投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
「忍っ、俺が悪かった、頼むっ、出てきてくれ〜〜〜っ」
くれ〜くれ〜くれ〜・・・倉庫に二葉の絶叫が響き渡る。
だが無常にも扉は堅く閉ざされたまま。
ガツン―、二葉は岩戸を蹴る。
「二葉ダメだよっ!! 電子ロックだもん。 壊したら余計やっかいだよ」
「―――わかってる」
桔梗の忠告に振り上げた拳をそのまま下ろした。
「中にいるんだろうな」
「あっ、疑っちゃう!? わざわざ一緒に足を運んでやってるっていうのに」
「悪いっ、俺が悪かった」
二葉の謝罪に機嫌を直した桔梗は、扉の出っ張りを指差す。
「ほら、この岩肌ね、誰かが入ると出っ張るようになってんだ。悠がね忍がここの鍵を持って出かけたって」
「にしても、何だよ、コレ」
二葉は前にそびえる大きな岩戸を見上げる。
古びた倉庫の中にこんな大岩が積み上げられてると誰が思うか。
それより、どうやって中に運び入れたのか。
地下鉄はどうやって地下に入れたの? と同じくらい不思議に思う。
「面白いでしょ!? 最近とったCMセットなんだ。 あんまり俺たちが絶賛したんで、倉庫の持主が壊すまで好きにしていいって」
「何のCM?」
「いま流行りの岩盤浴」
「がんばんよく・・・・ってアレか? 岩をひきつめた中で寝そべるサウナみたいな」
「う〜〜ん、厳密には違うけど、ま、その岩盤浴だよ」
「俺も詳しくは知らないけど、岩盤浴って火山岩だがの遠赤外効果で体内の悪いものを発汗させるってヤツだろ? だからって、こんな原始的なセットにしなくたって・・・」
「原始的っ!! ええーーっ!! 一目瞭然じゃん!! 分かりやすいじゃん!! CM見たら二葉も絶対納得するって」
「どんなCMだよ?」
「ふふーん、聞きた〜い?ダメダメ企業秘密だもん。でもっ二葉がどーしてもって言うなら教えてやっても〜〜〜」
「いらんっ」と突っぱねたいところだが、桔梗の機嫌を損ねるわけにもいかず二葉は渋々頷く。
オンエアー前に誰かに話したくて仕方なかったのだろう。
桔梗はバッと顔を輝かせると意気揚々と説明を始めた。
「えっとね、人生の荒波に揉まれ疲れきった青年がこの岩戸に閉じこもる。 そして数刻。 再び扉が開くとっ!! ジャジャジャジャーーン!! リフレッシュした美貌の青年(つまり俺ね)が颯爽と現れるってワ・ケ。 ねっ、ねっいいと思わない? 」
・・・思わない。
まるでカップラーメンじゃねーか。
危うく出かけた言葉を二葉は飲み込む。
だが悪評を敏感に嗅ぎ取った桔梗はキッと顔つきを変えた。
同時に話題も方向転換。行き先はもちろん二葉へ直球ど真ん中。
「忍ねぇ、閉店までローパーで待ってたんだってーー、二葉から誘ったんだってねーーー、かっわいそーーーー」
「わかってるって、ネチネチくり返すな。だからこーして謝ってんだろっ」
「ゴメンで済んだらケーサツはいらないっ」
微妙に怒りが摩り替わっている。
三日前、DVD鑑賞の約束を卓也にすっぽかされたことにだろうか?
「そりゃ、たまにはローパーで飲もうって言ったのも、日時を決めたのも俺だよ」
「そ、れでー」
「日を間違えたのも俺っ!!」
「フン」
勝者桔梗。
敗者の二葉はガックリ肩を落とした。
―――ドンドコドコドコドンドコドン―――
―――ドンドコドコドコドンドコドン―――
「なっ、なんだ、なんだ!!」
突然の騒音に二葉が飛び上がる。
「扉が開く効果音だよ」
勝手知ったる桔梗がツラツラと説明する。
「よかったね、出てくる気になって。けど忍責めたら俺が許さないよ」
責めるも何も、二葉はこの騒音にすっかり毒気を抜かれている。
扉の効果音!?
CMヒットはないなと二葉は再度確信した。
―――ギィギギギギッ―――
軋む音と共に岩戸がゆっくり開き始める。
二葉と桔梗は待ち構え!!
「しのぶーーー・・・・・・・・へっ、え、かずきぃぃぃぃっ!?」
扉から現れたのは二葉の兄、一樹・フレモントだった。
「あれ〜〜〜?なんで〜〜〜?」と桔梗。
「・・・・・・・・・・・・・」沈黙の二葉。
「これ、中々いいね」
そんな二人の前に一樹は颯爽と歩み寄る。
リフレッシュした美青年そのものだ。
「さすが一樹。俺の従兄弟だけあるね。。。現れ方もすっごく様になってたよ♪」
セットを誉められ上機嫌な桔梗は、瞬時チャンネルを一樹モードに切り替える。
打てば響くとはこういうことなのだろう。
桔梗はピョンピョンと一樹に跳ね寄った。
「で、一樹はどーして此処にいるの? 」
「昨日、忍にCMの話を聞いてね、天の岩戸のセットなんて面白いだろ?」
「ふうん。で、忍と来たの?」
「あれ、小沼。二葉も来たの?」
一樹が答える前に、当の忍が缶コーヒーを手にヒョッコリ現れた。
忍は手にしたコーヒーを一樹と桔梗に差し出す。
「俺はいらない。 それより二葉と和解してやってよ、深〜く反省しているみたいだからさ」
「和解? 反省?? 」
首を傾げる忍。
桔梗は大きく忍に頷くと、今度は一樹の腕に抱きつき「CMの再現してあげる♪」と岩戸内へと引っ張っていく。
何が何だか分からず二人を見送った忍は、説明を求めて二葉に向き直る。
すると今まで黙り込んでいた二葉がいきなり口火を切り始めた。
「俺が悪いっ、悪かった。悪いのはわかってる。ケド避けることねーじゃん、部屋に閉じこもってるかと思えば黙って出社してるしっ」
「ちょっ、ちょっと待って。部屋に閉じこもってるって・・・それは卓也さんの作る新カクテルが美味しくて、ついつい飲みすぎて帰った途端寝ちゃったんだよ。おかげで今朝の商談には寝坊しちゃうし、声かけようにも二葉シャワーだったろ? 」
「ケド連絡くらいよこしたって・・・」
「メール入れたよ」
「・・・あ――――っ」
慌てて取り出した二葉の携帯、電源はオフ。
電源を入れた途端、待ってましたと着信音がひっきりなしに流れ始める。
忍専用の着信音だ。
ズ―――――ン
頭を抱えた二葉はとうとうその場にしゃがみこんでしまった。
忍も黙ってそれにつきあう。
途中コーヒーのプルドップを引き渡してみたものの、二葉の顔は上がらない。
やっと二葉がそれを口にした頃、二人の足はすっかり痺れきっていた。
だけど、もう大丈夫。そう思い、忍は静かに口を開いた。
「二葉、昨日電車に乗っただろう? その時電源切ったんじゃない?」
「へっ・・・えっ、あーーーーーーーっ!!」
思い当たったのだろう、二葉が声をあげる。
そんな二葉を見て忍は微笑む。
『携帯電話が及ぼすペースメーカーへの影響』
それを知ってから二葉は優先席付近では必ず携帯の電源を切る。
多分、昨日もそうだったのだろう。
そんな二葉は誰よりもかっこよくて、誇らしい。だから忍の笑みが消えない。
だのに二葉はひたすら謝り続ける。「悪い、ホントごめん」と。
そんな二葉が愛しい。
だから、つい言葉がこぼれ落ちる。
「二葉、大好きだよ」
―――ドンドコドコドコドンドコドン―――
―――ドンドコドコドコドンドコドン ―――
再び響き始めた騒音に忍の言葉はかき消される。
「・・・・・え?」
「ん、、、何でもない。ほらっ、二人の女神のとうじょうだよ」
「女神?」
「岩戸に身を隠すのは日神(太陽神)アマテラスなんだ。小沼も一樹さんもピッタリだと思わない?」
「太陽ねぇ〜〜。しいて言えば夏のギラギラしたヤツだな」
普段通りの忍に安心し浮上した二葉は、憎まれ口を叩きつつ扉に足をむける。
その大きな背中を見ながら忍は思う。
それなら、二葉は冬の太陽だ・・・と。
どんなに寒くても、どんなに辛くても、絶えず温もりを与え続けてくれる。
なくてはならない存在。
―――ギィギギギギィ―――
「ヤッホー、忍ーっ」
岩戸から桔梗が飛び出してくる。
忍は笑って手を振る。
そして太陽達へと駆け寄った。
「やれ、夏はしんどうて敵わん」
閻魔は冷蔵庫に手を伸ばすと中から缶ビールを手にとり、ツマミはどこかと中をひっかきまわす。
奥の方に冷えきったスルメが小さく畳まれたのを発見し、最近傷む歯で噛めるだろうかと思案したのち、それはゴミ箱行きとなった。
「うぃ〜・・・・効くのぅ・・・この暑さの中での一杯は」
年金でマッサージチェアーを購入してしまった閻魔には、それのローンがまだ残っている。本当はエアコンも買いたかったが、日頃のお遊びのせいですっからかんだ。
今ハマっているゲイバー『教主の館』。そこの教主ママに閻魔は骨抜き状態なのだ。
「今月はもうムリじゃな・・・・あぁ、教主ママに会いたい」
うっとりとした顔でつぶやくが、すぐに暑さによって現実へと引き戻された閻魔は、残りのビールをいっきにあおって、扇風機のスイッチを入れる。
風力を「強」に切り替え、顔を近づけた状態でお決まりの「あ”〜」の一声をあげた。
頭の中で来月の小遣いはいくらまで使えるか、ソロバンをはじきながら。
その夜。
怒号のようなイビキが響きわたる六畳一間という狭い空間で、あるもの達が嘆いていた。
「もう、嫌だ・・・嫌なんだっこんな生活っ!」
「どうした、ティア」
「だってっ!くる日もくる日もあんなジジイの肩や腰揉んでるんだよっ!」
「それが仕事じゃねーか」
アシュレイが一刀両断する。
「そうだそうだ。俺だってなぁ、あんなジジイに風送んなきゃなんねーンだぞ?しかも、あのヤロすっげー近くまで顔寄せやがって、泣きたいのはこっちだ!」
柢王もうなりながら声をあげた。
「それを言うなら吾だって。においのキツイものを入れられて、何度も体を開かれて中を覗かれてひっかきまわされて・・・」
―――――――ゴクッと喉を鳴らしたのは柢王(扇風機に喉?)
「お前・・・その言い方よせよ・・・なんか・・妙な想像しちまったぜ」
「なんだなんだお前ら!仕事だろ?文句ばっか言ってんじゃねーよ」
「だって・・・アシュレイには分からないよこの気持ち。君は夏場は・・・・」
「そうですよ。あなたなんて、最近めっきり仕事されてないじゃないですか」
言いよどんだティアの台詞を引き継いだ桂花が容赦のないひとことを放った。
「なっ、なにおうっ」
「そーだよな、お前ヤカンだし。夏場は熱いものなんて飲まねーもんな」
「ヤカンって言うな!ケトルって言えっ、ケトルって!」
「・・・同じじゃね―か」
「うるせーっ!うるせーっ!俺だって好きでボーっとしてんじゃねーよ!他の家じゃ、ちゃんと麦茶を煮出してから冷やしてんだっ!こ、ここはあのクソジジイだから水に入れるだけの・・・・あんなの『邪道』だ・・・・くそぅ・・・・このクソジジイのせいだ・・・・・屈辱だっ」
「ア、アシュレイ、落ちついて?私は君のその真っ赤な体とか熱いところとか大好きだよ?こんな家に来ちゃってとても悲しかったけど、君に出会えたからこれまで我慢してきたし」
ティアが必死になぐさめるが、アシュレイは聞く耳をもたず低い声で唸っていた。
数分後。
火にかけていないヤカンが、何故かひとりでに熱くなり発火したことによって、閻魔の部屋から火が出てしまう。
幸い飛び起きた閻魔によってすぐに消火され、小火ですんだが・・・・「これで来月教主ママに会いに行くことはできなくなってしまった」と、彼はハンカチを食いしばるしかなかった。
一方、火の手が上がるのを間近で見ているのに、逃げることもできなかった三人は、それ以来アシュレイを怒らせるようなことは決して言わなくなったとか。
アシュレイは天界テレビに着くと、一目散にエレベーターホールを目指した。エレベーターが1階に着いて、ドアが開ききるのを待ちきれずに身体をねじ込むようにして乗り込もうとした時、丁度降りようとした人とぶつかりそうになった。
「おっと失礼・・・。アシュレイさん?」
「ナセル!」
脚本家のナセル・ノースであった。
「どうしたんです?そんなに慌てて」
「お前こそ、まだ残っていたのか?」
「俺は打ち合わせが長引いたものですから。アシュレイさんはまだ仕事ですか?」
「違うんだ・・・、いや、仕事のことだけど。でも今日は別の仕事してて。あ、でも仕事のことなんだ」
「ちょっと落ち着いて下さいよ」
ナセルは笑ってアシュレイを連れてエレベーターホールから少し離れた。
「一体どうしたんですか?仕事のことって待機中のドラマのことでしょう?」
「そ、そうなんだ。ナセル、あのドラマ、中止にならずに済むかもしれねーぞ!」
ナセルが驚いた顔をした。
「どういうことです?何か状況が変わったんですか?」
アシュレイは吹き抜けのロビーに立つ太い柱の陰にナセルを引っ張っていき、声を潜めた。
「今回のことはブラック&ヘルの、10億円もする新作ネックレスをドラマの中で使うってここの会長が勝手にした約束が原因なんだ」
「そんなことが?」
「悲恋」のことを口にしなかったのはあくまで自分の精神衛生保護のためだ。
「と、とにかく。そのネックレスを使えばブラック&ヘルは文句言えないはずなんだ」
「でもどうやって?そんな高価なもの使える場面を今から作るのは難しいですよ」
アシュレイは頷いた。
「そうなんだ。でも話の筋に影響しなければいいんだろ。だからそれ着けるのはヒロインじゃなくって女優とかモデルとかなんだ。それでネックレスのデカい広告パネル作ってさ、飾っておく。そうしたらさりげなくテレビに映るし、しかもそれは単なる背景にしかならない」
「飾るって、どこに?」
「それはさ、ショーウィンドウとかに・・・て。あ、れ・・・?」
ナセルは困った顔をした。
「アシュレイさん、ドラマの中で実在の企業の名前を出すのはちょっとまずいと思いますよ」
「そっか・・・」
せっかく起死回生のアイディアだと思ったのに。アシュレイはがっくりその場にしゃがみこんだ。
「やっぱダメだな、俺って。後先考えないで・・・」
ナセルは慰めるようにアシュレイの背中をぽんぽんと叩いた。
「そんなに落ち込まないで下さい。俺はいいアイディアだと思いますよ」
「でも使えないと意味ねーよ」
「そんなことありません。もう少し掘り下げてみましょう。例えば飾る場所を変えてみたりして」
ナセルは少し考え込んだ。
「・・・ショーウィンドウか。そういえばヒロインは大手アパレル会社のOLだ。そこの職場に飾ったらいいんじゃないでしょうか」
「職場?」
「確かヒロインの会社は新作ドレスを発表したばかりという細かい設定がありましたよね。広告の写真でモデルさんにそのドレスと一緒にネックレス着けてもらえばいいんじゃないですか?そうすればメインはドレスですが、ネックレスも充分目立ちますよね。話題にもなりますよ」
「そんな設定あったっけ?」
ナセルは苦笑した。
「俺が考えたわけではないんですけどね。美術さん達が考えた設定ですよ」
「あ・・・」
すっかり忘れていたが、確かそんな話があった。割りと自由な雰囲気の現場で、美術担当達は遊び心を発揮して話の筋には関係ない細かい設定を色々考え、それを基に道具を用意している。
アシュレイは飛び上がるように立ち上がり、ナセルの肩をバンバン叩いた。
「すっげぇ、ナセル。やっぱお前って頭良いよな。ティアに話す前にお前に相談できて良かった」
「ティア?もしかして社長ですか?」
「あぁ、ブラック&ヘルの取締役ともう1度話すって言っていたけど、具体的な案を持って行った方が絶対説得力あるだろ。だからあいつには1番に話さなきゃと思ったんだ。早速行ってくるわ」
「待ってください。いつの間に社長と知り合ったんです?」
「この間、初めて会ったんだ。最初はいけ好かねぇ奴だと思ったんだけどさ、あいつも現場が好きでこのドラマのために1人で冥界教主と話付けようとしてくれてるんだ。それってさ、放っとけないというか、俺も何かしてやりてーじゃん」
そう言うとナセルが何か言う間もなく、アシュレイはエレベーターへ向かって駆けていった。そして途中で振り返ると、アシュレイはナセルに向かって手を振った。
「サンキュー、ナセル。やっぱお前って頼りになるよな!あいつきっと喜ぶよ!」
ナセルは曖昧な表情で微笑み返した。
元気よく跳ね返ったストロベリーブロンドがエレベーターの中へと消えると1人ロビーに残ったナセルは
「頼りにされて、ライバルが出てきたんじゃあな・・・」
と肩を落としたのだった。
ガラス張りのエレベーターはアシュレイを乗せてぐんぐん上昇していく。瞬く間に眼下には黒いビロードの上に宝石箱を引っくり返したような夜景が広がった。けれどアシュレイには目の前の光景よりも先ほどの案のことに心を奪われていた。30階までの時間がとても遅く感じられる。やがてエレベーターはチンという軽い音とともに止まった。扉が開ききるのも待てず、アシュレイは飛び出した。この階には来たことがない。ただ、社長室があると聞いたことがあるだけだ。
誰もいない廊下を「社長室」と書かれたドアのプレートを探して走ったが、社長室を見つけるのに大して時間はかからなかった。何せ広いわりにはドアの数がほとんどない。
「社・・・じゃねーや、ティアー!いるなら開けろ!」
律儀に言い直してアシュレイは重厚な雰囲気のドアをドンドン叩くと、すぐに扉が開いて目を丸くしたティアが顔を出した。
「アシュレイ!どうしたの?山凍殿がいなくてよかった・・・。そんなことより入って」
社長室はゆったりとした広さで、シンプルだがセンスのいい部屋だった。部屋は微かに甘い良い匂いがしている。何だかティアの笑顔を思い出すような・・・ってそんな場合じゃない。
アシュレイは咳き込むように切り出した。
「あのネックレス、ヒロインが着けなくてもドラマの中ででっかく使える方法があるんだ」
ティアが軽く目を見開いた。
「どういうこと?」
「広告だよ。モデルか女優かにあれ着けさせて、その写真ででかい広告作ってヒロインの職場に飾ればいいんだ」
職場のシーンで毎回その広告が視聴者の目に触れる。もちろんブラック&ヘルの名前はドラマの中で出さないがそれでも話題にはなるはずだ。ドラマの筋にも影響しない。
ティアの目が輝いた。
「すごいよ、アシュレイ・・・。そんな手があったなんて」
アシュレイは照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「まぁ、俺が考えたというよりもナセルの案なんだけどな」
「ナセルって脚本家の?」
「あぁ。さっき下で会ってさ、一緒に考えてくれたんだ。俺じゃここまで考えつかねぇし」
「ふーん。…でも、これでドラマを中止しなくて済むんだね」
「まだだ。その前に先方に話してもらわないと。準備は俺達でできるけどそっちはティアの仕事だぜ」
冷静な振りをしているが、本当はすぐにでもプロデューサーのところに走りたい気分だ。
「そうだね。さっそく明日の朝にでも行って来るよ。その前にプロデューサーと話さないと。それはすぐに連絡を取るよ。冥界教主殿と話がついたらすぐに準備に移ってもらおう」
ティアは興奮を抑えるように机の周りを歩き回った。そして上気した顔でアシュレイを振り返った。
「ありがとう、アシュレイ。正直無理かもしれないって少し思っていたんだ。これで希望が持てるよ」
アシュレイは笑った。
「俺だって自分の『好き』は守りたいさ」
ティアはアシュレイの手を取った。
「絶対中止にはさせないから。待ってて」
アシュレイは大きく頷いた。
翌朝、ティアは冥界教主を訪ねた。金を出さずに済んだと思っていた冥界教主と壮絶な舌戦を繰り広げたが、ティアが執念の粘り勝ちをもぎ取った。そしてすぐさま昨夜連絡を入れておいたプロデューサーに電話をし、プロデューサーの指示で製作会社が広告パネルの作成を始めた。幸いなことに広告モデルとして候補に挙がっていた大物女優のスケジュールが空いていたのですぐに写真撮影が行われた。そして広告作成と並行して止まっていたドラマの準備も再開し、まさに怒涛のような数日間の末、執念と幸運とに支えられ、当初予定していたクランクインの日から数えて5日前の夜中。ようやく全ての工程が終了したのであった。
VILTUOZO
「え、進路妨害?」
顔を見合わせたW機長に、航務課長の伯黄がため息をつく。
時間差帰着で一緒帰りの予定の白黒機長が、書類を出しに来た航務課で落ち合った時のことだ。ざわざわしているその場の空気に、
顔を見合わせ、顔見知りのコー・パイに理由を尋ねようとしたその時──
「あ、帰ってきた! ちょっと、ふたりとも来てくれ!」
奥から課長が手招きしてふたりを呼んだ。航務課は馴染みのあるところだが、課長に呼ばれるのはめずらしい。しかも、そのディスパッチ用の
部屋のドアの隙間に、暇なはずのない広報部長の姿を見た黒髪機長がとっさに真顔になって、
(そういや、今朝、靴のひもが切れたけど、あれとなんか関係ある?)
身構えたのは、ある種の予感だったかもしれない。
小部屋へ行くと、そこにいたのは広報部長と、なぜか旅支度で瞳うるうるさせている幼馴染で雇用主の、『天界航空』オーナー、
ティアランディア。ふたりを見るなり椅子から立ちあがり、
「ああっ柢王桂花っアシュレイが大変なんだったらふたりとも落ちつかずによく聞いてっ!」
「って、おまえが落ちつけ! つか、句点つけろ、読みにくいから! 一体なんですか」
と、大親友の慌てぶりにヤな予感炸裂の柢王は、残り二人の顔を見る。沈痛顔の航務課長と、なんとかの叫びみたいな悲壮な顔した広報部長が、
「とにかく座ってくれるか。説明するから」
と、話し出したのが、小一時間ほど前に起きたクリスタル空軍上空でのニア・ミス事件。現地だと午後一時くらいだが、時差があるので
こちらは夕刻。日没早い外はいまはもう濃紺だ。
話を聞き終えた柢王は息をついて、
「それは災難ですね。アシュレイが怒るのもムリないですよ。けど、とりあえず客もクルーも機体も無事で、バスも出たし、空軍は調査入れて
くれるんですよね? それにむこうのパイロットのミスだって認めてるし?」
「ああ、うちの現地スタッフも見ていたが、たしかに着陸間際の機体に戦闘機がニア・ミスしたらしい。すれすれで避けたそうだが、
非は明らかだそうだし、現地ではアシュレイ機長たちが聴き取り調査を受けている頃だと思う。うちとしては混乱はない。ただ、
当のパイロットがまだ帰還しないらしいから、調査結果は最悪、数日後かもしれないが」
「えっ、軍のパイロットがニア・ミスして帰還しないって、それ、軍規違反じゃないですか」
ただでさえ、パイロットは法律にがんじがらめだが、軍ではそれに軍法が加わる。違反したら最悪反逆罪だ。尋ねた柢王に、今度は
重苦しい顔した山凍部長が、
「空軍のエース・パイロットだそうなのだが。あの島では王室の式典で空軍がショーをすることもあるが、その時にも参加する凄腕のパイロットだそうだ。そのパイロットがなにをどうしてニア・ミスなのか、
本人が戻らないのでは確認しようがないのだが……」
ゆーか、なにをどうして部長はここに? ここ、航務課でしょ? こういうのって航務課と営業部の担当でしょ? それになにその悲壮な顔。
つか、ティアのそのスーツケースから唐辛子の匂いがするのはもっと何っ?
柢王は答えを求めるように隣りを見た。と、いつでも冷静な美人機長はめずらしくなにか考えこむ顔をしている。七日ぶりに会う恋人の
機嫌は一大事だ。即座に、どうした、と尋ねると、クールな美人はかすかにためらう顔をしてから、
「いえ、クリスタルの空軍で航空ショーと言うと、吾も冥界で飛んでいた頃に一度見たことがあるのですが、そのなかに、『ヴィルトゥオーゾ』と
あだ名されるパイロットがいたんです。『超絶技巧の持ち主』という意味ですが、たしかにすばらしい飛行だったと思います。ただ…少し
風変わりなパイロットだと聞いたのを、いま思い出したので」
「風変わり? どんな風に?」
「あいにく詳しい話は聞き流しました。パイロットの人となりには関心がなかったので。あまりいい感じの話ではなかったと思いますが。
アクロバット自体は神業的なうまさでしたけれどね。ああいうのは一機でも乱れると事故に繋がる高等技術ですし、そのチーム自体
とてもすばらしいパイロット揃いでしたが、その機はカンのいい人がずば抜けた技術を持って飛んでいると、下からでもはっきりわかりましたから」
その言葉に一同がへぇと感心する。自らもずば抜けた技術とフライトセンスを持つ桂花がいうのだ、それは相当にうまいということだ。
ある種の水準は自分もある程度の水準にいないとわからないが、その心配は桂花にはまずないから確実に。
「けど、意外だよな。ショーに出るパイロットって、軍の顔だろ。うまいのもあるけど、人前に出せるのが前提って聞いた気もするけど」
「吾もそう聞きました。だから覚えていたのかもしれません。飛び方のタイプはアシュレイ機長に似てなくもない気がしますけれど。
紙一重でふいとかわせるタイプというか……」
「あー、前髪に直感ついてるようなヤツな。あいつ、コー・パイの頃、たまにブリーズ、前髪で予知してたもん」
頷いた柢王は、で? と瞳で聞く。と、
「それが…」
「それがだな……」
課長と部長の視線はオーナーへとリレー。と、ティアが、
「おまえたち、私と一緒にクリスタル島まで行ってくれる?」
「はっいーっ? ティア、おまえ何言ってんの? 俺ら確かに明日休みだけど、明後日フライトだから島まで往復なんか……」
「ううん、それは大丈夫だよっ、課長が代理立ててくれたから!」
「って、ええーっ、なんで勝手に決まってんのっ?」
「だってアシュレイが危ない目に会ったんだよっ、おまえたちは心配じゃないのっ?」
「って、降りたんだろ? 客も無事だし、向こうも悪いって言ってんだろ? その上なにを心配すんだよ?」
「だって、アシュレイは今頃、自分が悪くもないのに取り調べ受けて泣いてるかもしれないんだよっ!」
「って、泣くわけないだろ、あいつがっ!」
つか誰もこんなことで泣かない。つか調査は取り調べじゃない。つか取り調べ受けたのはおまえだ。この前、あまりの日帰り
スタンプの多さに税関に密輸入疑われて一時間も!
だが、それなのに、翌週末には何事もなかったかのようにまた嬉しげに日帰りでアシュレイの機に乗ったティアは、物心ついたときからの
アシュレイ信者。この世で唯一…じゃなかった、エンジュさんとふたりの熱烈なアシュレイ教徒だということを、子供の時から見てきた
黒髪機長は知っている。
「あのなぁ、ティア? これがもし客がけがしてアシュレイが過失傷害とかになってたら、俺だってムリしても行くよ。けど、こういうのは
あることだぞ。ニア・ミスがじゃなくてさ、フライトのことでなんかあって、機長が責任持ってできる限りの対応してかないといけない
ようなことは。誰がどうしてどうなったとか事情の説明だけじゃなくて、自分が関ったことに対して、自分の意思や考えや、どうすれば
最善かを周りと話し合って決めてくようなこともある。それは機長でなくても当然のことだし、機長だったら尚更だ。自分が預かった
フライトに関ることのあれこれを、問われることはあたりまえのことだ。その度におまえが助けに行くわけにはいかないし、はっきり言って
助けにもなれない。アシュレイだって誰かが助けてくれるなんて思いついてもないはずだぞ」
わかってないとも思わないが、それでも言うと、やはりわかっている老舗会社のオーナーは、一転、真顔で頷いて、
「それはわかってるよ、柢王。それにトラブルに関して私ができるのは私の立場としての対処だけだってこともわかってる。だから、
よけいな口を挟む気はないよ。むこうでは航務課に任せるし、私は絶対に表に出ないって約束する。仕事だってことはよくわかってる。
でも、空の上にいる時はムリでも、いまは側にはいられるよね? 陸の上ならアシュレイの側にいることくらいはできるよね。だからアシュレイの側にいてあげたいんだ、それだけなんだよ、柢王っ」
と、訴えるティアに、柢王はため息をつく。
陸に置き去りのティアに、空の上はムリだが陸なら手が届くから、と言われると、パイロットとしてアシュレイと共有するものの多い
柢王には反句がない。それに、これが桂花のことなら自分もムリしてもいくだろう。好きと大事は、立場や理解を時に超えるものだし、
それに、ティアは確かに、言ってはいけないわがままは決して言わないヤツ、なのだ。
(…どーすんだよ……)
眉をしかめて隣りを伺えば、クールな美人の瞳にはくすりと笑みがあって、こちらの甘さなどお見通しだとよくわかる。頭はどうあれ腹では
気がかり。バレバレだ。が、恋に限らず、『好き』な気持ちはどこかは甘い。決して盲目になることのない『好き』は、『好きでない』のと同じことだ。
「──後でひと山一人前たちに文句言われても知らねぇぞ。それに仕事遅れてまた半分あの世行きになっても、愚痴は聞かねぇから」
「柢王っ!」
ティアが顔を輝かせる。先ほどまでとは打って変わって嬉しそうな顔で、
「大丈夫だよ、仕事はもう回して来たから! それに課長がおまえたちを四連休にしてくれたんだ。課長が知らせてくれたとき、私は
部長と打ち合わせだったんだけど、おまえたちが帰るまで待つように提案してくれたのも部長だし、ほんっとふたりとも気が利くよねぇっ!」
きらきらと瞳輝かせるティアと裏腹、瞳鉛色にした機長はふたりを見つめる。
と、そもそもアシュレイの名を出さずにティアに報告する先読みができず、その上、暴走するかもしれないオーナーを自分たちは
手が空かないからとフライト帰りのパイロットに押しつけた、この世でもっとも気の利かない課長と部長は心からすまなさそうに目を伏せた。
部屋に入った時からのふたりの重苦しい顔のわけがわかった柢王はふたりに向い、
「休みは六日下さい。それと島から休み明けの勤務地への直行チケットを、お願いしても怒らないですよねぇ、お・ふ・た・り・は?」
にっこりと、笑う禁欲生活八日目の機長の瞳の奥になにを見たものか、青ざめたおふたりはしかと休暇とチケットをお約束
下さったのだった──
「ほんとにごめんな。結局、勝手に決めたことになって」
本社から車で15分。同居中の家の書斎で鞄に次のフライトのマップをつめこむ柢王は、桂花に謝った。
『八時半にクリスタルの隣りの島への最終便があるから。それで次の朝、チャーターヘリで島へ渡るからね。身支度あるなら早めにして
戻ってきてね。私は空港で待ってるから!』
はやる気持ちがそのまま行動に現れて、翌日の直行便を待つ気もなく無理やり乗り継ぎ便作ったらしいオーナーに、
『隣りっておまえエア・バス飛ぶほど遠いんですけどヘリっ? つかその手回しの早さなんでふだん使わねーの?』
と、つっこむ気力もない機長と恋人機長は食事の予定もキャンセル、家に戻って旅支度。
(あーあー、今夜ここに帰る時はすっげえわくわくのはずだったのになぁ……)
が、ティアの頼みを聞くことになったのは自分のせい。とばっちり食ったのはむしろ桂花だろう。
「行く気しなかったら、おまえのはいまからでも断るぜ?」
と、常にクールな桂花は静かに微笑み、
「構いませんよ。休みも伸びたようですし。それに、見る機会があればもう一度見てみたいですしね。あの、ヴィルトゥオーゾ的飛行を」
と、言ってくれたので柢王は心からほっとした。部屋に鍵をかけながら、
「落ちつけよー俺、いま中に戻って引きこもるより島に行った方が時間あんだからがまんしろー」
自分に言い聞かせ、深呼吸して、向ったエレベーターで──ガコンッ!
スーツケースがドアに挟まったのは、この旅の先行きとなにか関係あるのだろうか。
そんな不吉な出来事のことは露知らないオーナーは、アシュレイの好物いっぱい詰め込んだスーツケース片手に空港で、
「すぐに行くからねっ、アシュレイっ! 生きる時も墜ちる時も私たちは一緒だからねーっ!」
と、その場にも職業にもふさわしくない決意の言葉で、周囲を青ざめさせていたのだった──
SIGNAL RED
「ランウェイ・インサイト!」
空也の声が、心なしか緊張して聞こえた。同じ眺めをいま、確認する操縦席のアシュレイもそのわけを理解する。
眼下に広がるエメラルドのあざやかな海。前方正面は緑が目を洗うようにきらめく美しい丘陵。白くもくもくと浮ぶ雲と、つき抜けるような青空を
背景に、リゾートの島の美しい光景が近づいてくる。
が、コクピットのパイロットふたりが目を見張るのはその眺めではない。
二人が見ているのはもっと下──
丘を後ろに、低い塀で囲まれた広大な敷地。起伏のある海岸線をすぐそこにして、黒い巨大な十字架のように、アスファルトを強い日差しに
際立たせた滑走路。タクシーウェイの彼方にびしりと整然、並んでいる鈍色の丸いドーム屋根。
それらが陽射しに一面きらきら輝くさまと、奥まった建物の屋上ポールにたなびく旗の模様が、そこが間違いなく代替空港、すなわち
クリスタル空軍基地だと物語っていた──
*
母国はまだ冬のとある晴れた日の午後──
天主空港を朝オン・タイムで出た『天界航空』の黄金のジェット機777便が、西方にあるリゾート、クリスタル・アイランド空港上空で
旋廻する羽目になったのはその一時間前に降ったスコールのせいだった。
クリスタル・アイランドは雑駁な街と美しい自然が売り物の小さな島。訪れる旅人のほとんどがリゾート目的だから、スコールも
また魅力のひとつで、その後カラッと晴れて虹でも出れば旅人の気分はむしろ盛り上がることだろう。
が、スコール直後に着陸しようとした先行のジェットがスリップして、滑走路を翼半分はみだした状態で全輪パンク。動かないので
滑走路は使えませんといわれたら、関係者の気分は盛り上がらない。
とはいえ、そもそも数百tの重さが時速300q以上の摩擦を与えるジェット機のタイヤの耐久度は低い。だからこそ十回飛ばない頻度で
替えているのだが、パンクしないタイヤがこの世にない以上、着陸時の状態次第でパンクするのはありうる話だ。
もとから航空業とはありうることが起こっても驚かない仕事柄。それに全輪パンク、というのはめずらしいものの、幸い、乗客乗員に
けがはなく、大事にならなかったのは吉報だった。
ということで、この路線五ヶ月の新米機長の操縦する天界航空機は、車で30分程度のところにある代替空港の空軍基地に降りて、
客と荷物をバスに乗せ、機体は後から移動することになった。もとからその上空を許可なく飛んだら迎撃されても文句の言えない軍の敷地に、
民間人を移動させるためのバスが入るのは異例のことだ。その許可を取りつけてくださったのは王室で、しかもバスまでご用意くださったのは、
ただの親切というより、この頃じわじわと人気の出てきた島への集客に対する航空各社への期待の高さを物語るものであっただろう。
が、王室の思惑がどうあれ、天界航空としては助かる決定だった。着陸前と迎えのバスも客席の視界は塞ぐことが条件だったが、
乗客たちは早く移動できることが肝心らしく、混乱がないどころかとても協力的で、一同は心からほっとした。
現地航務課も軽食と整備士をトラックに積みこんでバスと一緒にもう軍に向かっていたし、初めての軍への着陸ではあるものの、
ビル街の上を滑走路に降りていく無線の使えない空港と違い、空軍は軍上空までレーダーで誘導してくれた後、着陸無線に乗せてくれるという。
空港間が近いから低空低速、地形も複雑で海風のあおりを受けない注意は必要だが、アプローチ角度は広いし、
(むしろふだんよりも楽かも? 今日はラッキーセブンだし、ついてるのかな、俺)
出掛けに部屋のドアの前になぜか立てかけてあった十三段の梯子の下をくぐった時にふいに黒猫が前を横切り、びっくりして頭打ったのは
きっとただの偶然だ。いま思えばあの猫ソックス履いてたし。
と、空也と着陸の打ち合わせをしながら、アシュレイもすっきりとした面持ちでいたのだったが──
(すごいランウェイだ。それにあれ戦闘機だよな……)
緑と白砂の海の間に切り取ったように開いた広大な平地と、パッと見でも5qはある大滑走路が悠然とクロスする眺めは、のどかな島の
イメージにそぐわない。それにあの、光を反射しているまばゆい一帯は全て戦闘機の格納庫のはずだ。いったい何機あるのだろう。
平和なリゾートのシビアな面を見たようで、新米機長はわずかに眉をひそめた。
とはいえ、それは瞬時のことだ。
旅客機の機長の仕事は客を安全に降ろすこと。他の事情は関係者に任せておけばいい。そう自分に頷いて、アシュレイは自動推力装置を切り、
自動操縦を外すためのスイッチを押しながら、
「フラップ30! オート・スロットル・ディスコネクト、オー・パイ・ディスエンゲージ!」
「ラジャー! フラップ30、ノー・ライト!」
最終のセッティングを終えると、ここからは手動だ。地上は向かい風がややあるものの、計器に突風の気配はない。ぐーんと高度を下げていくと、
視界が完全に開けて、白い波光をきらめかせるまばゆい海。黒く陽炎煙るような滑走路に他に離着陸の機体はいない。
官制の声が1000フィートをくれる。アシュレイはどんどん機体を下げていく。声だけ頼りに「二度上げて」とか「もう少し左」とか
「それってどれくらいですかーっ」な修正をしながらビル降りる空港に比べたら、この滑走路は楽勝だ。新米機長はわくわくホィールを握りしめる。
と、
「アプローチング・ミニマム!」
コールした空也の声が、ふいに、悲鳴のように跳ね上がる。
「キャプテンッ、後方レーダーに機体がっ…」
えっ、とアシュレイがレーダーを見るより早く、
『ヘブンリー、ニア・ミスッ!』
ドーン! と鈍い音と振動がガラスをビリビリ震わせたその瞬間──上げた瞳に映ったものを、アシュレイも、そして、たぶん空也も共に、
理解できなかったはずだった。
コクピットの窓の、真正面。ほんの、十数メートル先に、逆さになった銀の戦闘機。一瞬、全てがとまったルビーの瞳のなかに、
輝くドームのコクピットからこちらを向いたヘルメットのパイロットの顔さえが、確かに、見えたように思われた。
「っ!」
息を飲むより早く、アシュレイの両手はホィールを力いっぱい押して機首を下げていた。が、その瞬く間に、目の前の機体はくるりと反転、
放たれた銀の矢のように、ビリビリとこちらの窓だけ震わせてもう視界から消え失せている。
アシュレイは、ただ愕然と目を見張る。
いま……目の前に、戦闘機が横切った?
『ヘブンリー、高度っ!!』
官制の鋭い声に、ハッと見れば高度300、急激に下降する機体の下はもう海間近。大急ぎで、
「ゴー・アラウンドッ!」
着陸中止を叫ぶと、ぐうぅっとかかる重さに耐えて操縦ホィールを必死に引き上げる。絞っていた推力を最大、スロットルを掴んで一気に押し上げながら、
「マックス・パワーッ! フラップ20! ギア・アップッ!!」
叫ぶのに、空也も即座に、
「フラップ20、ノー・ライト! ギア・アップ、スリー・グリーン!」
出していた車輪を引っ込め、機体が機首を起こして昇りはじめる。
もうとっさのことで取り乱している余裕すらない。めまぐるしく視界が変わるなか、並んだふたりはビシバシ指示を出し、受けて、
「コクピット・チェック・リスト! 官制に高度!」
「ラジャー! コントロール、高度をください!」
『ラジャー! ヘブンリー、2000フィートで旋廻! 機体は無事ですか』
「ヘブンリー、2000フィートで旋廻! チェック・リスト・コンプレイン! ノーマル!」
「空也、フラップ10!」
「ラジャー! フラップ10、ノー・ライト!」
雲を突き抜け、上へと向う。
コクピットのふたりがようやく揃って息をついたのは数分後。雲の間に機体を落ちつけ、旋廻しながら客席と機体の無事を確認した後のことだ。
空也にホィールを渡したアシュレイは、まず、客席にアナウンスを入れた。
降りかけの機が一気に下降した後、急上昇。乗客に驚かせたことを詫び、着陸に不都合があり上昇したが、管制塔の指示のもとですぐに
もう一度やり直すと報告したアシュレイの態度は落ちついていた。
そして、マイクを切ると、空也に向い、
「ちょっとイヤホン遠くしててくれるか」
言って、今度は官制を呼び出す。深呼吸してから、
「さっきのは何だあぁぁぁぁぁーーーっっっ!!」
腹の底から叫んだ声が、コクピットの窓をビンビン震わせた。
が、怒鳴れるだけマシだ。怒鳴れるのは生きているからだ。いまになって心臓がドラムのように跳ね飛ぶが、それだって
ぶつからなかったからなのだ!
アシュレイの心拍数はうなぎ上り、全身が駆け抜ける血で沸騰しそうだ。
着陸間際の機体に、ニア・ミスなどふつうでも考えられない。後方レーダーに写った機影に空也が驚いたのは、それがいきなりこちらの圏内に
入って来たということだ。その上、後ろにいたのに次の瞬間には前。それもアクロバティックな宙返り。極めつけはこちらを向いていたパイロットの顔!
「あの野郎わざと前通りやがっただろーっ! 何かあったらどうしてくれてたんだーーーっ!!」
飛行機の目の前十数mは車とは違う。こちらは時速300q、そしてあれは戦闘機。最大速度は秒速で660mを越える。へたに至近を通られたら
ビルでも壊れるシロモノなのだ。
いや、確かにあの時はせいぜいこちらより少し早い程度、それが目の前をかすめ、その後一気に加速したが、振動でこちらの窓を
吹っ飛ばすこともなく、瞬間で離れていったのは神業に近い。だがしかし、だからこそ!
「なんであんな奴飛ばしてるんだ、なんとか言えーーーーーっ!」
うまかったら人の進路妨害してもいいなんてルールはどこにもない。ましてやこちらは民間機。客が何百人も乗っているのだ。
まともなパイロットならそれがどんなに危険なことか考えるまでもなくわかるはずなのに!
子供の時から負けず嫌いでも、アシュレイはいままで官制とのやり取りで大声を出したことはない。意志を通すと喧嘩腰は別だ。
それは会社の翼で飛ぶようになってよく理解している。が、いまのは別だ。たとえ臨時でじゃました軍の基地でも、ここへ来たのは降りるためで、
誰かに墜とされるためではないのだ!
と、官制は低くため息をついた。どこかあきらめたような、だが心からすまなさそうな声で、
『戦闘機のパイロットの進路に過ちがあったようです、本当に申し訳ない、ヘブンリー。詳しい事情は着陸後に知らせます。まずは着陸を続けて下さい』
謝りながらも的確に指示。
腸煮えくり返った機長はカッツーンと来たが、言うことは確かに官制が正しい。ここへ来たのは客を降ろすため、むかっ腹で旋廻続けて
燃料切れるためでもない。それにぐすぐすしていてまたあんなマネされたら今度は落ちついて対応できる自信がない。
「了解! もう一度、指示を下さい」
精一杯、怒りを押さえた声を出して、アシュレイはコバルトの空を睨みつける。そこにあるのは白い雲海。あの銀の機影はかけらも見当たらない。
(降りて来たら何がなんでも叩きのめしてやるからな!)
どのみちアシュレイと空也は滑走路が空くまでは基地で待機するしかない。あのパイロットが降りて来たら、絶対叩きのめす! 例え会社に謹慎食らったって、あんなふざけたパイロットを放置しておくことなんかできるはずがない!
怒りに燃えた鋭い瞳で空也を見れば、前もトラブル・フライト一緒だった空也も同じことを思ったのか頷いてくる。
よし! と一致団結、頷きあったパイロットたちは念入りに着陸を打ち合わせ──
やがて金色の翼を持つ旅客機が、いままでにないほど息のあった連携プレイで、トラブルの後とは思えない、超ナイス・ランディングで
空軍基地に降りたったのは、ひとえに天界航空パイロットとしての意地とプライドの賜物で、あった──
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