投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
いつもと変わらぬ目覚め。
同じ夜具、同じ調度、窓の外に見える同じ風景。変わらない。
「お目覚めですか」
ためらいがちに声をかけてきた使い女に目をやった瞬間、その漆黒の衣服に、沈めていた記憶をものすごい勢いで引きずりだされた。
「――――――――柢王ッ!」
寝台から飛びおきた体を支えようと、控えていた数人の使い女があわてて駆けよる。
そのようすが、あたかも闇が迫ってくるように映り、蒼龍王は思わず振り払ってしまった。
「〜〜〜〜〜お手水を・・・・」
「・・お支度を・・なされませんと・・」
気づけば彼女たちは壁に叩きつけられ、床に伏していた。
「・・・・・そなた達・・」
呆然としたままつぶやいた蒼龍王の顔を見あげる使い女たちの目に畏怖の色はなく、ただ、深い悲しみに染まるばかりだった。
静かに嗚咽がもれる中、ようやく彼は落ちつきをとり戻し謝罪をくり返す。
「・・・すまぬ、怪我はないか?・・・すまなかった、無体なことをしたのう」
ひとりひとり・・・己の足取りさえもおぼつかない体で、使い女を起こしてやる。
「すまぬが皆、下がってくれぬか」
「蒼龍王さま」
「頼む」
これから柢王の葬儀が執り行なわれる。支度をせねばならないことはむろん承知の上だった。
背を向けた蒼龍王の胸のうちを汲んだ使い女たちは、沈黙のまま重い扉を閉める。
何の音もしない。
蒼龍王は露台にふらつく足をふみ出した。その欄干に古びた布が結びつけてある。
『父上。こちらの窓の結界は、俺がいつでも入れるようにしておいてくださいと言ったじゃないですか』
『そうであったか・・・いや、どちらの窓だったか忘れてしもうてな』
『またそんなウソを。どうせ新人の使い女でしょう?せっかく父上好みの酒が手に入ったから一緒に飲もうと思って来たのに・・・それなら今後ヘタな言い訳ができないよう、こうして印をつけておきましょう』
そういって、柢王が結んだものだった。
それでも結界を変えないでおくと、女性に変化して番兵を口説き落とし、王の自室へ潜むようなことまでするようになったのだ。
昔から柢王だけはこちらの都合などおかまいなしに、寝室を訪れていた。他愛のない話をしに。
上の二人など懐きもしなかったので、それはやはり嬉しく、柢王には弱い自分が確かにいた。
「この老いぼれを置いてお前がゆくのか・・・・・」
三男という立場でありながら、兄達よりたくさんの想い出がある。
どれもこれも賑やかで騒がしくて楽しくて。
蒼龍王は震える手で結んであった布をほどくと、きつく握りしめた。
要領が良いだけの子ではなかった。兄弟の中で一番思いやりのある子だった。人望も厚く、正義感強く、安心して任務をまかせられる子であった。
本当に・・・・・誰にも誇れる息子であった。
「柢王よ―――――互いに転生をくり返したのち、またいつか儂を父と呼んでくれるか・・・・」
開いた手のひらから布が風に導かれ、空高く舞いあがって行く。
蒼龍王はそっと踵を返した。
ハアッ・・・今日何度目のため息だろうか、山凍は思う。
3人の子供を伴って南領月例祭に出かけたのはひと月前のこと。
それが今回も・・・。
もちろん大反対した。
だが「私はいいから柢王とアシュレイは行っておいで」と寂しげに笑う幼い守天に山凍は落ちたのだった。
始まりは三日前、文殊塾での昼休み。
裏庭にある彼等の隠れ家でアシュレイがティアと柢王にペーパーを読んで聞かせていた。
今や恒例となりつつある昼のお約束。
アシュレイの活字嫌い克服に始めたことだったが、実際は彼の昼休みを共有するというティアの秘策だった。
飽きずに続いているのは一般庶民購読率ナンバーワンである『ザ・テンカイ』のおかげだろう。
『ザ・テンカイ』それは各国のニュースをはじめ、流行のファッション、グルメ、デートスポットやテーマパークの紹介。はたまた人生相談から占いまで何でもござれのオールラウンド誌。
ここから得る色濃い情報は、幼い3人には胸躍るものばかりだった。
「当選発表〜」
「オイオイ飛ばすなっ、何の発表だよ?」
「ええーっと、第××会、南領月例祭福引当選発表」
柢王の叱咤に、つかえながらアシュレイが文字を追う。
そんな姿も可愛いなぁとティアは微笑みペーパーを覗き込む。
「それ・・・持ってる。 ほらっ」
ティアは脇に置かれた本からしおりにしていた紙を引き出す。 前回のお忍びの記念にとっておいたものだ。
「すごいぞっ ティア!!」
「スゴイもナニも当たってなきゃ意味ねーよ」
「柢王の言うとおり。 でもチャンスは得た訳だよね」
当たってるとは思えない。けれどアシュレイの気を挫きたくなくてティアは言葉をつないだ。
「商品はなぁに?」
「んーーーと、五等、地獄温泉風呂の素。 四等、四選激辛ラーメンセット。 三等・・・」
「もっと上、上。特賞は何だよ」
アタリ、ハズレより商品に興味がある柢王がアシュレイを急かす。
「特賞、特賞っ、あった、特賞は『御家族四名、国営地獄風呂温泉と豪華ディナーご招待』」
「へぇー」
「当選番号、ティアいいか?」
「うん」
「 3103 596 3」
「サントーサン、ゴクロウ、サン・・・エーーーーーッ!!あっ・・・当たっ、当たってる!!」
「!!!」
寝転がっていた柢王が跳ね起きるとティアから福引を奪い取り、アシュレイと共に覗き込んだ。
「すげぇー、当たりってあんだなー」
主点ズレまくりの柢王。
「地獄風呂かぁ〜。身体の芯までポカポカするんだろうね」
夢心地のティア。
「きまってんだろっ。肌はしっとりの、名物激辛まんじゅうと 地獄玉子は絶品なんだぞっ」
ここぞとお国自慢のアシュレイ。
三者三様の感想。
だが、その心はひとつ。
『―――――地獄風呂ツアーに行きたーーーいっ!!―――――』
そうとなったら―――ターゲットは山凍。
3人は頭を寄せ作戦会議に突入した。
―――という経過でもってまたしても山凍は3人の引率を引き受けることとなった―――
前回と同じく、南国王子のアシュレイは髪と瞳を茶褐色に、南国ではまだ顔の売れていない柢王はそのまま、御印を消したティアは可憐な少女に変化した。
しかし、問題はやはり山凍。
相も変わらぬ怪しい変装に3人は嘆息。
数回の修正を経て渋々合格点を出した。
「龍宮城みたーい」
真赤に塗られた太い柱の門を通ると、寝殿造りの絢爛豪華な建物がそびえたつ。
ここぞ、二ヶ月前にできた南国、国営新スポット地獄風呂温泉だ。
情緒溢れる外装とはうって変わり、中は近代的。
クアハウス的要素を主に、全てが男女共用。水をはじく衣類に着替えて入場することとなっている。
「五つも風呂があるっ」
フロントでもらったパンフレットを覗いて興奮する3人。
そんな3人に山凍は異変を感じたら即姿穏術で姿を消すこと。そしてティアに関しては自身に結界を張ることを固く約束をさせ自由にした。
「どっから行く?」
「そうだね〜」
「俺は『深霧地獄』行ってくるわ〜。 じゃあな」
迷いに迷うアシュレイとティアをおいて柢王はさっさと身をひるがした。
「なんだよ、アイツ」
「いいじゃない。アシュレイはどこに行きたいの?」
「そうたなぁ・・・ティアは?」
「うーん迷うなぁ〜」
「なら全部回ろうぜ」
アシュレイはティアの手をつかみ『海地獄』へと向った。
「うわぁ、綺麗たね」
絵の具を溶いたような澄み切った青が一面に広がる『海地獄』。
だが、その湯につかっている者はひとりもいない。それもそのはず、この湯98℃もの熱湯なのだ。
あまりにも綺麗で、手を突っ込みたい衝動にかられる。
そんな情緒にかられるのはティアのみで、アシュレイに関しては「湯に入れなくて何が温泉なんだ」と大憤慨。
「此処は湯の蒸気であったまるサウナなんだよ」
「つまんねー、次行こうぜ」
アシュレイに急かされ二人は次の『泥地獄』へとむかった。
「うっ!!」
入るなり二人は棒立ちとなる。
二人の前には何十人ものゾンビが!!
いやゾンビではない人間だ。だが皆が皆全身泥を塗りたくっている。その光景は異様なことこの上ない。
ミネラルを含んだこの泥はエステ効果のあるのだそうだが、美容に興味などないアシュレイには不気味にしか思えずゾンビ(人)が動くたび炎を出しかけてしまう。
そんなアシュレイを慌てて引っ張りティアは次の『かまど地獄』へと向った。
「ギャーーー!!」
入った途端響き渡るすさまじい雄叫びに、アシュレイはザッと身構えた。
中央の釜から真赤な体の男が飛び出し脇に置かれた水瓶にとびこむ。
その横で制服姿の従業人がストップウォッチ片手に、「只今のタイムーーー」と実況報告をはじめる。
「な、なんだよ、コレ・・・」
よく見ると釜の脇のホワイトボードに本日の温度と上位記録が書かれているではないか。
「―――身体に悪そうだね。 つ、次、行こうか」
二人は無口になり『かまど地獄』を後にした。
「アシュレイ? どこ?」
もうもうとした白い蒸気で一寸先すら見えない。
お湯すらも乳白色で、どこもかしこも白につつまれている。
ここは柢王が向った『深霧地獄』のようだ。
「やっと温泉らしくなってきたな」
モヤを手で仰ぎアシュレイが顔を出し満足げに呟いた。
湯の温度もちょうとよく身体に吸い付くような感触も気持ちいい。
「うん♪」
そのアシュレイの手を握り締め、これまた満足気なティア。
だが、こちらも長くはいられなくなる。
湯煙の中から怪しい声が・・・。
怪しいというより艶めかしいというべきなのか!?
そう此処はアベックをターゲットにした風呂だったのだ。
「なんだよっ!!この温泉は!!」
照れと怒りで真赤になったアシュレイはティアを引っ張り最後の『樹海地獄』へと向った。
「ヒャッホー♪」
天井から垂れ下がった蔓から蔓へ。ターザンの如く動き回るアシュレイには先ほどの不機嫌さは露ほどもない。
それもそのはず『樹海地獄』こと別名ジャングル風呂は、子連れファミリーの要望から急遽追加され作られた子供の為のスポットだった。
「ティアもこいよ」
アシュレイに促されティアもターザン遊びにチャレンジ。
「お止めください」「危険です!!」とすっ飛んでくる八紫仙も使い女もおらずティアもハメを外し跳ね回る。
また遊んでる子供達も文殊塾に通ってる子息令嬢とは違い、多少の危険はなんのその、元気一杯楽しんでいる。
決まりも秩序もないものと思われるが幼い子には蔓をひいてやったり、順番を譲ったりそれなりのマナーは守られてる。
小一時間も遊んでいると、名も知らないものの言葉を交わし、皆いつの間に仲良しになっていた。
「おまえ、新顔だな?」
「うん、初めてきた」
「へぇー、スゴイ運動神経だな。おまえみたいに跳べるヤツ初めて見た」
誉められアシュレイに笑顔がこぼれる。
アシュレイの素早い動きやバネ、そして何よりも楽しそうな笑顔に引き寄せられ自然にたくさんの子供が集まっていた。
「前のところもよかったけど」
「前?」
「うん、もっと奥地にも温泉があったんだ。大きな露天の温泉」
「あたち、そこ好きだったの」
子供たちは競ってアシュレイに話しかける。
「ふうん。じゃあ俺も今度行ってみよう」
「無理だよ」
「なんで?」
「なくなっちゃったから」
「なくなった?」
「アシュレイ様が火山を吹き飛ばしちゃったんだ」
「そう王子さまが」
「―――――――――」
「ふっ、吹き飛ばしたっていっても温泉自体はなくなってないでしょ」
黙りこんでしまったアシュレイにかわってティアがフォローを入れる。
「うん。でも温度がまったく定まらなくなって温泉としては使えないんだって」
「あの温泉はリュウマチに効くってウチのばーちゃんのお気に入りだったのに」
「玉子を売ってたおじちゃんも嘆いてたよ」
「アシュレイ様は乱暴だから」
口々に子供たちは言い募る。
そのうち周囲は乱暴、乱暴と乱暴コールが広がり始め、アシュレイは拳固を握りうつむいてしまった。
何とかフォローを入れようとするティアだったが上手い言葉が浮かばず、目に涙が溢れてきた。
ダメだ。ここで泣いたらもっとアシュレイがつらくなる。
ティアがそっと涙を払おうとしたとき脇で小さな声が響いた。
「でもアシュレイ様は優しいよ。だって麒麟に乗ってあたちに手ェ振ってくれたモン」
その声に誘われ、
「オレも見たっ。麒麟に乗ってた」
「麒麟は誰にも触らせないんだぞ。なのにアシュレイ様にはなついてんだ」
「カッコイイ!!」
と我先に次々アシュレイ自慢がはじまった。
周囲にはすっかりカッコイイコールが響き渡っていた。
俯いていたアシュレイがそっと顔を上げると小さな女の子がニコリと笑い言った。
「アシュレイ様、ちっこいケドかっこいい♪ね」
「―――チビにチビと言われた・・・」
ボッソリ呟いたアシュレイだったが、その顔は喜びに溢れていた。
そしてもう一遊び。
「また遊ぼうねー」の言葉に見送られアシュレイとティアは『樹海地獄』を後にした。
「風呂のあとはコレ」
アシュレイは瓶入りいちご牛乳をティアに渡した。
恐る恐る口をつけたティアは青い目をキラキラと輝かせる。
「あっまーい。甘くておいしい♪」
「だろっ!!」
ティアの反応が嬉しくて、アシュレイは得意になる。
着色料と香料のみのいちご牛乳。だがアシュレイとティアにはどんな高価な飲み物よりも百倍も千倍も美味しかった。
「豪華ディナーはまたにして、そろそろ帰りましょうか」
いつの間に現れた山凍にティアは素直に頷く。
「ほら、激辛饅頭と地獄玉子だ」
柢王もやってきて手にぶらさげた紙袋をティアにさしだす。
空になった瓶を置きに行ったアシュレイの背を見送りティアは山凍と柢王に頭を頭を下げた。
「今日は楽しかった。ありがとう」
ティアはちゃんと気づいていた。山凍と柢王が姿を消して警護していてくれたことを。
「知ってたのか?」
「さすがは守天様だな」
山凍の賛辞にティアは笑って応えてから小声で付け加えた。
「けれど、アシュレイにはナイショで、ね」
ある冬の日のこと。
朝からきびきびと家の掃除をしている桂花に向かってベットの中から柢王が話しかけた。
「なぁ桂花、今日はいつもより寒いな。」
「そうですか?吾にはいつもと同じように思えますけど。」
桂花はそっけなく答える。
「い〜や、今日は絶対寒い!!だから…」
「?だから何です…ってちょっと!!」
柢王は桂花の腕を掴むとベットの中へと引っ張り込んだ。
「いきなり何をするんですか、あなたはっ!吾にはまだ掃除がっ…」
そんな桂花の抵抗も柢王の大きな体であっさりと押さえ込まれてしまう。
「いいからいいから。寒い日はこうやって恋人同士であっためあうって昔から決まってんだよ。」
「何が昔から、ですか!柢王、離して下さい。」
「だ〜め。」
そんな柢王の態度に桂花の体からも次第に力が抜けていく。
そしてそんな桂花を満足げに、世界で最も愛しい者を見るような優しい瞳で柢王が見つめる。
柢王の胸の上に頭を乗せるようにして抱き締められている桂花の耳には、一定のリズムで音を刻む柢王の鼓動が聞こえた。
(こんな瞬間を『幸せ』というのだろうか…)
桂花は心地よい鼓動を子守唄にゆっくりと瞳を閉じた。
次に目覚めた時には柢王の、愛する人のぬくもりは無かった。
「夢…?そうか、柢王がここにいるはずがない。」
そうひとりでつぶやく。
だけど。
あるはずの無いぬくもりを桂花は心の奥に感じていた。
そう、愛する人の胸に抱かれた時と同じ暖かさを。
『 昨日の私の告白、なかったことにはさせないからね 』
そう言って不敵に笑った幼なじみは完全に開き直ってしまった。
スキンシップが日増しに過剰になっている気がするのはけっして勘違いなんかではないと思う。
ティアのことは嫌いじゃない。嫌うどころか大好きだ。
でもそれは・・・・・友人として、幼なじみとしてのことだと・・・思う。
肩を抱かれたり後ろから抱きつかれたり、強引に手を引かれたり。人前でなければ自然と受け入れられる。だけど・・・・・。
「・・・・・はよ」
用があって、先に登校していたティアがアシュレイに気づいて席を立つ。
「おはよう・・・・珍しいね、風邪ひいた?」
今日も朝から多くのファンにウットリとため息をつかせた秀麗な顔が、口の中で飴をころがしながらアシュレイの顔をのぞき込んできた。
「のど飴か?俺にも1個くれ」
「あ・・・ごめん。私もさっきもらったんだ」
「ちぇ。買ってくりゃ良かった」
アシュレイが席につくとティアがその机に両手をついて唇をつきだしてくる。
「―――――なんだよ」
「あげる」
「いらんわっ#ボケッ!!」
真っ赤になって怒鳴ると、教室中の視線がアシュレイに集中した。
「冗談に決まってるじゃない、ここは教室だよ?」
ティアはおかしそうにクスクス笑いながら自分の席へ向う。
(くそーっ、またやられた)
あれからティアは、この手の悪質な冗談をしかけてくるようになった。
マサカと思いつつ、つい本気で怒ってしまう自分はなんだか余裕がない感じでみっともない。くやしい。ティアをギャフンと言わせてやりたい。
爪をかみながら背筋の伸びた後姿をにらみ、何かイイ手はないかと考えていると、隣のクラスの担任が1時間目が自習になることを知らせにきた。
歓声があがり、女子はさっそく仲の良いグループでかたまり始める。
アシュレイの隣の子も移動しようと席を立った。
「あ」
彼女の手から落ちた小さな巾着を拾ってやると、お礼だと言ってキャンディをひとつ手渡された。
「のど飴じゃないのか・・・ま、いっか」
さっそく口に放ると甘い香りが広がる。
アシュレイが包み紙を捨て戻ってくると、ティアが自分の前の席を陣取っていた。
「なに食べてるの?いい匂い」
「いちごのアメ」
「カバンにあったの?私にもひとつ、ちょうだい」
口の中にまだ小さなアメが残っていたけれど、アシュレイと同じものを口にしたくて、ティアは即座にかみ砕く。
しかしアシュレイは目の前に出された手をぺシッとたたき、わざとらしい口調で「ごめん、俺もさっきもらったんだ」と、ティアに言われたセリフを返してきた。
「誰っ!誰がくれたのっ?」
ムッとして詰め寄ってくるティアから面倒そうに顔をそらしたアシュレイにビビッと天啓が。
(そっか!そーゆーリベンジがあったか!)
ここは教室。クラスメイトがいっぱい。
アシュレイはニヤリと笑い、ティアに向き合うと唇をつきだした。
「・・・・・・な、なに・・・・?アシュレイ・・・」
ティアの目が微妙に揺れている。
「やるよ」
アシュレイの言葉に目を見開き、完全に驚いた表情をしたティア。
(ヨシッ!勝った♪)
アシュレイは心の中でガッツポーズをキメた。
「冗談に決まってるだろ、ここは教――――???――ングッ!?」
ガシッと両頬を固定されたかと思ったら、あっという間になにかが入ってきて苺キャンディごと絡めとられてしまった。
アシュレイはあまりのことに思考停止。
「これで君も私のもの」
『 キャ――――――――――ッ♪♪♪ 』
黄色い悲鳴が響きわたったと同時に、椅子ごとひっくり返ったアシュレイは、脳震盪をおこしそのまま保健室送りとなったのだった。
「・・・・・ッ!!!!」
背中に衝撃が来た。巨虫がかすっていったのだ。
背後から現れた巨虫は、地上に躍り出たその勢いで柢王をかすり、地に縛り付けられた
巨虫の上を飛び越えて一直線に他の二頭と闘うアシュレイ目指して滑るように泳ぎだす。
「・・・アシュレイ!そっちに一頭行ったぞ!」
全身が痺れる。立っていられずに勝手に両膝が地に着いた。
倒れ込まなかったのは巨虫に絡みついた場所からぴいんと伸び出た稲妻が腕に食い込でい
るため、逆にそれが支えのようになっているからだ。
(・・・畜生!しくじった!)
背後に迫った巨虫から脊椎を守るために、とっさに体をひねって腕で攻撃をうけたのだ。
―――左腕は完全に砕かれた。
それでも衝撃で背骨が痺れている。 肋骨も、やられたようだ。
かすっただけで、この衝撃だ。あの巨体にまともにぶつかられていたら、おそらく柢王で
も命はなかっただろう。
(・・・運がよかったわけだ・・。 ・・・・・左腕は完全にイッちまってる。あと肋骨の何本か
―――内臓も、ちょっとイッたな・・・ ・・・肉体的には戦闘不能状態って訳だ)
かすっていかれた衝撃でズタズタに破れた上着と、口中に広がる血の味に柢王は顔をしか
めながら、己が負った傷の検分を他人事のように下した。
「柢王?! どうした?!」
呼びかけられて振り返り、地に膝を突いた柢王に気づいたアシュレイが、砂埃に煙る上空
から叫ぶ。 周囲が砂埃に満ちているのは、柢王にとっては己の醜態を見られずにすんで幸
いだったが、それは同時に地上を走る巨虫の姿も、アシュレイの視界から隠されているとい
う事だった。
「もう一頭がお前の真下にいる! ―――出るぞ!」
柢王が叫び返した瞬間、 地上の砂埃を割って伸び上がってきた三頭目にさすがのアシュ
レイも目を見開く。
三方から同時に攻撃を受け、避けたはずの巨虫の顎があり得ない角度から反転もせずにぶ
つかってきた。避け損ない、顎の端がかすっていったふくらはぎから血が流れ出した。
「・・・こ・・・の・・っ!」
続けさまに三方からの同時攻撃を受け、休む間もなくそれを凌ぐアシュレイが歯がみする。
アシュレイが創り出した周囲を取り巻く結界である炎の壁の高さが急激に下がった。
巨虫との戦闘に意識の大半を持って行かれる分、結界の維持が難しくなっているのだ。
「・・・・くそ・・・っ!」
アシュレイが危機に陥っているというのに、一歩も動けはしない己の不甲斐なさに、地上
から見上げる柢王も歯がみする。 背骨はまだ痺れたままだ。回復するかどうかもわからな
い。
(・・・肉体的に戦闘不能状態だとすると、・・・あと俺に残ってんのは、意識と、霊力だけって
ことか。 ―――情けねえ・・この俺が後方支援しかできないとは!)
柢王の周囲に風が巻き起こった。 旋回するその風はアシュレイの炎の結界に吸い込まれ
ると、次の瞬間、空間を揺るがす巨大な旋風となって結界の外周に沿って立ち上がった。柢
王の風に煽られたアシュレイの炎が勢いを取り戻す。
「柢王!」
「結界の炎は俺が支えててやる! とっととやっちまえ!」
しかしそれは同時に周囲をおおっていた砂埃を一掃する事になり、アシュレイは地上の柢
王の姿を見て息をのんだ。
「柢王!お前、・・・その傷・・・・・腕・・・! ・・・・・・!」
遠目からでもわかる。満身創痍の、その姿。 ズタズタになった上着。両腕に稲妻が滅茶
苦茶に喰いこんで血が滴っている。左腕の形が変だ―――。
身を翻して降下しようとするアシュレイを、柢王が怒鳴りつける。
「・・・馬鹿野郎!人のことを構っている場合か! 動きを止めるな!囲まれたら終いだぞ!
動き回って死角を作るな!」
「・・・・・!」
背面から来た一頭をかわし、横合いから来たもう一頭の外殻甲の継ぎ目にすれ違いざまに
斬妖槍を突き立てた。炎を叩き込む前に二頭の連携攻撃を受け、一頭はかわしたものの、も
う一頭の攻撃を避け損ない、はじき飛ばされる。
「ちくしょう!」
かろうじて斬妖槍の柄の部分を間に挟む事で直撃を避け、空中で体勢を立て直しながら、
歯がみする。
(くそ・・・!早く終わらせたいってのに・・・!)
・・・・・ ピシャン・・ ――――――
「・・・真っ二つになると思ったが、黒髪め、腕一本で凌いだか。 あの体勢から防ぐとは、
なかなかやる。とどめが刺せなかったのは残念だが、その傷ではもう動けまい・・・」
黒い水の満ちる水面に映し出される境界の光景に、教主は冥い色の瞳をゆっくりと細めた。
「―――状況は膠着したな。」
喉の奥で低く笑いながら、教主は水面から手をゆっくりと引き抜いた。指先から滴り落ち
た黒い水滴が 金の波紋を生み出す。
「地上の黒髪は動けない。 赤毛は地上の黒髪を巻き込むことを恐れて大技を繰り出すこと
が出来ない」
階に深く座り直し、水面に映し出される光景を見つめる教主が、笑みを深くした。
「―――氷暉、水城。虫たちの操作をお前たちに渡す。使いこなして見せよ」
―――そして、魔刻谷の底。
「・・・あの赤毛、あたしが殺しちゃってもイイかしら?」
教主の声に目覚めた水城が、両手をゆっくりと顔の高さまで持ち上げ、ニッコリと笑いな
がら言った。
―――右腕に二頭 左腕に一頭。手や指の動きをもって操るというより、感覚―――思念
で操るといった方が正しい。実際に水城は手の動きを伴うことなく思念のみで操っている。
手は触媒に過ぎないが、感覚を繋げているため、そういう風に感じるのだ。
「3頭を同時に操るのは、お前にはまだ無理だ。片腕に一頭ずつにして攻撃に専念しろ。
一頭は助勢として引き受けるから、俺に渡せ」
「・・・ いやよ!」
―――そして、境界。
アシュレイは急に動き方が変わった巨虫三頭に首をひねりながらも、好機と取った。
他の二頭に比べて、三頭目の動きがぎこちない。 ぎこちない分、動きのアラが良く見て
取れる。そのうちアシュレイは、巨虫の頭部を取り巻く気管の存在に気づいた。
「・・・・良くわかんねーけど、アレが変な動きをさせてんのか?」
口中で小さく呪を唱えると、巨虫の動きにタイミングを合わせて槍を振るう。
―――突如として、巨虫の気管近くに火球が出現した。
南の王族の炎をまともに吸い込んだ巨虫は、頭部を取り巻く気管や大顎から炎を噴き上げ、
金属がこすれ合うような音を立てて滅茶苦茶に暴れだした。
―――そして魔刻谷の底。 腕の一部に走った激痛に、水城が押し殺した悲鳴を上げた。
むき出しの白い腕に焼けただれたような傷が浮かび上がる。 巨虫と感覚を繋げているが為
に起こる現象だ。
――― 心とは おそろしい。
実際に火に触れたわけでもないのに、そう思いこませるだけで、実際に手で火に触れたよ
うな傷が皮膚に浮かび上がる。
「だから言ったろう!・・・早く、燃えてるヤツの操作権を俺に渡せ!」
氷暉の声に、水城が涙の浮かべた目で悔しそうに唇を噛んだ。そして一頭の操作権を氷暉
に譲り渡した。 ―――健常な、傷のない巨虫を。
自分の過信から負った傷は自分だけのものだ。氷暉には渡せない。
(・・・くやしいけど、氷暉のほうが上手だわ!)
「水城!」
「ほらほら!また攻撃が来るわよ! 早くしないと、やられちゃうわよ!」
水城はわざと蓮っ葉な口調で言い放ち、傷の痛みをこらえながら、腕を持ち上げた。
―――そして境界。 ・・・巨虫の動きがまた変わった。 離れたところから見上げている
柢王には、違いがよくわかる。火球を喰らった一頭は頭部を炎に包まれながらも、まだアシ
ュレイに襲いかかっている。
(・・・とはいえ、三頭相手に、良く凌いでいる・・・―――)
死角を作らないために、三頭の間を休むことなく飛び回り、決定的な攻撃は出来ないものの、隙あらば斬妖槍を突き立て、少しずつ相手の力を削いでいる。
(・・・デカイ技を放てないのは、・・・・・俺が動けないせいだな―――)
左腕は砕け、あちこち傷みっぱなしで血は流れっぱなし背骨も痺れっぱなし。倒れ込まな
いのがやっとの己の状態を、柢王は嘲るように笑い、そして唇を噛みしめた。
・・・・・ また 額が 熱を 持ちはじめている。
柢王は天を仰いだ。 そして両脇に倒れ伏す、間近で見ると意外なまでに体側が平たく、
体長が長いため、黒光りする石を連ねて作られた巨大な橋のように見える巨虫を見おろし、
血の味のする舌を動かして言った。
「―――俺の意識のあるうちに、潰させてもらうぞ」
・・・そして魔刻谷の底。
「――――ッ ツッ!」
―――突然、左腕に一気に圧力が来た。地面に縫いつけられそうなその重みに耐えて氷暉
は腕を持ち上げた。 左腕一面に網の目のように青黒い筋が走り、ところどころから血が滴
り始める。
「氷暉?!」
「―――構うな!」
赤毛を攻撃する一頭と繋がっている右腕はどうということもない。しかし黒髪が押さえ込
む二頭と繋がっている左腕にかかる、腕ごと引きちぎれそうな、この凄まじい負荷は。
巨虫の内部の圧力を上げて機能を護りながら、反撃の機会をうかがうので精一杯だ。
・・・そして境界。
稲妻に巻かれた両側の巨虫が身じろぎするたび、みしみしっと音を立てて外甲殻のカケラ
が砕け落ちる。
柢王はさらに霊力を送り込む。 霊力を注ぎ込まれる稲妻は、そのまま巨虫を地面に押し
つけ、なおも暴れる巨虫の黒光りする外甲殻に食い込む。 巨虫の下のガラス化した地面が、
圧力に耐えかねて音を立てて砕けた。 それでもなお、巨虫は暴れ続けている。
結界を維持しつつ、上から押さえつけ、押し潰そうとする力と
巨虫を操りつつ、束縛を引きちぎって襲いかかろうとする力と
――― 一瞬たりとも気を抜く事の出来ない力の拮抗を繰り返しながら、境界と魔刻谷と
いう離れた場所で、柢王と氷暉は同時に叫んでいた。
「――――虫ッケラの分際で暴れんじゃねえ! おとなしく潰れろ!」
「――――この死に損ないが! いつまで足掻く気だ! 早く死ね!」
・・・・・ ピシャン・・ ――――――
「・・・ハッハ――― なかなかやる」
境界の光景と、黒き水の中継を通して繋がっている氷暉達の闘いぶりに、教主はわずかに
首をのけぞらせて笑った。
教主は階から湖へと足を進める。黒水を踏む白い足にはわずかの乱れもなく、足下で波紋
が次々と生まれて金色に沸き立つ。
湖の中央に腰を下ろし、結跏趺坐の形に足を組むと、長い腕を伸ばして体の両脇に湖に両
手をひたした。
ひたされた所から、黒水は金へと色を転じ、波紋ではなく小さな渦となり、教主を中心に
ゆるりと弧を描き出す。
「―――では 天界の至宝に拝謁を賜るとしようか」
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