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投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3

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No.178 (2008/01/30 20:15) title:PECULIAR WING 13 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

BREAK THROUGH

「お騒がせしまして申し訳ありませんでした」
 やはりどこまでも落着き払った隊長がそう言ったのは、司令塔の一階にある、おそらくお客様用の部屋でのことだ。
 正体不明機をぶじに追い払い、墜落した機体とパイロットを迎えに行く指示を出すコントロールと裏腹、用事もなくなった天界航空一行様は
早々に軍の人に連れられて管制塔を出た。
 もとから管制塔は関係者以外立ち入ってはならないところであるし、いましがたの出来事は平和な旅客機業界にいる身としては
終わったからこそよけいドキドキすることだ。指示を出してから行きますと言った隊長を残し、軍の人の運転で司令塔へ向う間もメンバーは
誰も口を聞かなかった。
 司令塔の客室のようなところで冷たい飲み物を口に入れてようやく、
「……んっと、よくやるよな、軍隊って。あんなん毎回やってたら絶対ストレスでハゲるって」
 やれやれとばかりの苦笑いでそう言ったのはやはり柢王で、ティアも大きくため息をついて、
「おまえたちはまだいいよ、わけがわかるもの。私なんか心臓止まりそうで……」
「ああ、なんかおまえ、そんなのマジでありえねぇだろっ!みたいなこと口走りかけただろ、あん時。つか、まあ、俺も思ったけどさ」
 ソファの背に首を乗せた柢王に、ティアは恥ずかしそうな顔をしたが、
「アシュレイが止めてくれたから……ずっと、私の手、握っていてくれたんだよね」
 心底ほっとしたようなその笑顔に、アシュレイも頷いて、
「俺だってびっくりしたからな」
「本当ですよね」
 と、空也もしみじみと頷いた。
 他人のフライトでここまで心拍数が上がることなど誰も初めてに違いない。軍のフライト。軍の緊急事態。長くこの世界にいる人でも
経験する人はほとんどないに違いないそれを立て続けに見て、それぞれ疲労と感慨がのしかかっている感じだ。常識外れの、まさに奇跡のような
ものすごいフライトでもあったはずなのに、それに対して誰も言葉が出て来ない。
 と、窓の外、轟音が近づいてきて、見れば遠い滑走路にあの銀の翼の機体が滑り込んでくるところだった。機首を必要最低限までしか下げない、
独特のやり方で、この前と同じく、奇跡のように減速していく。
「ぶじに戻ったみたいですね……」
 窓の外を見た桂花がつぶやく。アシュレイもそれに頷いた。
 と、そこにノックの音がして、隊長が制服将校ふたりとともに入って来たのだった。

「みなさんにはよぶんな心配をおかけすることになって大変申し訳ない。どうかご容赦下さい」
 頭を下げた隊長に、代表のティアが慌てたように居住いを正す。
「こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ありません。ですが……本当に心に残る場面を見せていただいたと思います。こんな言い方は
失礼かもしれませんが、軍の方に対して、心から敬意を抱きました」
 まじめな顔でそう答えたティアに、隊長が初めて、優しい顔で微笑んだ。その瞳をアシュレイに向けると、
「あれがファイターの全てとはいいませんが、現実の一部ですな。だからと言って、あなたになにか求めようというつもりはありませんが」
 言った隊長に、アシュレイも頷く。
「見せてもらって……よかったと思います。無理を聞いてくださって、ありがとうございました」
 頭を下げたアシュレイに、ティアが、アシュレイとつぶやいて微笑む。柢王たちもほっとしたように瞳を見合わせた。

 帰りも炎天下の空の下、軍の人の送りつき──
 晴れ渡った空の色はあざやかで、つい小一時間前にその上でドッグ・ファイトが行われようとしていたことなど伺えない上天気だ。
敷地を走るジープの座席でアシュレイはため息をついた。と、その瞳にアラートの裏側から出てくるパイロットの姿が映る。
「止めてください!」
 軍の人が驚いたようにジープを止める。とたんに、アシュレイは外へ駆け出した。
「アシュレイッ!」
 ティアも慌てたように車を降りる。その後に続こうとした柢王を、桂花が腕を伸ばして遮った。
「え、なに?」
 尋ねるのに、クールな美人は軽く顎で向こうを指し示し、
「あれが例のパイロットだと思いますよ」
 言われた柢王は、えっ、とそちらを見やった。そして、笑みを浮かべると肩をすくめ、
「じゃ、しゃーねーか。自分のフライトの問題、だしな」
 どっかりと、浮かせた腰を落ちつかせた。

「おまえっ!」
 アシュレイの声に、炎天下の日差しのなか、暑いに違いないフライトスーツに身を包んだあのパイロットは、めんどくさそうに顔をこちらに
向けた。息を切らせて駆け寄ったアシュレイと、同じくその後ろで見守るティアとを無感動に見ると、
「なんだ、サル、まだいたのか」
 どうでもいいことのように言う。
 ヘルメットの下の汗でわずかに額に張りついた髪と、その瞳の上から頬を切り裂く傷跡。まだいたのかと言うことは、アシュレイが思わず
叫んだ声を、無線越し聴き取っていたということだ。それでも、高濃度のコバルトのようなその瞳は相変らず冷ややかで、こちらの感じている
思惑など切り離す温度だ。
(たったひとりで飛ぶ翼……)
 地上で誰がどう思おうと、闘うその時、あの張りつめた空に見るのはただ自分の闘うべき相手だけ。それがファイターというものだろう。
仲間とともに空にいても、そこで感じる気持ちの温度は旅客機のコクピットとは大違い。
 そのことのなにを、アシュレイが真実、実感できたわけでもない。
 それに、
(国を護る翼は、いつか、他の国の愛国者を撃ち落すかもしれない翼だ──)
 それが世界の現実の一部なのだとしても、それをどう解釈したらいいのかさえ、いまのアシュレイにはわからない。
 ただ──
(本当に、それだけなのか……)
 あのコクピットのなかで、この相手が感じるものは、いつでも張りつめた気持ちだけなのだろうか。
 フライトにリハーサルはない、と言った隊長の言葉の意味はよくわかる。旅客機の機長だって同じことだ。でも……。 
 楽しさは、無責任とは違う。あの空の上でのびやかな気持ちになるのは、だから後ろのことなど忘れているというのとは違うのだ。
 パイロットが命の重さを忘れたら、それは命の無軌道で身勝手な翼になる。だが、同時に、空や翼を信じる気持ちがなければ、
誰があの場所で、命を護る強さを信じられるだろう。空も翼も好きではなくて、誰がヴィルトゥオーゾと呼ばれるほどうまくなれるのだろう。
飛ぶことにかけらも楽しさがなくて、
(あんなフライトができるのか──)
 目の前にくるりと半回転して放たれた矢のように視界を過ぎる。腹は立ったけれど、それでも、あの機体を自分の手足のようにして飛ぶ高揚は、
そこに命が関るのとは別の次元で当然のことだろうに。
 こちらを見下ろす冷たい瞳に、そう言いたかったけれど、それを言うことはできない。
 だから、アシュレイは別のことを言った。
「おまえのフライト、見たぞ。……すごいと思った」
 けどなっ、と、アシュレイは語気を強めて相手の瞳を睨んだ。
「だからっておまえがやっためちゃくちゃは許さないからなっ! おまえがなに考えて飛んでるかなんて俺にはわからないけど、
俺は──俺だって、自分の客を大事にその大切な人のもとまで届ける責任があるんだ! だからおまえのしたニア・ミスは絶対に許さないからな!」
「アっ、アシュレイ!」
 ティアの慌てたような声が背後で聞こえたが、目の前の相手はバカにしたように肩をすくめ、
「サルに許してくれと頼んでない。話がそれだけなら出ていけ、ここは軍の敷地だ」
 下らないことを聞いたように背を向けようとする。その背中に、アシュレイは叫んだ。
「だから俺は世界一のパイロットになってやるからなっ!!」
 えっ、と、ティアの驚いた声が聞こえる。痩せた背中がぴたりと止まって、その頭がかすかにこちらを向きかける。アシュレイはそれに
腹の底からの大声で続けた。
「俺は絶対、世界一のパイロットになってやるから! おまえにだって、他の奴にだって、俺が飛んでるなら大丈夫だって言われるくらい、
うまくなってここの空を飛んでやる! おまえが二度とあんな悪ふさけできないように──俺は、世界一のパイロットになって、
俺の客を絶対安全にこの島に連れてくるからなっ!!」
 そう──
 やっと、迷いが晴れて雲間から光が差すように。
 決めたことはそのことだ。
 世界一のパイロットになって、自分の客をこの島に、そして、待つ人たちのところまで連れていく翼になること。
 空の旅はアシュレイとってはいつも胸をときめかすものだ。
 小さい頃、父親の乗った機体を眩しい思いで見上げていたあの頃と同じに、いまでもあの真っ青に光に満ちた空の上は、胸をときめかせて
くれるものなのだ。
 トラブルがあったり、力不足で歯噛みしたい気持ちがあったとしても、あの遮るもののないコクピットから見る世界はいつも輝きに満ちている。
あの場所から見る世界は、人の決めた境界線など意味をなさない、純粋な光に包まれている。
 だからその空の上を。
 自分のシップに載り合わせた全ての人を、大切に、地上で待つ人のところに連れていく。
 それが誰かにとって心ときめく旅であっても、そうでなかったとしても、ひとつのシップに同じメンバーが載り合わせた旅は一度しかない。
国籍も年齢も違う人たち。そこでしか、居合せることのない人たちを、人生の次の場面へ、そして、その人たちを地上で待つ大切な人たちの
もとに送り届けることこそが、自分の役割なのだ。
 だから、その人たちに、自分が飛んでいるのなら大丈夫だと思ってもらえるように──
「俺は絶対世界一のパイロットになってやるからなっ!!」
 心の底からそう宣言したアシュレイの前で、張りつめたフライトスーツの背中は、しばらく動かずにいたが……。
「寝言は寝てから言え、サル」
「いいいいーーーっ」
「おまえの腕じゃ百年早い」
 パイロットはバカにしきった顔でこちらを振り向くと、アシュレイの瞳を見据えてそう言った。
「つまらないことで時間使った。さっさと山に帰れ、サル」
「おまえなぁっ」
 アシュレイは真っ赤になって叫んだ。
「時間取ったからっておまえどうせ営倉に戻るだけだろうっ! 禁固刑が偉そうに言うなっ!」
「うるせぇ、サル。サル山に帰ってから騒げ」
「ふざけるなっ! おまえこそ永遠に禁固刑くらって出てくるなっ!」
「ふざけてるのはおまえのフライトだ。浮かれる暇があったら海鳥の様子でも見ろ、サル。今度来る時もあんなにちんたら飛んでたら
さっさと撃ち落すぞ」
 吐き出すように言い捨てたパイロットはもう振り向きもせず、ヘルメット片手にいかにも面倒くさそうな足取りで炎天下の日差しのなかを
去って行く。アシュレイはその後姿をただ、見送った。
 傍若無人で、会話を交わす以前の資質が丸欠けのいやみな奴。言葉も態度もむかつくことだけの本当に腹の立つ奴、なのだが……。
(俺が言い終わるまで、いて…くれた、んだよな──)
 おまえに護ろうとするものがあるように、俺だって、大事な命を抱えて飛んでいる。
 そのことだけは、絶対に譲れないと──
 その気持ちが伝わってくれたかどうかは、全く、わからないけれど……。
 ため息をついて、振り向くと、ティアが驚いたように目をまん丸にしてアシュレイを見ていた。
 アシュレイはそれに微笑んだ。手を差し出して、
「よし、ティア。帰るぞ!」
 ようやくふっきった、晴れやかな笑顔でそう告げた──


No.177 (2008/01/30 20:07) title:PECULIAR WING 12 ─A  Intermezzo of Colors─
Name:しおみ (l198059.ppp.asahi-net.or.jp)

PATORIOT

『320、366応答せよ!!』
官制の声が緊迫を帯びる。ガリガリと機体が軋むような音が無線の交信を妨げる。
「入って下さい!」
 鋭い声に振り向けば、ゲートが開いて、隊長が天界航空一同を待っている。驚きに硬直していた一同は慌ててその後に続いた。
長いエレベーターを昇るなか、軍の人たちは誰も口を開かない。厳しい顔で無言。天界航空一同も黙り込む。
 がくん、とエレベーターが止まって、扉が開く。軍の人たちが早足に廊下を行くのを天界航空一同も追いかける。コンピューターで制御された先は
対空通信室、いわゆる『航空官制管理塔』だ。
 ドアが開いてわらわらとなだれ込んだ一同の耳に飛び込むドンッ!!と、金属のぶつかる音。なにかが破裂するような爆音。四方ぐるりと
ガラス張りの窓の下、正面のデスクでパネル式のモニターを覗きこんでいた管制官が立ち上がり、
「アクシデント! 320が366の尾翼に接触した!」
 えっ、と、部屋の中の空気が張りつめる。軍でも官制は複数いて、それぞれ担当の機を見張っている。ちらとこちらを見たものの自分のデスクを
離れないその人たちと、デスクにかけつける人たち。来たばかりの隊長たちは後者で、ゆえに、天界航空一同もその後へ続いた。
(あ……)
 ぎゅうぎゅう込みあった人の間から、嵌めこみ式のパネルモニターを幾つも抱えたデスクを垣間見たアシュレイは思わず息を呑む。
意外なようでもパイロットが管制塔に入ることはほとんどない。おそらく民間の数倍先行く最新システムの画像は広域レーダー、
機体を中心にしたレーダー図、ウェザー・レーダーに風速気圧モニター、そして──
(カメラが……)
 官制の前、右手の側で画像が激しくぶれているのはおそらく偵察機の見ている画面だ。偵察機とは戦闘機ではあるが偵察が一番の目的で飛ぶ機だから、
カメラが載ることもあるとどこかで聞いたことがある。
 が、そんなことに感心できたのはそこまでだ。目の前ではパイロットと官制がノイズのなかで、
『コントロール! 320右エンジン炎上! 錐揉み失速!』
「320! 聞えるか、離脱しろッ!!」
「風速220! 366、持ち応えろ!!」
 ガーーーッと耳に突き刺さる音と共にレーダー上の機体がひとつ左後方へ流されるように押しやられていく。マーキングされた
それはCAF320──クリスタル・エア・フォース320。対して画面上部はCAF366と、アンノウンとマークされている
ふたつの機影が、カメラの画像にいま映る世界がぶれにぶれて青と計器パネルの色の万華鏡のように変る上空の風の強さを表すように、漂っている。
「ヘリをスタンバイしろ! 」
「海軍の巡視艇に打電を打て! 沖合いPポイントより2q南下した辺りだ!」
 救助の指示が飛ぶなかで、隊長が、画像上、赤くタービュランスの文字が光るモニターを見ながら、隣りにいた将校に聞いた。
「向こうは持ち応えているな」
「引く気配はまだないようですね」
 と、将校も冷静な声で答える。隊長が一度、険しい顔をして、
「Cチームをエプロンへ……」
 言いかけた声を遮るように、
「四時方向にオーロラっ!!」
 官制が鋭い声を出してモニターを指した。
 見えない壁を築くように、揺れるレーダー上で対峙する3機の右下から、一直線に上昇していく白いライン。
 そして、ようやく見え始めた、小刻みに焦点を変える計器だらけのコクピット、その虹を映す風防の向こうに見える丸い青空。
彼方に、鋭い翼を鈍色に光らせ旋廻している戦闘機の姿。
 その眺めを切り裂くように──
 七色の光が視界を過ぎる。瞬時、きらめく銀の翼。遅れて、雷鳴のような轟音が、偵察機の無線越しにドォォォン…と、コントロール・ルームに
響き渡った。
『──氷暉か…!』
 驚いたようなパイロットの声と、張り詰めていたコントロールにハッとつかれた安堵の息。
 いつのまにか視界のはるか先、偵察機と相手機の微妙な間合いを遮るように、鋭く旋廻した銀の機体から、あの醒めた声が無線越しに低く、
『コントロール、366に帰還命令を出せ。左翼後方に裂傷、これ以上は無理だ』
 思わず、アシュレイは拳を握りしめた。
「風速216!」
 官制の声と同時に無線からもコクピットに響くブザーの音が聞こえて来る。一定以上の風圧がかかると警告が響くのは旅客機でも変わらない。
ガガガガと、画面とノイズに機体にかかる風圧がわかるそのなかで、
『チェックは済ませた! まだ飛べる。向こうが落ちてないのにこちらが戻れるか!』
 叫び返すパイロットの声と、それに答えた、
『ゴミを相手に死にたいなら好きにしろ──』
 あの、どうでもいいといいたげな無感動な響き。
 風速が210を越えて、パイロットの視界がまたぶれ始める。対峙しているといっても飛行機のことだ、相手も自分も飛んでいるのだが、
視界にちらちら見え隠れする鈍いブロンズの翼たちは、その風のなかでも編隊を組んで、ぴたりとバランスを崩さない。
 それに対して、こちらの機体は、680が366の視界の前方を旋廻し、まるでそこが第一の防空エリアであるかのよう。接触した機体が
本当に危ないのならパイロットはかならず降りて来る。それでも、ダメージを負った機体の耐久は通常と異なってあたりまえだし、
ましてやタービュランスの炸裂する中だ。旅客機のパイロットならとっくに逃げ出している。
 それを、ファイターたちはうろたえもせず、
『氷暉、向こうは引く気がないぞ。本気で来るか』
『それなら墜とせばいいだけだ』
 正体不明機の目的が単なる篭手調べであろうと宣戦布告ためであろうと、それを黙って見過ごす選択肢はかれらにはない。ファイターは
国を護る第一線の翼だ。地上の誰かが傷つくよりはるかに前に、自分を護る命があったと知られないまま消えていくかもしれない
役割を背負った、翼なのだ。
 その張りつめた世界にいるあのパイロットの気持ちがどんなものかなどアシュレイにはわからない。
 ただ、
(あいつ……音速で乱気流に突っ込んだ──)
 あの銀にきらめく機体が視界を切り裂いた瞬間、見えたオーロラは、音速をはるかに越えた極限の速度でしか生み出されない気流の流れだ。
そのあとに響いたソニック・ブーム──雷に似た衝撃波の強さもまた、それが最高速度をマークした証のようなものだ。
 瞬時といえ、風速125mの風がいつどの方向から来るかわからない空域……事実、仲間が錐揉みになってコントロールを失ったその空域に──
「隊長、Cチームを上げますか」
 官僚が管制官のすぐ側にいる隊長に尋ねた。
 と、隊長はマイクを取り、
「氷暉、聞えるか。いまCチームをスタンバイさせている。上げるかどうか、おまえが判断しろ。いますぐだ」
 言った隊長に、アシュレイたちのみならず管制官たちもギョッとした顔をしたが、無線の向こうの声は低く、
『必要ありませんよ。じゃまなハエは追い払えば済むことだ』
 その言葉にティアがさらにギョッとした顔をしたが、隊長は、
「ならそうしろ。ただしエリア外で墜とすなよ」
 と、パイロットは、めんどくさそうに、了解、と答えたあと、
『墜ちるのは向こうの勝手ですから──』
 マジでっ? 叫びそうだったティアの手を、とっさにアシュレイは握りしめた。ティアがハッとしたようにこちらを向く。
アシュレイはその手を強く握ると、小さく頷いて見せた。
 慣れない場面にうろたえそうなのはティアだけではない。アシュレイも、誰かのフライトがこんなにこわいと思ったことはない。
 でも、ティアはいつでもこんな思いで自分たちのフライトの様子を見守っているのだ。初めて飛んだ時も、機長になって最初のフライトの時も……。
(地上でできることは願うだけなんだ……)
 自分のやることをやって、後は願うしかない。パイロットがその役割を完全に果たすことを。無事に、自分たちのところに戻って来ることを。
それは戦闘機でも旅客機でも変らない。その目的は全く異なっても──
(この場所で、望めることはひとつだけだ……)
 機長になりたい、そう願った自分の夢を、共に望み、励まし続けてくれた親友の、その心にある不安や重さ。そうしたものを、
自分はいままで本当に考えてみたことがなかったと、この場所にいて初めてわかる。
 だからこそ──
(俺は──……)
 握り返すティアの手のぬくもりに、アシュレイがまなざしを強くしている間にも、上空のパイロットたちは的確に判断を下していく。
『コントロール、相手機を分散させて追い上げる』
「ラジャー、680。366、無理はするなよ」
『こいつをひとりにする方がよほど危ない。俺が後方の奴につく』
『了解』
 言うやいなや、ふいにレーダー画面上の二機が二手に分かれて広がった。一機は相手機体の後方へ。そして、もう一機はその並んだ機の
ど真ん中に突っ込むように加速していく。コクピットの外壁が軋むような音。エンジン音が鋭く聞え、
「速度2M──あいつ最大速で行く気だぞっ!」
 叫んだ官制の声に、隣りで風を見ていた管制官が、
「ウィンドシアー、ダウンバースト!!」
 重ねるようにマイクに向って叫んだ。
 とたん、偵察機の画像が大きく乱れる。その先で、映っていた銀の翼がすさまじい勢いで下に押し付けられる。木の葉のように
揺らされる機体がくるくる錐揉みになる。
「氷暉ッ!」
 みんなが体をデスクに乗り出した。無線から聞える警告音。ガリガリ歪む機体の音。画面の上で680のマークがあらぬ方向に流され、
偵察機のパイロットが、
『氷暉っ!』
「墜ちるなっ!!」
 アシュレイが思わずその旋廻する機影に叫んだ瞬間──
 ドオーンと音がして、偵察機のゆれる視界に銀の機体が飛び込んできた。同じ下向きに叩きつける風のなか、ゆれながらバランスを保って
飛んでいた相手機のそのわずかな隙間に割って入るように、真下から、垂直の角度で。
 煽られたように、相手の機体が離れる。バランスを崩してふらつくそれへ、あの醒めた低い声が告げる。
『F16、機首を返せ──これが最後の警告だ』
 はぁぁ、と、コントロールに漏らされた複数の息。アシュレイの体からも力が抜けていく。
 画面の上では急展開に、二手に分かれた相手機体をこちらの二機が追い上げていく。偵察機の画面の前には鈍金に塗装された機体の後姿。
そのはるか前方では、明らかに逃げていく相手の後ろから追い上げる銀の機体が、急げと言わんばかりにギリギリのラインを飛んでいる。
 それでも、二手にわかれた相手も粘り強いのか意地があるのか、エリアギリギリを逃げまわっていたが──
『これ以上警告はしない。墜とすぞ』
 苛立ったより確実な意思を感じさせる無感動な声が無線越しそう告げ、コンピューターのピピピ…と照準を合わせる音と共に、
『ロック・オン──』
 告げられた瞬間、ギューンと、二機が揃ってアキュート・ターンでこちらの視界を離れる。翼を揃え、一直線、防空エリアから
離れていくのに、コントロールの人たちがため息をついた。
 官制が空の上のふたりに向って言う。
『ご苦労だった。ふたりとも帰還しろ』
 と、それへ、
『先に戻ってろ』
 言い残すとふいに680が高度を下げる。えっ、といまほっとしたばかりの一同が目を見張る。
『366帰還しろ。680、なにする気だ!』
 官制の声に返事はなく、機体は画面を西に高度を下げていく。アシュレイは思わず、隊長の顔を見た。何もがあっても動じないようなその横顔。
命令に従い戻る366と裏腹、機体が海上ギリギリの高度まで降りて、しばらく、
『コントロール、Pポイントから南西12qだ』
 入った通信に、アシュレイたちは一瞬、きょとんとしたが、軍の人たちはハッと顔を上げ、
「コントロールより救助ヘリ、320パイロットはPポイント南西沖合い12qだ!」
 ハッとしたティアの顔越し、やはりごく落着き払った隊長の横顔を──アシュレイは瞳を見開いて見つめるだけだ。


No.176 (2008/01/20 22:39) title:ピュア ホワイト
Name:桐加由貴 (pd375f5.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp)

ねえ。私は君が好きだよ。

 人界のあの島国を覚えている? あの国は今ちょうど夕方だ。海が真っ赤に染まっているよ。まるで君の髪と瞳のようだね。
 君は今、隣の大陸にいるけれど、元気でいるだろうか。君のいるところはまだ、昼間かな。
 君が悲しい思いをしていないか、それが心配なんだ。カイシャン――柢王の生まれ変わりを見ていて、泣きたくなったりしていない? 
 人間の寿命は短い。こちらの時間で一年も経たないうちに、その人生は終わってしまう。でも、どうか彼を哀れまないで。
 私たちの親友は新しい命になって、今の生を精一杯生きているはずだよ。柢王がそうだったように。だから私はカイシャンを可哀相に思ったりはしないと決めた。柢王の魂だったら、そんなふうに思うなって言うと思うからね。
 でも、ちょっと心配ではあるよ。ここから見ているだけの私と違って、君は彼のすぐそばで見守っているんだろう。優しい君は、カイシャンがつらい目にあっているときに、それをただ見ているだけでいることができるだろうか。そうしなければならないということが、君を苦しめたりしないだろうか。
 ・・・たまには戻ってきて。そうすれば、私は君を抱きしめてあげられる。もう柢王も桂花もいなくて、時々、世界に私たち二人だけになってしまったような気がするから、そんなときは無性に君を抱きしめたくなるんだ。それにね、君に抱きしめてほしい。――私も少し苦しいんだ。

 あのころとは、何もかもがずいぶん変わってしまったね。私はもうずいぶん、許せない相手が増えてしまった。・・・その中には君の父上も入っている。
 遠いよ。あのとき君と人界で抱き合ってから、どれだけの月日が経ったというんだろう。たったこれだけの時間で、なぜ世界はこうも大きく、残酷に変わることができるんだろう。・・・変えることができるんだろうね。
 誰もが泣いているような気がするのに。
 君も、何度も泣いてきたのに。それなのになぜ、何一つ、優しいほうへ変わってくれないんだろうか。
 ――私も、君に秘密ができてしまったし。
 ねえ、それでも、君は怒るだろうか、呆れてしまうだろうか。・・・逢いたいよ。
 もう私の心も体も、闇を知ってしまっているけど。それでも逢いたい。触れたい。お互いの境目がなくなるほど抱きしめてしまいたい。誰を悲しませてもこの心を貫きたいと、そう思う自分がいるんだ。
 君は優しい人だから、そんな私を軽蔑するだろうか。
 君に嫌われたくはないのだけれど。

 好きだよ。
 愛している。君を。
 ――愛してる。
 
 そう思うことをどうか許して。


No.175 (2008/01/18 15:23) title:無常
Name: (l018243.ppp.dion.ne.jp)

 いつもと変わらぬ目覚め。
 同じ夜具、同じ調度、窓の外に見える同じ風景。変わらない。
「お目覚めですか」
 ためらいがちに声をかけてきた使い女に目をやった瞬間、その漆黒の衣服に、沈めていた記憶をものすごい勢いで引きずりだされた。
「――――――――柢王ッ!」
 寝台から飛びおきた体を支えようと、控えていた数人の使い女があわてて駆けよる。
 そのようすが、あたかも闇が迫ってくるように映り、蒼龍王は思わず振り払ってしまった。
「〜〜〜〜〜お手水を・・・・」
「・・お支度を・・なされませんと・・」
 気づけば彼女たちは壁に叩きつけられ、床に伏していた。
「・・・・・そなた達・・」
 呆然としたままつぶやいた蒼龍王の顔を見あげる使い女たちの目に畏怖の色はなく、ただ、深い悲しみに染まるばかりだった。
 静かに嗚咽がもれる中、ようやく彼は落ちつきをとり戻し謝罪をくり返す。
「・・・すまぬ、怪我はないか?・・・すまなかった、無体なことをしたのう」
 ひとりひとり・・・己の足取りさえもおぼつかない体で、使い女を起こしてやる。
「すまぬが皆、下がってくれぬか」
「蒼龍王さま」
「頼む」
 これから柢王の葬儀が執り行なわれる。支度をせねばならないことはむろん承知の上だった。
 背を向けた蒼龍王の胸のうちを汲んだ使い女たちは、沈黙のまま重い扉を閉める。
 何の音もしない。
 蒼龍王は露台にふらつく足をふみ出した。その欄干に古びた布が結びつけてある。

『父上。こちらの窓の結界は、俺がいつでも入れるようにしておいてくださいと言ったじゃないですか』
『そうであったか・・・いや、どちらの窓だったか忘れてしもうてな』
『またそんなウソを。どうせ新人の使い女でしょう?せっかく父上好みの酒が手に入ったから一緒に飲もうと思って来たのに・・・それなら今後ヘタな言い訳ができないよう、こうして印をつけておきましょう』

 そういって、柢王が結んだものだった。
 それでも結界を変えないでおくと、女性に変化して番兵を口説き落とし、王の自室へ潜むようなことまでするようになったのだ。
 昔から柢王だけはこちらの都合などおかまいなしに、寝室を訪れていた。他愛のない話をしに。
 上の二人など懐きもしなかったので、それはやはり嬉しく、柢王には弱い自分が確かにいた。

「この老いぼれを置いてお前がゆくのか・・・・・」

 三男という立場でありながら、兄達よりたくさんの想い出がある。
どれもこれも賑やかで騒がしくて楽しくて。
 蒼龍王は震える手で結んであった布をほどくと、きつく握りしめた。
 要領が良いだけの子ではなかった。兄弟の中で一番思いやりのある子だった。人望も厚く、正義感強く、安心して任務をまかせられる子であった。
 本当に・・・・・誰にも誇れる息子であった。

「柢王よ―――――互いに転生をくり返したのち、またいつか儂を父と呼んでくれるか・・・・」

開いた手のひらから布が風に導かれ、空高く舞いあがって行く。

蒼龍王はそっと踵を返した。


No.174 (2008/01/16 14:02) title:南国 地獄温泉巡り
Name:碧玉 (210-194-208-237.rev.home.ne.jp)


 ハアッ・・・今日何度目のため息だろうか、山凍は思う。
 3人の子供を伴って南領月例祭に出かけたのはひと月前のこと。
 それが今回も・・・。
 もちろん大反対した。
 だが「私はいいから柢王とアシュレイは行っておいで」と寂しげに笑う幼い守天に山凍は落ちたのだった。

 始まりは三日前、文殊塾での昼休み。
 裏庭にある彼等の隠れ家でアシュレイがティアと柢王にペーパーを読んで聞かせていた。
 今や恒例となりつつある昼のお約束。
 アシュレイの活字嫌い克服に始めたことだったが、実際は彼の昼休みを共有するというティアの秘策だった。
 飽きずに続いているのは一般庶民購読率ナンバーワンである『ザ・テンカイ』のおかげだろう。
『ザ・テンカイ』それは各国のニュースをはじめ、流行のファッション、グルメ、デートスポットやテーマパークの紹介。はたまた人生相談から占いまで何でもござれのオールラウンド誌。
 ここから得る色濃い情報は、幼い3人には胸躍るものばかりだった。
 「当選発表〜」
 「オイオイ飛ばすなっ、何の発表だよ?」
 「ええーっと、第××会、南領月例祭福引当選発表」
 柢王の叱咤に、つかえながらアシュレイが文字を追う。
 そんな姿も可愛いなぁとティアは微笑みペーパーを覗き込む。
 「それ・・・持ってる。 ほらっ」
 ティアは脇に置かれた本からしおりにしていた紙を引き出す。 前回のお忍びの記念にとっておいたものだ。
 「すごいぞっ ティア!!」
 「スゴイもナニも当たってなきゃ意味ねーよ」
 「柢王の言うとおり。 でもチャンスは得た訳だよね」
 当たってるとは思えない。けれどアシュレイの気を挫きたくなくてティアは言葉をつないだ。
 「商品はなぁに?」
 「んーーーと、五等、地獄温泉風呂の素。 四等、四選激辛ラーメンセット。 三等・・・」
 「もっと上、上。特賞は何だよ」
 アタリ、ハズレより商品に興味がある柢王がアシュレイを急かす。
 「特賞、特賞っ、あった、特賞は『御家族四名、国営地獄風呂温泉と豪華ディナーご招待』」
 「へぇー」
 「当選番号、ティアいいか?」
 「うん」
 「 3103 596 3」
 「サントーサン、ゴクロウ、サン・・・エーーーーーッ!!あっ・・・当たっ、当たってる!!」
 「!!!」
 寝転がっていた柢王が跳ね起きるとティアから福引を奪い取り、アシュレイと共に覗き込んだ。
 「すげぇー、当たりってあんだなー」
 主点ズレまくりの柢王。
 「地獄風呂かぁ〜。身体の芯までポカポカするんだろうね」
 夢心地のティア。
 「きまってんだろっ。肌はしっとりの、名物激辛まんじゅうと 地獄玉子は絶品なんだぞっ」
 ここぞとお国自慢のアシュレイ。
 三者三様の感想。
 だが、その心はひとつ。
 『―――――地獄風呂ツアーに行きたーーーいっ!!―――――』
 そうとなったら―――ターゲットは山凍。
 3人は頭を寄せ作戦会議に突入した。
                    

―――という経過でもってまたしても山凍は3人の引率を引き受けることとなった―――
 前回と同じく、南国王子のアシュレイは髪と瞳を茶褐色に、南国ではまだ顔の売れていない柢王はそのまま、御印を消したティアは可憐な少女に変化した。
 しかし、問題はやはり山凍。
 相も変わらぬ怪しい変装に3人は嘆息。
 数回の修正を経て渋々合格点を出した。

 「龍宮城みたーい」
 真赤に塗られた太い柱の門を通ると、寝殿造りの絢爛豪華な建物がそびえたつ。
 ここぞ、二ヶ月前にできた南国、国営新スポット地獄風呂温泉だ。
 情緒溢れる外装とはうって変わり、中は近代的。
 クアハウス的要素を主に、全てが男女共用。水をはじく衣類に着替えて入場することとなっている。
 「五つも風呂があるっ」
 フロントでもらったパンフレットを覗いて興奮する3人。
 そんな3人に山凍は異変を感じたら即姿穏術で姿を消すこと。そしてティアに関しては自身に結界を張ることを固く約束をさせ自由にした。
 「どっから行く?」
 「そうだね〜」
 「俺は『深霧地獄』行ってくるわ〜。 じゃあな」
 迷いに迷うアシュレイとティアをおいて柢王はさっさと身をひるがした。
 「なんだよ、アイツ」
 「いいじゃない。アシュレイはどこに行きたいの?」
 「そうたなぁ・・・ティアは?」
 「うーん迷うなぁ〜」
 「なら全部回ろうぜ」
 アシュレイはティアの手をつかみ『海地獄』へと向った。

 「うわぁ、綺麗たね」
 絵の具を溶いたような澄み切った青が一面に広がる『海地獄』。
 だが、その湯につかっている者はひとりもいない。それもそのはず、この湯98℃もの熱湯なのだ。
 あまりにも綺麗で、手を突っ込みたい衝動にかられる。
 そんな情緒にかられるのはティアのみで、アシュレイに関しては「湯に入れなくて何が温泉なんだ」と大憤慨。
 「此処は湯の蒸気であったまるサウナなんだよ」
 「つまんねー、次行こうぜ」
 アシュレイに急かされ二人は次の『泥地獄』へとむかった。 

「うっ!!」
 入るなり二人は棒立ちとなる。
 二人の前には何十人ものゾンビが!!
 いやゾンビではない人間だ。だが皆が皆全身泥を塗りたくっている。その光景は異様なことこの上ない。
 ミネラルを含んだこの泥はエステ効果のあるのだそうだが、美容に興味などないアシュレイには不気味にしか思えずゾンビ(人)が動くたび炎を出しかけてしまう。
 そんなアシュレイを慌てて引っ張りティアは次の『かまど地獄』へと向った。

「ギャーーー!!」
 入った途端響き渡るすさまじい雄叫びに、アシュレイはザッと身構えた。
 中央の釜から真赤な体の男が飛び出し脇に置かれた水瓶にとびこむ。
 その横で制服姿の従業人がストップウォッチ片手に、「只今のタイムーーー」と実況報告をはじめる。
 「な、なんだよ、コレ・・・」
 よく見ると釜の脇のホワイトボードに本日の温度と上位記録が書かれているではないか。
 「―――身体に悪そうだね。 つ、次、行こうか」
  二人は無口になり『かまど地獄』を後にした。

 「アシュレイ? どこ?」
 もうもうとした白い蒸気で一寸先すら見えない。
 お湯すらも乳白色で、どこもかしこも白につつまれている。
 ここは柢王が向った『深霧地獄』のようだ。
「やっと温泉らしくなってきたな」
 モヤを手で仰ぎアシュレイが顔を出し満足げに呟いた。
 湯の温度もちょうとよく身体に吸い付くような感触も気持ちいい。
「うん♪」
 そのアシュレイの手を握り締め、これまた満足気なティア。
 だが、こちらも長くはいられなくなる。
 湯煙の中から怪しい声が・・・。
 怪しいというより艶めかしいというべきなのか!?
 そう此処はアベックをターゲットにした風呂だったのだ。
「なんだよっ!!この温泉は!!」
 照れと怒りで真赤になったアシュレイはティアを引っ張り最後の『樹海地獄』へと向った。

「ヒャッホー♪」
 天井から垂れ下がった蔓から蔓へ。ターザンの如く動き回るアシュレイには先ほどの不機嫌さは露ほどもない。
 それもそのはず『樹海地獄』こと別名ジャングル風呂は、子連れファミリーの要望から急遽追加され作られた子供の為のスポットだった。
 「ティアもこいよ」
 アシュレイに促されティアもターザン遊びにチャレンジ。
 「お止めください」「危険です!!」とすっ飛んでくる八紫仙も使い女もおらずティアもハメを外し跳ね回る。
 また遊んでる子供達も文殊塾に通ってる子息令嬢とは違い、多少の危険はなんのその、元気一杯楽しんでいる。
 決まりも秩序もないものと思われるが幼い子には蔓をひいてやったり、順番を譲ったりそれなりのマナーは守られてる。
 小一時間も遊んでいると、名も知らないものの言葉を交わし、皆いつの間に仲良しになっていた。
 「おまえ、新顔だな?」
 「うん、初めてきた」
 「へぇー、スゴイ運動神経だな。おまえみたいに跳べるヤツ初めて見た」
 誉められアシュレイに笑顔がこぼれる。
 アシュレイの素早い動きやバネ、そして何よりも楽しそうな笑顔に引き寄せられ自然にたくさんの子供が集まっていた。
「前のところもよかったけど」
「前?」
「うん、もっと奥地にも温泉があったんだ。大きな露天の温泉」
「あたち、そこ好きだったの」
 子供たちは競ってアシュレイに話しかける。
「ふうん。じゃあ俺も今度行ってみよう」
「無理だよ」
「なんで?」
「なくなっちゃったから」
「なくなった?」
「アシュレイ様が火山を吹き飛ばしちゃったんだ」
「そう王子さまが」
「―――――――――」
「ふっ、吹き飛ばしたっていっても温泉自体はなくなってないでしょ」
 黙りこんでしまったアシュレイにかわってティアがフォローを入れる。
「うん。でも温度がまったく定まらなくなって温泉としては使えないんだって」
「あの温泉はリュウマチに効くってウチのばーちゃんのお気に入りだったのに」
「玉子を売ってたおじちゃんも嘆いてたよ」
「アシュレイ様は乱暴だから」
 口々に子供たちは言い募る。
 そのうち周囲は乱暴、乱暴と乱暴コールが広がり始め、アシュレイは拳固を握りうつむいてしまった。
 何とかフォローを入れようとするティアだったが上手い言葉が浮かばず、目に涙が溢れてきた。
 ダメだ。ここで泣いたらもっとアシュレイがつらくなる。
 ティアがそっと涙を払おうとしたとき脇で小さな声が響いた。
 「でもアシュレイ様は優しいよ。だって麒麟に乗ってあたちに手ェ振ってくれたモン」
 その声に誘われ、
 「オレも見たっ。麒麟に乗ってた」
 「麒麟は誰にも触らせないんだぞ。なのにアシュレイ様にはなついてんだ」
 「カッコイイ!!」
 と我先に次々アシュレイ自慢がはじまった。
 周囲にはすっかりカッコイイコールが響き渡っていた。
 俯いていたアシュレイがそっと顔を上げると小さな女の子がニコリと笑い言った。
 「アシュレイ様、ちっこいケドかっこいい♪ね」
 「―――チビにチビと言われた・・・」
 ボッソリ呟いたアシュレイだったが、その顔は喜びに溢れていた。
 そしてもう一遊び。
 「また遊ぼうねー」の言葉に見送られアシュレイとティアは『樹海地獄』を後にした。
 
 「風呂のあとはコレ」
 アシュレイは瓶入りいちご牛乳をティアに渡した。
 恐る恐る口をつけたティアは青い目をキラキラと輝かせる。
 「あっまーい。甘くておいしい♪」
 「だろっ!!」
 ティアの反応が嬉しくて、アシュレイは得意になる。
 着色料と香料のみのいちご牛乳。だがアシュレイとティアにはどんな高価な飲み物よりも百倍も千倍も美味しかった。
 「豪華ディナーはまたにして、そろそろ帰りましょうか」
 いつの間に現れた山凍にティアは素直に頷く。
 「ほら、激辛饅頭と地獄玉子だ」
 柢王もやってきて手にぶらさげた紙袋をティアにさしだす。
 空になった瓶を置きに行ったアシュレイの背を見送りティアは山凍と柢王に頭を頭を下げた。
 「今日は楽しかった。ありがとう」
 ティアはちゃんと気づいていた。山凍と柢王が姿を消して警護していてくれたことを。
 「知ってたのか?」
 「さすがは守天様だな」
 山凍の賛辞にティアは笑って応えてから小声で付け加えた。
 「けれど、アシュレイにはナイショで、ね」
 
 

 


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