投稿(妄想)小説の部屋 Vol.3
大理石の廊下に出ると、少し先で冥界教主が携帯電話で話しをしている。アシュレイは足音を立てないように注意しながらピカピカしていやに明るいトイレの入り口から様子を伺った。
「でも仕方ないじゃないですか。あなたが約束を破るから。最初からそういうお話だったでしょう。会長である自分に任せておけとおっしゃったから我も信じていたのですが・・・」
社長ではなく、会長と喋っているらしい。あの社長の親父ということか?確か会長をしていたな。それにしても約束って何だ。
「・・・息子さんから話は伺いましたよ。とても熱心に説得されました。ちょっと心が動くくらいには、ね。・・・もちろんあなたの名前は出しませんよ。勘付いていらっしゃるかもしれませんが。・・・脅しではないですよ。息子さんは優秀な方ですから。あなたも自慢していらしたでしょう?」
あいつ・・・。アシュレイはあの青年社長の姿を思い浮かべた。アランの言う通り、彼は何とかドラマを潰さないように一生懸命になってくれていたのだ。
「・・・主演俳優は世界中でリゾートホテルを経営している大企業の御曹司で、息子さんの親友なのでしょう?金銭面はどうにでもなるじゃないですか。ただ、我達の関係が変わるだけです」
主演俳優のことは何度か一緒に仕事をしているのでアシュレイも知っていた。影のある役から爽やかな好青年の役までこなす高い演技力には定評がある。あの社長と友達とは知らなかったが。彼は家を出て自力で現在の地位を築き上げた。実家に頼るなんてきっと嫌がるだろう。それで降板されたら敵わない。しかし我達の関係?一体なんだ。
その後、少し言葉を交わして冥界教主は電話を切った。
「あの方にも困ったものだ。大風呂敷を広げるから自分で自分の首を絞めて。まぁ、こちらとしてはそれが目に見えているから利用させてもらったのだが。金を出さずに済むのであればそれに越したことはないからね」
冥界教主はやれやれと首を振りながら傍で待機していた秘書に携帯電話を渡した。
息を詰めていたせいでアシュレイは手にじっとりと汗をかいていた。
まさか、こいつ会長親父を利用して天界テレビに対して何か企んでいるとか・・・。スポンサー降板はその一歩だったのか?だとすればこれは大変な陰謀を耳にしてしまったことになる。
アシュレイはそっとスタジオへと戻った。
CMの撮影は無事に終り、冥界教主も「放送を楽しみにしている」と言って帰っていった。スタッフ達はゴージャスな気に当てられてヨロヨロしながら会社へと戻ったが、アシュレイは「用事を思い出した」と言って1人で天界テレビへと向かった。
アシュレイは天界テレビの地下スタジオの真ん中で胡坐をかいてじっと壁を睨んでいた。一体どうすればいいのか。これは天界テレビの問題だ。「君はうちの社員じゃない」という冷ややかな声がリフレインした。
「んなこと分かってるってんだ、タコ」
アシュレイの声は蛍光灯が一つ点いただけのぼんやり白い部屋の中に小さく響いて散っていった。その時、入り口が開く音がしたので振り向くと金髪の青年がこちらを見ていた。
「お前・・・」
「やあ、今日はうちで仕事なの?」
天界テレビの青年社長であった。彼はアシュレイの横に来ると遠慮がちに「座っていい?」と尋ねた。断る理由もないのでむっつり頷くと、青年社長は嬉しそうに座った。
「お前こそ何してんだよ」
「私はちょっと息抜き」
少しの沈黙の後、青年社長は口を開いた。
「どうしてアシュレイはこのドラマにそんなに一生懸命になるの?」
「自分の関わってる仕事が潰れかけてるなんて知ったら誰だって嫌だろ」
「でもこの間も言ったけど直前で企画が潰れることはたくさんあるよ。だからって私に意見してきたのは君が初めてだ」
しかも外部の人がね。社長は苦笑した。
「山凍殿は君のことを製作会社に言うって言ったけど止めたよ。現場でスタッフが一生懸命やっている姿は私も知っているつもりなんだ。だからあれは現場の声なんじゃないかなと思ってね」
上の人間が何も言ってこないのは彼が止めてくれたからだったのだ。
アシュレイは自分のくたびれたスニーカーを見た。
「俺だってドラマが潰れようが文句言える立場にないってことくらい分かってる。でも、みんな、いいもの作ろうって必死で頑張ってきた。準備からすごく大変なのに潰れるのは一瞬だ、なんて。そんなの嫌だし、みんなもがっかりする」
社長は膝を抱えて機材や木材がごちゃごちゃ置かれたスタジオ内を見回した。
「自分の顔や名前が世間に出るわけでもないのに作品を良い物にしたいってスタッフは頑張ってくれている。現場って地味な作業ばかりだけど情熱や熱気はすごいよね。だから私は現場が好きなんだ。私は私の仕事の面から作品作りに関わりたいって思ってる。うまくいかないことも多いけどね」
調べてみたらこの社長と自分とは同じ年であった。その若さで大企業を背負っているというのはどんな気持ちなんだろう。大変なんて言葉では片付かないほどの重荷だと思う。きっと今までこんなことは幾つもあって、その度に会社を守るために老獪な相手と戦ってきたのだろう。けれど青い瞳はそんな苛烈さを微塵も感じさせない穏やかさだ。
アシュレイは宝石店での話をした。やはりあのとんでもない陰謀を知らせなければと思ったからだ。
アシュレイが話し終えると、社長はため息をついた。
「なるほどね。あの方がいきなりそんなこと言い出すなんて何かあると思っていたけど。そういうことだったのか。これで分かったよ」
「へ?」
一体どうしたら今の話だけで全てが分かるのだろう。やはり社長ともなると違うのだろうか。
「父がブラック&ヘルの新作のネックレスに感激をして、今度うちのドラマに出したらいいなんて言ったんだよね。まさか勝手に約束しちゃうなんて思わなかった」
「ドラマに?」
「うん。ヒロインが相手役の男性から贈られるとかして。ドラマの影響ってすごいからね。以前韓国ドラマで使われたネックレスがすごく流行っただろ。父もあのドラマにはまっていてね。冥界教主殿にあれ贈っていたし。喜んでくれたとは思えないけど」
「・・・別にその新作をドラマに使うのは構わないと思うぜ」
話の展開が怪しくなってきた感じがしたので、アシュレイはとりあえず自分達のドラマの方へ話を戻してみた。台本にそんな場面はないが、ナセルやプロデューサーにでも話してみればいくらでも解決しそうだ。
社長はうーんと唸った。
「でも、ヒロインって普通の女性でしょ。10億円もするネックレスを身に着ける機会はないと思うんだよね」
「じゅ、10億!?」
「いくら相手の男性が金持ちだとしてもサラリーマンだし。いくら何でも不自然だよね」
確かに相手役をアラブの大富豪という設定にでもしなければ無理な話だ。
「まぁ、冥界教主殿も本気になさっていないと思うけどね。もしそれがドラマで使われればラッキーってくらいで。今回のスポンサーの話は裏ではそれが条件だったんだろうね。ダメだったら約束不履行で降りればいいだけだし。父も何とか実現させようとあの手この手を使ったんだろうけど、誰かが上手く水際でもみ消してくれたんだろうね。だから製作側は誰も知らずに済んだんだ」
うちの社員は優秀だからありがたいよね、と付け足して社長は遠い目をした。
普段のアシュレイだったら「テメェの親父がコケにされてもいいのかぁ!」と首を絞めているところだが、今回はその気になれなかった。俺達はオジンの片思いに振り回されていただけだったのか・・・。
「これなんだけど、見る?」
と、社長が携帯の画像を見せてくれた。何でものぼせ上がった親父が送ってきたらしい。画像にはダイヤモンドを散りばめた、大きなネックレスが映っていた。西洋史の教科書に載っている肖像画の中で貴婦人が身に着けているような感じのものだ。彼女達のドレスになら負けないが、現代の洋服には合わないことくらいはアシュレイにも分かる。
社長は立ち上がるとズボンの尻を払った。
「私も、もう1度冥界教主殿と話してみるよ。父に言っても今ショックで寝込んでいるから無理だし。まぁ寝ていてくれているから下手に動かれる心配はないけど」
「・・・大変だな」
アシュレイは心底から言った。
「これも仕事だから仕方ないよ」
「親父の色恋の始末はお前の仕事じゃないぜ」
「完全なプライベートだったらそうだけどね。でも会社のことなら話は別だよ」
「仕事だから?」
自分だったら割り切れるだろうか。
社長は首を振った。
「現場が好きだから。自分の『好き』はどうしたって守りたいじゃない。君だってそうだろ?」
社長は片目を瞑ってみせると、ドアへ向かった。
「お前、何か策はあるのかよ?」
アシュレイは背中に向かって尋ねた。社長はドアノブを掴んだまま肩越しに振り返った。
「ないよ。これから仕事に戻って考える。でも何かはやらなきゃ。君を見てそう思ったよ」
無謀だ、とアシュレイは思った。けれど、アドバイスもかける言葉も見当たらない。
社長はそれからさ、と付け加えた。
「これからはティアって呼んでよ。同い年なんだから」
「何で知ってんだよ?」
自分だって調べたのだが。
「20階で会った日に山凍殿が調べてくれたよ。要注意人物のことは知っておかなきゃ」
目を丸くしているアシュレイを残してドアは静かに閉まった。
テレビ局を出ると太陽の明るさはネオンに取って代わられていた。色とりどりの光が夜空を遠くに感じさせる。もう夜も遅い時間だ。天界テレビに入った時、日はまだ落ちていなかったから、随分長くスタジオにいたんだなと思った。荷物を置いてあるから製作会社に戻らなければならない。アシュレイは大通りに沿って歩き出した。
頭に浮かぶのはドラマのことやティアのことばかりだ。策はないと言った。でもどうにかすると。そういう考えは自分がすることであってティアのような人間のすることではないと思う。きっといつもの彼ならスマートに解決するのだろう。無策のまま闇雲に走るなんて真似はしないはずだ。でもそうせざるを得ない。つまりはそういう状況なのだ、今は。
「はぁ」
昼間ほどではないが、それでも通りには人の群が行き交っている。人ごみの中でアシュレイは小さくため息をついて、空を見上げた。ネオンでごちゃごちゃ光った夜空を見てもちっとも気持ちは軽くならない。それでもため息をつくと空を見上げたくなるのはなぜだろう。
首を上へ傾けたままふと視線を横へ向けると、大通りを挟んだ向かいにあるファッションビルが目に入った。壁面には外国人女性のモデルが写った巨大な広告が飾られている。夏のバーゲンの広告らしい。アシュレイの横を通った女性達がそれを見ながらバーゲンの話題で盛り上がっていた。そういえば、とアシュレイは思い出した。どこのテレビ局にも番組の大きなポスターやパネルが貼られていて嫌でも目に入る。毎日通っているといつの間にかどのチャンネルで何の番組がやっているかが何となく頭に入っている。
アシュレイの頭の中に一つの光景が浮かんだ。
「そーか・・・。その手があるじゃねーか!」
アシュレイは回れ右をすると人の群れをかき分けて猛ダッシュした。
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