど・・・…でもやっぱりいつまでもかわいいんだよなぁ──」
苦笑いしているのは見えていない。
*
「オーナー、なにかいいことがありましたか」
笑みを浮かべた広報部長に尋ねられて、ティアランディアはハッと顔を上げた。いつもの最上階、窓の外に離着陸の機体の見える
オーナー・ルームで、部長から秋のキャンペーンの話をされていた最中だった。
頭が妄想でいっぱいでも仕事の話はちゃんと聞けていたはずだが、顔にしまりがなかったとは気づかなかった。ティアは急いで
笑顔を作ると、山凍に言った。
「すみません、クリスタルでのことを思い出していたので」
「ああ。アシュレイが無事に戻って、オーナーもほっとされたでしょうね。私も安心しましたよ」
たぶんティアが無事に戻ってきたことに。思わずティアは心でつっこんだが、それでもクリスタル・アイランドに行けたのは
部長のおかげでもあるのだ。
「本当に、無理を言ってすみません。でも、行けて本当によかったです」
言ったティアに、部長は微笑み、
「王室もオーナーと直接会われて安堵されたと聞きます。なににしろ、誰にも傷がつかないで終われてよかったですよ」
その言葉に、ティアは心から頷いた。
部長が出ていくと、ティアは窓の外を振り返った。
いつもここから眺める機体は当然のようにここに戻ってくる。でもそれは、本来飛ばないはずの金属の固まりを飛ばすことに、その情熱と神経を注ぎ、危険回避の可能性の全てを突き詰めて大事に
護り続けている大勢の人がいるからだ。
ハイ・テクも高度な技術もすばらしいものだ。だが、それは全て安全に関るための手段だ。そこに人の命が関る以上、その命を守れるものは、
最後には、命ある人でしかない。
その思いは、旅客機のパイロットだろうが、戦闘機のパイロットだろうが同じだろう。あの背中に叫んでいたアシュレイの後姿に、
ティアはその真剣さと情熱を感じたのだった。
「アシュレイ……」
子供の時に誓ってくれたのと同じ、誇らしげな笑顔で、
『今度は俺が世界一のパイロットになって、おまえを乗せて飛んでやるからな!!』
ああ言ってくれたときの嬉しさは言葉にならないものだった。
だから、その言葉をアシュレイが実現できるように。アシュレイや、みんなが、この責任ある仕事を心から誇りに思って生きられるように、
「私も、私のできる全てをがんばるからね──」
誓ったティアの見上げる視線の先を、金色の翼が空へと昇って行く──
*
頭上のはるか遠くの空に白い軌跡が移動していく。サングラスの下、それを見上げた柢王が、肩をすくめて桂花に言った。
「なんかあっと言う間だな、六日なんて」
と、少し後ろにいた桂花は小さく微笑み、
「でも、ほっとしたんでしょう。顔に書いてありますよ」
言うのに、柢王は苦笑いを浮かべて空を仰ぎ直す。
親友たちは無事に戻り、一見落着とあとはフル利用した休暇も今日で終わり。一緒に浜辺を歩いてみても、心の半分は明日からの忙しい
日々の再開に奪われている。
「なんかこうして見てると、あの上を飛んでることが信じられない感じだな」
まばゆく輝く青空を見上げた柢王はそう笑うと、桂花に手を差し出した。クールな恋人が無言で載せたその手を軽く弄ぶようにして、
「久しぶりに乗る時ってさ、ドキドキするんだよな。忘れてるわけないのわかっててもさ、ちょっと緊張する」
微笑んだ柢王に、桂花もうなずき、
「気持ちのリズムを掴むのが、ね。すぐに思い出すんですけれどね」
「だよな。で、思い出したらとまらねぇの。すげぇ嬉しくて、飛んでる以外のことも意識してるけど、ドキドキしてる気持ちがずっと続いてさ──
あれは、パイロットの職業病だよな。何度上がってみても、空の上ではすげぇ気持ちが高いとこにあるような感じでさ。いっぺん空飛んだら
降りられなくなるって言われるのも、わかる気がする」
パイロットの寿命は決して長くはないと、周囲の人を見て知っていても、まだ若い彼らには縁遠い話だ。それでも、いつかはその日が来るし、
それ以前に空から降りるしかないパイロットも存在する。
「──ファイターか……。明日も自分が飛べるって無意識に信じられる俺たちは幸せなのかもな」
言った柢王に、クールな機長はかすかに苦笑いをして、
「そうかも知れないと言えば、そうですが……でも、いるべきところにいると思えることはいいことですよ。吾たちも、かれらも」
「だな。そこから降りることを選べないわけじゃない。それでも降りない道を選べるのは、幸せなことだよな」
だから、と、
「俺たちは、ずっと一緒に飛んでような。どこの空にいても、この先ずっとさ──」
細い指を口許に持っていって、そう微笑んだ機長に、クールな機長はかすかに笑って、
「本当に、かわいいことばかり言う人ですね──」
*
窓にはめ込まれた格子の向こうに、まぱゆい青空が見える。流れる雲の影が床の上に波紋に似た紋様を描くのを、かれは瞳を細めて眺めている。
リゾートには不似合いなひやりとしたレンガの小部屋は、手の届かないほど高い窓から差す光の強さに却って薄暗い。その暗さのなかで、
かれは遠い記憶を思い出している。
満開の花の匂いが滲んでいた、肌寒い春の夜。
突然鳴り出した警報。街全体が赤く染まったあの夜の爆音。耳を劈く音に混じって聞えた大勢の人の悲鳴や硝煙の匂い、真っ暗になった視界が
揺れ動く感覚。焔の色。そして、轟音とともに世界が崩れ押しつぶされる重みのなかで、とっさに近くにいた妹の体を庇った瞬間のこと──
いつまでも轟く音といぶされる匂いのなか、体の痛みに耐えながら、ただ身動きできない暗闇で、腕のなかの妹の頭に頬を押しつけて、
間近なその声がとまらないように、その息が、その体温が、消えてなくならないように、ただ願い続けていたあの時のことを──
それは脳髄のずっと奥に、静かに横たわり続けている冷たい記憶だ。
祖国場所に戻り、まばゆく肌を突き刺す日差しのなかにいても、その頬に刻まれた傷と同じに薄れることなくいつまでもある。
軍に入ったわけを問われる度に、かれは常に肩をすくめてきた。
目の前で、街が襲われ、瓦礫の下に世界が滅びる体験をしたその後に──
そんな目に二度とあわないと思うのに、どんな覚悟が必要だろう。平和を願うよりはるかに強く、あの真実を知っている立場として、
無事であることを願う気持ちにどんな説明が必要だろう。
あたたかな世界を思い描けるのはあたたかな思いでこの世を体験した者だけだ。もう決してあんな思いはしたくない──瓦礫が取り除かれ、
腕のなかの妹がもう泣かなくなった顔をそれでもあげて、弱々しい声で、かれの名前を呼んだ時にそう誓ったあの思いにどんな理由が
つけられるだろう。いま、この島が瓦礫になってしまわないようにと望むのは、愛国心などと呼ばれるような気持ちではないはずだ。
いつものように──胸の奥にある何ものも見せず、醒めたまなざしでその暗がりを見つめていたかれは、ふと、顔を上げた。
空の遠く、聞えてくるソニック・ブーム。戦闘機とは違うそれを、かれは聴き取り、そして、つぶやく。
「なにが世界一のパイロットだ……」
日向の匂いをその燃えるような髪から放って、勝気に叫んだその顔を、どんな気持ちで思いだしたものか──
ふいに、かれの瞳が高い空を見上げる。
理想などない。ヴィルトゥオーゾと呼ばれる腕を磨くのもただ飛べるための手段に過ぎない。高高度のコバルトの瞳に世界を見下ろし、
ただ飛ぶことを繰り返していた頃に、ふと、かれの視界に映った風景。
薄い雲の流れる上空。眼下には色鮮やかな海がきらめく波光をたたえてどこまでも広がっていた。遠くに見えるエメラルドの美しい島。
見渡せば、視界は青くまばゆく光に満ちて──
人の引いた国境線など、どこにも見あたらない。
そして、いま、目に見える世界の全ては生きていて、この光のなかで生き続けているのだ、と──
ふいにこみ上げたその思いに、息を飲んだ瞬間のことを。いまでも、コクピットでふいに兆すその思いを、どう受け止めているのか──
「寝言は寝てから言え、サル……」
やはり、かれの瞳はなんの感情も浮べない深く冷たいコバルトのままだが──
かれのまなざしはずっと、窓から差しこむ輝く光を見上げ続けていた。
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