投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
THE REASON TO FLY
『リンギング・イット・オン!』
酸素マスクにいくぶんかくぐもったリーダーの声が、無線から曲芸飛行の開始を告げる。
上空に並んだ青いイルカたちが、ギューーンと音を立てて視界を大きく右から左へ流れる。真っ白なスモークを後になびかせて、
4機揃って傾く翼は誰一人遅れない。進行しながら追い越し追い越され、下の機体がいつのまにか上に下に。時速800kmのその自由な
動きに見上げる一同の首は仰け反り、右左する。
青空いっぱい自在なカーブの跡を残した後で、機体はいきなりこちらへ翼を見せて、ダイヤモンドの形で垂直に上空へ。
『ブレイク・スルー!』
ドオーンと鋭い音を立てたとたんに、突然、スモークの跡が放射線状に広がった。真っ直ぐに下に、そして急カーブで上に。
扇を上下に広げたように白い軌跡を残して二手に別れ、今度は斜交いに上と下からS字を描く。スモークを止めて離れる機体の後には
大きく空に書かれた『8』の文字。レター・エイトと呼ばれる飛行だ。
そのまま今度は靴紐を結ぶ時のように、二列の機体が相手方の斜めをすり抜けすり抜けで、空には大きな網目模様が描かれる。
その眺めに、天界航空一同はため息をついた。
「なんかマジですごいんですけど」
旅客機の巡航速度とほぼ同じ速さで、翼を揃え、優雅に飛行。かと思えば、縦にスモーク引かせた機体が、花火がパッと開くように
四方に飛び散るアキュート・ターン。柢王があきれたような声で言うのも無理はない。鋭角度方向転換は戦闘機ならではのもので、
もとから速度が上がれば旋廻角度は広くなるのが常識。高速で走る車がいきなり真横にカーブしようとしたらスピンするのと同じことだ。
ましてや機体の周囲には常に音速に近い気流が流れていて、下手に近づけば隣りの機体が操縦不能になることだってあるのだ。
旅客機であんなアキュート・ターンを試したとすれば、最悪機体が横Gでぽっきり折れる。
「やっぱ軽いよなぁ。それに力もあるし」
苦笑いのように呟く柢王の声に、羨望に似た響きを聞いた気がして、アシュレイも小さくうなずいた。
旅客機の機長の誇りとはまた別に、パイロットとして存在するからには誰もが一度は思うことだ。あんな風に、自由自在に空を飛べたら
どれだけ胸がときめくだろう。
アシュレイにとっては空はいつでも心をときめかせてくれるものではあるし、あの高高度のコバルトの光に満ちたコクピットは
この世のどこより自由な気持ちにさせてくれるものでもあるが。
(あんな風に飛ぶのはどんな気持ちだろう──)
真っ青な空をキャンバスのように自由自在にかけめぐるのは、一体、どんな気持ちがするのだろう。
心臓がどきどきしてしまうのは仕方のないことだ。
と、そんな地上には構わず、上空をかけめぐるイルカたちは、今度は合図一下、ギューンとスモークを後方になびかせて2機がU字を描く。
その後を残りのイルカが螺旋を描いて追いかけると、空にはクリスマスのステッキを逆さに巻いていくような模様が現れる。
そして、今度は離れた4機が下で集合、
「わっ、ローリングですよっ!」
真っ直ぐ上に昇る過程でくるくるくるっと3回転。空には4本の白いトルネードだ。その後すぐさま、ヒューンと瀧のように落下。
地上ギリギリまで真っ直ぐ落ちて来て、息を飲んだ瞬間、パッと機首を起こし、ドォーンと今度は急上昇。四方に散りつつクルクルクルっと
竜巻模様。地上にはゴォォォンと、雷の絨毯を踏むような衝撃波が響き渡る。
そんな技、旅客機で、出来たらミラクル、パイロットは奇跡の人だが刑事犯だ。見上げるアシュレイの頬は上気して勝気な瞳も輝いている。
パイロットのうまいへたの規準はいくらでもあるが、機体の性能やサイズ、翼の角度などいろいろオプションはあってもメインは
間違いなく腕だ、そう言い切れるテクニックの連続技だ。
そのアシュレイの斜め横で、ティアも頬を紅潮させてその様子に見入っている。旅客機はなじみがあっても、ショーを見る機会は
パイロットよりもはるかに少ないオーナーは、いつも地上で、金色の翼の機影を見送りながら、スタッフが安全に仕事ができるように一生懸命。
こんな風に我を忘れた顔で、瞳を輝かせて飛行機を見るのを、アシュレイは初めて見た。
と、4機はくるり、翼を揃えて一回転。ヒューンと視界を過ぎたと思うと、今度は二機が背中併せになったバック・トゥ・バック──
背面飛行で再びくるり。背面飛行で角度を変えて、高いところで花火のようにぱっと散る。そしてまた今度は下向きのトルネードだ。
見ている方の目が廻る。
ふざけあうイルカのようなその機体たちが、ふいにぐーんと伸び上がる。背中併せの2機がぐーんと別れてカーブを描くと、空には
大きなハートマークが浮かび上がる。そこへ、待っていたように残りふたつがすばやいロールを打ちながら、斜めから矢を射抜く。
キューピッドだ。
「すごいよなぁ」
柢王が隣りの桂花に囁く。桂花が瞳を細めて、
「やりたくなりましたか」
と、柢王は肩をすくめ、
「自分ひとりならいいけど、下、客だろ。んなこたできねぇよ」
笑顔のままでさらり否定するのに、アシュレイは瞳を瞬かせた。
見れば、圧倒されて眺める天界航空一同とは裏腹に、ジープの周りの軍の人たちはまじめな顔で空を眺めている。無線に向って冷静な声が、
『機間が広い』
告げるのに、無線から聞こえる声も冷静に、
『4番機、間を詰めろ。もう一度だ』
と、ギュィーンと音を響かせたイルカたちは揃って旋廻。再び、大空に大きなハートと矢が描かれるのを、地上の人たちは真顔でチェック。
なにやら書類に書きこんでいる。
その姿に、アシュレイはそうだったと呟いた。ここへ来たのは物見遊山のためじゃない。少なくとも、ただそれだけのためではないのだ。
航空ショーの演目は、もともとパイロットがその戦闘に必要なテクニックの粋を凝らしたもので、始めにショーありきの特別仕立てな
わけではない。コンマ一秒が生死を分かつと言われる世界で、速すぎる速度も高すぎる技術もないだろう。間違いなしにすばらしいと
絶賛される技術が、絶対の命の保証にはならない世界を、あの翼たちは飛んでいるのだ。
複雑な思いで顎を上げると、ふとまた隊長と目が合う。思惑があるのかないのか、落着き払ったその顔に、
「あの…、あのパイロットはどうなったんですか」
思わずそう尋ねると、隊長はこともなげに、
「氷暉は営倉にいます。来週コート・マーシャルで処遇が決定されるまでは営倉にいるでしょう」
早い話が禁固刑。軍法会議、とは正確には簡易裁判で、その決定は軍にいるものには絶対だ。
「……聞いてもいいですか」
アシュレイは辺りを確認してからそう尋ねた。身内は空を見上げているし、軍の人たちはアシュレイには無関心、というより、
飛行に集中していてこちらの話に聞き耳立てる様子もない。
隊長も無線係に何事かささやくと、アシュレイを向き直り、
「あなたには知りたいことがあっても不思議だとは思いません」
言われたアシュレイは息を整える。
自分とは異なる現実に身を置く人の落ちつきは、しかし、アシュレイには関係のないことだ。自分の真実は自分にしか決められず、
他人の重みを背負うことはできないし、背負ってはならない。だからこそ旅客機のパイロットには覚悟がいるのだ。客の安全が大事なら、
客にどんな事情があろうと飛ばないと言い切る必要があることもあるから。
だからそれと同じ理由で、
「俺はニア・ミスのことをいま蒸し返すつもりはありません。それに、俺もあいつがすごいのはわかります。でも、俺だったらあいつのような
奴とは飛べません。それをみなさんが平気なのは、あいつがうまいからというだけの理由なんですか」
失礼は百も承知だ。だが、今後もこの島の空を飛ぶなら聞いておかなければならない。毎回、軍に避難する度に撃墜されるかと思う
フライトを客に与える事はできない。この隊長だってそれを心配してくれたから招待した、はずなのだし。
と、隊長はその榛色の瞳でアシュレイの顔を見つめ、
「わかりますよ、私でもあいつと並んでは飛べませんから」
「ええぇーっ」
幸い、叫びは轟音に消されたものの、アシュレイの仰け反りは戻らない。隊長なのにそんなこと言うっ? と、隊長は続けて、
「ただその理由のひとつには、私では足手まといが確実だ、というのもありますが。うまければいい──我々の価値観をあなたが
そう思われる気持ちもわかります。軍は確かに、技術よりも心が大事だと言えるような世界ではありません。ただ、私がヤツを飛ばせたいのは
別の理由からです。機長は氷暉の顔の傷をごらんになりましたか」
聞かれて、アシュレイは、ああと思い出した。確か右目の上から頬にはっきりとした……。
「あれは喧嘩かなにかの傷じゃないんですか」
思わず言ったアシュレイに、隊長は笑って、
「私も初めて会った時にはそう思いました。なにせヤツの態度の悪さは当時から折り紙つきでしたからね。ですが、あの傷は私情によるものでは
ありません。あれは空爆で倒壊した建物の下敷きになった時の名残です」
「空…爆?」
「ええ。氷暉がまだ少年の頃──かれの家族は当時、隣国との関係が緊迫化していた国に住んでいました。ある春の夜、街は突然の空爆を受け、
かれの両親を含むたくさんの死者が出ました。かれとかれの妹さんは瓦礫の隙間に守られて一命を取り留め、重傷のまま祖国に送り
戻されたのです。それからの長い病院生活の間で、かれがなにを考えたかは私の知るところではありません。ただ、かれはその後、
軍に入り、ヴィルトゥオーゾと呼ばれるパイロットとしていま、ここにいます」
機長、と、声の出せないアシュレイに、隊長は静かな声で続けた。
「うまいパイロット、では、軍では不充分なのですよ。戦闘機がその一生に一度も敵と闘うことなく終われるのなら、それは幸せなことです。
ですがファイターがそれを前提に存在することは許されません。氷暉はコクピットにいるとき、自分がなんのためにそこにいるのかを
本当に理解しているパイロットです。自分のそのフライトがリハーサルではないことを、もしも自分が撃ち落されたら、仲間に、
そして地上になにが起きるかを、本当にわかっているエースです。そして私もチームのメンバーも、そのことだけは間違いなく
承知しています。だから我々はかれを飛ばせるし、かれと飛ぶことができるのですよ」
「…………」
アシュレイは息を飲んだ。炎天下、頭上で自在に泳ぐイルカたちをよそに、淡々とした言葉で聞くべき話ではない話。自分が聞いても
いいかもわからない話に、ただ息をついて──何度も息をついてようやく、
「……だから、あいつは俺のこと、ちんたら飛んでるとか言ったんですか……」
尋ねたアシュレイに、隊長は肩をすくめて、
「あいつが何を考えて言ったのかは私には理解できませんな。あいつの口の悪さは筋金入りですから。ただ、あなた方がおっしゃるような
安全なフライトを、もしファイターが馬鹿にするのであれば、それはファイターの方が間違っています。楽しく平和な空の旅──
そういったものを実現できる地上こそが、我々の護るべきものなのですからね」
言うと、通信係に目をやり、失礼、とアシュレイに断ってそちらに戻っていく。
アシュレイは頭と心の整理が出来ず、その場に立ち尽くしていた。
そんなアシュレイに気づいたティアがこちらへ来る。
「どうしたの、アシュレイ、真っ青だよ!」
心配そうなその顔に、アシュレイが口を開きかけたその瞬間──
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